第64話【たいせつなもの】

 知らないうちに眠っていた事に気がついた。

 近ごろのウィルス騒ぎで仕事は激変している、のんびり仕事が出来ると思っていたのにまったく想定外だ。

 私が2度目の就職をした会社は総合病院等に人材を派遣する仕事だった。初めに派遣された病院で食事の配膳の仕事に就いた、小さな規模で入院患者も少ないこの病院で配膳と片付けの簡単な仕事で、事務的な仕事以外何の資格も持たない私でも出来る簡単なものだ、子育て中の人でも出来るという触れ込みで入っただけあって、周りにいるのは主婦が多い、だから学校が休校になった今、独身の私は休みも取れないほど忙しい。

 もちろん正規雇用ではなく委託された会社からの派遣だから、仕事の時間が増えると言うことは収入も増えるということなので一人暮らしの私には願ってもない事だった。

「池澤さんお子さんは?結婚の予定は?」同じ会社から派遣されている主婦の同僚からは何度も聞かれた。


 一流企業からの転職だということも話題になっていた矢先のことだったこともあり、仕事の合間に根掘り葉掘り聞かれるのに辟易としていた。

「もしかして不倫とか?セクハラがあったとか?」

「不倫なんて、とんでもないですし、セクハラも幸いなかったですよ」

「それじゃ、どうして?みんなが入りたがるような会社だし、リストラ?」

 図星だった、入社して5年の去年、関連する会社の業績悪化により、約100人の希望退職者を募った、会社から命じられたわけではないが、上司から勧められたということは、そんなに必要とはされていないのだと感じた。

 特別な退職金は全て貯蓄に回し、失業保険を半分残してこの仕事に就いた。


 少し慣れて来た時にこのウィルスの流行だった。


 過剰なほどの手洗いや消毒、口に入れるものを扱うのだからそれは当然のことだろう。


 毎朝6時には仕事を始めて、朝食の配膳、昼食の配膳と片付け。

 早番なら4時には帰れるし、早起きは得意だったので、最初は早番のみの勤務だった、今回のコロナウィルスの休校措置で休みを余儀なくされた人達のシフトを残された人で補う必要があり、今は夕食の片付けまでの勤務だ、残業は最低でも1日3時間、働き方改革なんて無視せざるを得ない勤務状況になっている。


「池澤さん、いつもありがとう」

 内科病棟に入院している葛城さんはいつもそうねぎらってくれる。

「葛城さん、今日は子どもの日だからちらし寿司ですよ、お好きですか?」

「ええ、もちろん、子どもが小さな頃は良く作っていたわ、残念ながら娘が3人だったから、鯉のぼりやカブトはなかったけどね」

「それは残念ですね、でも男の子3人の子育ては大変だったでしょう?でも鯉のぼりのお祝いはさぞかし賑やかだったでしょうね」

「そりゃあもう、賑やかだったわ」

そんなふうに入院患者さんと話すのは楽しかった。

社交的ではないと思っていたけれど、そんな自分がいることにも驚いた。

 配膳の合間に言葉を交わすことは私にとっても新鮮だった。

 それまでの仕事にはまったく感じることの無いもので、人と人の優しさを感じることが出来る。


 収入は以前の半分にはなったけど、やりがいのある仕事だと思えるようになっていた。


「池澤さん申し訳ないけど、お茶を入れてくれる?」


「じゃあ、この後持ってきますね」


 時折、いつも交わしていた言葉をかけることが出来なくなることもあり、綺麗に片付けられたベッドを見て悲しい思いをすることもある。


 人はいつか死ぬ、生きている間は食べなくてはいけない、せめて生きてる間は楽しく食事をして欲しいと思ってる。


「おはようございます、松田さんご飯残してますけど大丈夫ですか、明日からお粥に戻しますか? 」


「え?美味しくなかった?調理の人に伝えておきますね」


「綺麗に食べれるようになりましたね、夕飯のデザートにはみかんのゼリーが付きますよ」


 今、私は自信を持って自分の仕事を誇れる。

前の会社の同僚に会った時に、私は堂々と言った。

 「病院で配膳の仕事をしています、

 大変だけど楽しくお仕事させて貰っています 」




 了



 ◇あとがき◇

 目立たないけれど頑張って頂いている方へ感謝を込めて。


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