第68話【こちらさわやか薬局です⑤】

 薬局には在宅で投薬をするサービスもある、もちろん診療報酬の点数もあるので、単なる慈善事業ではないけれど、他の薬剤師は行きたがらないが、私は患者さんのお宅に伺って話を聞きながら投薬するのは嫌いではない。


 その日は隣町の一人暮らしの患者さんの所へ行くことになっている。


 薬局前のバス停から、5つ目の停留所へと向かうバスに乗り込んだ。

 私はバスに乗ると決まってタイヤの真上の席に座る。

 ゴトゴトと揺られる感じが好きなのと、他よりも1段高いので、何だか特別席のような気がするからだ。傍から見れば少し滑稽に見えたのかもしれないけれど、子どもの頃からの癖なのかもしれない。

 まったく大人になってもそんなことに喜んでるなんてと1人で思ってしまう。


 バスを降りて、スマホの地図を頼りに住所を探して歩く。


 その住所には昔ながらの二戸が繋がった古い長屋のような家があった。

 呼び鈴を探してみたけど、見つからないのでノックを2回した。

「高山さん!さわやか薬局です、お薬持って来ました」


 すぐには返事はないけれど、家の奥から絹糸みたいに細い声が聞こえる。


 鍵を開ける音と共に、高山さんは顔を出した。


「さわやか薬局です、お薬届けに来ました。」

「いつもすみませんね、どうぞ中にお入りください」


 玄関先でも良いと言う私に、冷たいお茶でもという高山さんの言葉に甘えて靴を脱ぎ部屋へと入って行った。

 古い建物特有の砂壁と匂いは懐かしさを感じた、部屋は綺麗に整頓されていて住まい主の几帳面さが伺える。


 丸いちゃぶ台の横の座布団に座らせて貰って、持って来た薬の説明を始めた。

 糖尿病の内服薬とインシュリンの注射だった。


「血糖値の数値は落ち着いていますか?」

「忘れずに薬を飲めていますか?」

「ご飯はちゃんと食べていますか?」

 いつも投薬の時に聞くことを少しづつ話していた。

「年々、食事をするのが億劫になってしまって、外を歩くと風に飛ばされそうになるくらい痩せてしまってね」

 高山さんは言った。

「それは、私でもそうですよ一人暮らしだと簡単に済ませてしまいますからね、お互いに反省しないと行けませんね」と2人で笑い合った。


「森田さんは、独り者?てっきり奥さんかと思ってました」


「恥ずかしながら、バツイチです」


「あらまぁ、きっと良い奥さんになると思いますよ、本当の運命の人に出会えてなかったからですって」


 よく冷えた緑茶は美味しかったけれど、少しだけ苦く感じてしまったのは、自分の人生のことを少し思い出したからなのかもしれない。


 次の病院の診察日の確認をしてバス停へと急いだ。


 バスの本数は1時間に3本しかなくて、次の発車時刻は20分後だった。

 ベンチに座って周りを見回すと新しい葉をたくさんつけた桜の木が1本、ほんの少しだけ残った花は春の名残りを感じさせていた。


 手持ち無沙汰でスマホのニュース画面を見ていると、クラクションが鳴った。


「森田さん!こんにちは永崎です、良かったら送りますよ」

 川島さんの教え子の永崎さんが、軽自動車の窓を下ろしてこちらに声をかけてくれた。


「こんにちは、お久しぶりです」

 桜の花びらが舞うように私の膝の上に乗った。



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