第8話 アルテ、怖くて泣く
アルテは紅茶に口をつけ、気持ちを落ち着かせる。
そして下を向いて記憶を探る。
キーワードを確認。
声の抑揚を確認。
仕草を確認。
よし。
クッと顔を上げられたアルテの顔は、まるでロウソクに火がともったように温かく変化していた。
まずはオルキンスの服装を観察する。
身長がひときわ高く、スラリと伸びた腕に魅力を感じる。髪はとても長くて、くせもなくストレートに垂れている。無精ひげがあるが、顔立ちは面長で丸いレンズのメガネがあつらえたように似合っている。
うんうん、とアルテはうなづいた。
ちょっとだけ首を傾げて、両手を目の前で合わせながら上目づかいに言った。
「オルキンスさん」
「な、なんだ」
あきらかに動揺していることが覗えた。仕草だけでも充分効果がありそうだと判断したアルテは、さらに続ける。
「その長い黒髪、とてもカッコいいです」
「……は?」
え? は? ん? といった表情で、オルキンスだけではなく他のメンバーたちまで一斉にアルテの方を向く。
「その……あぶらでベットリしていて、不潔さが逆にワイルドさを演出していますね。カッコいいです」
部屋は凍りついたようになった。
メンバーはみな一様にぽかんと口をひらいていたが、その中の一人が噴き出したのを筆頭に、全員がクスクスと声を潜めて笑い出した。
よし、よし! と思ったアルテだったが、目の前のオルキンスの表情を見て固まった。
「き……きみ……今なんと……?」
顔は真っ赤である。
「え、えっと、カッコいいですねと……」
恐る恐るキーワードを連呼するしかないアルテ。
お、怒ってる……なんで!?
これはマズイと思ったアルテは、そうそうに次のプランへ移行することにした。
「あ、め、メガネ! その丸いメガネ、可愛くてすごくカッコいいと思います。メガネをかけていないとなんていうか、血色の悪いゴボウみたいになりそうでちょっと……と思いますけど、メガネをしてるオルキンスさんだったら、わたし惚れちゃいそうです」
メンバーたちは、みな手を止めて笑い始めた。オルキンスの性格を知ってなのか声をあげて笑う者はいないが、クスクスという漏れ出る笑いは部屋の空気をずいぶんとなごませた。
しかし、肝心のオルキンスは両の拳をテーブルに置いてぷるぷると震えている。アルテをにらむは鬼の形相。眉間に集まったしわが瞳をおもいっきり吊り上げている。
ど、どうしよう。怒らせちゃった。なぜ……?
アルテは大変に混乱している。事前のシミュレートでは、ここでオルキンスは照れながらも嬉しそうにして、仕方ない教えてやろう、というふうになるはずだった。
いや、ここで引き下がってはダメだ。きっと髪形とかメガネのことを、オルキンスさんは嫌いなんだ。だから嬉しくなかったんだ。
アルテは強行突破することにした。
「ひ、ひげもオシャレです。ダンディです。人に好意をもたれようと努力していないその理念がカッコいいです!
あと、そのぼろぼろのズボンもセンスあるなぁです。ダメージズボンというのは今流行っていますよね。シャツをズボンインしているのもすごく古くて、逆に流行の最先端をいってるかもしれないくて、素晴らしいセンスあるなぁです!」
もうメチャクチャだった。言語に関連する回路が焼きつき、アルテの口からはわずかに煙が放出されている。
さらになごんだ部屋の空気だったが、オルキンスがテーブルを両手で叩きつけた瞬間、一気に静かになった。
額には青スジ。瞳にいたっては、レーザービームが放たれそうなくらい爛々と輝いている。
「きみは……失礼という言葉を知っているかね……? 辞書にはこう書かれているはずだ……他人に接する際の心得をわきまえていないこと。礼儀に欠けること……。類語として『失敬』『無礼』などの言葉がある」
そこまで言ってオルキンスは、身を乗りだしてアルテの額にピタリと細長い指を押しあてた。
「ここに! この頭の中に! その言葉とその意味がインプットされていないのかね!? えぇ!?」
「はぇっ!?」
アルテはさらなる『恐怖』を覚えた。
こんなふうに怒鳴られたことは当然ない。温和なマスターはそもそも怒るということがないので、怒られるのも、声を張り上げられるのも、また他人に触れられるのも初めての経験だったのだ。
どう対応したらよいかわからず、アルテは困った。
「ご、ごめんなさい……」
言葉を放った瞬間、アルテの瞳からぽろぽろと涙がこぼれた。
失敗したときは謝る――マスターから教わったこの言葉を忠実に守る以外に、答えは見つからない。そんなアルテは泣きながらも、誠意を見せるためにオルキンスから目を離そうとはしなかった。
子供に対してとる態度ではなかったと反省したのだろう、オルキンスは咳払いをひとつして座りなおした。
「ごめんなさい、オルキンスさん……」
「……もういい。忘れてやる」
ホッとしたというよりは、失敗してしまったという思いが強く沸いた。
今度は怒られたからではなく、失敗した悲しさで涙があふれてきた。服の袖でゴシゴシと涙をぬぐい続けるアルテ。静かな空間にはアルテの鼻をすする音だけが響く。ときどき聞こえてくるため息にも似たなにかに対してなのか、オルキンスは頭を掻いた。
「……で、情報料の話だが。持ち合わせていないと思ってよいのかね?」
「はい……ごめんなさい」
そう言ってアルテは財布の中身をテーブルにすべて出した。
「7,000か……ダメだ。こんなにはまけられん」
「そう……ですよね」
アルテは縮こまる。目の前にある紅茶を何の気なしに手に取った。
そのとき、アルテの頭にもうひとつのプランが浮かんだ。
行動で示す。
追い詰められた心境のアルテには、選択肢がなかった。また怒られるかもしれない、『失礼』にあたるかもしれない。でも、もしかしたら――そんな思いがあった。
なんせ、次のプランは『これは失礼な行為である』ということをアルテは知っているのだ。なのに、それが逆に男性を喜ばせる結果につながる。そういった類の行為なのだから望みはあるはずだ。
アルテは紅茶の入ったカップを持ったまま意を決して顔をあげる。
そしてオルキンスをにらむ。
「な……なんだね」
「ごめんなさい……えぃっ!」
アルテはオルキンスの顔めがけて、おもいっきり紅茶をぶっかけた。
「……っ! あ、熱っ……あっづぃ”!!」
「だ、大丈夫ですかオルキンスさん!? ごめんなさい、今拭きます!」
熱さにもだえ苦しむオルキンス。アルテは素早く移動し、スムーズにポケットから取り出したハンカチでオルキンスの顔にかかった紅茶をふき取る。
今度ばかりは耐えきれなかったのか、メンバーたちはその全員が声をあげて笑った。爆笑渦巻く部屋にさっきまでのひりついた空気は感じない。申し訳なさそうにして一所懸命に顔を拭くアルテを見て、オルキンスもなにかを諦めたような表情でため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます