21 タツミくん、しょんぼりする


 クヅキがへちょりと机に潰れたので、タツミはびっくりして駆け寄った。

 具合が悪くなったのかと思う。


「だ、大丈夫ですか!?」


「うう……ジャム……ない……」


 聞けばジャムジャム呟いている。

 タツミは引っ張り出された引き出しを見た。クヅキが瓶を隠していたところだと気づく。


「あ」


 自分がチクったことを思い出した。

 タツミはそろそろとクヅキから離れた。


「あー。えーと。その。どうした、んですかね」


「……ライドウ……ライドウに取られた……ライドウめ」


 常軌を逸した執着を見せるクヅキに、タツミはかなり引いた。

 正直に自分が原因だとはとても言えそうにない。


 ぐううと机にかじりつくクヅキから距離をとる。

 戸口に背を向けていたせいで、ちょうど入ってこようとしたブロッサムがぶつかりそうになった。


「わっ。タツミ! なにしてるの?」


「え、あ、ブロッサさん」


 後ろからの声に振り返れば至近にブロッサがいて、わずかに高いタツミの顔を上目遣いに見ている。かわいい。


 今日は頭の上で大きなお団子を一つ結っていた。かわいい。


「ちょっとタツミ。あたしに“さん付け”しないでくれる? ただのブロッサでいいから」


「え、はい。でも」


 ごにょごにょ躊躇うタツミを無視して避けたブロッサは、机に潰れるクヅキに気づいた。


「あら。クヅキ。生きてたの?」


「……死にそうだけどな」


 ようやく首だけもたげるクヅキに対し、ブロッサは鼻をならす。


「逃げるからでしょ。昨日の夜のうちにさっさと済ませて一晩休めば良かったのに」


 正論に叩きのめされて、クヅキはでこから机に落ちた。


「……なんか用かよ」


「うん、タツミに」


 ブロッサがくるりとタツミを振り返る。


「え、俺? ですか?」


「そそ。デザイン描いたから見て」


 持っていた紙を三枚掲げる。


「え、俺の、ですか?」


「当たり前でしょ。他のなにを見せるのよ」


 ブロッサはデザインをクヅキの机の上へ並べた。


「ほら見て!」


 どきどきしながらタツミは紙をのぞき見る。

 クヅキものろのろと顔を上げ、頬杖をついた。


 昨日タツミがかっこいいと思った服のデザインがもとなのだろう。同じような傾向の、しかし微妙に違う服の絵が並んでいる。

 違うのはわかる。が、タツミにはどう違うのか、ちょっとよく分からない。


「…………」


「ダメだった?」


 頬に指をあてたブロッサに聞かれて、タツミはぶんぶんと強く首を振った。


「いえ。いえ。あの、カッコいいです」


「良かった。で、どれがいいと思う?」


 タツミは目を皿のようにして三枚を見比べる。

 一つは、たぶんフードが特徴。あとの二つは、襟は立っている。違うのは、裾の感じ、だろうか。

 いずれにしろ、タツミは自分がそれを着ているところをうまく想像できない。


「……これ、俺、着て大丈夫な感じ、ですか?」


 タツミの不安に対し、ブロッサは意味が分からないという顔をした。


「なに言ってんの? あんたが着るための紋衣でしょ? あんたが着ないでどうするの?」


「いえ、あの。なんていうか、……俺にはカッコよすぎ……みたいな」


 ブロッサがばしっとタツミの肩を叩いた。痛かった。


「大丈夫! タツミはカッコいいから。むしろこのぐらい着なきゃ!」


 ばしばし叩かれた。

 タツミはカッコいいなどと言われたことはない。固まった。


「ねえ。クヅキはどう思う?」


「ん? タツミ? 普通だろ。特に俺の好みの顔とかじゃない」


「そんなことは聞いてない。服! デザイン! タツミに似合うでしょ、これ」


「分からん。けど、そんなの誰が着たって同じだろ」


 ブロッサがクヅキの襟首をきりきりきりと締め上げた。

 はっと我に返ったタツミが慌てて止めに入る。


「ちょ、落ち着いて! 今ほんとにクヅキさん死にそうなんで」


 ブロッサが手を離す。


「もう。他にもっとマシなことは言えないの?」


 クヅキもじっと三枚を見比べた。


「……フードつきがいい。あと裾は腰じゃなくて腿がいい。タツミ飛ばす紋だから面積欲しい」


「それはデザインの話じゃないでしょうが!」


「ああああの、ほんとに、ほんとにまずいので!」


 もう一度手を出そうとするブロッサを再度タツミは押し止めた。


 まったく、とブロッサが吐き捨てる。


「で。タツミはどうなの? あたしはフードないほうがカッコいいかなと思ったんだけど」


 タツミは、困った。

 クヅキはフードつきといい、ブロッサはフードなし、と言う。

 どっちかを選んだら、もう片方が気を悪くするだろう。


 タツミはクヅキとブロッサを見比べた。


「フードにネコ耳つけたら表面積がさらに増えていい感じだな」


「なに、そんなに複雑な紋になりそうなわけ?」


「うんまぁな。よし、尻尾もつけよう。ネコの尻尾」


「絶対ダメ。ネコそれはあたしが許さない。タツミならイヌ耳のほうがぜっっったい似合う!」


 二人はタツミの返事など待たず勝手なことを言い合っている。

 黙ってるととんでもないデザインにされそうである。

 タツミは頑張って口を挟んだ。


「あ、あの!」


「うん? なんだタツミ。お前、ネコ派イヌ派?」


「え。それは、ネコですけど」


 思わず答えてしまった。

 まぁ飼ってるので。


「そうじゃなくて。さ、さすがに耳ついたフードとか、俺」


 無理です、とはっきり言おうとした。

 けれどクヅキとブロッサにダブルでにらまれ……見つめられてるだけだけど、タツミは口ごもった。


「だから、ええと、その」


 がんばれタツミ、と言ってやりたいところだが、残念ながらタツミが勇気を振り絞るための猶予はなかった。


 ライドウが「おい」と声をかけながら入ってきた。


「なんだ、集まって」


 持っていたトレイからコーヒーマグをタツミに渡す。


「待たせたな。ほら、コーヒー」


「あ、すみません」


 タツミは熱いマグを受け取った。たっぷり牛乳の入ったミルキーコーヒーだ。


「で、お前はこれ」


 クヅキの前にスープカップを置く。薄く色のついた液体が入っている。


「なんこれ?」


「今朝の野菜スープ、汁のみ。昨日からなにも食べてないだろ。それだけでも入れとけ」


 相変わらずクヅキの胃は絶不調で、あまりなにか入れたくない。

 しかしライドウが恐い顔で見てくる。飲まないわけにいかなかった。


 クヅキはずぞずぞと汁を飲んだ。野菜と塩の、あっさりしたスープだ。

 重く硬く凝っていた胃にじんわり染みる。


「コーヒーいいなー。あたしにはないの?」


「ない。いると思わなかったからな。なにしてんだ?」


「タツミの紋衣のデザイン決めてるの」


 タツミの紋衣?とライドウが首をかしげる。


「なんだ、タツミ。お前、紋衣作るのか?」


「え、あ、はい」


「ふうん。なんの紋衣だよ?」


 ライドウの問いに、奇しくも三人の返答が被った。


「「「空飛ぶヤツ」」です」


「空を飛ぶ、ヤツ?」


 ライドウが目をしばたく。珍しい顔だった。


「あ? タツミが空を飛ぶ、のか?」


「そうだよ」


 カップを両手で包みこみ、少しずつ啜りながらクヅキがうなずく。


「タツミを飛ばすのか?」


「うん」


「タツミが飛べる紋衣?」


「そうだって」


「まじか。そんな紋組めるのか」


 大魔術師(たぶん)が三度聞きするレベルのブツであるらしい。E判定タツミが飛行魔術を行使できる紋衣は。


 なんだかタツミは背に汗を感じる。しかしクヅキは涼しい顔、というか胃のあたりを押さえて悶えている。


「で? これが服のデザインか」


 ライドウも机上の紙をのぞく。


「はー。ナウいなー」


 恐ろしくじじむさい感想を棒読みで言った。


「ね、ライドウはどう思う? タツミだったらイヌ耳が似合うか、ネコ耳が似合うか」


 そう言いながら、ブロッサがペン立てから鉛筆をとる。


「は? 耳?」


 ブロッサは紙へサカサカっと描き入れる。


「そうそう。イヌ耳だったらこういう感じ。ネコ耳だったら、こうかな」


 若干イヌ耳が大きく垂れぎみ、ネコ耳が小さい三角、らしい。

 タツミはどっちも嫌だ。


 ようやっと勇気を振り絞った。


「あの! 俺、その。フードない方がいいです!」


 振り絞ったが、ちょっと足りなかった。耳ヤダとは言えず、だったらフードなしを選択すればいいのだ。と、タツミとしては上出来な閃きだった。だったが。


「おいタツミ。これで飛ぶんだろ。フードないと頭が危ないだろうが」


 それ以上アホになったらどうする、とあっさりライドウに打ち砕かれた。


「ふえ」


「うん。フードあればそこに保護紋入れるだけで安全だし。フードなしはムリだな」


「あう」


「それならフードつきで仕方ないか。じゃ、もう少し襟回りのパターン変えて描いてみる?」


「むぐ」


 耳つきフードは阻止できそうもない。

 せっかくちょっとカッコいい服になるかもしれないと期待していたのに。

 タツミの心の中のちっさいタツミがしおしおと萎れた。


「うん。大きめフードだとなおいい」


「了解。まぁ耳は冗談として。いくつかフード描いてみる」


「あと、裾。耳は冗談として。伸ばせたら伸ばしてほしい」


「冗談だったんかよ!」


 タツミ吠えた。


 クヅキとブロッサがきょとんとタツミを見る。


「え、や、あの」


「そりゃ冗談に決まってるだろ」


「あら、タツミは耳欲しかったの?」


「……じょ、冗談でお願い、します」


 タツミには、この二人のノリがさっぱり分からなかった。

 ちょっとタチ悪いなと思う。


 横ではライドウが声を立てずに笑っていて、泣きそうなタツミの頭をよしよししてくれた。


「ま、こういう奴らだ、お前も好きにしろ」


 なるほど、タツミももう少し正直になってワガママを言ってもいいのかもしれない。

 タツミにそれができるかどうかは、分からないが。


 また描いたら見せるから、と言い残してブロッサが消える。

 風のような……いや暴風みたいな人だ。


 やっとスープを飲み干して、クヅキがタツミに言う。


「よし、タツミ。ちょっと復習だ」


「え、はい?」


 ちなみにタツミはまだ一口もコーヒーを飲んでない。

 それどころじゃなかった。


「紋衣を作るとき。まず客に確認して決めること、それがなにか分かるか?」


「えっと」


 突然の出題にタツミはどきまぎする。


「お前が今してることだぞ」


「え、あ、デザイン? ですか?」


「当たり」


 クヅキがにかっと笑ったので、タツミはほっとした。


「それから魔術。どんな魔術をどう使えるようになりたいか」


 もちろん綿密に打ち合わせておく必要がある。


「タツミの空を飛ぶってのは、お前どんなやつを考えてるんだ?」


 ライドウに聞かれてタツミはぽかんとした。


「えーと。どんな?」


 なんかひゅーっと飛んでみたいなー。

 こう飛ぶやつ。

 ちちんぷいぷい→飛ぶ。


 以上、タツミの脳内。

 まったく考えなしである。


「……飛ぶってな、タツミ。ただ『飛ぶ』って魔術は存在しないぞ、タツミ」


 ライドウが呆れた顔で言う。


「そもそも魔術は、魔力を他の力や作用に変換するための技術だろうが。飛ぶってのは、そういう作用の結果に発生する事象だからな。魔力を直接飛ぶって事象に変換はできんだろ」


 意味が分からずタツミはうろたえた。


「え、えっと、俺、飛ぶのはムリって、ことですか?」


「そうは言ってねぇよ。別に無理とは言わないが、飛ぶにもいろいろあるだろって話だ。魔力を浮力にするとか、斥力使うとか、空気を動かすとか、どれもなかなか大変だが」


 タツミも飛行魔術が難しい、ぐらいのことは知っている。が、なぜその難易度が高いのか、どうして多くの魔力を必要とするのか、その原理はさっぱり理解していない。


「おい、クヅキ。どうするんだ、これ。大丈夫か、これ」


 椅子の上でくつろぐクヅキにライドウが言う。

 クヅキはのんびり答えた。


「まー結果飛べばいいんだから、むしろ下手にどうしたいこうしたい言われるより、術から組める方が楽だろ」

 

 ちゃんと紋で畳んで簡便にしてやれば、術者タツミが中身を分かっていなくたって行使は可能だ。


「それはそうだろうが。自由自在かつ安全に空を飛ぶっつったら相当な術式になるだろ。しかもそれをタツミの魔力で? どんな術だよ、そりゃ」


 膨大な魔力があるなら無理矢理展開するという手もある。しかし、タツミだ。期待できる魔力量はカエルのおしっこ(ライドウ見立て)である。


 今この会話を聞いていても、当のタツミはさっぱりという顔でぽけっと突っ立っている。


「もちろん魔力回路も積むつもりだけど」


 魔力回路。消失しやすい魔力を蓄積温存するシステムで、魔動機や紋衣にはよく使われる。


「こんな感じの術式なら、タツミの魔力でも十分楽しく飛べると思う」


 そう言ってクヅキがリズミカルに口ずさむ。


「Frs, tthngt, odo. Rdcthw, ghtft, hsrgn. Fhss, dutni, l, lsn, ncurgmnt, f, rplsn, Is, ntnnnn. Qtrfrnc, wthhe, wrldsreasn. Justf, llgh, t. Whtt dnx, trbth, srrndn, gr. Thars, grbbd. A, rbcmsw, nd. Blwp. Rsy, rbdy. Pytt, ntnt, thdrc, tnfth, wnd ...」


「分かった、ストップストップ」


 ライドウはたまらず止めた。


 クヅキの口ずさむそれは、式というより異常に短く区切られた単語の羅列に近かった。

 要は、少ない魔力の代わりに手数を増やす、そういう技法だ。それ自体は突飛でもなんでもない。


 確かに今のその要領でいけば、タツミの魔力でも飛行までいくだろう。が、その調子で唱えていたら、たぶん、きっと、日が暮れる。


 そういう術式だった。


「正気かそれ。とてもじゃないが、そのまま唱えられるような魔術じゃないだろ。それを」


「もちろん魔導紋で圧縮する」


 ぱん、とクヅキは手を打ち合わせた。


 一日掛りで唱えるような術式をたった一着に収まる魔導紋へまとめる。しかも魔力回路込みで。


 そんなことが本当に可能なのか。

 そう聞きたくなるのをライドウは抑えた。

 聞けばどうせクヅキは可能だと答えるだけだ。


 面白くなって、ライドウは笑った。


「よかったな、タツミ。お前の、すっげぇ紋衣になるぞ」


 くつくつと込み上げてくる笑いが止まらない。

 これだから、この工房の仕事は、クヅキの世話はやめられない。


 きょとんとしたタツミには、その凄さは絶対に分からないだろう。

 分かるはずがない。


「頑張って作って、できたら俺に見せてくれよ」


 励まされたと思ったタツミは、「はい」と嬉しそうにうなずいた。


 激励の代わりにぱしぱしと軽くタツミの肩を叩いてからライドウは出ていった。


 それを見送ったタツミは、ライドウがずいぶん驚いて喜んでいたな、と思う。


「実際に紋を組むのは、デザインが決まってブロッサがパターン、つまり型紙を作ってからな」


 説明するクヅキは、特に気負うでも興奮するでもなく、なんらいつもと変わらない。


「あ、はい。あの、ありがとうございます」


 タツミは魔術に関しては、クヅキにまるっきり任せるよりほかにない。


 ただただすごいなーと思うだけである。


 しかし。それにしても。

 タツミは思った。

 なぜクヅキは。魔力がなくて自分では魔術など使えないのに。こんなに魔術に詳しいのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る