ダニの話
ある年の夏。
近畿地方中部の山林で、昆虫調査を行っていた。
朝に車から歩き始め、ずっと調査を続けて夕方に戻る予定だった。
調査は順調に進み、昼食も山中で適当な岩を見つけて座って食べた。後にして思えば、これがまずかったんだろう。
いや、まずいのは昼食ではなく、無警戒に山中でゆっくり座っていたことの方である。念のため。
ちなみに昼食だが、近くに店がある場合は車で食べに行くときもある。しかし、最寄りの食堂まで往復で1時間近くか、それ以上かかる事も多いため、多くの場合は朝出かけるときにコンビニかスーパーで買っていくことになる。
まれに、コンビニやスーパーすら近くにない場合、宿に注文して昼食用に弁当を作ってもらうこともある。
昼に車に戻って昼食を食べることができるなら、ざるそばとか冷やし中華のような、潰れたりこぼしたりする可能性のあるものでも車の中に置いていける。
しかし、今回のような一日中車に戻れない場合、リュックサックの中で少々つぶれても大丈夫なように、サンドイッチかおにぎりを買って持って行く。
あの辺りのコンビニご飯は決して嫌いじゃないので、メシがまずいとかそういう不満は特にない。
閑話休題。
現場が終わり、車で自宅に帰ってきて、履いたままの作業ズボンを脱ぐ。
右足の
あれ? こんなところに怪我してたかな?
体が硬いのでなかなかよく見えないのだが、触ってみるとやや膨らんている。
……まさか、これは……。
なかなか近くで見ることができないので、デジタルカメラでその部分を撮影して、拡大して見る。
結論。マダニであった。
◆
その何年か前から、マダニが原因の感染症による死亡例が報告され始めていた。ただしその当時、四国や九州からの報告例があっただけで、近畿地方での死亡例はまだなかったように思う。
もう夜で、近くの医院も開いていないため、家にあった先の細いピンセットで、刺さっている部分から除去した。
このあたりは、逆に病原体を注入してしまう危険があるので、本来なら医師に任せた方がいい。
正直自分も、ダニに関しては素人同然なので、少々軽率な行為であったかもしれない。
取り除いたマダニをアルコール漬けにして、ひとまずその場の処置は終わった。
◆
そして、それから二週間が経過した。
風呂上り、妙に寒気がする。
念のため熱を測ってみると、三十八度を超えていた。
熱とそれに伴う悪寒だけで、その他の吐き気とか体の痛みといった症状はなかった。
しかし、噂に聞くダニからの感染症と、潜伏期間はほぼ一致している。
翌朝、行きつけの内科に駆け込んだ。
なお、まだコロナは流行の前であり、高熱を出して内科に行く事は特に問題なかったころの話である。
当時、近畿地方ではダニの病原体の発見例はなく、ここでは大丈夫だろうという気持ちと、ひょっとしたら近畿の発見例第一号になるかもと言う気持ちを抱えたまま、血液検査をしてもらう。
数日で結果は出た。マダニ由来のウイルスやリケッチアは陰性。
結論。ただの夏風邪であった。
参考資料にと、ダニに刺された傷と、念のために持って行ったダニの液浸標本を内科の先生に写真に撮られて、何とか無事にダニ刺されの一件は終わった。
◆
その少し後、滋賀県の人がダニによる感染症で亡くなった。
ダニが媒介する病原体とか、どうやって広まっているのかよくわからないが、いずれにせよ近畿だけではなく四国や九州で仕事もするので、注意が必要なのは確かである。
山中でゆっくり座って休憩できないのはちょっと辛いが、ダニに刺されないように、また家に持ち帰らないように……。
コロナ以外でも、ダニやその他の危険生物にやられないよう、調査方法などを少しずつ見直していく必要があるのだろう。
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