第92話【ブランコは風に揺れ】

 知らない街を歩くのは紗弓さゆみの一番の気分転換で、土日休みのうちの一日はふらりと小さな旅に出る。


 右と左、三叉路、その日の気分で道を選び街を歩く。

 古びた美容院、昭和の名残りが残る喫茶店、シャッターが半分だけ開いている電器店、八百屋なのに雑貨が置いている店。

 懐かしい駄菓子屋。


 そのどれもが、ちゃんと息をしている。


 コンビニでおにぎりを買い、雑草だらけの公園のブランコで少し早い昼ご飯。


「こんにちわ、涼しくなりましたね」

 雑種犬を連れたおじいさんに声をかけられる。

 人見知りなのに、知らない人とは話しが出来る。

「今年は暑かったですからね、やっと涼しくなって、散歩にも出やすくなりましたよね」と答える。


 おじいさんは、ブランコの横にあるベンチに座り、持ってきたペットボトルの麦茶を一口飲み紗弓の方を向いて「隣のブランコに乗ってみてもいいかな」と笑う。


 キイキイと鉄が摩擦する音を止めて、隣のブランコへと行くおじいさんが歩き易いように、座面を下げる。


 ブランコの枠に繋がれた、年老いているだろう犬は大きなあくびをして身体を低くして丸くなった。


 静かに漕ぎ出したおじいさんと紗弓は何を話すでもなく静かにブランコの揺れに身体を委ねていた。


 ギー、ギー、ガタ、ギー、ギー、ガタ


 足を伸ばし、曲げ、伸ばして曲げブランコは揺れる。

 心地よい揺れは幼い頃のあの公園の風景と重なる。


 学童保育から帰っても、誰もいない家が寂しくて、母親が帰る時間まで学校の近くの公園のブランコで時間を潰した。


 公園には、いつも子どもたちが数人いるが、一人また一人と迎えに来た家族と帰って行く。


 空が茜色に染まるのを、ブランコに乗ったまま眺める。


 学校の職員室には明かりが付いていて、誰かがそこにいるのが分かる。それは少し心強くて窓に映る人影にほっとする。


 やがて、仕事帰りの母親が紗弓の名前を呼びながら公園の入口に自転車を停める。


「お母さんおかえりなさい」


 駆け寄る紗弓、少ししゃがんで抱きしめられた優しい記憶がよみがえる。

 懐かしい匂いは、薔薇の香りの香水でいつもほのかに香っていた。


 おじいさんは公園を眺めながら口を開く。


「この公園も閉鎖されてマンションになるそうです、子どもも少なくなって来たし、大きなマンションが建つことに決まって、確か来週には工事が始まるらしいです」


 マンション建設するには、公園も設置されるというのがほとんど決まってるそうで。

 それは地域に解放される。


 安全な遊具とベンチ、カラフルなオブジェ。

 どこにでもある公園へと姿を変える。


「何か、寂しい気もしますね」

 紗弓は大きく足を伸ばして、少し大きくブランコを漕いだ。


 静かに流れる時間がもっとゆっくりと流れるようにと、ブランコを漕ぐ。




「さて、そろそろ家に帰らんと、ばあさんが心配するじゃろう、久しぶりに乗ったブランコは楽しかった、ありがとうお嬢さん」


 秋の空にはわたあめのような真っ白の雲が静かに流れていて、風は公園の隅に咲いている小さな花を揺らす。


 子どもの頃のように、ぴょんとブランコから降りて、通りへと出た。


 振り向くと二つのブランコは静かに風に揺れていて、背中を押してくれてるように感じる。


 小さな旅は続いていて、深呼吸してまた知らない街へと歩き出す。



「了」


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