第78話【冷めかけたカフェオレ】

 私はどうしてここにいるのだろうかとふと思う。


 彼と別れたあの日から思い出を手繰り寄せるように2人で過ごした町へと身体は向かう。


 もう1年もたったのだと思い知らされた。今日5月24日は私の27歳の誕生日だった。

 あの日私たちは別れを決めた、それは私が決めたことでもあった。

でも、今でもこうして彼のことを思い続けているのだ。


 いつも待ち合わせに使っていた町へと降り立ち、駅前広場のベンチに腰掛けて道行く人を見つめている。


 幸せそうな恋人同士、仲良さそうに歩く学生の屈託のない笑顔。

 それらの姿は過去の私でもあるのだけれど。

 そこにひとりぼっちの私なんて似合うはずもない。


 彼が住んでいたアパートのあるこの町、消せない電話番号に掛ける勇気なんて未だに持つことが出来ないでいる。


 ふと通りを見ると、いつの間にか行きつけだった喫茶店があの頃とは姿を全く変えていた。


 夕日は既に沈みかけていてその店の扉に少しだけオレンジ色の太陽の光が届いていた。


 店の名前はサンライズカフェあの頃と同じ名前だった。


 懐かしいその名前に吸い寄せられるように扉を開けて中へと入った。


 窓ぎわの席に座り外を眺めていると、メニューを持って背の高い男性がやって来た。


「ユカちゃん、久しぶり」


 あの日別れた匠海がそこにいた。


「なんでここに? 」


「あれからさ、俺仕事を辞めちゃったんだよ、それから外国に旅行したり、色んなバイト掛け持ちしたりさ、そんな時にこの店のオーナーと知り合ってさ、ひょんなことから新しくした店を任されることになっちゃったんだよ」


「そうなんだ………元気そうで良かった」


「確か1年ぶりだよな……ユカは元気にしてた?………そして今日は誕生日だったよな、おめでとう」


「うん……相変わらずだよ、仕事もそれなりに忙しいし、誕生日覚えていてくれたんだ、ありがとう」


 誕生日を覚えていてくれたことに驚いた私は少し沈黙した。


「あっ、ところで何になさいますか、お客さま」

 下を向いた私の心に気付いたのか、あの頃と同じように匠海は笑った。


「そうだね注文しなきゃね、それじゃカフェオレのホットで……」


「はい、かしこまりました」


 店の中を見回してみても、あの頃とは全く違っていた。


 あの頃の私たちは何を思いながら生きていたのだろうか、お互いに2度目の恋人だった。

 寂しさを埋めるために寄り添っていたのかもしれないけれど、お互いを必要としていた。


 うす緑色のカップに入れたカフェオレを手に匠海は席に座った。


「お店大丈夫なの? 」


「あっうん、バイトの子がいるし、任せられる子なんだ」


「それで、今日はどうしてここに?ユカの家もっと先の駅だろ?もしかしてあの部屋引っ越した? 」


 あの頃と変わらずにあの古いアパートにいるよ、そう心の中で呟いた。


「ちょっとね、友達と待ち合わせてたんだけど、急に用事が出来ちゃったらしくて、今から帰るとこだったの、それでちょっと懐かしくてさ、この店すっかり変わってたの知らなかったよ」


 小さな嘘が私の唇からサラサラと流れた。


「だよな、よく来てたもんな、俺たち……懐かしいよな……ところでユカは?結婚とかしたの? 」


「いや、まだだよ寂しいぼっち生活」

 そう言って笑ったけど、ちゃんと笑えているのか分からなくて通りを眺めた。


「今だからいうけどさ、あの日……1年前のあの日、ユカに振られたとき」


 匠海はそう言うと下を向きながら小さな声で呟いた。


「追いかけたんだ」


 あの日小さな喧嘩から私は別れたいと伝えた、それは本心ではなかったのだ。

 追いかけて来てもくれないんだと悲しかった。


「でもさ、こんな頼りない俺についてこいなんて言えなくてさ、あの頃仕事も行き詰まっていて余裕なんてなくて、ユカには優しくしてもやれなかった…………」


 私だって未だに匠海のことが忘れられなくて、こうして懐かしい場所にきてるんだよ。


 その事を正直に言える日が来るのだろうかと思いながら。


「また、来てもいいかな」


 そう言った私に匠海は


「もちろん」と笑った。


 小さな嘘をつかずにいられる日が来ればいいのに、そう思いながら、少し冷めかけたカフェオレに口をつけた。


 ~了~


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