19 タツミくん、心配になる


 ライドウはクヅキを雑に床へ放り出した。

 それでもクヅキが転がって逃げようとするので踏んで押さえつける。


「タツミ、扉を閉めてくれ」


「え、あ、はい」


 なぜか一緒にシャワー室へ入る羽目になったタツミが入り口を閉めて、これでもうクヅキは逃げられない。

 ライドウが足をどけるとクヅキは不満げに起き上がった。


「くっそー。覚えてろよ」


 クヅキがなんか言ってるが、ライドウはクヅキが噛みついてこようが引っ掻いてこようが痛くも痒くもないので大丈夫だ。


「Iwshf rmthbttmfm yhrttht llyurhr rtsn yr whlbdywlld ndwllnvr brsrrctd I dntndrstndwl」


 無視していたら毛根死滅のとんでもない呪いの言葉を吐いた。が、魔力がないので呪力もない。怖くもない。


 タツミがクヅキのサンダルを持ってきて揃えて置く。完全にヘソを曲げているクヅキは見向きもしない。


「タツミ悪いな、手伝わせて」


「え、あ、いえ」


 顔をひきつらせながらタツミは首を横に振った。

 あやっぱり俺手伝うんですか、というのがタツミの正直なところだ。


「さてと」


 ライドウが触ってシャワーの魔導システムを起動する。

 壁や床に彫られた金属の象嵌による紋がキラキラと煌めく。


「ふわあ」


 タツミは思わず声をあげた。

 機能はよく分からないが、こんな緻密な紋を彫ったシャワーなど見たことも聞いたこともない。


「ふはは、驚いたか。俺の渾身の力作だ」


 より少ない魔力を高い洗浄力に変えるだけではない。温かく体を包んで血行促進、免疫力まで高める。かつ肌への当たりは柔らかく、保湿と美肌効果もある。婦女子垂涎のシャワーを実現した。あと良い香りつき。


「す、すごい」


 たかがシャワーのために能力の無駄遣いがすごい。


「kngff, zrkhh, wthdd...バナナの皮を踏め」


 横ではクヅキが呪詛を吐き続けている。


「ほら、来いクヅキ」


 ライドウが、なかなか動こうとしないクヅキの首根っこを引っ張る。

 クヅキはなおも抵抗した。


「いやちょい待ち!」


「待てるか」


 ライドウは容赦なくずりずり引きずる。


「違う違う。脱ぐから! 服脱ぐからちょっと待って!」


「脱ぐな。服ごと洗う」


「いやいやいや!」


 服も洗うとなると、体を洗うだけより絶対に時間がかかる。

 それだけ長く他人の魔力シャワーを浴びせられる。

 それがしんどい。だったら脱ぐ方がマシだった。


「駄目だ。一晩外で過ごした服だ、洗う」


「別で洗濯すればいいだろ!」


「誰がするんだよ。今日の洗濯はもう済んでるんだよ。分かったらさっさと洗われろ」


 もう少し早くクヅキが帰っていれば、あるいはライドウも別洗いにしてやったかもしれない。

 けれどもそういう優しさは、ライドウの中でとっくに本日の営業を終了している。


「むー」


 むくれるクヅキをノズル下へ放り込んだ。


「悪いタツミ。ちょっとそっち側に回ってこいつが逃げないよう塞いでてくれ」


 ライドウに指示されてタツミは左側に回る。

 近寄るタツミをクヅキが恨めしげににらんでくる。

 タツミはたじろいだ。


「あの。すみません」


 悪いと思いつつ、逃げ場を塞いだ。


 クヅキはシャワーがよほど嫌いなのだろう。でもタツミには、なにがそんなに嫌なのか分からない。

 タツミにとってのシャワーは、浴びればさっぱりする気分の良いもののはずだった。


 他人の魔力だからだろうか。でもタツミには幼い頃大人に洗われても不快だった記憶はない。タツミには理解らない。


「できるだけ急いでやるから逃げるなよ」


 ライドウが起動紋へ魔力を流す。薄い光の奔流がふりそそぐ。


「ふぐぐ」


 頭からそれを浴びたクヅキ目をつぶり、鼻を押さえて息を止める。


 室内にほんのりと薔薇の香りが漂った。たぶん、昨日の夜ブロッサが使ったときの設定だろう。


「……野郎に薔薇もないが、まあいいか」


 変えるのも面倒でライドウはそのままにした。


「ライドウ、まだ!?」


 シャワーに襲われているクヅキはしんどい。

 有無を言わせぬ力に全身をまさぐられる感覚だ。気持ち悪い。徐々に皮膚や毛穴から侵入し、好き勝手蹂躙される。


「もう少し我慢しろ」


 反射で逃れようとするクヅキを押さえ、ライドウは念入りに汚れを流す。次に洗えるのは一週間後で、それもまた逃げられるかもしれない。


「あと口の中。洗わないと駄目だ、お前」


 ライドウもクヅキが体内に魔力を少しでも入れたくなくて懸命に息を止めているのは知っている。しかし口腔ケアは健康の要だ。疎かにすることはできない。


 こういう時のライドウに容赦の二文字はない。下手な容赦はクヅキの命を危ぶめる。


「ほら、少しでいいから開けろ」


 そう言ってクヅキが大人しく聞くわけがない。

 歯をくいしばって抵抗する口を仕方なくこじ開けた。

 指先を硬化で防御しないとクヅキに噛み千切られそうだ。ライドウも気が抜けない。


 口から魔力がなだれ入ってクヅキが咳き込む。

 ついでに鼻と喉の粘膜も洗っておこうというのはさすがに鬼畜だろうか。でも風邪予防になるしなぁとライドウは思う。


 急にクヅキの抗う力が消えた。しまった、やりすぎた。

 ライドウは即座にシャワーを止める。

 くったり潰れたクヅキが小さく肩を震わせて胃の中身を吐いた。


「大丈夫か。てかお前、昨日からなにも食べてないな」


 何度もえずくが胃液しか出てこない。

 ライドウがクヅキの背中をさする。


「タツミ、扉を開けてくれ」


 やっと体を起こしたクヅキの上体はふらふら揺れる。魔力が神経を侵したせいで目を回している。


「クヅキさん、大丈夫ですか?」


 扉を開けて戻ってきたタツミがおろおろとクヅキの横にしゃがむ。


「きもちわるい」


 ぐらりと傾いだクヅキをタツミは支えた。


「タツミ、クヅキを頼む。外に連れてってくれ」


「あ、はい」


 タツミの手を借りて這うように出る。ようやく魔力の充満した空間から逃れて座り込み、クヅキは大きく息をついた。

 まとわり付いた魔力を振り払うよう、首や体をふるふる振るう。


「……うちの猫もシャワーのあと、よくそうしてるんですけど」


 水に濡れているわけでもないのに、猫もぶるぶるとよく体を振っている。


「にゃー」


 猫扱いされてクヅキが怒った。


「あ、すみません。そうじゃなくって。……そんなにシャワーって、ダメなんですか?」


 クヅキの様子はタツミの想像を越えている。


「……気持ち悪い。例えて言えば……例えば……」


 あの感覚は、うまく説明する言葉がない。


「……頭からゲロかけられてる気分」


「人の魔力を吐瀉物呼ばわりすんな」


 後ろから出てきたライドウが洗ったサンダルでクヅキの頭をはたいた。


「痛っ」


 さんざん弱っているところへ容赦のない追撃だった。


 頭を抱えたクヅキの代わりにライドウはタツミへサンダルを預けた。


「本来の魔力は、体組織に大きく影響するもんだ」


 ライドウがタツミに言う。


 だから初歩的な筋力の強化や体のコントロール程度なら、特に呪文も必要なく、魔力を流すだけで行える。

 子供が遊びの中で体の動かし方を覚えるのと同じほどごく自然に身につけ、少し力を入れる程度の感覚で使う。


「それなのに他人の魔力が触れても大きな影響を受けずに済むのは、自分の魔力で無意識に防御をしてるからだ」


 魔力に抵抗できるのは魔力だけだ。


「それがないんだから、そりゃ気持ち悪いはずだ。制御も対抗もできない力に体を乗っ取られるようなもんだろうな」


 いまだにクヅキは感覚が戻らず気持ち悪くて、しきりと体を震わせている。


 なるほど、とタツミは思う。

 実感はわかない。でも気持ち悪いだろうなと想像することはできた。

 道理でなりふり構わず逃亡を謀るわけだ。


「……シャワーだけの問題じゃない」


 そう言うライドウは、慎重にタツミの反応を見ている。


「もしも誰かが意図的に魔力を流し込めば、無抵抗で制圧されることになる」


 タツミはその言葉に驚いて、そして息を飲む。

 クヅキはシャワーを浴びただけでこの弱りようだ。もし悪意を持って魔力を入れられたりすれば。


「それ。それってすごく、危ないですよね」


 魔術が使えないとか、身体強化ができないとか、そんな不利どころではない。

 裸の無抵抗で殴られるようなものだ。どうしようもない弱さだ。


「ん、大丈夫だって。魔力持ってないって知られでもしなきゃ、そんなことするやついないって」


 気だるげなままクヅキは呑気なことを言う。

 クヅキにとっては自分に魔力がなくて抵抗できないのも不利なのもただただ当たり前のことで、あえて焦ったり心配したりするようなことではない。


 ライドウはタツミに、こういうやつだから気をつけてやってくれと目で頼んだ。


 今日タツミにクヅキのシャワーを見せたのは、ライドウにとっても一種の賭けだった。


 動物が魔力に無力なことは、小動物にいたずらしたことのある悪ガキならすぐにピンと来たはずだ。

 しかしタツミは違った。クヅキを無抵抗な獲物だなどと微塵も思っていない。そもそもそういう発想がないのだろう。


 タツミは、良くも悪くも人畜無害な男だ。


 戦力としては少々頼りないが、クヅキの事情を正しく理解して近くで補助できる人間がいるのは、とても心強い。


 タツミはライドウの無言の頼みを受け、それからクヅキを見て、やや考え込むように首をかしげた。

 通じたのかどうかは、どうだろうか。


「うー。服、着替える」


 クヅキがシャツをひっぱる。

 ライドウの魔力でになった服を脱がない限り、まとわりつく不快感から逃れられそうもない。


「悪い、タツミ。こいつを部屋へ連れてってやってくれ。俺は誰かさんのゲロを片付けないといかん」


「む。誰のせいで吐いたと思ってる」


 クヅキの胃は弱い。魔力に入られるとすぐに吐く。猫のようによく吐く。


「ちょっと手が滑っただけだ。ほら、早く行け。タツミ、あとでコーヒー持ってく。頼んだ」


「あ、はい」


 クヅキが自分で立ち上がる。まだ少しくらくらするが、一人で歩けないほどではない。

 壁を頼りに裸足のままふらふら部屋を目指す。

 タツミはその後をのこのこついていく。


 四階のクヅキの私室は扉が開いてるどころか、そもそも扉板が外されていて無かった。扉などいらない、ということだろうか。


 仕事部屋があの散らかりようである。私室もきっとめちゃくちゃだろうと思っていたタツミは、部屋に入って驚いた。片付いているのではない。驚くほど物がない。

 目につくのはベッドと洋服掛けぐらいのもので、他はなにもない。


 物がなければ散らからない。という変な方向に到達したクヅキの部屋だった。


 クヅキはベッドにぽすんと腰を下ろす。まだ意識がぼんやりするのか、動きが鈍い。

 タツミはベッドの横にサンダルを揃えて置いた。あまりになにもない部屋でクヅキの前に立って、さて次はどうしたらいいのだろうと考える。


「タツミん家って猫いんの?」


 クヅキがのんびり聞いてくる。

 あるいは猫扱いしてしまったことを実はまだ怒っているのかもしれない。


「え、あ、はい。もう、おばあちゃん猫、ですけど」


 あまり人には懐かない、猫らしい猫だ。


「でもたまに、俺と二人っきりの時とかに、たまに膝に乗ってきてくれます」


 タツミが隅っこで一人しょんぼりしていたりすると、慰めるように寄ってくることがある。


 クヅキが忍び笑いを洩らす。


「猫の気持ち分かるな、それ。ライドウみたいな魔力強いやつのは、なんか臭いんだよ。あいつ、動物飼っても全然懐かれないし」


 別に魔力に匂いがあるわけではないが、クヅキは感覚としてそう思う。


「タツミの魔力は、なんか水みたいだもんな」


 猫も寄りやすいのだろう。


「……そう、なんですか」


 タツミとしては喜んでいいのか悲しめばいいのか、迷う。ただクヅキが怒っているわけではないらしいと知れた。


 ようやくクヅキがもぞもぞとシャツを脱ぐ。クヅキの痩せた体が露になった。


「んー」


 痛そうに腕をさする。ライドウに最初に掴まれたところが真っ赤になっている。


「え、大丈夫ですか?」


「んー。大丈夫。痛いけど。大丈夫」


「え。あ、えっと、アイスとか? なんか冷やすやつ」


「あー。大丈夫。冷やしても意味ないから。ライドウがちょっと強く魔力入れただけだ。いいよ、別に」


 たぶんライドウ自身は魔力を入れたつもりもない。


「タツミ、そこに掛けてある服、取って。どれでもいいから」


 頼まれてタツミはポールハンガーの服を適当にとる。掛けてある服が少なくて、迷うほどの選択肢がない。


「パンツも。引っかけてある袋の中にある」


 はいはいとタツミはパンツも取ってやった。

 クヅキはぽいぽいと脱いだ服やパンツを床に放り出す。

 タツミはそれを拾って丁寧に畳んだ。


「どうせ後でライドウが干すから。そのままでいいって」


 すっかり着替えて人心地ついたクヅキが言う。

 タツミは良くないと思う。


「タツミ」


 畳んだ服をベッドの上に重ねていたタツミは、クヅキに名前を呼ばれた。

 顔をあげると、クヅキはぼんやりした顔を窓の外へ向けている。


「……ごめんタツミ。昨日は別にお前を騙そうとか利用しようとか、そういうつもりじゃなかったんだけど」


 クヅキも気がとがめているらしい。

 目を合わせることなく、ごめんと小さく繰り返した。


「いえ、あの、別に。俺、そんな、気にしてないんで」


 本当は少しだけ傷ついた。でもタツミはそう答えた。

 クヅキが顔を向ける。ようやく薄黄緑色の綺麗な目が見えた。


「……じゃあ、次また逃げるの手伝って」


「それは、ダメです」


 むうとクヅキが顔をしかめる。

 どさくさ紛れになに言ってるんだこの人、とタツミは思う。


 きっとクヅキは次をどうやって逃げるか、考えている。

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