18 タツミくん、猫見つける


 朝の門は登校や出勤の人でごったがえす。

 タツミもそれは知っていたから、昨日と同じぐらい早く家を出た。


 家に一番近い門から裏町に近い門への切符を買って、転移時刻とゲート番号を確認。まだ人の少ない構内をのんびり歩く。


 転移門を使った転送は専任の運行士たちによる大魔術で、タツミはそれに乗っかるだけでいい。自分の魔力はまったく消費しなくていい、とても便利な乗り物だ。


 定刻通りの転移に乗って無事目的の門へ到着。

 その早さ楽さときたら徒歩の比ではない。しかも門賃だってそれほど高くはない。


 ……タツミ以外は皆気づいている。こんな便利な交通機関があるのだから、通勤のための空飛ぶ紋衣とか要らないだろう。そういうことだ。


 改札を抜けて、やや早すぎる時間をどうしようかと考えたタツミは、切符を買うとき券売機で領収証を出し忘れたことに気づいた。

 その買った切符も改札機に回収されている。困った。


 慌てて窓口へ走り、係のお兄さんに相談。切符がないならどうにもならないと真っ当な対応をされ、利用履歴の残るスマートカード購入を勧められ、タツミは迷い、発行には500円と言われ、領収証が出るか聞いたらデポジットなので出ないと言われ、やっぱり悩んでデポジットてなに?などというやり取りに時間を取られ、気づけば昨日より遅い時間になっていた。


 遅刻になるわけでもないが、なんとなく慌てて工房へ向かう。


 裏町のパン屋の横の階段を上った先。今日も入り口の部屋には誰かいるんだろうか。そう思いつつ、ひょっこり覗いた。


 仁王立ちしたライドウがいた。

 恐い顔で入り口をにらんでいた。


「はわ」


「あ? なんだ、タツミか」


 人影に反応するも、すぐにタツミだと気づいて息をつく。

 その様子は非常にご立腹のようである。

 タツミはおののいた。


「すみませんおはようございます」


「ああ。おはよう」


 ライドウがやや不機嫌に挨拶を返すも、タツミは戸口から顔だけ覗かせてなかなか動かない。


「なにしてんだお前。早く入ってこい」


「え、あ、はい」


 タツミは慌てて入り、そそくさとライドウの横を通り抜けようとした。

 それを「お前」とライドウが止める。


「お前昨日、クヅキを外に逃がしただろ」


「え?」


 ライドウが咎める視線を向けてくるが、タツミには事情がさっぱり分からない。

 ただライドウの、家猫が外に逃げたとでも言いたげな口振りが気になった。


「別に、俺、逃がすとか」


 ややムッとして答える。


「逃がしたんだよ。クヅキが出られないように閉めておいた扉から。あいつを出しただろ、お前が」


「それは、でも」


 確かに昨日帰るとき、タツミはクヅキと一緒に扉を開けて外へ出た。

 けれども別に鍵がかかっていたわけでもないし、ただたまたまタツミが開けただけのはずだ。


 ライドウがため息をついた。そして後ろの扉を指さす。


「なぁ、タツミ。扉は閉まってる?」


「どうって」


 ごくごく一般的な扉である。


「扉と壁を、こう魔術で癒着させて」


「だよな。開けるときは魔力で癒着を解くよな?」


 しかし魔術というほど大層なものではない。ただレバーを捻れば子供だって簡単に開けられる、そういうものだ。


「クヅキは違う。魔力がなければ開ける術もない。閉まってる扉は壁と同じだ」


 タツミはやっと気づいた。言われるまで思いもしなかった。


「でも、じゃあ。ここの扉がみんな開けっぱなしなのって」


「クヅキが歩き回れるようにだ。扉をひとつで閉じ込められるからな、あいつ。犬猫と変わらん」


 クヅキがそれをタツミに言わなかったのは、たぶん言いづらかったからだ。


「でも。それでも。確かに俺、昨日の帰り、扉を開けてクヅキさん、出しましたけど」


 クヅキは扉が開けられないかもしれない。しかしクヅキは犬猫ではない。

 いくら外がクヅキにとって危なかったとしても。だからといって閉じこめていいわけではない。


「クヅキさんが出たからって、逃げたなんて」


 イライラとライドウが言う。


「逃げたんだよ。昨日はあいつのシャワーの日だったから。シャワーが嫌で」


「……へ、シャワー?」


 あれ、なんか、思ってたのと違う。とタツミは思った。


「そう。シャワーから逃げた」


 クヅキはシャワーが嫌いだ。

 シャワーは魔力を洗浄力に変換し、それを浴びることで体を洗うものである。クヅキには使えない。だから代わりにライドウが洗う。

 他人の魔力が体にまとわり付いてくるのをめちゃめちゃ嫌うのだ。


「でも洗わず不衛生にするわけにもいかないだろ。病気にでもなったら困るのはあいつだ」


 魔力がないとばれるから、ほいほいと医者に診せるわけにもいかないのに。

 ライドウとしては、せめて週に二回は洗いたい。けれど嫌がるので仕方なく一回で勘弁してやっている。その一度から逃げた。


「……分かり、ました。ええと、俺、すみません。たぶん、逃がしたの俺ですね」


 タツミがしょげた。

 ライドウもあんまり苛立ってひょっこり現れたタツミを責めてしまったが、どう考えてもタツミが悪いのではなくクヅキが悪い。


「いや、いい。お前は悪くない。クヅキが巧妙だった」


 ライドウが上にいる隙を狙い、タツミの帰宅を隠れ蓑に扉を抜けた。

 しかもそれだけではない。あのとき二階にはモズクがいた。モズクがいればクヅキが出るのを見逃したりはしない。そう思っていたからライドウも油断していて騙された。

 ところが頼みのモズクは、そのとき帳簿に向かっていた。タツミの、原価計算には繰り入れられない人件費をどう処理するか思案しながら。


 タツミを見送って出たクヅキが戻らない。そうモズクが気づいてライドウに伝えに来たとき、クヅキの逃亡から10分以上の時間が経っていた。影も形もなかった。


「……え、あの5000円……」


 喜んで受け取った手当が逃亡のための策だったと知り、タツミの心中は複雑になる。

 タツミはクヅキに利用された。


「で、あの、その逃げたクヅキさん、は?」


「分からん。一晩帰ってこなかった」


「え、大丈夫、ですよね?」


「まぁ、多分な。一応あれで用心深いから、危ないことはしてないだろ」


 そして仕事の時間になれば戻ってくるはずである。

 それでライドウはここで待ち構えていた。そこへタツミが先にのこのこやって来たのだった。


 ライドウが、はぁと大きなため息をついた。

 天井を仰ぎ、そしてタツミを見る。


「ところでタツミ。今朝は食べてきたか?」


 タツミがぎくりとする。

 今日も家では食べてきていない。来る途中もらったお金でなにか食べようかと思ってはいた。

 でも時間がなくなったので、つまりなにも食べていない。


「朝ごはん、は大丈夫です」


「その大丈夫は食べたって意味か食べてないって意味か、どっちだよ」


 ライドウに突っ込まれ、タツミがうっと詰まる。


「あ、えと。その、食べてはない、です」


「隠すな、意味ないから」


 ライドウからしてみれば、クヅキが家猫ならタツミは野良猫だ。

 どっちも欠食児童のくせして食べようとしないので本当に厄介である。


「う。すみません」


 ライドウは戸口へちらりと目をやった。クヅキが帰ってくる気配はない。


「来い、タツミ。朝飯食べさせてやる」


「す、すみません。でも、クヅキさんを」


「大丈夫だ。帰ってくれば分かるから」


 昨日はまんまとクヅキにしてやられたが、さすがに外から入ってきたやつを見逃すほどライドウもぼけてはいない。


「あんまり帰ってこないようなら、モズクに探しに行ってもらうしな」


 うっかりどこかで閉じ込められているかもしれない。本当に手間をかけさせるやつだ。


 ライドウはタツミを連れ、四階へ階段を上がる。


「で。タツミ、昨日の夜はちゃんと食べたのか?」


「あ、昨日は、俺、ちゃんともらったお金で食べました」


 帰りがけに牛丼屋で並盛りを食べた。魔力をたくさん使っていたタツミはお腹がすごく減っていたのだが、お金を大事にしたかったので悩んだ末に並盛りを注文した。

 ……結果やっぱり足りず、もう一杯並盛りを食べた。

 トータル大盛りよりも食べた。


「そうか。ならいいが」


 タツミとしては、昨日はしっかり食べたし、転移門のおかげで楽ができたし、朝ごはんを一回食べそこなうぐらいなんということもない。

 だから、「大丈夫です」だ。


「……クヅキといいお前といい。俺はお前らのその食意識から叩き直してやりたいわ」


 どうやらライドウの仕事の先は長そうだ。

 ダイニングに入ったライドウは、水の入った寸胴鍋を熱にかける。


「今朝はクヅキがいないからパスタだ。茹でるからちょっと待ってろ」


 先に野菜の塩スープを用意してタツミに食べさせる。

 どうやらタツミには好き嫌いがないようだ。野菜のごろごろ入ったそれを実に美味しそうに食べる。


 その間に茹で上がった麺をソースと絡め、お手軽パスタができあがる。


「ブロッサのリクエストでキノコとアンチョビのパスタだ」


 タツミ仕様の山盛りで出してやると、タツミはひゃあと嬉しそうな声をあげた。


「クヅキさんって、パスタ嫌いなんですか?」


 タツミは好きだ。


「いや、どっちかつーと麺類はつるつるよく食べる」


「じゃあなんで、クヅキさんがいないからパスタ、なんですか?」


 ぐるぐる巻き取ったパスタを頬張ってタツミが聞く。


「麺類は麺ばっか食べるだろ。栄養が偏る」


 でも今日はクヅキがいないので、遠慮なくお洒落パスタとオール塩味メニューである。普段なら絶対出さない、健康クソ食らえ献立だ。

 クヅキなんか帰って来て食べられなかったことを悔やむがいい。


「なるほど。でも昨日のご飯も美味しかったです」


「そりゃまぁなぁ。でもたまには旨塩!みたいなのも食べたいだろ」


「それは、そうですね」


 それにしても、クヅキは昨日ちゃんとどこかでなにか食べただろうか。パスタをペロリと平らげてタツミは思う。


「タツミ、お前それ、足りたのか?」


 ライドウがきれいに片付いた皿を見て言う。タツミは満足げな顔でうなずいた。


「はい、もう十分です」


 さすがに昨日からきっちり食べているので、タツミもそこまで飢えていない。


「そうか。じゃあコーヒーでも淹れるか」


 ライドウが席をたつ。


「それともお茶がいいか?」


「ええと、じゃああの、コーヒーお願いします」


 うなずきかけたライドウが、「あ」と声をあげる。

 足元へ視線をやった。


「帰って来た。クヅキ」


 手に取りかけていたマグを戻す。


「悪い、コーヒー後でな。先にクヅキ捕まえて洗う」


「あ、はい」


 せわしなく出ていく家政夫を見送ったタツミは、急に思いついてライドウの後をついていくことにした。

 昨日クヅキはタツミをダシにして逃げたのだ。文句は言えないまでも、恨めしい視線のひとつも送ったっていいだろう。


 降りていくライドウがクヅキと鉢合わせたのは三階だった。


「クヅキ! お前!」


 こっそり帰ったのに早々に見つかって、クヅキはぎくりと肩を小揺るがす。

 仕事部屋へ逃げる体勢で首だけ振り返った。


「……あーライドウおはよー……」


「なにがおはようだお前。逃げただろ、昨日」


「えー。逃げたって。なにが?」


「シャワーの日だ。シャワーから逃げたな」


 じりじりと詰め寄るライドウとじりじり離れるクヅキの間に火花が散っているようだ。

 タツミは少し離れた物陰から安全に行方を見守る。


「あれ、そうだっけ? そりゃごめん。うっかりしてた」


「とぼけんな。分かってて逃げたくせに」


「だからごめんて」


 ライドウとしては、逃げたことを謝られたところでそれはとりあえずどうでもいい。


「ともかく、お前今からシャワーな」


 クヅキは驚いた顔で叫んだ。


「ええ!? 無理無理無理! 今から仕事だし」


「知るか。昨日の夜逃げたお前が悪い」


 そう言われ、でもクヅキは観念しなかった。

 ばっと逃げたした。が、ライドウは逃がさなかった。

 魔力で脚力を強めて一気に間を詰める。クヅキの腕を掴んで捕まえた。


「ィつっ。ちょっと、やめろ。放せ」


 なおクヅキが暴れて逃げようとする。

 ライドウは軽く力を入れてクヅキを引き倒した。腕と頭を床に押さえつけて拘束する。


 普通の人間は、ほぼ無意識に魔力で筋力や瞬発力を強化できるのだ。それができないクヅキが敵うわけがない。

 潰されたクヅキが悔しそうに喚く。


「放せ。ボケ、カス、ハゲ、でべそ」


「小学生か。洗わなきゃ汚いだろ。もう一週間だぞ、お前」


 ライドウも我慢の限界だ。これ以上クヅキに汚い状態でいられるのは堪らない。それゆえの苦渋の実力行使だった。


「汚くないし! ちゃんと毎日水で体洗ってるし!」


「水なんかできれいになるわけないだろ、バカ」


 よっこいしょとライドウが荷物を脇に抱えるようにクヅキを雑に抱える。

 諦めの悪いクヅキがぱたぱたと暴れて抵抗するが、そんな無力な抵抗ではライドウはびくともしない。


「あ、悪いタツミ。そのサンダル、拾って持ってきてくれるか。ついでに洗う」


 ライドウが暴れるクヅキから脱げたサンダルを指さす。物陰に隠れていたタツミにちゃんと気づいていたらしい。


「あ、はい」


「うう。シャワーやだ。タツミ、助けて」


 引きずるように四階へ運ばれながら、後ろ向きのクヅキがタツミにすがってくる。


 確かにライドウのやり方は乱暴だ。

 タツミも魔力が少なくて操作も下手で身体強化は苦手だ。だから強い人間に押さえつけられる惨めさは身をもって知っている。

 だが。


「……クヅキさん、昨日、俺のこと利用して逃げた、んですか?」


 ちょっと同情できない心持ちだった。恨めしげな視線を返す。

 クヅキは「うっ」と言い詰まった。


「それに、シャワーは浴びた方がいいと、俺も思います」


「そうだクヅキ。逃げなきゃすぐ終わる」


 クヅキはよほどシャワーが嫌いなのだろう。口々に諭されても観念する気はないらしい。

 シャワー室に放り込まれるまでずっと無駄な抵抗を続けた。


 そんなクヅキの必死な姿にどこか既視感を覚えて、タツミはなんだったかなと考える。

 思い出した。タツミの家の猫を兄がシャワーへ連れていこうとするとき。猫が同じように暴れていつも大騒ぎになる。


「…………」


 タツミはうっかり雇い主を猫だと思ってしまったが、たぶんこの場合は仕方がない。

 まぁでも。口に出しては言わないように気を付けておこう。

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