第4話 アルテ、学ぶ


 着替えたまま町を歩くアルテは、また戸惑っていた。

 外見としては他の人間たちとそう大差ない状態となったはずなのに、なぜか視線が集まる現象だけは変わらなかったからだ。

 道行く人、みんながわたしを見ている。もしかしたら、わたしがフラーゼだということがなぜかばれていて、珍しがられているのかもしれない。

 アルテはそう考えていたが、もちろんそうではない。


 とりあえずアルテは気持ちを切り替え、さっきの勢いのあるお姉さんがはさんできた話題について考える。


 ――いい? 男の子によく思われるには、まず『褒める』ことよ。誰だって褒められたらうれしいものでしょ?


 最初はお姉さんの言っていることの意味がさっぱり理解できなかったアルテだったが、すこしずつ記憶を整理していくことであることに気がついた。

 これはもしかしたらオルキンス攻略の役に立つのではないだろうか。オルキンスはマスターと同じ男性だったはずだから、お姉さんの言う『男の子』と同義のはずだ。よし、じゃあまずは『褒める』を学ぼう。

 そう考えてあたりを見回す。


 ここは色々なショップが立ち並ぶ繁華街だ。同じような服屋、同じような飲食店が大通りのわきにずらりと店を構えているため、一定の間隔で客引きの若い女の子が看板を持って立っている。

 アルテは自身に備わっている集音機能を調整し、遠目からひとりの客引きの女の子に照準を合わせる。スーッと途絶えていく雑踏の代わりに、その女の子の声が耳に届いてきた。


「……あ、そこのカッコいいネックレスしたお兄さん。ちょっとうちの店に寄っていきませんか? いいシルバーアクセありますよ」


「……うぁ、お兄さんその髪形自分でセットしたんですか? 器用なんですね、なんだかちょっと惚れちゃいそうです」


「……お兄さん♪ あれ? そのネック、いま流行のやつですよね。しかも今年ブレイクするって言われてる赤を選ぶとか……センスあるなぁ」


 アルテはその言葉のすべてを記憶する。

 同時に、女の子に声をかけられた男性の反応も観察していたが、みんな嬉しそうに笑っていた。

 す、すごい。とアルテは思った。いままで自分からマスターを喜ばせたことは当然なかったから、オルキンス相手に上手くいったらゆくゆくはマスターにこういう言葉をかけてあげたいな。そんなことを考えた。


 カッコいい、惚れちゃいそうです、センスあるなぁ。

 男性が特によい反応を示した言葉はそんなところだろうか。

 それと、アルテはもう一つ気付いたことがあった。

 同じように客引きとして立っている女の子は他にもいたのだが、なぜかあまり男性からの受けがよくないようだ。それはなぜなのか。答えは声の抑揚としぐさにあると、アルテは判断した。

 首をちょっと傾げて下から覗き込むように男性の顔を見る。両手を口元にもってきて驚きを表す。逃げそうな相手に対しては服の袖をちょっとだけつまんで悲しそうに声を出す。


 うんうん、とうなづきながらアルテはその映像や声の抑揚をしっかりと記憶していく。いつのまにか拳が握られ力が入っていた。


 ――そうそう、言葉だけじゃダメよ。自分の優しさを相手に知ってもらうためには、ちゃんと行動で示すことも必要ね。


 優しさを行動で示す。それはいつもマスターが自分にしてくれていることだ。

 朝、仕事にでかける前に、マスターは必ず頭をなでてくれる。

 夕方、仕事から帰ってきたマスターは必ずわたしの体をチェックしてくれる。もしどこかに異常が起きていたら、どんなに疲れていてもすぐにメンテナンスに取り掛かってくれる。

 新しい家事を教えてくれるときも、マスターは言葉だけじゃなく、必ず実際に動いて見せてくれる。


 うんうん、とアルテはまた一人でうなづく。

 デート、という単語はいまだによくわらかないが、あのお姉さんはなにかとてもすごいことを教えてくれたのではないか。アルテにはそんな思いと同時に確かな経験の蓄積を感じた。


 でも具体的にはどう動けばよいのだろう。どんな男性にも共通で使えるような行動はないだろうか。

 そう考えて、アルテはまたきょろきょろとあたりを見回す。


 突然、うしろの方で小さな悲鳴と音が聞こえた。

 振り向くと、そこにはオープンカフェになっていて、どうやらウェイトレスの女の子が飲み物をこぼしてしまったらしい。しかもお客さんの男性の服を濡らしてしまったようで、女の子は慌てた様子で拭きとっている。


 あらら、というふうにアルテは気の毒に思った。自分も何度かマスターの前で紅茶をこぼしてマスターの服を汚してしまったことがあったから、そんなときは『ごめんなさい』という思いが強く心の中で広がることを知っていた。

 がしかし、アルテのそんな思いはくつがえされようとしていた。


 アルテが捉えた光景、それは――必死になってハンカチで男性の服を拭きながら謝る女の子とは対照的に、男性はなぜかにこやかに笑っていたのだ。

 笑うのは嬉しいとき。飲み物をこぼされたら嬉しい……?

 アルテの心は混乱したが、そういえばマスターも同じように笑っていたような……。そこまで考えたところで、アルテはひらめいた。もしかしたら、この行動は男性を喜ばせる特別なものなのかもしれない。


 よし。


 アルテはもう一度このシチュエーションをおさらいする。

 飲み物がある。それをこぼして相手の男性の服を濡らす。事前に準備していたハンカチでふき取る。


 よしよし。


 拳にまた力が入った。グッと握りしめた手は実感の表れであり、アルテはなんだかいけそうだと前向きな気持ちになった。

 オルキンス説得の秘策を整えたアルテは家へと帰る前に、計画を実行するのに必要な買い物をするために歩き出す。



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