第2話

耳にへばりつくようなドロッとした鈍い音。


いや⋯⋯たたかないで⋯⋯


顔を腕で覆いうずくる 。

子供の背に座り左右の拳を、子供の顔目がけ振り回す男。

小さな腕の隙間からチラチラと見えるその人影は、自身の目を三日月形に裂き、鮮血漂う空間で頭にまで響き渡るような笑い声をあげる。


ごめんなさい、許してください、二度としません、次はきちんと──


声を振り絞り懇願するも逆効果。

男の拳に、ますます力が入る。

殴られる度右へ左へと揺れる小さな体は徐々に生々しい痕跡浮かび上がり、真っ青な部分が増え、腕は力なく地面についた。

そんなことつゆ知らず、子供は叫び壊れた機械のように謝罪の言葉を繰り返す。

子供は投げ飛ばされ地面を勢いに任せ転がった。

仰向けに横たわり苦しげな声を上げる子供の首を男は掴んむ。

脳が熱を持ち肺が空気を求め手足で何かをつかもうともがく中、男は子供に向かって罵声を浴びせ続けた。



「⋯⋯」


ゆっくりと目を開くと、あまりの眩しさに手で目を覆う。


「あっ⋯⋯目が覚めたね、良かっ──」


こえ⋯⋯!


声とは逆の方向へと顔を向け足を折り曲げ手で顔を覆うようにして縮こまる。


「って⋯⋯やっぱりあれだけの事があったあとじゃ怖いか⋯⋯」


震え目をぎゅっと瞑る。


「っとだいじょぶ?」


身体の震えがまし、耳を塞ぎ懇願する。


もうこぼしません。こけません。


声を聞く時は毎回と言っていいほど殴られた。


仕事もちゃんとします。働けます。まだ動けます。


それは、理由もなく理不尽に⋯⋯。

不意に自身に影がかかるのに気づき身体を硬直させる。

小さな頭で瞬時に悟り身を守ろうと、反射的に震える口が動いた。

長い長い静かな時間。

心臓の音のみがハッキリと聞こえる。

ドッドクッドクッッドク

時間がじわじわと経過する度に早まる気がし、震えも止まらない。


そんな中、永久に思えた時間を破ったのは硬い拳による衝撃⋯⋯ではなく、頭から感じる重みだった。

その重みは頭から首へと移動しまた頭へと戻る。

首に当たりとても擽ったい。

おもむろに顔を上げ、眩しさに目を細めながらも、頭を触るものの顔を見上げた。

見上げた先にあった男の目と合う。


「⋯⋯」


男は何も言わず、仮面をかぶっているかのように皮、筋肉がピクリとも動かない顔でただただ眺めていた。

わけも分からずただ男の顔を見つめる。


「ルルシュ」


「はい、えっと⋯⋯その子の傷のことですよね?

えぇっと⋯⋯昨夜お話しましたとおり現状命に別状ありませんが、打撲、内出血が多く、まだ動くたびに痛みが走るかと

一番はのどですね、見ての通りのどがつぶれ声が出ません

一応僕の力で治せるか試してはみますが、おそらく無理かと

あと、今回の治療で残っていた薬草のほとんどを消費しまし残り少ないため、予定を早めどこか近くの町へ行く必要があるかと」


男は話を聞き頷き、


「食事にする」


と一言発した。


「わっ、わかりました

では、すぐご用意します」


よくよく耳を澄ましてみると、馬の足音や車輪の音と共に布が擦れた音、コツコツと足音が聞こえ微かに話し声が聞こえてくるすぐ。

男は声のする方向を見、またこちらに顔を向けてきた。

顔を向けられビクッと体が反応すると男は一瞬動きを止め、口を開いた。


「もう笑わなくともよい、涙を流すほど⋯⋯心を殺してまで、貴様の笑みに価値はない」


男は頬をやさしくなでる。

土で汚れた頬を伝う涙は茶色く濁っていた。

男が触れるたび、ピリッと痛みが走り顔に少し力が入る。

男の手にも痛みが走ったのかピクッと痙攣すると手を離した。

仏頂面で顔色も変えづ見つめる目のみが少し悲しげで、涙をぬぐう布は冷たく寂しさを感じさせる。

痛みを忘れ無意識に伸ばした手で、男の体温を探り顔に寄せると心地よい暖かさの中で目を瞑り、顔を填めた。

暖かな感触を頬に感じながら揺られる事数分、馬車はゆっくりと止まった。


「ルルシュ」


馬車が止まり荷袋を漁っていた水色の髪をした中性的な顔立ちの人物に声をかける。


「はい」


「傷の治りを早める薬草を入れ、この子の分とお前たちの分とで分けよ」


「はい、わかりました⋯⋯して殿下は」


「いらん」


「わかりました、では仰せのままに」


馬車内に2人を残し残りはどこかへと行ってしまった。


「⋯⋯」


喉が潰れ声の出ない子供と、仏頂面の男。

会話が生まれるはずもなく、ただただ時間だけがゆっくりと進む。

その間、男はじっと子供を眺めていた。



微かに聞こえる草をふむ足音。


「殿下、飯の用意ができました」


「あぁ、この子の分を」


「へいへい、薬草入りのやつですね、了解」


仮面の男は手をヒラヒラと振り水色の髪の少年の元へ歩みよると、一二言話しスプーン2つと木製のスープの入ったお椀ひとつを運び男に手渡す。

男は何も言わずスプーンでゆっくりとかき混ぜると湯気が出ている半透の液体をすくい液体に向かって息を吹きかける。

ゆらゆらと湯気がたなびいき、草のにおいが鼻につく。

男は黙ったままスプーンの端を唇にあててくる。

男の体温よりも少し暖かい。

小さく開いた唇の隙間から少しドロッとした、液体が注がれとおり舌の上だけを器用にとおりのどへと滑り落ちて行く。

無意識にコクコクとのどが動き、侵入を許可する。

のどの内側、液体の通り道の途中、ドロリとした液体は牙をむく。

鋭い牙を持つ小さな虫にかまれたような痛みが襲ってきた。

痛みの原因を吐きだそうと無音に近い咳をした。

唇に冷たい感触を感じ無臭の液体を飲み、スープを流す。

土の味も、口に広がる不快感もなく、飲んでも痛くない飲むモノ。


おいしい


初めての味、感覚。

子供はスープと水を交互に飲み、満足すると睡魔に誘われるまま眠りに落ちる。結局、器の半分程度までスープを飲み干していた。



馬車から2種の寝息が聞こえてくる中、男が2人薪を挟んで対峙していた。

2人は何を話すでもなく、ただ静かに武器の手入れをする。

仮面の男は、細身で細かな傷を装飾代わりといった何の変哲もないただの剣を布で磨き、仏頂面の男は背中に背負っていた大剣と腰にさしていた日本刀を丁寧に磨いている。

風に靡く炎が火の粉を放ち、ゆっくりと近くの落ち葉へと落ち焦げ目を付ける。


「殿下」


ゆっくりと顔を上げ仮面の男が口を開いた。


「あの子供、これからどうするつもりで?」


月明かりもない、薪の明かりだけしかない空間。風は少し強く吹き、止む。


「もう二度と言葉を発することの出来ない、しかもまだ幼い奴隷を助けたところで、意味は無いに等しい

無闇に高価な薬草や蜜を使っては、我々の旅路が益々危うくなるだけ⋯⋯

あんたの気まぐれで間に合わなかったら意味がねぇ、だろ?」


男は手を止めること無く無言で磨き続ける。


「殿下、俺はいくらあんたの頼みだって言っても、あの子供をここに置いとくのは反対だ

俺は神の教えの通り、全ての生きとし生けるものものを平等になんて護るつもりはねぇ、俺は神でも司教様でもねぇからな」


吐き捨てるように言うと立ち上がり、便所と言って木々の中へと向かう。


「そうか、覚えておこう」


静かに透き通る声が耳に入り、仮面の男は立ち止まるも振り返ることなくまた歩き出す。

アルルファスはそんなことなど気にも留めず、磨き上げた剣の角度を変え自身の顔を覗く。


「残り六つ」


剣身を眺めながらアルルファスは静かに呟いた。

まだまだ先の長い旅路の途中。忌々しい首元のあざをなでた。

ぴゅぅと季節に似合わぬ冷たい風が吹く。日が明ける頃には火の粉が舞い降りた落ち葉は、黒い煤を残し形を消していた。

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王候補のトリオンフィー 柊ツカサ @Tujasa-Hiiragi

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