美について

@araki

第1話

『美しい曲を作ってきて』

 プロデューサーにそう頼まれ、夏希は困ってしまった。これまで自由気ままに作っていた曲はどちらかと言えば元気溌剌な曲。美しいのイメージからほど遠いものだった。

 だから、改めて考える。

「美しいってなんだろう……」

 心を揺さぶられる…感動……涙を流す。このあたりが相場になると思う。

 けれど作り手としては、まだまだ抽象的だ。涙を流せば美しいのだろうか。聴き手の方に悲しい事情があって、涙腺が緩んでいる状態かもしれない。それで泣かせたとしても背中を突き飛ばしたのと大して変わらない気がする。そもそも人によって涙の意味は違うものだ。だとしたら涙を基準にするのは――。

「なに頭抱えてんの」

 頭の上にちょっと重い感触。見上げると相方の一沙が悪戯めいた笑顔でこちらを見ていた。

「お土産」

「ありがと」

 頭上の缶ジュースを受け取るとそのまま開け、一飲みする。甘酸っぱい蜜柑の味が口いっぱいに広がった。

 隣の席に一沙が座る。それから手に持っていた缶コーヒーに口をつけた。

「プロデューサーに言われた話?」

「うん」

「別に気にしなくていいって。適当に言ってるだけだろうし」

 あの人ころころ意見変わるし、と一沙は苦笑いを浮かべる。

「でも一応イメージに合うようにした方がいいのかもって」

「夏希ってごますり得意だったっけ?」

「全然」

「分かってんじゃん」

 夏希は肩をすくめる。人への気遣い全般はこちらの不徳のいたす所だった。

「それに美しいなんて都合のいいレッテルだよ。上手い言葉が見つからない時の単なる間に合わせ」

「そういうもの?」

「そういうもの」

 首を傾げる夏希を引っ張るように一沙は強く頷く。それからこう言った。

「だからもっと手頃にいこうよ」

「手頃? あるの?」

 夏希は期待の眼差しを向ける。すると一沙は何の気なしといった様子で応えた。

「美しいで思い浮かべるもの。そのイメージで書くってどう?」

「ほう」

 それはいいアイデアだと思った。

 だからすぐに実行に移した。

「……ちょっと、どうしたの? 急にそんな見つめて」

「何をいまさら」

 言い出しっぺのくせに。

「イメージを膨らませてるの。美しいについて」

 一沙は何も言わない。代わりに頬が赤く染まっていった。

 ――そういえば、もう秋だっけ。

 そんなことを思いつつ、夏希は鑑賞を続けた。

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