22 タツミくん、腹をくくる


「で。タツミどうする?」


 むあーと伸びをしながらクヅキが言う。


「え? はい?」


「お前の紋衣はブロッサの描き上がり待ちだろ。しばらくすることはない」


「あ、はい」


「そこにぼけっと突っ立ってたってしょうがないだろ」


 別にタツミはぼけっと突っ立っているわけではない。

 どっちかというと、具合の悪そうなクヅキが心配だったのだ。


 その相手にぼけっと突っ立ってるとか言われると、なんというか切ない。


「……ですね」


 しかしタツミの性格的にそうは言えなかった。

 仕方なく、ぼけっと突っ立っていたことを認めた。


「昨日の続きでミシンの練習するか? それとも、針持ってみるか?」


「ええと」


 昨日はミシンを頑張った。せっかくなのでミシンの感覚を忘れる前にまたミシンに触りたい、気がする。

 けれど。


「針って、ええと、手縫いの練習、ですか?」


「うん。俺は今から刺繍するから、お前もやるなら隣で教えられるぞ」


 昨日はタツミを他人へぶん投げたクヅキだが、今日はちゃんと教えてくれるらしい。


「ええと、じゃあ」


 タツミは迷った。

 クヅキが教えてくれるのは嬉しい。が、怖くもある。

 教えてもらってできる自信が、タツミにはない。ダメかもしれない。


「あの。クヅキさん、休まなくて大丈夫、ですか?」


 別なことを聞いた。

 一応心配なのもある。でももしクヅキがやっぱり休むと言ったら、タツミはミシンへ逃げる。


「んー。大丈夫。寝るより刺繍してる方が休まる」


 いくらなんでもそんなわけないだろう。が、あくまでクヅキは仕事をするつもりらしい。

 タツミは腹をくくった。


「あの。教えてください」


「よしきた」


 そう言ってクヅキはにっと笑った。

 タツミはますます緊張する。

 全力で努力して、なんとか期待に応えなければならない。


 クヅキは立って会議室への戸口をくぐる。タツミも慌てて後を追った。


 会議室へ入ってすぐの左の棚下から大きなボックスを引っ張り出す。


「この中に練習に必要なものが突っ込んである」


「あ、持ちます」


 持っていこうとするクヅキからボックスを受け取った。

 手の空いたクヅキは会議室のスツールを一つ持つ。


「はい、戻る」


「え、あ、はい」


 ボックスとスツールを持ってクヅキの作業部屋へ戻る。


「ええと、これはどこに?」


「床」


 そこそこ重いボックスをタツミは床に下ろした。

 クヅキは突然ボックスをひっくり返して中身を床にぶちまけた。


「うわあ」


「どした?」


「いえ、別に」


 中身はぐちゃぐちゃに広がった。たくさんの布に紛れて本やファイルが落ちている。

 クヅキがガサガサとあさり、折り畳んだ紙を見つけ出した。床に広げるとかなり大きい模造紙だ。

 それに細かく図が並んでいる。


「これが魔導紋の刺繍で基本的によく使う刺し方の図示」


 たくさん並んでいる!


「……え、これ。基本て、ど、どれぐらいありますか?」


「どれぐらいだろうな。基本の基本なら、せいぜい10か20かそこらじゃないか。あとは、基本の刺し方から発展するだけだし。そのなかでよく使うのは……まぁ30とか?」


「そう、ですか。え、でも、ここに描いてあるの、30どころじゃない、ですよね……」


 絶対にもっとある。ちょっと数えられそうもない。


「ああ。これは刺し方の図だけじゃないからな。それぞれの刺し方で紋の基本図形を指示した場合の図示」


「え。あの、すみません、つまり?」


「んー。これだけマスターしたら、どんな紋でも刺繍できるってことだ」


 クヅキはさらっと言った。

 タツミはくらっときた。


「これ、全部……?」


 たぶん何百とある。

 まず覚えられそうにない。

 そして、到底タツミにできる気がしない。


「これができれば、あとはほとんど応用と組み合わせだならな。案外単純なんだよ、紋の刺繍は」


 どこがどう単純なのかタツミには分からない!

 そもそも、この図示とやらを見ても、どういう刺繍なんだか想像することができない。


 しかし分からないなどと言っていいのだろうか。


 クヅキは続けてあれやこれやと刺し方や図形を説明してくれている。それはタツミの頭には入らなかった。

 タツミの目は模造紙の上をうろうろ泳ぐ。


 クヅキがうろたえるタツミに気づいて説明を止めた。


「どうした、タツミ?」


「え、や、あの。俺」


 タツミは言葉を絞り出した。


「その、すみません。俺、これ見ても、どんなだか、よく分かんなくて」


「まぁ、図だけじゃな。そりゃ分からんだろ」


 よっこいしょとクヅキは分厚いファイルを取り上げ、タツミに渡した。


「それに実際の刺繍がはさんである。見てみろ」


 タツミは開いてみた。

 一体何枚の布があるのだろう。細かい刺繍の並ぶ布地が手にずっしりくる。


「今見てるその刺繍は、図でいうとこれだな」


 クヅキが指差した図と手元の刺繍とを見比べる。

 言われてみれば確かに同じ図形なのだが、絵と実物では受ける印象が全然違う。

 どうしてあの図でこれができるのか。


 クヅキが散乱する布をあさる。あれこれととっ散らかして一枚を選び出し、タツミの前に広げた。


「それでさらに魔導紋になると、それがこういう感じ」


 複雑奇っ怪な紋が布一面に刺繍されている。


「……ど?」


「ここ。見てみ。おんなじ図が入ってるだろ」


 クヅキが指差してくれて、タツミにもようやく分かった。

 さまざまな図形が重なりあうなかに隠れている。


 タツミは背中に冷たい汗を感じた。


「ふわ。こ、こん、え、あの、これ、こんなの、作るですか?」


「ま、最終的にはな。他にもあるぞ」


 クヅキが他の一枚を広げては次々指差す。


「ここも同じ刺繍使ってる。ここも。こっちは反復形だから分かりにくいけど同じだろ」


 タツミはクヅキの指を追っかけるだけで精一杯だ。さっぱり分からない。


「ま、ここらのは誰かの練習だから、刺繍はあんまり巧くないけどな」


「え、これ、これでダメ、なんですか?」


「うん。針目の長さバラけてるだろ。ずれてるし。このあたり引きすぎだし」


 他の一枚を広げ、こっちはかなり巧いと言う。


「なる、ほど……?」


 違いわからん。


「この辺が普通によく使われる紋の基本形だな。これぐらいできれば、まぁまぁ使い物になる、ってとこだ」


「き、基本。で、じゃあ、ええと、クヅキさん作ってるやつは」


「うちの工房の? んーと、例えばそうだな」


 クヅキが棚からカゴを出してきて一つひっくり返す。


「ここらのは、試作しただけのやつで紋衣ってわけじゃないけど」


 服になっているものやなっていないもの、あれこれと広げて見せてくれる。


「こういう感じだな」


「う、わ」


 タツミでも違うのが分かった。

 さっきの紋も十分に細かいとタツミは思った。しかしこれは、さらに精緻で複雑だ。

 なにがどうなっているのか、形も分からない。


「でもこれ、基本形の重ねか、発展形だぞ、だいたい。こことかは、基本のcdrqlln図形を開いた形で、plntsstrと重ねて繋げてあるだけだし。その上からこっちのshnngstの反転形とvyが三個繋げるためにしっぽ出してる形だ」


 紋の話をするクヅキはすごく楽しそうだ。

 まさかタツミが一ミリも理解できていないとは思っていないのだろう。

 説明を続けるクヅキをタツミは絶望とともに見つめる。

 これは、タツミはどうしたらいいのだろう。


 どう考えても、無能なタツミにこんな刺繍ができるわけがない。きっとダメだ。


 もちろん、頑張ってやりたいという気持ちがないわけではない。


 でも。気持ちがあったって、できないことができるわけではない。タツミはそれを知っている。

 タツミは大抵いつものだ。


 楽しそうなクヅキの様子がタツミには苦しい。

 タツミはクヅキの期待を裏切る。この人をタツミは失望させてしまう。

 タツミを雇って教えるのにたくさんの時間やお金をかけて、それを無駄にさせてしまう。


 タツミが頑張ろうと無駄に足掻けばあがくほど、クヅキに損をさせ、失望を大きくすることになるのではないか。


 昨日のミシンだってそうだ。

 本当はタツミの能力では、まともに動かすこともできなかったのに。

 タツミはそのことをクヅキに隠した。自分勝手な保身で。


 これ以上、迷惑をかけてはいけない。クヅキにかけたくは、ない。


「あの。クヅキ、さん」


 タツミの声は震えていた。


 にまにまと刺繍を指でなぞっていたクヅキが顔をあげる。

 ぷるぷるしているタツミを不思議そうに見る。


「どした、お前」


「あの。俺。その。すみません。俺、きっとこんな。できないです」


 クヅキが眉間にしわを寄せ目を細める。


「できないって、お前。まだ針も持ってないだろ。やってもないのに」


 クヅキの顔が怖い。


「そう、なんですけど。でも、きっとやってもムダになる、と思います。だって」


 タツミはクヅキの顔を真正面に見据えた。


「俺、無能、なので」


「……そりゃ。難儀だなー」


 全然クヅキは分かっていない。

 タツミだって自分が無能だなんて言いたくはない。それを一生懸命言ったのに、クヅキには伝わっていない。


「っ、だから。俺、仕事も学校も、ほんとは今までまともにできたこと、ないから。役立たずなのに、いろいろムダにするから。だから、期待させても、ダメにするんで。でも、だから、すみ、すみません」


 脈絡もなにもない。ただ吠えるようにタツミは言った。


 クヅキは眉間のしわを解いて考える顔になる。


 これだけ言えば、クヅキだって分かるはずだ。


 クヅキは、小さなため息を一つついた。


「タツミ。残念なお知らせがあります」


 静かな声で言った。


「こんなことを言うのは、俺も心苦しいが。はっきり言う」


「……はい」


 失望させるぐらいなら、要らないと言われる方がいい。

 タツミは体を強張らせて続きを待った。


「勘違いすんな、俺は失望するほどお前に期待とかしてない」


「……はい、……はい?」


「なんでお前は自分が期待されてるとか思えるんだよ。お前のどこに期待される要素があるんだよ。俺はお前ができるなんて思ってないわ、みくびんな」


「え、す、すみません」


 思わぬ言葉にタツミは狼狽えまくった。


「で、でも、じゃあ、なんで。え、なんで俺雇ったんですか」


 雇われたら期待されてるもんだと普通思うだろう。

 タツミの問いにクヅキは答えた。


「なんでって。そんなの、お前が働きたいって言ったから?」


「え、や、言いましたけど。でも、え、俺が働きたいって言ったから、なんですか?」


「うん。あと強いて言えば。お前の魔力がどちゃくそ低かったから?」


「ど。どちゃくそ、低いですけど。でも、いくら魔力低くても、仕事できなかったら、ダメじゃないですか」


「え、お前、裁縫は未経験だって自分で言っただろうが。そんなやつにできると期待するほど俺はバカじゃない。舐めてんのか」


 そしてトドメにクヅキは言った。


「お前の価値なんて、魔力どちゃくそ低いことぐらいだろ。思い上がんなよ?」


 なんだか、なんだかすごく酷いことを言われた気がする。

 タツミは頭の中で鐘がガンガン鳴っている気がした。

 もう、わけが分からない。


「え、でも。俺。俺が仕事できなかったら、こ、困る、ですよね?」


「うん、お前がな」


「俺が……?」


「そもそもできると思ってないお前ができなかったところで、俺が困ることは、ない」


「でも、や、だって。できない、できなかったら」


 ぐだぐた言うタツミに被せるようにクヅキが言う。


「だいたいタツミはアホなんだ。俺ができないと思ってんのに、アホがぐちゃぐちゃ考えたってムダだろうが」


「アホ……ムダ……」


「俺、昨日言ったよな。お前はなんも考えなくていい。全部言われた通りにしろ。つっても、お前どうせ忘れるだろ。明日も言う」


 ぐるぐるする頭でタツミはただうなずいた。


 全然期待されていなかったという衝撃の事実は、とても悲しい。悲しすぎて涙が出そうだ。

 しかも一生懸命タツミが考えるのは、ムダだという。


 今までもタツミはいろいろな人からいろいろ言われてきたけれども、でも今回のは未だかつてなく酷い。と思う。


 怨みがましくクヅキをにらんだ。


「でも、じゃあ。……俺がどんだけ無能で仕事できなくても、クヅキさん、俺を捨てないですか」


「うん。捨てない」


 即答された。


「もし捨てたら、俺、すっげ恨みますからね」


 タツミはますます強くにらんだ。


「ああ。どうぞ」


 どんなにタツミがにらんでも、クヅキは意に介した風もない。


 こんな人、無能なタツミを抱えて苦労すればいいのだ。

 そうタツミは思った。


「俺、知らないですよ」


 クヅキは下を向き、肩を震わせて笑う。


「大丈夫。タツミが知らなくても、俺が分かってる」


「……」


 なんだかクヅキにからかわれている気もするタツミだった。


 笑いを抑えてクヅキが言う。


「まぁ、真面目なはなし」


「え、今までのは不真面目だったんですか?」


「……まぁ、引き続き真面目なはなし」


 なんか言い直した。


 手元の刺繍をとんとんと指先で叩く。


「こんな刺繍、さくさくできるやつなんていないからな」


 たくさんの手間と時間と技術を重ねて重ねて重ねて、そうやって作るのだ。


「どんなすごい紋も突然には生まれない。一針一針刺して、一つ一つ合わせて、そうやってできてんだ」


 タツミの手に刺繍を渡す。


「作業は地道だけどな。お前が刺すちっちゃい一針の先にがあるってことだけ、お前は覚えとけ」


「……はい」


 タツミは美しく広がる紋に目を落とした。


「さて」


 クヅキが散らばった布を仕舞いもしないで立ち上がる。


「その一針のために。まずは針が持てるかどうかだ、タツミ」


 さすがにタツミだって針を持てるかどうかから心配されたくない。

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