16 タツミくん、踏む
麗しき女子たち(もちろんお世辞)に囲まれてタツミのミシン修行は始まった。
「ここには職業用ミシンも工業用ミシンもあるけれど、ひとまず家庭用で練習しましょう」
ヒナコが言う。言いながら隅の机にてきぱきと一台のミシンを設置した。
タツミも見たことのある形でそれほど大きくないミシンだった。いわゆる、ふつーのミシン。可愛いピンクの花柄までついている。
「家庭用ミシンはとにかく一台でいろいろな縫い付けができて手軽で便利なの。ただ、貫通力は弱くて縫い目も雑になる」
説明しながらヒナコは手早く上糸と下糸をかけた。
あまりに早くてタツミにはなにをしたか分からなかった。
「今日は上糸も下糸もわたしがかけてしまうから、糸のかけ方はおいおい覚えて」
翻訳すると、今それをタツミに教えて覚えさせるようなヒマはない、だ。
ヒナコはタツミをミシンの前に座らせる。
それからたくさんの端切れを持ってきた。
「このダイヤルで縫い模様が変わるの。ダイヤルに数字と縫い目の絵が描いてあるから分かりやすいでしょ。まずは基本のまっすぐ左寄せ中目」
右についた大きなダイヤルをぐりぐり回してヒナコが「3」にした。絵は点線っぽく見える模様だ。
「ともかく一回縫ってみましょう。この端切れの縫い始めたい位置を針の下へ置いて。レバーで抑えを下ろして」
ヒナコがすぐ横で次々指差すので、とにかくタツミは言われた通りにする。
「車を手で回して針を下ろす。これで準備おーけー。足下にフットコントローラーがあるでしょ。そこへ魔力を流し込めば動くから。魔力量でスピードを調整してね。はい、スタート」
手をぱんと叩かれて、タツミは慌ててコントローラーへ足をのせた。
足で流す魔力を調整するのは難しい。タツミはベタ踏みした。
「あわわわわ」
うぃんごうぃんごうぃんごとミシンが突然動いてタツミは焦る。足を離した。
当然ミシンは止まる。
「う、動いた!」
「そういうものだから。ほら、もう一度やってみて」
次は気をつけてフットコントローラーへ魔力を流す……つもりでやっぱり調整できずに思いっきり流しこんだ。
うぃんごうぃんご動くミシン。
焦りつつもタツミは踏み続ける。
「手を添えて、そっと布を送ってあげて」
うぃんごうぃんご縫われていく布を慌ててタツミは押さえた。
「強く押さえちゃダメ。布がまっすぐ進むように支えるだけ」
確かになにもしなくても布は勝手に進んで縫われていく。
「おお、すごい」
「こういうものだから。あんまりゆっくりでもまっすぐ縫うのが難しくなるし、もう少し魔力を入れてみて」
「え?」
「え?」
タツミの動かすミシンはうぃんごうぃんご動いている。
「えっと。すみません。これで全力、です」
「え?」
「え?」
ミシンはうぃんごうぃんご動いている。
「……全力? ほんとに?」
「……はい」
うぃんごうぃんご動いていたミシンが止まった。タツミが止めた。
タツミとヒナコは隣の机でおばちゃんが動かすミシンを見た。
おばちゃんのミシンはガガガガガガとものすごい早さで動いている。
「……そう。全力だったの」
「……はい、すみません」
己の無能さにタツミはへこんで小さくなった。
タツミは魔力が低いのね、と思ってヒナコはうーんと唸った。
ヒナコも自慢できるような魔力量ではない。けれどもそれと比べても、これはひどい。
「んー。ま、大丈夫。家庭用ミシンは機能が複雑で魔導効率が悪いの。工業用ミシンとかはもっと少ない魔力で楽に縫えるようになっているし」
タツミの魔力でももう少し早く縫えるだろう。たぶん。
「あと、魔力の流し込みかた。これも慣れでもう少し強くできるようになるから」
たぶん。恐らく。
「とりあえずそのスピードでまっすぐ縫えるようになること、糸の調子を調整できるようになること、いろいろな縫い模様に慣れること、この三つが当面の目標ね」
そう言いながらヒナコが二つ折りにした端切れにまっすぐな線をたくさん引き、横に数字をいれていく。
「この模様番号の縫い目でこの線の上をまっすぐ縫う練習をして。できたものはクヅキに見てもらうこと。あと、分からないことや困ったことがあれば」
隣の机のおばちゃんを示す。
「リーリエや」
おばちゃんは嬉しそうにタツミへ手を振ってくれた。
ヒナコが今度は後ろのお姉さんを示す。
「アルに聞いて」
お姉さんは仕事に集中していて気づかなかった。
「は、はい」
「あと、くれぐれも指は縫わないように」
「ゆびっ、は、はい!」
緊張で力みの入った返事を聞いてヒナコは心配になった。が、これ以上タツミに割ける時間はない。
「魔力を急に消費すると疲れるでしょ。休み休みやってね。それじゃあわたしは戻るから」
周りの何人かにタツミを頼み、ヒナコは出ていった。
ミシンと一対一で向き合って、タツミは深呼吸した。
ミシンは動く。が、確かにけっこう疲れる。
「ちょっとちょっとタツミくん!」
隣のおばちゃんに声をかけられ、タツミは驚く。
「は、はい」
「飴ちゃん舐める?」
ミシンの横に飴を置いてくれた。
「あ。ありがとうございます」
「チョコもあるよ」
後ろから別のおばちゃんがチョコの包みを置く。それどころかあちらこちらから、あれもこれもとお菓子やお茶が差し出された。
「え、あ、ありがとうございます」
しかもみんな口々に名前を教えてくれる。タツミには到底覚えきれない。目を回しそうだった。
「タツミくん、若いでしょ」
「男の子が来てくれて嬉しいじゃない」
「分からないことがあったら遠慮なく私に聞いて」
「あり、ありがとうございます」
タツミは、母親ぐらいの歳の女性と話すのがものすごく苦手だ。どうしても心臓がきゅうきゅうと締めつけられる。
しかし、ここの人はみんな優しい。
「え、いくつなの?」
「学生さん?」
「お裁縫好きなの?」
矢継ぎ早の質問攻めにあう。
その間もおばちゃんたちは一人残らず口と同じ早さで手を動かしていて如才ない。
タツミが「へ」とか「ほ」とか「ふ」とか答えられずにいるうちに、さっさか話し勝手に納得しちゃきちゃき次の話題に移っている。
恐るべき話術だ。
「…………」
そしてタツミは覚った。
これは適当に「へい」とか「ほう」とか相づち打ってればいいやつだ。
そうしているうちに、彼女らの間で謎のタツミ物語が完成し、なぜかよく分からないが「つらいだろうけどがんばるのよ!」と激励された。
どういうことだか彼女らによると、タツミには末期がんの恋人がいるらしい。
さすがに訂正しないとまずいと思うが、おばちゃんたちはすでに昨日の特売キャベツが痛んでいた話をしている。
タツミが口を挟めそうもなかった。
気を取り直してタツミは改めてミシンに向き合う。
ときどきおばちゃんたちからタツミに話題が飛んでくるが、タツミが「ぴ」とか「ぱ」とか言っているうちに話題は移っていく。
申し訳ないが流すしかない。
ヒナコが用意してくれた端切れをミシンにセットする。縫い目はさっきと同じ点線みたいなやつだ。
ヒナコの引いた直線の上を縫う練習である。
タツミはそっとフットコントローラーへ魔力を流した。つもりでやっぱり全力ぶちこみになった。
ミシンがうぃんごうぃんご動く。急に動いてタツミはびっくりするが、端から見るとゆっくり慎重に動かしているようにしか見えない。
タツミがコントローラーから足を離してミシンを止める。本当は足を離さなくても魔力を止めればミシンも止まるのだが、魔力の調整が苦手なタツミはどうしても足を離して止めてしまう。
あまりの能力の低さに絶望しながら、タツミはもらった飴を口にいれた。飴が甘い。涙が出そうだ。
「あら、タツミくん困ってる? 困ってるの?」
お世話焼きの隣のおばちゃん(タツミはもう名前を覚えてない)が声をかけてくれるが、タツミはふるふると首を横に振った。
これは、ミシンの問題ではなく、タツミ自身の問題だ。
「大丈夫、です」
鼻をすすってもう一度ミシンを動かす。
うぃんごうぃんごミシンは動く。タツミがスピードをなんとか調整しようとしても上手くいかない。ミシンはうぃんごうぃんご動く。
そんなことを続けているうちに、さすがにタツミもその遅すぎるスピードに慣れてきた。それはタツミが焦らなくても対応できるほどのスローペースである。
そして気づく。これはベタ踏みでいいんじゃないだろうか。
必死に魔力を足でコントロールしようとしていたタツミは、それをやめた。
そうするとタツミにはさらに余裕が出てくる。うぃんごうぃんご動く針の動きを見ることすらできる。布に引かれた線の上へ針が落ちるよう、見守ることだってできる。
とうとうタツミは一本の線を縫い終わった。
「で、できた!」
思わず掲げる。糸を切り忘れてがらがらと引っ張り出してしまった。
「あわわ」
「ほらほらタツミくん、糸切りましょ。どれどれ」
見かねた隣のおばちゃんが糸切りばさみで切ってくれ、タツミの端切れをしげしげと見る。
「あらほんと。縫えてる。ちゃんと縫えてるじゃない、タツミくん。すごい、ほらみんな、すごいわよ」
「わぁ、すごいすごい」
「やったじゃない」
やんややんやの喝采が起きた。
もちろんなにもすごいことはない。ただミシンで超のろくまっすぐ縫っただけである。
でもおばちゃんたちは若い男の子がミシンを使えて喜んでいるのが可愛かったので思いっきり愛でた。
褒められたタツミは嬉しくなる。
もりもりとやる気を出して、またミシンに向かった。
スピードこそ遅いものの、夢中になって端切れを縫った。
タツミは魔力の調整が下手だ。魔力も少ないから早くも動かせない。でも、ミシンはちゃんと動いて縫ってくれる。
なんだかミシンが健気で可愛く見えてきた。
途中魔力不足の休憩をはさんだものの、タツミはもらった端切れのほとんどを縫った。
その間お針子のお姉さんやおばさんたちは、「子供の迎えがあるから」とか「夕飯の支度があるから」といった感じに自由に来たり帰ったりして絶えず人が入れ替わっている。
目まぐるしすぎてタツミには誰が誰なんだかもうさっぱり分からないが、出退勤自由な職場だというのは本当のようだった。
無我夢中でやっているうちに、早くも日は傾いてきている。
もっとやっていたい気はするが、暗くなる前には帰らないと危ないとタツミも覚えている。
誰かにミシンの片付け方を聞いて、縫ったものをクヅキに見せにいこう。
そう思って顔をあげたタツミは、ちょうど部屋へ入ってきた女の子と目があった。
おそらくタツミと同じぐらいの歳だろう。学校帰りなのか、上品なデザインの制服に身を包んでいる。タツミの記憶通りなら、優秀な進学校のものだ。
ツインテールが揺れ、勝ち気そうな大きな目がタツミを見てぱちくりと動く。
「ちょっとあんた! なんで男子がいんのよ! なにしてんの!」
指をさされて大きな声で非難された。
「え、や、俺、その」
いわれのない非難、だろう。驚いたタツミが答えられずにあわあわすると、女子高生はさらに睨み付けてきた。
「ちょっとちょっとアリスちゃん。その子、新人のタツミくん」
近くにいたお姉さんが取りなしてくれた。
「はあ!? 新人? これが?」
アリスと呼ばれた女子高生は、信じられないと声をあげる。
「え、俺」
「あんた、ほんとに仕事できるわけ?」
挑発的に言いながら、アリスは無骨なミシン台をひとつ引っ張ってくる。タツミの家庭用ミシンとは見た目も大きさも違う。
てきぱきと用意し、ちらりとタツミを見てからコントローラーを踏んだ。
カカカカカッと小気味良い音でミシンが動く。
ひとしきり縫い合わせ、どうだとタツミをまた見てくる。
さすがにタツミもむっとした。
タツミだって午後いっぱいミシンを練習していたのだ。まったく使えないわけではない。
ミシンに端切れをセットして魔力いっぱいコントローラーを踏んだ。
ぅううんいんごぉ、とミシンは超低速で動いた。タツミの魔力切れだった。
「…………」
「…………え」
一瞬の間。それからアリスが吹き出した。
「ええ!? うっそ。うそでしょ!? ミシンも動かせないの、あんた!」
笑われてタツミの顔が赤くなる。
間が悪く魔力が底をついただけだ。だが、そうでなくてもタツミのミシンのスピードはとても自慢できるものではない。それは、分かっている。
そしてタツミは、おだてられて調子に乗っていたのだ。無能なくせに。
黙ってうつむいてしまったタツミを見て、アリスはやり過ぎたことに気づいた。周りの大人たちも視線で言い過ぎだと言っている。
「ちょ、ちょっとあんた! その程度でここで働こうなんて、ひゃ、百年はやいのよ! も、もっと努力しなさいよ!」
素直に謝れず、アリスは精一杯励ましたつもりだった。
しかしタツミは奮起するでも怒るでもなく、さらに小さくなった。
「ちょ。もう! えっと」
どうすればいいか分からない。アリスは慌てる。
「な、なんとか言いなさいよ!」
「あ、タツミまだいた」
そこへちょうどクヅキの声が割り込んだ。
「え、クヅキサン?」
振り返れば雇い主が戸口に立っている。
やばいと思ってアリスは顔色を変えた。
普段あまりこっちの部屋へは来ないクヅキが、この最悪な状況の最悪のタイミングに限ってなぜ現れるのか。
アリスは、クヅキに嫌な子だと思われたくはない。
べ、別にクヅキが好きとかそういうんじゃないけれども! 雇い主に嫌な子だとか思われたくないってだけだし。普通でしょ、それ!
どっかのだれかに言い訳して、アリスは唇を尖らせる。
アリスは、ちょっと強気で素直じゃなくて強情っぱりでプライドが高くて別にクヅキを好きとかじゃない、そういう普通の女子です。
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