4話 初日
ゴンッ。
「っ……ぅぅ」
教師が教室に入って来た瞬間鈍い音が響き、クラスが小さな笑いに包まれる。教師が口元を固くして声にならない声を上げた。教室の扉はスライド式でそれなりに大きく、進学校で尚且つ今日が初日と言う事もあり、扉上に黒板消しを仕掛けている事も無い。
だが、その教師は初めての登場でやらかしたのだ。その教師の丁寧に磨かれた左足の茶色い革靴の小指部分は凹んでおり、教師の顔を見る限りかなり痛そうだ。俺達が笑った要因はそれだけでは無い。
教師は辛そうな顔で少し丸顔の顔に合っている丸メガネをクイっと上げ、掛け直すと体を反転させてドアを閉めた。
何をする気だ?ざわざわと周囲の生徒達が騒ぎ出し隣の人と話し出す。良くもまぁ、顔見知りも居ないのに話が出来るもんだ。コミュ力高すぎだろ。俺はそう思いながらも、担任が再び入ってくるのを待つ。
「やぁ!みんな合格、そして入学おめでとう!今日から君達は晴れて志道学園の生徒だ!」
ぶっ
噴いた。
十秒程の間を置いて扉を勢い良く開けて入って来た担任は笑顔だった。それこそ、とびきりの笑顔で扉を勢い良く開けてハキハキとした口調で俺達を祝福しながら入って来た。
先程の件からのこの流れで笑いのツボがそれなりに浅い俺は耐えきれず、ついやらかしてしまった。
勿論噴いたのは俺だけでは無い。周りの複数人の生徒で耐えている生徒も何人かいるが、その生徒も必死に噴き出すのを我慢している。
本来であればこの生徒の教師に対する態度はかなり不敬な筈だ。ここは進学校と言われているだけに教師が厳しい可能性がある。笑った生徒が竹刀で殴られたりしたりしたらどうしよう。まぁ、それは今の時代体罰になるから無いとしても、一応志道学園は自由な校風と聞いたがそれがどこまで本当かは分からない為俺は端の席でプルプルと緊張で怯えていた。
初日でやらかすパターンだけは俺としてはどうしても避けたかったのだ。だけど、足を壁でぶつけたにも関わらず何事も無かったように入ってくるのは反則だろう。
この後、更に強烈なコンボが俺達を襲う事になる。
「えーっと全員居るかな?私は
自らの名前を禿山照幸と名乗った担任はゆっくりと教室の最前列の真ん中にある教卓へと向かい椅子へと腰掛けようとして地面に尻餅をつく。
その瞬間耐えきれなくなった生徒達は全員噴き出して笑った。禿山先生はその名の通り髪の毛は後頭部付近まで侵食されてはいるものの、前半分に孤島の様に髪が残っているのが特徴の先生だ。
目はおっとりとした垂れ目で、白色のスーツに赤と黄色のチェック柄のネクタイをしている。全体的に優しそうな雰囲気を放っており丸メガネが似合う先生だ。体型は特に肥満と言う訳では無いのだろうが、如何にも中年って感じの小太り体型をしている。
だが、禿山先生がゆっくりと腰掛けた椅子の後ろ足の一本は折れ、禿山先生は尻餅を付いた。椅子自体は金属の四本の足を軸にして、木製の背もたれが付いている至って普通の椅子なのだが、ここまで連続して事案が発生すると笑ってはいけないと思っていても笑ってしまう。
「ああ、椅子が壊れちゃったね。これは買い換えれば問題ないよ」
問題しかねえよ!
それはクラスの全員が思った事だった。
――その後禿山先生からいくつかの配布物を貰い、四月からの予定などの説明があり、体育館に移動して入学式を行い、入学式は幕を閉じた。
「おい、山川。部活とか何にするか決めたか?」
「いや、まだ決まってないな。お前まだ気が早いんじゃないか……」
「まぁ、そう言うなよ。部活の種類見たか?めちゃくちゃあるんだぞ?」
放課後俺に話しかけて来た奴がいた。進学校って事もあって堅苦しい奴らが多いのかと思っていたが割とそんな事は無いようだ。
俺と同じクラスで前の席にいた
背は低く、身体は少し太り気味で少し吊り上がった目と丸い鼻は正直あまりバランスが良いとは言えない。髪は下ろしており真っ直ぐに切っているのだが、ぱっつんとした前髪は目を隠す程の長さがある。噂では親が呉服店を経営してるとの事だ。要するに御坊ちゃまである。だが、嫌な雰囲気は感じない。
部活の紹介のパンフレットは生徒個人には配られておらず、教室の端にあるアルミ金属で出来た横長の本棚の上に置いてあった。俺はまだ見ていないが安田はそれを見てから気持ちが高ぶっている様だった。それにこんな事まで予習を怠らないとはやはり進学校だ。いや、これは予習とは言わないか。
普通の学校ならば、部活の種類なんて多くても三十種類くらいじゃないのか……?俺はそう思いながらも安田に手を引かれるままにクラス全員が群がっている本棚の方へ行き、他の生徒達の隙間から顔を覗かせてパンフレットを見る。
パッと見ただけでも五十種類近くあるな……。しかも何だこれ。名前を見ても聞いた事無い部活や、イメージが湧かない部活も多い。誰かの手が開いた目次のページを眺めて俺は目を見開く。こんなにあったら選べないや。明日と明後日でオリエンテーションがあってここの学園の先輩達が俺達に学校内を案内してくれるそうだからそこまでは待つのが吉だろう。
どうせ、部活に入れるのは五月からだし五月の初頭には文化部と運動部のデモンストレーションもあるらしいから俺が部活の事を考えるのはそれからでも十分遅くは無いだろう。俺はそう思いながら視線を逸らして自分の左腕の腕時計を確認する。時計自体は千円程度で買ったものなのであまり当てにはならない。
「うお、いっけねえ……そう言えば近藤と待ち合わせしてたんだった……また今度な!」
「おう」
俺は時計を見て近藤と待ち合わせしていた時間を十五分も過ぎていた事に気が付いて焦って教室を出る。安田は返事を返したものの部活のパンフレットに夢中な様でその返事に感情はあまり篭っていなかった。
一年四組の教室に入ると近藤は肘をついて部活のパンフレットをペラペラと捲りながら急いで入って来た俺に気が付き手を振った。だが、俺が遅れた事に関して怒っている様子は無い。
近藤は、部活のパンフレットを俺が遅れた時間の間に一通り見終えた様で少し悩んだ顔をしていた。
「いや、運動部に入ろうかと思ってたんだが、休日拘束されるのは嫌だなと思ってな」
いや、お前今日の朝の電車で特に何も決めて無いって言ってたじゃんかよ。俺はそう思いつつも確かに休日拘束は嫌だと思う。
だが、それは大抵の運動部であれば仕方が無い話である。野球やバスケ、サッカーなどのスポーツは休日は無いと思って間違い無いだろう。そもそも、俺は運動は苦手だから運動部を選ぶ事はほぼあり得ないだろう。
近藤もあまり運動は得意では無い筈なのに何故運動部に入りたかったのかは何となく想像出来る。それは彼の飛び出た腹を見る限り簡単に理解できた。
――部活のパンフレットを近藤に言われるがままに一通り確認した俺だったが、パッとする物はいくつかあったのだがどれも、面倒臭さが勝ってしまった。やはり、部活を決めるのはオリエンテーションやデモンストレーションの後でも良いと割り振って脳をリセットする事にした。
俺ってあんまりそういうの向いてないのかもしれないな。俺は少し落ち込んだ。
帰りに近藤と共に学校にある図書館に向かい、入学式で早速出された宿題をこなしてから俺達は電車で家へと帰宅する事にした。
図書館は南棟の二階にあるのだが、そこに行くには教室を一回出てから渡り廊下を歩いて行く必要があった。南棟は生徒が授業を受ける為の棟とそれとは別に教員や事務員が仕事をしている棟に分かれている。
図書館があるのは事務員などが仕事をしている棟の二階の為、ほぼ別棟である。図書館の中は大きめの窓ガラスで採光も取り入れられており、入り口には本検索用のパソコンと本を借りる時に手続きをする事務員の部屋があり、奥は読書用のスペースと大量の本棚で分かれている。
本の種類は歴史書からファンタジー小説まで様々な物が並んでおり、普通の図書館と比べても遜色は無い。近藤は本を選ぶ事無く読書用のスペースへと向かって配られた宿題を開いた。やっと受験勉強が終わって合格したってのに真面目なもんだ。
正直少しは気を抜いても良いとは思うんだが、近藤曰く、ここの学校が進学校だけに勉強してないとすぐ置いて行かれると言う事を話していた。まぁ、この事は近藤が補欠合格で悔しかったと言う意味も多少は込められているのだろうが俺は敢えて触れなかった。
今日一日だけで俺は非常に濃くて充実した一日を体験した。新たな友達も出来た。それによって俺は今から始まる新たな学園生活が楽しみで楽しみで仕方がなかった。
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