20 タツミくん、うんこ漏ら……しません!


 いまだぽんやりしたままで、クヅキはなかなか動かない。

 一人でおいていくのは心配だ。タツミは意味もなくクヅキの周りをうろうろする。


「ええと。クヅキさん、扉とか、開けられないんですよね」


 改めてタツミに聞かれ、クヅキは雑にうなずいた。


「うんまあ。ドアも窓も、戸棚の扉も、魔力癒着式のやつはみんなな」


「……不便ですね。ええと。他に困ることって、なにがあるんですか?」


 なぜそんなことを聞くのかと、クヅキが変な顔をする。


「あ、その。なんていうか、俺、魔力がないと扉が開けられないとか、考えたこともなかったんで。他にもあるのかなって思っただけなんですけど」


 知っていないと、クヅキが困っているときに助けられないし、今回みたいにクヅキに利用されないとも限らない。とタツミなりに考えた。


「んー。だいたい機械は動かせない。明かりつけられない。水道、あれもひねっても水出せない」


 蛇口も癒着式だ。魔力がなければ使えない。


「……まぁ一番困るのは、トイレが流せないことだけど」


「……トイレ流せないって、どうしてるんですか……?」


「それは、聞くな。……ライドウいないと、俺の生活は石器時代みたいになっちゃうからなぁ」


 とうとうクヅキがぽてりとベッドに倒れた。もぞもぞ動いて丸まる。


「あ、えと、少し休みます、か?」


「……仕事、たまってる。寝てる場合じゃ、ない……」


 口ではそう言うものの、体は毛布の下へ潜ってしまう。


 めくれた毛布の隅をタツミは静かに直した。

 このまま少し眠らせたほうがいいだろう。


 しかし間が悪く、コンコンと壁をノックしてライドウが顔を見せる。


「クヅキ、――――寝たのか?」


 ベッドにもぐるクヅキを見て、ライドウがタツミに聞く。


「起きてるよ。なに?」


 タツミが答えるより早く、クヅキが体を起こしてしまう。

 ライドウはやや顔を曇らせながら言った。


「こんなときにアレなんだが、客が来た。どうする、追い返すか?」


「……客? 午前に予定はなかったよな。新規?」


「いや。昨日死んだ客のボス、だ。謝罪だと。無理なら追い返すぞ」


 クヅキがおでこに手をあてる。


「……ボス直々の謝罪を追い返したら、めちゃくちゃ感じ悪いだろ。大丈夫、行くよ」


 クヅキがもそもそとベッドから起きる。どう見ても体調は悪そうだ。行けるのか。

 タツミははらはらしてクヅキとライドウを交互に見る。


「クヅキ、無理はするなよ。追い返すのが駄目なら俺が対応してもいい」


客対応それ家政夫お前の仕事じゃない。工房長の仕事だ」


 ライドウはため息をついた。


「変なとこで頑固だな、お前。それじゃあ、俺も付き添う」


 クヅキが無意識に腕を押さえる。ライドウに掴まれて赤くなったところだ。


「ん、大丈夫。タツミ。タツミに一緒に来てもらう」


「いや、だが」


 やんわりとした拒絶をされ、ライドウは眉間にシワを寄せた。

 クヅキの横でこの流れにあわあわしているタツミを見やる。

 ……やはりあまり戦力になりそうもない。


「大丈夫。応接室は絶対に安全だし」


 確かに、応接室はクヅキとライドウが二人がかりで組んだ絶対領域だ。

 あそこではライドウやモズクでさえ誰かを傷つけることはできない。

 まぁそれでも、絶対に安全なんてことはない。かなり危険は低いといったところだ。


「分かった。くれぐれも応接室からは出るなよ。タツミ、クヅキを頼む」


 タツミはこくこくとうなずいた。その顔はなんだか今にも泣きそうで、ライドウとしてはクヅキよりもタツミの方が心配になりそうだ。


「先に客を応接室に通してくる」


 そう言ってライドウは先に部屋を出ていった。


 しかし後から考えれば、やはりこのときクヅキがタツミと二人で対応するべきではなかった、と言える。

 が、もちろんまだ誰もそうとは気づかない。


「……あの、昨日のチンピラの人、の偉い人が来た、んですよね」


 タツミは、不快そうにサンダルを履くクヅキに聞く。


「うん。ボス、親分、まぁそんなやつだろうな」


「……謝罪って、本当に、ですか? その、復讐とかじゃ、なくて?」


 子分が死んで謝罪に来る、というのはどう聞いてもおかしいとタツミは思う。どう考えたって仕返しとかオトシマエをつけに来たとか、そういうのが普通だろう。


 クヅキはふらふらと下の応接室に向かう。

 タツミは慌ててクヅキが転ばないよう手を貸した。


「会ってみないと分からんけど。たぶん謝罪で間違いないと思う」


 階段を降りながらクヅキが言う。


「うちの工房の紋衣は強力だからな。うちに手を出して取引できなくなれば、困るのはあっちだ」


 裏社会のパワーバランスだ。クヅキの工房はそこそこ強者の位置にある。そうやって工房や働く人間の身を守っている。


「だからタツミ、そんなに怯える必要はない」


 もちろん油断はできない。

 パワーバランスなど気にしない跳ねっ返りもいるし、追い詰められて自暴自棄になった組織とかはなにをするか分からない。恐い。


「そう、ですか」


 あんまり安心できないタツミだった。

 どきどきしながらクヅキにくっついていく。これではどちらが付き添いか、よく分からない。


 二階の応接室の扉は閉まっていた。

 タツミはクヅキに頼まれて扉を開け、そしてぎょっとした。

 たくさん人がいる。黒スーツと原色シャツの男たちが並んでいる。チンピラどころではない。ヤクザの一家だ。恐い。


 ただ一人ソファに座っていた男が、入ってきたクヅキを見てゆっくり立ち上がった。


「どうも、工房長」


 慇懃に頭を下げる。それに合わせて後ろに控えた男たちも九十度にビシッと頭を下げた。恐い。


「どうもお待たせしました。ロンザリ様でしたよね。どうぞ、掛けてください」


 カシラの男、ロンザリが促されてソファに腰を下ろす。

 40代か50代か、髪にいくらか白いものが混じっている。

 謝罪を謳った丁寧な物腰ではあるが、威圧感を隠す気はないようだった。


 クヅキも向かいのソファに座る。小柄なクヅキが向き合うと、ロンザリがより大きく見える。

 しかしクヅキは怖じ気づいてはいない。いまだ気だるい体を押して薄く愛想笑いを浮かべる。


 タツミは扉を閉めてから、少し迷った。できれば壁際、ヤクザの集団からできるだけ離れていたい。

 しかしクヅキの近くにいなければ、なにかのときに守ることもできない。……タツミに守れるかどうかは、ともかくとして。


 頑張ってタツミはクヅキのソファににじり寄った。

 ヤクザのお兄さんたちがちらちらとタツミを見てくる。うぞうぞ近寄ってくるタツミの動きがなんか気持ち悪かったからだ。

 そうとは知らず、タツミは決死の覚悟でソファの後ろに立った。


 それを振り返って見上げたクヅキがちょっと脱力する。

 クヅキは、なんかタツミがうんこ漏らしそうな顔してるな、と思った。


 弛緩した顔のまま、クヅキはロンザリに向き直った。


「それで、今日のご用件は?」


 すっとぼけて聞いた。


 ロンザリは膝に肘をつき、やや前屈みになってクヅキと視線の高さを合わせる。


「昨日、うちの若い者が大変な失礼を働き、ご迷惑をお掛けしたらしい。申し訳なかった」


 ロンザリの言葉にクヅキは黙って頷く。


「下の者をちゃんと教育できていなくてお恥ずかしい。ああいうことが二度と起きないよう、他の者はきっちりしつける」


 ロンザリが片手を挙げて合図すると、顔に傷のある男が一人進み出た。

 紙袋から帯封のついた札束を五つ取り出し、テーブルに並べる。


「多くはないが、これで寛恕してもらえないだろうか」


 クヅキは札束を一つ取り上げ、中まで確認した。間違いない100万円の束だ。

 元通り置く。


「そういうことであるなら、こちらとしましてもご贔屓いただいているお客様ですし、不問にさせていただきます」


「今後とも取引してもらえるのなら有難い」


 互いにうっすら笑みを浮かべて謝罪は終了する。


 一人後ろでタツミは震えた。とりあえずヤクザのボスも居並ぶヤクザもそれと笑顔で話すクヅキもテーブルの現金もみんな恐い。


「ところで、工房長」


 ロンザリの様子が改まる。ここからが本題だとでも言いたげだった。


「うちの若い者が受け取る予定だった紋衣、あれを私が代わりに買いたいのだが」


 クヅキが訝しげに眉を上げる。


「もちろん、未払いの代金はすべてお支払する。確か、1000万ぐらいだったか」


 さっきの傷の男が、さらに紙袋から札束を十取り出して積み上げる。

 それを見たクヅキは表情を険しくした。


「生憎ですが。あの紋衣は、注文者様がお支払いとお受け取りを拒否されたため注文破棄になりました。ですので今さらいくら積まれようとお渡しすることはできません」


 強い口調で突っぱねた。


 無表情のままロンザリが圧を増す。


「そこを押して譲ってくれと言っている」


 クヅキは首を横に振った。


「それはできません。もとよりだったのなら、謝罪も受け入れるわけにいきません。全て持ってお引きとりください」


 断られたロンザリは明らかに怒っている。なぜかクヅキも怒っている。

 二人は無言で睨み合う。


 どうして売ってしまわないのか、タツミには分からない。

 昨日は不良在庫になったと嘆いていたのだから、渡してしまえばよさそうなものである。

 ちゃんと代金も払われるし、ロンザリは恐いし。


 後ろの若い連中もすげないクヅキの態度に殺気を放つ。

 それにもクヅキは動じず、折れる気配もない。


 何人かが懐の武器へ手を伸ばしたところで、ロンザリが息をついた。


「……とても残念だが、工房長が頑なに売れないと言うのではしようがない」


 後ろの今にも武器を抜きそうな若い連中を振り返る。


「お前らもで暴れても死ぬだけだと覚えておけ」


 ロンザリとて海千山千の男であり、この工房の堅牢さは知っている。


「せめて謝罪の気持ちは受け取ってくれ」


 傷の男が札束のうち十を紙袋に戻す。


「全てお持ち帰りを」


 それもクヅキに拒否され、ロンザリが軽く肩をすくめる。

 すべての札束が紙袋にしまわれた。


 立ち上がったロンザリが座ったままのクヅキを見下ろす。


「残念だ」


「紋衣がご入り用でしたら、いつでもオーダーを」


 クヅキが冷たく言い放つ。


「お客様はお帰りだ。タツミ、扉開けて」


 クヅキのコンディションは最悪で、そして不愉快な出来事に相当腹をたてていた。

 一刻も早く帰って欲しかった。


 タツミは慌てて駆け寄り扉を開ける。

 こちらもやはり相当怒っているロンザリが、部下を引き連れ憮然と扉へ向かう。

 扉を押さえるタツミをじろりとにらんだ。


「……珍しい。新人か?」


 低い恐ろしい声をかけられ、タツミは縮こまった。

 なにがどう珍しいのか、よく分からない。ともかくちっちゃくうなずく。


 ロンザリはそれ以上特になにも言わず、さっさと出ていった。

 そっとそれを見送り、いなくなったのが分かったときタツミはほっと息をついた。


 クヅキは体を投げ出すようにソファに座ったままである。

 気を張ってひどく消耗させられたに違いない。

 タツミは近づいてそっと声を掛けた。


「あの、横になって休んだほうが、いいと思うんですけど」


 目をつぶったまま、クヅキが首を振る。


「いや、寝てもしょうがない。仕事する」


 強情に言い張り、ソファを立つ。

 仕方なくタツミは肩を貸した。


「ええと、仕事部屋ですか?」


「うん」


 すっかり体重を預けてくるクヅキの体は、思うよりだいぶん軽い。

 タツミはその華奢な体を支えて階段を登った。


「……なんでクヅキさん、あの恐い人に紋衣を売らなかったんですか?」


 クヅキはかなり腹をたてていた。けれどもタツミにはその理由が分からない。


「あー。なんかすごい舐められてたから」


 不機嫌そうにクヅキが答える。

 確かにロンザリの態度は慇懃無礼な感じではあった。が、それでも最低限丁寧に買おうという姿勢だった。とタツミは思う。


「でも、売っちゃう方が楽だし、儲けになった、んじゃないですか?」


「んー。あれはダメだ。あいつは若い下っ端に注文させて、うちを脅すような真似したんだ。上手くいけば儲けもの、ダメでも下っ端が死ぬだけって。そういう舐めた真似をしておいて、そのうえ紋衣を受け取ろうなんて、そんな腐った話があるか」


 タツミはぷるりと震えた。

 昨日のチンピラは、捨て駒として送り込まれていた、のだ。

 クヅキはどんなチンピラでも死んでいい人間はいないと言った。あれが本心なら、確かに腹立たしいだろう。

 工房に脅しをかけるような侮った態度にも怒っているのだろうが。


「でも、あの人もすごく怒ってましたよね。大丈夫、ですか?」


「はー。紋衣もがちがちの戦闘用だったしな。どっかの組とか抗争でもあるのか、切羽詰まってるのかも。しばらくあいつらには気をつけよう」


 三階の仕事部屋の戸口を二人でくぐる。

 驚いてタツミは思わず足を止めた。急に止まられてクヅキがたたらを踏む。


「む。なんだ急に」


「く、クヅキさん、部屋が!」


「ん?」


「か、片付いてる!」


 ごちゃごちゃに散らかっていたクヅキの部屋が驚くほどきれいに片付いている。なにも床に落ちていない。


「……そんな驚くことか? ライドウが片付けたんだろ」


 タツミの肩を離れ、クヅキが作業机の椅子に座り込む。


 タツミは奇跡的に片付いたクヅキの部屋をあちこち見て回った。


「おおーすごい」


「……さすがにお前ちょっと失礼じゃないか」


「え、でもだって、すごいですよ。あれがこんなに片付くなんて」


「……そんなに俺の部屋って散らかってた?」


「はい」


 クヅキはずりずりと椅子に沈みこんだ。


 タツミは棚の前のトルソーに掛けられた紋衣に気づく。

 暗い色の紋衣だ。

 近づいてしげしげと眺めた。


「あの、クヅキさん。これって、さっきの売らなかった紋衣、ですか?」


「ん? ああ、そうだ。よく分かったな」


 昨日ちらりと見ただけだが、緻密な魔導紋がびっしり刺繍されたそれは、とても美しい。なんとなく見覚えていた。


「……すごい」


 果たしてどれ程の時間と手間を掛けてこの一着は作られたのだろう。

 そしてどれほどの力を秘めているのだろう。


 それらを踏みにじろうとしたロンザリにクヅキは腹をたてた。


 なんとなくタツミにも分かった気がした。


 タツミは紋衣に魅入っている。クヅキはそっと引き出しへ手を伸ばした。


 朝からライドウに押さえつけられたりシャワーを浴びさせられたり不愉快な客の相手をしたり、とにかくクヅキは疲れきっている。

 昨夜からろくに食べず、あまり寝ていないのも大きい。


 とにかく甘いジャムを口に入れたい。頑張ったご褒美にちょっと舐めてもいいはずだと思う。


 急く心をおさえ、タツミにばれないようにそっと開けた。しかしそこにジャムはなかった。

 隠していたジャムは没収されてなくなっていた。


「……ライドウ……!」


 片付けを頼んだせいでうっかり見つかったのだろう。

 クヅキは呻いて机に突っ伏した。


「クヅキさん? 大丈夫ですか?」


 どっか後ろでタツミの声がする。


 ライドウにチクった犯人はタツミだが、幸いなことにクヅキはそのことを知らない。

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