17 タツミくん、逃がす
「クヅキサン。おはようございます!」
アリスにとっては最悪のタイミングで雇い主が現れた。
なんとか場を取り繕えないかと願いつつ、慌てて笑顔で挨拶する。
「ん、アリス。おはよう。今から仕事か? 昼間ガッコなんだろ、無理するなよ」
「いえ、大丈夫です! 学費稼がなきゃだし」
「そか」
それだけのやり取りでクヅキはタツミの方へ向いてしまう。
あああと唸るアリスには気づかない。クヅキは小さくなっているタツミに「おい」と声をかけた。
「お前、ぜんぜん音沙汰ないから、もう帰ったのかと思った。まだいたんだな」
「あ、はい。そろそろ、終わろうかとは思ってたんですけど」
のろのろとタツミが顔を上げる。
クヅキは机の上に散らばった端切れを見た。
「これ全部縫ったのか、タツミ」
「あ、はい。あの、どう、ですか?」
一個一個拾い上げ、クヅキが検分する。タツミはそれをじっと見守った。
「んー。たくさん縫ったな。出来も初日にしては及第点だ」
別段褒められた出来ではないが、それでもタツミはクヅキの想定を上回る成果を上げていた。
というか、クヅキがちょっとタツミを低く見積もりすぎていた。
大した仕事もできずになんだかクヅキに褒められているっぽいタツミをアリスが後ろからにらむ。
「……ありがとう、ございます」
ほっと安堵の息をついたタツミは、にらむアリスには気づかなかった。
もちろんアリスに背を向けているクヅキからも見えない。
「ミシン、使ってみた感じはどうよ?」
クヅキにそう聞かれ、タツミは考えた。
タツミのミシンはとても遅いし、速度の調整もまともにできない。
たぶんこれでは駄目だろう。仕事の役には立たない。
ちゃんと正直にそう言わなくてはならない。
そう思ったのに、タツミの口からは違う言葉が漏れた。
「俺、たぶん、ミシン好きかも、です」
出来が悪いのは分かっているが、ミシンを動かすのは面白かったし楽しかった。
「ふうん。そりゃ良かった」
昼はあんなにミシンにびびっていたタツミがなんだか嬉しそうにミシンを撫でている。クヅキはそれを不思議そうに眺めた。
「良かったけど」
クヅキは苦笑する。
「いくらミシンが好きでも、ちゃんと刺繍も覚えてくれよ?」
「あ、はい。それは」
たとえミシンが好きになっても、タツミの能力では大した仕事はできそうもない。
もちろん頑張って刺繍も覚えるつもりだ。
「く、クヅキサン、私も! 私も刺繍する! やらせてよ!」
アリスが後ろで勢いよく手を上げる。クヅキはしかめ面でそれを振り返った。
「だぁからお前の魔力じゃ高すぎて駄目だって言ってるだろ! お前は刺繍はダメ!」
「なん、なんで。やれるし! ちゃんと絶縁手袋すれば、だ、大丈夫だし」
「大丈夫じゃない。危ない。お前の魔力は高すぎる。いくら割りがいいからって駄目だ」
クヅキに言われ、アリスの目がわずかに涙ぐむ。
別に危険な刺繍の報酬が良いからやりたいわけではない。クヅキはなにも分かっていない。
「お前はミシン動かしてろ。あと縫製でも! 危ない布の縫いあわせはほんと気をつけろ。あんまりやるな。じゃなきゃ辞めさせるぞ」
クヅキとしては心配だからこそ言っているのである。なんせアリスの魔力はA判定もある。この工房のお針子の中でも随一だ。
できればお針子なんて辞めさせたいぐらい魔力が高い。高すぎる。
「う、うー。わぁかった、から!」
涙目でむくれてアリスが背を向ける。
クヅキはため息をついた。
そんな二人のやりとりをタツミは首をすくめてやり過ごしていた。
本当に魔力が高いって理由で辞めさせたりするんだな、と思いながら。
「タツミお前、今日はもう上がるだろ?」
窓の外、空は赤く染まり始めている。
日が沈んでしまえば、裏町は闇に沈む。
「あ、はい。帰ります」
タツミにとって家に帰るのはあんまり楽しいことではないが。
「よし。じゃあ片付けるぞ」
クヅキが手伝ってくれて、タツミはミシンを片付けた。
ぞくりとする視線を感じて振り返ると、アリスにすごい形相でにらまれている。
なんなんだろう。タツミのなにが気にくわないのだろう。
タツミは考えてみるが、心当たりが……ありすぎた。こういうときは、大抵みんなタツミの存在がもう気にくわないのである。
できるだけアリスの視界に入らないようにしよう。そう思うが、アリスがタツミの動きを追ってにらんでくるので逃げようがなかった。
「あ。アリス」
ふと何を思いついたのか、クヅキが急にアリスを振り返った。
アリスは慌ててタツミから視線を引き剥がし、笑みで取り繕う。
それはあまり上手くなく、クヅキはやや首を傾いだ。
「……お前。いや。帰りが遅くなるなら一人で帰らないで、ライドウとかモズクに送ってもらえよ、ちゃんと」
女の子が夜に一人歩きなどしていたら、なにをされるか分からない街だ。
しかし出された名前がライドウやモズクだったことが気にくわず、アリスはむすっとした。
「全然大丈夫ですー。生まれ育った街なんで。自衛もできるし」
「そうは言ってもな。危ないものは危ないだろ」
「……そこまで言うんだったら、クヅキサンが送ってくださいよ」
むくれたアリスが言う。
クヅキは困った。送れるものなら送ってやるが、そうもいかない。
一人歩きよりかはマシかもしれないが、
アリスの方がよっぽど強いだろう。
とはいえ、クヅキに魔力がないことなど、ほとんどのスタッフには隠している。
それを言うわけにはいかない。
「……ライドウの方が強いから、我慢して送ってもらえ」
アリスが傷ついた顔でそっぽを向く。
これは今日も遅くに一人で帰ろうとするだろうな、と思う。
まあでも、ライドウが出ていくアリスに気づけば、勝手にモズクを付けるだろう。
「よし。下まで送る、タツミ」
「え、あ、はい」
部屋を出るタツミは、アリスに呪詛でも含まれてそうな視線でにらまれた。
なんというか、ブロッサと違う意味で、怖い。
できればあんまり会いたくない相手になった。
「あの、でも。別に、俺、見送ってもらわなくても」
階段をついて降りてくるクヅキを振り返り、タツミは言った。
「ん、下に用があるから。ついでだ」
口許に笑みを浮かべてそう答えたクヅキは、なんだかそわそわしているようにタツミには見えた。
一体なんだろうか。あるいは、タツミに早く帰って欲しがっているようでもある。
この後なにかあるのかもしれない。タツミには知られたくないなにかが。
寂しい疎外感はあるが、そうは言ってもタツミは今日来たばかりの新人だ。そういうこともあるだろう、当たり前に。
なにも気づいていないフリをして、さっさと帰らなければならない。
二階を出口へ向かって足早に行こうとするタツミを途中でクヅキが呼び止めた。
「タツミ、ちょっとだけこっち」
二階の奥、まだタツミが足を踏み入れていない方へクヅキが招く。
早く帰らせたいのかそうでもないのか、よく分からなくなりながらタツミはついていく。
クヅキの向かう先は、開け放たれた戸口から明るい光のあふれる部屋だった。
「モズクー」
声をかけながらクヅキが入っていく。後を追ったタツミは、思わず入り口で足を止めた。
なんか、なんかまぶしい!
目をしばたいて、改めて部屋を覗く。
なんか金の山があったなんだこれ。
部屋の隅の机に向かっていたモズクがクヅキを振り返る。
「
ついでタツミを見る。
「ごいんごっと」
謎の言葉を口にした。
「モズク、しっ! で、タツミに交通費出してやって」
タツミはもう一度まぶしい山吹色の山を確認した。
……やっぱりある。見間違いじゃない。なんか金がわんさと積んである!
ここは、モズクがいるここは、金庫番のモズクがいるこの部屋は、つまり金庫。
金庫の扉もフルオープンな素敵な工房だった。
「交通費には領収証」
「ないよ。じゃあ今日の手当て扱いでいいよ」
「ん。作業報酬書」
「ないよ。今日は見習い日当をつけると俺が今決めた」
経営主がめちゃくちゃな主張を通す。モズクは不承不承うなずいた。
「分かった。いくら?」
「んー。今日帰ってまた来る門賃は欲しいから。じゃ5000円」
またうなずいたモズクが引き出しからぴらりと五千円札を取り出す。
「いやハダカて。封筒とかないの?」
「入れてもどうせすぐ出す」
「まぁそうだけど」
モズクに情緒はない。
そのままタツミに差し出した。
タツミは「え?」と固まる。
やり取りは見ていたが、本当にこのお金は自分が受け取っていいものだと思わなかった。
「ん」
さらに突き出され、慌てて受け取ってしまう。困ってクヅキとモズクを見比べた。
「タツミ、それでちゃんと今日は転移門使って帰れよ。あと、次来るときも転移門使って来いよ。それから、腹減ったらなんか食べろよ」
「え、でも、こんなには」
どう考えても5000円は多い。
「必要経費だ、そんなもん。次からは5000円なんかじゃ渡さないからな。門の切符の領収証持ってこい。そしたらモズクがその分払い出すから」
5000円をそんなもんと言い切るクヅキの背後には金の山があって、タツミもうっかりそんなもんかと納得させられる。
「あ、ありがとうございます……」
なんかよく分からないが、たぶんまだ全然働いてないが、お給料をもらってしまった。
「ああ、いいけど。やっぱなんか金塊よりありがたそうだな、お前」
クヅキは釈然としない。
その後ろでモズクが帳簿にタツミの給料をせっせとつけ始める。
まぁ違法闇業者なので別に法人所得の申告も納税もしはしない。経営健全化のための帳簿である。
「さ、暗くなる前に出るぞ」
クヅキに押されるようにしてタツミは出口へ向かう。
「あの、ところで」
押されながらタツミは聞いた。
「二階に金庫があるって……危なくないですか……?」
あの金の山を見てしまうと、無防備な気がしてドキドキする。しかも扉は開けっぱなしときた。
「そんなことないぞ。二階にはモズクとライドウがいるからな」
ああ。とタツミはなんとなく納得した。よくは知らないが強そうだ、あの二人は。
そんな二人を二階に配置したこの工房は、実は見た目以上に堅固なのだ。
タツミは入り口の部屋、ライドウの私室とかいう部屋の扉の前まで来た。
というか、工房へ入ったらすぐライドウの部屋、という事実だけで、ここの防備のヤバさに気づくべきだった。
「開けろ開けろ」
後ろでクヅキがせっついてくる。
そういえば珍しく扉が閉まっている。今朝がたライドウと上へあがるときに閉めろと言われて閉めたのはタツミだった。
「ノックとか?」
「いらんいらん」
一応私室なら開けたらまずいだろうと聞くと、クヅキはそう言う。
「今はライドウ上だ。誰もいない」
そうか、それで防犯のために閉めたのかな、となんとなくタツミは思う。
タツミがレバーをひねると、扉は特に鍵もなく開いた。……防犯の意味はないかもしれない。
「ほらほら、早くしないと暗くなるぞ」
クヅキはやはり押してくる。しかも扉を閉めずについてくる。
なんとなく、なんとなくだが閉めた方がいいのではないか。タツミはそう思って、わざわざ戻って扉を閉めた。
「……お前、お行儀いいな」
なぜかクヅキが感心したふうに言う。
「いえ、あの、なんとなく」
クヅキが閉まった扉を振り返り、にやりと笑う。どういう意味の笑みなのか、ちょっといたずらでもしているような顔だ。
「さ、ほら。気をつけて帰れよ」
階段への扉は相変わらず開け放たれていた。
もうタツミにはよく分からない。ただ開いていた扉は閉めるな、というクヅキの言葉は覚えていたので、そういうもんかなと思う。
クヅキは丁重にも階段下まで見送りに出てくる。
「あの、ありがとうございます。その、気をつけて帰ります」
「ちゃんと転移門使えよ」
「あ、はい」
下へ降りてちらりとパン屋の店先へ視線をやるが、当然そこに朝の死体はない。
「……タツミ、あんまり見るな。なかの大家と目でも合ったらことだぞ」
「……そ、うですね」
クヅキに見送られ、タツミはそそくさとその場を離れた。
少し歩いてから振り返ると、まだクヅキが階段から見送っている。
タツミが見えなくなるまでそこに立っているつもりかもしれない。
タツミは足を早めた。
このときの自分がクヅキの逃亡の手助けをさせられていたことを、タツミはまだ知らない。
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