五月のセミ

 季節外れではあるが、セミの話をさせていただくことにする。


 ようするに、連載開始の時期が悪かったのだが、すでに書いたとおり十月後半からは昆虫の激減する冬の時期に突入する。

 また、あまりマニアックなネタや、説明のための用語集みたいなものばかりでも引かれるだけなので、比較的メジャーな虫の話をすることにした。


 このように、今後も本エッセイ中では季節感を完全無視することになるが、ご了承いただきたい。


    ◆


 子供の頃、なぜか毎年のように五月ごろ、セミが鳴いている夢をよく見た。

 どのセミかはよく覚えていないのだが、おそらく家のまわりにたくさん鳴いていたクマゼミだろうと思われる。


 ああ、もうセミの鳴くような季節なんだ。今年もまた、夏休みが来る。

 そして、夢から覚めてがっかりする。まだ夏休みは遠い。


 とはいえ、楽しみにしていたのは夏休みであって、セミの声はただその象徴にすぎなかったのだろう、きっと。


 そしてもう一つ。

 子供の頃は知らなかったのだ。山に行けば、その時期にも鳴いているセミがいると。


    ◆


 それが、そのものズバリの名を持つ「ハルゼミ」である。

 

 主に松林に生息しており、筆者がフィールドとしている西日本では四月後半ぐらいから六月ごろまで鳴いている。

 その鳴き声は、図鑑などに書かれているカタカナ表記だと『ムゼームゼームゼー』。ほかにも『ギー・ギー』とか、『ジー・ジー』などと表記されることが多い。


 かつては普通にみられる、とされていた種であるが、近年では絶滅の恐れのある動植物について取りまとめられた本、レッドデータブックに載ることが多くなった。

 さすがに、環境省の作成した全国版にはまだ載っていないが、例えば筆者のメインフィールドである近畿地方では、大阪・滋賀・兵庫の三府県のレッドデータブックに掲載されている(2019年当時)。


 ハルゼミの生息環境である松林は、スギやヒノキの植林や宅地開発のために伐採され、その範囲を狭めている。実際に野外で山を見ると、斜面にはスギやヒノキの植林が広がり、マツは尾根上の高いところに細々と生えているだけ、というところが多い。

 そこへさらに松枯れが追い打ちを掛けて、そこに生息するハルゼミまでも姿を消していっているのだ。


 このハルゼミ、絶滅のおそれがあるとされる種のなかでも、見付けやすい部類に入る。なぜなら、鳴き声による確認が可能だから。


 筆者もこれまでは、春の調査でよくハルゼミの声を聞いており、それほど珍しいとは思っていなかった。減少していると言われると、確かにそんな気はするが……。


 仕事で得たデータは発注元のものであり、守秘義務もあるので論文や書籍などのデータとして使うことはできない。

 個人的な採集の時に鳴き声を聞くこともあったが、珍しくないと思っていた種の記録をいちいち残すことはないし、採集もしていない。

 思い返せば減った気がするといっても、データも標本も残っていなければ何とも言えないのだ。


 ただ、今年2019年には、公私を合わせても一度しかハルゼミの鳴き声を聞くことができなかった。今年は昆虫の現場が少ない、ということもあるのだろうが。

 

 大阪市立自然史博物館の初宿しやけ学芸員は、ハルゼミはこのままさらに減少を続け、あと十年ほどで大阪府から姿を消すと推測している。

 とはいえ本種については、鳴き声により一般市民でも確認しやすいため、また、ネットにより情報発信・収集が楽になったため、減少に至る過程を観察できた数少ない例であろう。


 多くの人々が知らないうちに減少、もしくは人知れず消えていった昆虫も、少なからずいるはずなのだ。


    ◆


 いつの頃からか、春にセミの夢を見なくなった。

 それは、夏だけがセミの、そして昆虫の季節ではないと知ったからだろうか。

 それとも、楽しみにしていた夏休みというものを失ってしまったからだろうか。



参考文献

初宿成彦, 2019. 大阪府におけるハルゼミの分布-インターネットを用いた現況の記録と変遷の推定-. 大阪市立自然史博物館研究報告, (73): 71-89.

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