第2話 アルテ、走る

 

 掃除をひととおり終えたアルテは、いつものようにマスターの日誌を手に取る。

 日誌にはアルテの毎日の成長が事細かに書かれているが、その文面からはアルテに感情が発露しないことを憂うマスターの想いがひしひしと伝わってくる。


 どういった経験をさせてあげればいいのだろう。どんな言葉をかけてあげればいいのだろう。いや、もしかしたら感情を発露させるための回路設計に誤りがあるのかもしれない。そんな悩みの言葉ばかりが並ぶ。

 この日誌に目をとおすたび、アルテの心にはチクリと棘がささるようだったが、どうしたらよいのかわからなかった。


 ふと、最新のページを開いたアルテの瞳が大きくなった。

 そこにはこう書かれていた。



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 困ったことになった。

 一週間前に受けた修理依頼の品だが、これを直すためにはどうやら金剛石という部品が必要らしい。

 金剛石……大変に希少価値の高い鉱石だ。簡単には手に入らないだろう。

 さてどうしたものか。

 やはりまずはチームの仲間に相談するべきか。物資の流通経路を調査する必要があるのだから、彼らに協力をお願いするのが一番のはずだ。

 しかしチームリーダーのオルキンスは最近僕を嫌っている。もしかしたら協力を拒まれるかもしれないな……


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 そこまで読んだところで、アルテは頭の中からマスターの言葉を検索した。



 ――僕が仕事のために町へ出ているあいだ、アルテにはこの家の掃除をしてもらいたいんだ。やり方は――

 ――それと僕の仕事についても話しておくよ。あ、仕事っていうのは――

――さて、僕の仕事のことだけど、機械の『修理屋』をやってるんだ。壊れて使えなくなってしまった機械を修理して――



 アルテは、自分が生まれた日に、嬉々とした表情で楽しそうに話しかけてきたマスターの言葉を引きだし、必要な部分だけをピックアップしていく。



 ――君を造り上げることができたのは僕の力だけじゃないんだ。『フラーゼ研究開発チーム』というのがあってね、そこでメンバーたちみんなが知識を持ち寄って討論するんだ。ああでもない、こうでも――でも僕は今別のところで働いて――

 ――そうそう、なかでも『オルキンス』という男は特に――いつも仏頂面でさ、持論は決して間違ってはいないっていう意見を曲げない頑固者なんだ。悪い人ではないんだけど――

 ――でもまぁ、フラーゼ研究開発チームの創設者は僕とオルキンスなんだよ。いわゆる親友同士ってやつで、僕と話が合うのは実際のところ彼だけ――

 ――考えた結果、修理のほかに『部品調達』のサービスを盛り込むことができたというわけ――



 アルテの記憶に映像として残っているマスターの印象は、『よく笑う人だなぁ』だった。

 手振り身振りをくわえて楽しそうに話すあのころのマスターを思うと、温かくもおとなしい雰囲気に落ち着いてしまった今のマスターに対してもうしわけない気持ちが沸いた。

 首をふるふると振って気持ちを切り替えてから、アルテは日誌の続きを読む。



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 リーダーがオルキンスになってから、いろいろと状況が変わってしまった。以前までの厳しくも楽しい雰囲気の合ったチームは影をひそめ、その代わりにオルキンスの独裁的な統率が始まった。

 なぜか嫌われている僕はまっさきに締め出され、研究室に入ることさえ許可されていない。

 これでは修理業も今までどおりにいかないではないか……と思ったが、それは筋違いだろう。

 とはいえ、やっぱり他にあてはない。まずはオルキンスに協力をお願いした。


 しかし、やはりダメだった。

 彼は協力してくれないどころか、話さえ聞いてくれなかった。


 どうしても修理不可能な場合、実は修理を断るという方法もある。

 ただし今回の依頼主は、アルテの開発製造のために金銭を提供してくれた、いわばスポンサーのような人間だ。

 人格者であり、人に夢を叶えるチャンスを与えてくれるような寛大な心を持っている。

 まぁ金銭を援助してくれる代わりに、僕への修理依頼の優先度を高くしてくれ、というお願いをされたが、それについては当然の見返りだろうと僕は考えた。


 しかしそれが今、足かせになっているのは確かだ。

 修理は部品が調達できなくて無理だった、と言えば彼は許してくれるだろう。

 でも、僕はどうしても彼をがっかりさせたくない。

 なんとか修理して、彼に喜んでもらいたい。


 どうにかならないものか、もう一度考えてみよう。


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 日誌はそこで終わっていた。

 アルテの目に焼きついたのは、後半の一文だった。


 ――なんとか修理して、彼に喜んでもらいたい。


 これは、アルテがマスターに対して抱いている感情と同じだったのだ。

 マスターの気持ちが理解できる。

 だからこそ、彼が困っていることも理解できる。

 力になりたい。


 アルテは日誌を閉じて、小走りに本棚へと向かった。


 手に取ったのは一冊の事典。世界のあらゆる鉱石や貴金属などについての情報が書かれている。入手難度や採取地域、流通経路など細かいことが記されている場合もあれば、その存在だけしか載っていないものもある。

 ページを映像として素早く確認していくアルテ。そして見つけたのはほんの数秒後だった。


 ――金剛石。 入手難度 AA

 翠、蒼、朱などさまざまな色合いが存在するが、これらの採取地域は特定されていない。

 大変に貴重な鉱石であり、個人の力で入手することは困難だろう。

 ただ注意すべき点があるため、次項をよく――


 アルテはすぐに悟った。

 今のわたしにはなんの知識もない。こうやって情報を得られるのは、マスターが所持する本やマスターとの会話からだけだ。わたしはこの家から出ない限り、金剛石を入手することなんて絶対にできない。マスターの力にはなれない。

 そうなれば次に考えられることは一つしかなかった。


 外へ出よう。


 そして、なんとかしてオルキンスという人物にお願いしよう。もとは親友だったはずなのになぜマスターのことを嫌うようになってしまったのか、その理由はまったくわからないが、きっと今わたしができる一番の近道はオルキンスにあるはずだ。


 アルテは今までに経験したことのない心の広がりを感じ、内心とても戸惑った。

 しかし、それと同時に誰かから背中を押されたような気がして、足はすぐに動いた。

 時計に目を移す。まだ昼を回ったところだ。

 行ける。


 事典を本棚へもどしてアルテは小走りに自分の部屋へ向かう。

 バタンと勢いよくドアを開けて、引き出しの中にある財布を取りだした。アルテは定期的にマスターからおこづかいをもらっていたが、使い道が分からないためすべてを財布にしまいこんでいた。結構な額が貯まっている。

 アルテは瞬時にいくつかのことを頭の中で検索、確認する。


 お金の意味、使い方。

 他人と接触した時のあいさつ。

 町までの道のりと、往復にかかる時間。

 そして、オルキンスを説得するための計画をシミュレート。

 よし。


 アルテは導き出した計画をしっかりと心に刻み、財布を持って家を飛び出した。


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