23 タツミくん、針をとる


 さすがに針を持つぐらいできます!


 と言えばいいものを、それもできずにタツミは黙ってクヅキを追っかけ机に移動した。


 クヅキは椅子に座って、隣においたスツールをタツミに示し……かけて止めた。

 椅子とスツールの位置を入れ替えてスツールに座り直す。それからタツミに椅子へ座れと示した。


 クヅキの椅子は頭まで背もたれのある革ばりチェアで肘掛けもついている。たぶん高いやつだ。

 長く使っているのだろう、なんとなく座面がクヅキのケツ型になっている。


 ……どういう意味だ。なんでクヅキのいい椅子をタツミに譲る? なんか企んでるのか。


 タツミが困惑していると、クヅキは目つきを悪くして椅子をぱしぱし叩いた。


「ほら、早く座れて」


「え、あ、はい」


 どきどきしつつタツミは腰掛けた。

 ほどよいフィット感に包まれる。


「なかなかいい座り心地だろ?」


「……ちょっと社長の気分です」


 クヅキがにやりと笑う。

 たぶん座り心地の自慢がしたかったのだろうとタツミは思った。

 実際のとこ? 知らん。


 クヅキが机の上の箱を引き寄せる。裁縫箱だ。


「針を使うときは、まずすることがある」


 タツミに見えるように針山を出した。


「作業の前に必ず針の数をかぞえろ」


 いちにさん、とタツミがかぞえる。針は全部で27本あった。


「作業を終わるときにもまた必ずかぞえろ。ちゃんと全部あるか確認を怠るな」


「は、はい」


 刺繍師を始め、裁縫を生業にするものにとって針は命だ。

 たとえ散らかし屋のクヅキでも針の管理だけは蔑ろにしない。ということだろう。


「うっかりベッドの上でなくすとライドウにめちゃめちゃ怒られるぞ。気をつけろ」


 布団の上で仕事したのか。しかも針なくしたのか。そりゃライドウも怒るだろう。

 というツッコみをタツミは飲み込んだ。


「気をつけ、ます」


 クヅキが針を一本引き抜く。


「これが刺繍針」


「普通のと違うんですか?」


 タツミでは裁縫の針と見分けられない。


「いや。糸を通す穴が少し大きいぐらい。あんま変わらん」


 クヅキは何本か針を抜いて机に並べた。


「長さと太さがいくつかある。けど、使う針に決まりはない。使いやすいと思うやつを使えばいい。まずはタツミはこれを使え」


 真ん中の長くも短くもない一本を指差す。


「持ってみ」


 針を持つぐらいタツミにだってできる。

 が、タツミは針とクヅキの顔を交互に見た。


「……あの、針って。なんか針の正しい持ち方って、ありますか?」


「んー。そんな気にすることはないけど。とりあえずつまみ上げてみな」


 タツミは針の真ん中あたりを人差し指と親指でちょっとつまんでみた。


「それでだいたい正しい持ち方」


「え。これ。あ、俺、ちゃんと針持てました!」


 思わず嬉しそうに言ってしまってから、タツミはあれっと思う。

 針を持っただけである。ぜんっぜん喜ぶところではない。


 クヅキはにやにや笑っている。

 なんとなくタツミはこの人にはめられているような気がしないでもない。


「ええと。で、針持って、次は?」


「針に糸を通す、だな。今その針についてる糸は短いから捨てろ」


 クヅキが使わない針をしまい、裁縫箱から糸を取り出す。明るい水色だ。


「見てろ。この束から一縒り引き出す。指先から肘よりちょい長いくらいで切る。刺繍してみて絡まるようなら、もっと短く切っていい」


 糸切りハサミでちょんと切り離した。


「この太い1本は細い6本が合わさってる。今日は3本で使うから、まずそっとばらす」


 タツミに見せながら1本ずつ取り出し、3本をまとめて揃えた。


「よしタツミ、この3本の糸を針穴に通してみろ」


「ふえ。は、はい」


 糸を渡され、タツミは針と糸を顔に近づけてみる。

 とりあえず糸が3本でばらばらしていて簡単に通りそうもない。


「あの、これ、舐めていいです……あれ?」


 クヅキはなにかを取りに行ってしまったようで隣にいなかった。

 仕方ない。タツミは糸先をようく舐めてまとめた。糸はちょっとしょっぱい気がした。


 先っぽが細くまとまれば通せるはずだ。

 思った通り、糸はするんと穴を通った。


「やった」


 ちっちゃく声に出るほど嬉しかった。


「お、すんなり通せたか」


 小型のボックスを持って戻ったクヅキは、糸の通った針を掲げて喜ぶタツミに感心した。

 どうせうまく通せなくて困っているだろうと思っていた。


 しかしタツミの掲げる針を見て、舐めたのなと笑った。


「あ、すみません、俺、舐めるのまずいですか?」


「通せるなら別にいい。ただ、その舐めたとこは切っとけ」


 タツミはハサミを借りて舐めたところをちょきんと切り落とした。


 クヅキは丸い枠を取り出し、布のはめ方を説明する。


「これが刺繍枠。使うと便利。小さい丸に布をのせて、大きい丸をはめて、張り具合をみたら、固定」


 ずい、とクヅキが枠をタツミの目の前に突きだす。


「ん、固定。癒着」


「え、あ、ああ、魔力癒着ですか。えっと、ここで止める?」


「そう。金具の青いとこを押すだけ」


 タツミが軽く触っただけで、枠は勝手に締まって止まった。


「おお、すごい。え、でも、これ、いつもどうしてるんですか、クヅキさん」


「あー。俺は紐で結うやつか、大きいスタンドのスクロール使う。このワンタッチ式はずれにくいから、お前はこれ使っとけ」


 クヅキの言う“すたんどのすくろーる”とやらがどんなものかタツミは知らないが、なんとなくワンタッチよりカッコいい気がする。

 いずれはタツミもそのカッコいいやつを使いたい。


「布に青く線が描いてあるの、見えるか?」


 タツミは目はいい。両目とも2.0だ。余裕で見える。

 薄い青い線がいくつか描いてある。


「この線を刺繍する。端の処理もあるけど、最初は気にせず玉結び作っとけ」


 クヅキが糸の端の結び目の作り方をやって見せる。

 見る分には難しいことはなさそうだが、さてタツミが自分でできるかはちょっと分からない。


「なんでも丸っこく縛ってあればいいよ、こんなもん」


 クヅキはなんだか適当だ。


「でも。あ、俺、メモとります。ちょっと待ってください」


 書いておかないときっと忘れるとタツミは思う。


「メモ? やめとけ」


「え、でも」


 前の職場では「全部メモしろ」「二度聞くな」「家で復習しろ」とよく怒られた。


「いいよ。書いたのを見返すより俺に聞いた方が早いだろ。面倒がらずに聞け、俺に。あと家で仕事のことなんか考えるな。忘れろ」


「……俺、何度も同じこと、聞きますけど」


「いいよ。てか、こんな糸の結び方とかさ、お前は絵で描けんの? 絵を見て分かるの?」


「……ムリ、ですね」


「ほら。聞いた方がいいって。絶対」


 ここまで言われてはメモを取るわけにいかない。

 仕方ないので分からなくなる度に聞くことにする。

 でもタツミはきっと何度も同じことを聞いてクヅキを怒らせるだろう。


「そしたら、まず基本からな」


 クヅキは一番簡単なランニングステッチというのを二針やってみせる。


「見た目は並縫いとおんなじなんだけどな。糸と間の長さをこれと同じにして、一針ずつ必ず糸を引いてやってみ」


 枠と針を持たされて、タツミはクヅキの顔を見た。


「え、ええと?」


「今、針は布の裏側にいるな? 裏から針を刺すんだ。隣の糸との間が同じになる位置に針の頭出して」


 裏からだとどこに針が出るか刺してみないと分からない。


「何度刺し直しても大丈夫だ。ここってところに刺せるまで繰り返せ」


「この辺、ですか?」


「ああ、いいんじゃないか。そしたら針を刺し通して、糸もしっかり全部引く。……その手の針を俺の顔に刺すなよ」


 タツミは針を持った手を思いっきり上げて糸を引っ張っていた。

 糸を引け、と言われて慌てて手を下げた。


「す、すみません」


「糸が長いと思わぬ事故になるから。いつも気を付けるクセをつけろ」


「はい」


「で。次は布の表から針を刺す。また同じ間隔になるところに針刺せるか?」


「同じ長さ、この辺ですね」


「ならそのまま糸を下に引く。ゆっくり優しくな」


 しゅるしゅるとタツミは慎重に糸を引く。特になんの問題もなく引けた。


「はい、それで一針終わり。あとは繰り返すだけ。なんだ、できたな」


「……」


「なんだよ、刺繍できたのに。嬉しそうじゃないな」


「……なんか、さすがにちょっと。これは、これだけですか?」


「それだけだけど。立派なランニングステッチだ」


 でも、それだけじゃあさっき見た魔導紋は作れない。とタツミは思う。


「ははは。まぁな。でも、それが一針だ。どんな刺繍師も、その一針から始まる。おめでとう、タツミ」


 タツミは枠を顔の高さまで持ち上げ、刺した糸をしげしげと見つめた。

 タツミの、最初の刺繍だ。


「でもそんだけじゃ寂しいのも確かだ。とりあえずそこに描いてある線をなぞって刺繍してみろ。間隔は今のと全部一緒にするんだぞ」


 線はまっすぐだけでなく、折れたり曲がったり、交差したりしている。


「これ、ええと、縫う順番、ありますか?」


「それ紋じゃないし。好きなとこから好きなように刺せばいいよ」


 横でクヅキも自分の仕事を広げ始めている。

 タツミは指の汗を拭いて針を持ち直した。


 また慎重に布の裏から針を刺す。

 思っていたところと違うところに針が出たら、刺し直す。隣との距離がいいところを探して、納得がいったら糸を通す。

 針は危ない。糸をそっと引っ張る。

 全部出たら、表から針を刺す。これは狙ったところに刺せばいい。あとは糸が絡まないように引くだけだ。

 するすると糸を引いて、二針目ができた。


 タツミはできあがった二針目を確認する。一針目やクヅキの刺した糸といい感じに揃っている。

 まだ少ないけれど、並んでいるのを見ると、ちょっと刺繍っぽい。


「分かんないことや困ったことがあったら聞けよ、タツミ」


「あ、はい」


 でもタツミは今のところとても調子がいい。

 続けて三針目も慎重に刺す。それも問題なくできた。

 四針、五針と繰り返すと、長さも10センチほどになる。

 ただのまっすぐな点線だが、紛れもなくタツミが刺した刺繍である。


 なかなか悪くない。


 隣のクヅキも小さい枠でなにか刺繍している。あまり大きな布ではない。

 クヅキのは光沢のある深紅の布、だ。そこへ藤色の糸を刺している。


 一体なんだろう、とタツミは思った。

 ゆっくり七針目を刺しながら聞いてみることにした。


「あの、クヅキさんがやってるのって、それ、服のパーツ、かなんかですか? すごい赤ですけど」


「あー。これ?」


 針先から目をそらさずクヅキは答える。


「これはブラだ」


「え、はい?」


「だから、ブラジャー」


「な、ブラ!?」


 タツミは顔をあげて紅い布をガン見した。


「うん、ブラ……になる予定の布切れ。おい、今はどんなに見たってただの布切れだって」


「や、でも、だって」


 タツミに女兄弟はいない。

 だからタツミにとってブラジャーなんていうのは、同級生女子の夏服にうっすら見えるような見えないような見える気がするけど見えるわけない気のせいだなはい幻でした!というやつだ。

 なお、当然母親のブラが身近に存在しているはずだが、諸事情でタツミとは次元を異にするのでノーカンとする。


「え、でも、その、ぶ、ブラも紋とか、入れるんです、ね」


 タツミはそわそわと刺繍を再開しようとしたが、思うところになかなか針が刺さらない。


「……落ち着けよ。既製品でも紋ぐらい入ってるだろ」


「そ、そうなんですか?」


「うん。ま、詳しくはブロッサにでも聞け。俺も知らん」


 聞けるわけがない。


 しかし。ここは闇工房。泣く子も黙る規格外紋衣の生まれる場所だ。


「この紋は、そんじょそこらのブラとは違う。色街のお姐さんに頼まれた特注魔術。おっぱいが理想の形、大きさ、柔らかさになるという、すげーやつです」


 タツミはぱくぱくと口を動かした。


「すげー。ですけど。……ええと、……ちょっと、それって、その胸は……詐欺…なんじゃないですか……?」


 もし神秘のベールにつつまれし実った果実おっぱいが魔術の産物だとしたら、……タツミはちょっと泣く。


「違う。詐欺じゃない。夢だ!」


 クヅキが真面目腐った顔で言い切った。

 たぶん言い切ってはいけないことを、言い切った。


「……ですか。でも、その、ええと。魔術で理想の……胸、にして。でも、え、ブラ、外したら……戻ります、よね……? それってつまり」


「なに想像してんだ、お前」


 そう言われても、どうしてもいろいろ考えてしまう。


「ちなみにお姐さんは『ベッドまでもちこんだ時点でこっちの勝ちだから大丈夫』って言ってた」


「うわあああ」


 聞いてはいけないことを聞いてしまった。


「大丈夫か、タツミ」


「……あんまり、大丈夫じゃないです」


 刺繍どころではなくなったタツミを見て、クヅキも手を止める。

 ちょっと考える顔をして、そして話し出した。


「実はお姐さんたちにも贔屓にしていただいている工房うちですが。初めてブラのオーダーを受けたときは、まぁなかなか困ったんだ」


「え、はい」


「触れる幻影、なら魔術で作るのは難しくはない。けど、その理想の形? 大きさ? 柔らかさ? とか口で言われても、どんなだか分からん」


「まぁ、はい」


「せめて一回実物を触らせていただかないことには、作れるわけがない! というわけで、俺は行きました」


「えっ。行った……?」


「行きました。どうしても必要なので見せてくださいお願いします、と。どうしても、必要だったから、仕方なく!」


 絶対仕方なくじゃない、ということぐらいタツミだって分かる。

 ごくりとタツミは唾を飲んだ。


「で、お願いして……?」


「お願いしたら、お姐さんは言いました。『それもそうね』と。『じゃあ、理想の胸を今度送るから、ちょっと待ってて』と」


「理想の……胸を……送る」


「俺は期待して、いや、仕事なので普通に待ちました。そして、とうとう本当に届きました」


「理想の、胸が?」


 タツミがどきどき聞く。

 クヅキは目を閉じ、ため息をついて言った。


「いや。プリンが」


「……プリン?」


「プリンが。理想の形、大きさ、ぷるぷる具合に作った、プリンが。作るの大変だったっていうメモと一緒に」


「……」


「それ以来、ブラのオーダーをするお姐さんは、必ずなんだかお菓子を送りつけてくるんだ。プリンだったり、ゼリーだったり、パンケーキだったり、いろいろだけど。概ねおいしいけど」


 みなさんの理想のお胸はぷるぷるしてたりふわふわしてたりもふもふしてたり、実にいろいろだ。

 そして現実おっぱいは、依然なぞのまま。


「……神秘……なんですかね」


「……神秘……なんだろうな」


 なぜだろう。タツミは涙が出そうだ。

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