第76話【エンディングノート】

 僕が生まれて育ったのは九州の小さな町だった。

 その町の片隅で妹とおばあちゃんとの3人暮らし。

 料理人だった父親は遠くの町で仕事をしていてたまにしか帰って来ない。

 母さんは……知らない

 小さい頃に出て行ったから。


 父さんはたまに手紙をくれた、今度帰ったら遊園地に行こうとか海水浴に行こうとか書いてくれるけど一度だって実現したことはなかった。

 その手紙にはいつもティッシュでくるんだ1000円札が入れられていた。

 僕たちの食べるお米を買うためなんだって。


 3軒が繋がった長屋の1つが僕の家だった、もちろん自分の部屋なんてないしたったの一部屋だけだった。


 ばあちゃんは怒りっぽいし、イタズラをしたら外に放り出された。

 でも学校で嫌なことがあったときはいつも抱きしめて頭を撫でてくれた。


 僕の家には水道が届いていなかったから、毎日共同の蛇口に水を汲みに行くのが僕の朝の仕事だった。

 それが当たり前だと思っていたけど、同じクラスのタカシ君の家に行った時にびっくりした。

 水道はあるし子ども部屋だってある、そしてお風呂まであるんだ、僕と妹は1日毎にばあちゃんと近くの松の湯に行った。

 大きくてちょっと熱いけど大好きだった。

 たまにはばあちゃんがコーヒー牛乳を買ってくれたし。

 番台に座ってるおばさんも優しかった、母さんもあんな人だったら良かったのになんていつも思っていた。


 大人になったら毎日このコーヒー牛乳を飲むんだっ!それが小さな夢だった。


 ある日タカシ君が体操服に着替えながら言った。

「今度、ミノル君の家に遊びに行ってもいい? 」

 僕はすぐに返事が出来なかった。

 小さなテレビがあるけどこれは時々映らない時もあるし、トイレだって共同だった。

 タカシ君とはぜんぜん違うんだ。

 僕はウソをついた「今度大きなお家に引っ越すからその時に遊びに来て! 」


 大好きな友だちにウソをついたことが苦しくてタカシ君の顔が見れなくなった。


 なんで僕の家は貧乏なんだろう、貧乏だから母さんもいなくなったんだろう。


 学校に行くのが次第に辛くなっていった。


 何日かズル休みしたけど、いつも怒ってばかりのばあちゃんはぜんぜん怒らなかった。


 そんなある日の夕方、扉の外から大きな声が聞こえた。

「ミノル君!!!竹内ミノル君!!!」

 タカシ君の声だった、僕はそろりと扉を開いた。

「先生からプリント預かってきた、大丈夫?お熱があるの? 」


 僕はなんだか分からないけど涙が溢れてきた、恥ずかしいのとウソをついたことで苦しくなった。


「僕、ミノル君がいないと寂しいんだ、早く一緒に遊びたい」



 ◇◇◇

 僕がいま過ごしているこのホスピスに毎週のように大人になった貴志君がやってくる、「お前どんだけ暇なんだよ」

 そう言う僕に彼はいつも言う。

「実君がいないと寂しいんだ」


 これから何回会えるのかは分からないけれど僕の生涯の友達の貴志君はかけがえのない存在だ。

 僕の分まで生きて欲しいと思う。



 新聞配達をしながら定時制高校を卒業して僕は地元の町工場で仕事を始めた、従業員は約10名の小さな会社で給料は少ないけれど、仕事の厳しさも人と関わることの難しさもたくさん学んだ。

 そこには中学生だった君がいた、社長の一人娘の君は時折父親にお弁当を届けた。


 僕はいつの間にか君を好きになっていた。


 数年がたち君は父親の会社の手伝いをするようになって僕は君にようやく想いを伝えた。


 恋愛経験もない僕たちの恋は静かに確実に愛することを覚え、2人で生きて行くことを決めた。


 やがて君に縁談の話があることを知った、それは会社を存続するために必要なことだと聞かされたけれど、何度も社長に僕たちのことを許して貰うように話をした、君の父親である社長は首を縦に振らなかった。


「僕と一緒にこの場所を離れませんか? 幸せにするなんて大それたことは言えないけど、君を失いたくない」


 僕が25歳、君が21歳の時に2人で生まれた土地を離れた。


 慣れない土地の生活は大変だったし、自分が育った貧乏生活と同じくらい慎ましやかな生活だったけれど、君はずっと傍にいてくれた。


 やがて、二人の子どもが生まれ僕たちは本当に家族になれた。


 子どもたちが成長して巣立ったあとの二人の生活はたくさん旅行もしたし、楽しかった。


 時には喧嘩もしたし、離婚の話だって出たこともあった。


 だけど、僕たちはそれを選ばなかった。


 君が突然の病で僕の前からいなくなった時から、毎日が寂しくてやるせなくて、死んだように生きた。

 子ども達や親友の存在がなければ後を追ったかもしれない。


 でも、やっと君のそばに行ける日がきたみたいだ。


 再び会った時にも僕を選んでくれるよね。

 ◇◇◇

 僕の大切な二人の子どもたち、僕を父さんにしてくれてありがとう、大した親ではなかったけれど、僕も母さんも精一杯愛することをやめなかった、反抗期の時はきっと鬱陶しいと思った時もあっただろうね、君たちがきっと親になったら分かるはずだから。

 このエンディングノートを君たちに残します。

 遠くから母さんと2人で見守っているから、自分らしく生きてください。


最後にもう一度僕たちを親にしてくれてありがとう。

窓の外には新しい葉がきらきらと薄い緑の葉を揺らしている、それはきっと美しく育ってくれることだろう。



 ~了~


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