ヒダル神
『ヒダル神』(饑神)という妖怪がいる。
先に書いておくと、今回も怪談とかそういうものではない。
主にWikipediaを参考にすると、ヒダル神とは人にとり
なお、『ひだるい』とは、ひもじいとか空腹であることを意味する言葉である。
あともう一つ、『ひでり神』という似たような名の妖怪が某有名妖怪アニメに登場していたのを見た記憶があるが、別物である。
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山道にも色々とあり、舗装されて車で普通に通れる――ただし、すれちがいの困難なことが多い――ものから、荒れて人が歩くのも困難な状態になっているものまである。
最近……だけというわけではないだろうが、台風や集中豪雨でがけ崩れが発生ということも決してまれではない。
大規模な崩落だけではなく、大きめの岩が路上に転落したり、木が倒れ込んだりして車が通れなくなっているという例は結構頻繁にある。また、単に使われなくなっただけで、旧道がヤブと化して通れなくなっていることも。
夏に通った道が台風通過を経て秋に行った時には通れない、ということも何度かあった。逆に、春に通れなかった道が夏には復旧しているという例もやや少ないがある。
一度だけだが、雨の中で作業中、行きに普通に通れた道が帰りには土砂に埋まっていたということもあった。その時はほかに道もなく、複数人で一緒に行っていたので、一人ずつ注意を払いながら崩れた土砂の上を歩き、何とか脱出に成功した。
そして復旧についてだが、交通量の多い舗装道路ならともかく、林業関係者がたまに通る程度の道は、予算の関係もあるのか復旧が後回しになることもあるようだ。そうやって何年か放置されたんじゃないかと思われる道を歩いて通ることもたまにある。
また、災害の規模にもよるが、岩がいくつか落ちているとか、木が数本倒れた程度なら数日で復旧していることも多い。
◆
前置きが長くなってしまったが……近畿地方南部の山地で昆虫調査を行っていた。車の入れない山道をひたすら歩く。
昼には一度車に戻るつもりで、昼食のサンドイッチは車に置いてきた。
ところが、予定の道を半分以上進んだところで、地図に載っていた細い道が崩れて通れなくなっていた。これが通れないと、車を止めたところにまっすぐ戻れない。
地図を見直した結果、来た道を戻っても結構な時間がかかるし、先に進んで遠回りして車まで戻ることにした。
そちらは車こそ通れないもののやや広い道があって、万一一部が通れなくても迂回もできそうな感じであった。
ただ、十二時には車に戻れる予定が、午後一時を過ぎてもまだ車までは距離があった。道のり的にはそれほど長くなくとも、昆虫採集をしながらだと結構時間がかかる。
そうしてゆっくりと車まで戻っている途中で、『ヒダル神』に襲われた。急に強い空腹感に襲われ、足からも力が抜ける。
要するに、空腹で歩きづらい状態であった。
◇
さて、妖怪『ヒダル神』の正体として考えられているものの一つが、急激な血糖値の低下、スポーツなどで言うハンガーノックと呼ばれる現象である。
昔の人は、旅の途中で食料が足りなくなり、そのまま行き倒れることもあったのだろう。そのようなことが何度か起こり、医学の発達していなかった時代には、人に空腹をもたらし、時には餓死させるヒダル神などという怪異の発生につながったのであろうか。
さて、問題はどうやってこの状況を脱するか。
携帯の電波は届いているが、おなかがすいたので助けて下さいというわけにもいくまい。
それに、車の通れない道なので、助けを呼んだところでどうしようもないのだ。いや、背負って運んでもらったりしなくても、おにぎりの一つか、甘い飲み物の一本でももらえれば、あとは自力で何とかできるとは思うが。
伝承のヒダル神も、米か何かを少しでも口にすれば追い払いことができるらしい。やはり、低血糖の症状っぽい。
とにかく、さすがに完全に足が動かなくなれば助けを呼ぶしかないとして、足が動くうちは自力で何とかしたい。
なお、昼食は車の中、というのはすでに書いたとして、食べ物の類は他に持ち歩いていない。
甘い飲み物でもあればなんとかなったかもしれないが、糖分取りすぎの問題もあって、甘いものは飲料の半分以下ということにしていた。ペットボトル一本だけ持っていたミルクティーは早々に飲んでしまい、リュックサックに残るのは烏龍茶だけである。おかげで熱中症や脱水症状に陥る危険はないが、もちろん低血糖は治らない。
この腹の脂肪、こういう時のために貯め込んでるんじゃないのか。そう自分の体に文句の一つも言いたくなるが、脂肪の燃焼には時間がかかるらしい。体力の消耗を抑えて待っていれば、脂肪をエネルギーに変えられるという説もあるが、あいにく今は仕事中である。
力の入らない足を引きずって、車までの道をとぼとぼと歩く。採集もしなければいけないのだが、捕虫網を持つ手にも力が入らない。採集の頻度を普段の半分程度に下げ、車に帰ることを優先して歩く。
そうして、予定していた昼食時間から二時間少々遅れて、午後二時過ぎに何とか車にたどり着き、ようやく昼食にありついたのであった。
◆
その後も仕事の現場中やプライベートの採集中にヒダル神に襲われることが何度かあった。
たまに非常食としてカ〇リーメイトとかクラッカーなんかをリュックサックに入れておくこともあるが、そんなときに限ってヒダル神は寄り付かない。
最悪そのまま忘れてしまい、その後リュックサックの整理をしたときに、粉々になった挙句に賞味期限の切れた非常食が見つかったりするのである。
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