第86話【こちらさわやか薬局です⑩】

 ミーコの声が聞こえなくなると思うと気持ちが沈んでいく、小学生だった頃体育の授業で「それでは二人組になってください」と言われたあとの一人取り残された気分。

 それほどまでに、私の生活に溶け込んでいたのだと思う。


 川島さんにとっても大切な存在だったはずだと思い、最後の朝を迎えた。


「ミーコ、ご飯だよ」

 寝ぼけ眼のミーコは、タンスの上から、しゅんと降りて私の足元に朝の挨拶代わりに身体を擦り寄せてくる。

 いちご柄の容器はミーコを預かる前に用意した物で、揃いの水容器もある。

(川島さんも使ってくれるかな)


 カリカリと小さな音をたてるミーコをずっと眺めていた。


 ベッドに置いたままのスマホにメッセージが届いたと音が鳴る。


「11時頃に迎えに行きます」


 永崎さんからの通知の最後に可愛い猫の肉球の絵文字がついていて、ほんの少し笑顔になった。


 餌を食べ終えたミーコは右手でせっせと顔を洗っている。


 食べた後の食器を洗って新聞紙に包み、小さなトートバッグに入れる。

それからミーコと猫じゃらしで遊んだり、撫でたりとゆっくりと最後の時間を過ごした。


 白のゆったりとしたシャツにジーンズを履いて、簡単に化粧をして永崎さんからの通知を待った。

 近くに行ったらもう一度連絡すると言ってたはずだ。


10時40分━━

 突然玄関のチャイムがなり、モニターには永崎さんの笑顔が写った。


「すみません、青信号で車がスイスイ動いたので、直接来ちゃいました、森田さん準備出来てる? 」


 ドアを開けると少し日焼けした永崎さんが笑っている。

自粛期間中に観光客のいない町を訪れてたくさん絵を描くと言ってたから、きっとそのお土産のようなものだろう。


「あとは、ミーコをこのバスケットに入れるだけです」


 玄関に用意していたペット用のバスケットを指さした。


「あと、持っていくものは?」

「トイレの砂とか、食べかけの餌だけです、ちょっとすぐに行けます」


 部屋に戻り、ミーコを抱き抱えてバスケットに入れると、ミーコは不満そうに、みゃ〜と鳴いた。


 使うものがいなくなって何だか寂しそうに見える部屋に置かれた猫用のトイレ、部屋をぐるっと見回した。

ちょっと寂しげに見えた。


「行きましょうか」と永崎さんに声をかける

 サンダルに足を入れて、ミーコが入っているバスケットを持ち上げた。


「今日から寂しくなりますね」

 餌とトイレ砂の入った袋を持ち上げながら永崎さんが呟いた。


「ほんとに、泣いちゃうかも知れません」

 と正直な思いを口に出した、ただそれだけで少しだけ心が楽になった。


車の後部座席にミーコが入ったバスケットを置いて、助手席に座るとふんわりと優しい花の香りがした。


「こんなところですみません、僕と付き合ってくれませんか」と小さな花束を手渡された。


驚いて永崎さんの顔をみた、照れくさそうに笑ってる笑顔は少年のように輝いていた。


「私、バツイチですよ」

「それが何か問題でもありますか?」

花束は小さな赤いバラとかすみ草で可愛いリボンで束ねられていて、そのリボンには好きですと書かれていた。


「お願いします」と言うのが精一杯だった。


「良かったありがとうございます」

そう言いながら、永崎さんは車のキーを回してエンジンをかけた。









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