15 タツミくん、チクる
タツミが食べ終わった食器を片付けようと見ると、クヅキはほとんど食べていなかった。
困ってタツミの動きは止まる。
「えっと、これは」
「もういらない」
クヅキの分などもともとたいした量はなかった。なのに残している。
そのあまりの少食さはタツミも心配になる。しかも残したらタツミがライドウに怒られそうだ。
「せめて、もう少しだけ」
「無理」
「そんな。おいしいのに、もったいないし」
「これ以上食べたら吐く」
そこまで言われて食べろとは言えない。
「じゃあ片付けますけど」
「よろしく」
負けたタツミは器をトレイに重ねてのっけて四階へ運んだ。
ダイニングではライドウがテーブルでのんびり雑誌を読んでいる。
タツミはライドウにからかわれないよう、気を引きしめた。
「あの。ごちそうさまでした」
ライドウが顔をあげる。
「お、タツミ。旨かったか?」
「あ、はい。おいしかったです」
立ち上がってきたライドウがトレイを受けとる。
その目がクヅキの食べ残しを見た。
「すみません、あの、もう食べれない、そうです」
「いや、半分も食べたなら上出来だ。手間かけさせて悪かったな、タツミ」
ライドウは怒らなかった。ごく当たり前のこと、というよりむしろ半分減ったことを喜んでいるようでさえある。
「……いつもこんなに食べない、んですか?」
「クヅキか? いつもってわけじゃないが、大抵食べないな」
ライドウもクヅキの少食には手を焼いている。
食欲を出させるために手を変え品を変え美味しいものを用意し、少量でできるかぎり栄養をとれるよう四苦八苦している。それだというのに。
「飯を大して食べられないくせに、隠れてジャム舐めたりするからな、あいつ」
隠しているジャムは見つけ次第即没収である。しかしクヅキも懲りずにどこかから仕入れてきてまた隠す。
「お前もあいつのジャム見かけたら教えろ」
ライドウにそう言われ、タツミは口の端をひきつらせた。
まさにさっき見かけたところだ。けれど。それはもう幸せそうに舐めていた。それをチクる勇気は、タツミにはない。
そっと目をそらした。
「あ、はい。えと、分かりました」
「…………」
じっと見てくるライドウの視線が怖い。
「あの、それじゃあ」
タツミは逃げることにした。
くるりと踵を返す。
「タツミ」
呼び止められてぎくりと立ち止まる。そっと振り向いた。
ライドウがまっすぐ射るようにタツミを見ていた。
「別に意地悪で言ってるんじゃない。クヅキのためだ」
少しジャムを舐めるぐらい好きにさせればいいと思うかもしれないが、ライドウにはそれを許せない理由がある。
「空腹感覚が壊れてるから、あいつ。お腹が空いたと思う代わりに甘いもの舐めたくなってるだけだ。止めないとまずい」
なにをどうするとそんなことになるのかタツミにはさっぱりだったが、ただライドウがクヅキのことを心底気遣っていることは分かった。
なぜだろうか。ライドウとクヅキの関係も考えれば不思議である。
魔力の高い人間は低い人間をクズだと思うものなのに。とりわけ魔力に秀でたライドウが魔力を持たないクヅキを大事にし、あまつさえ雇われ人と雇い主であるというのはどういうことなのか。
タツミは「なぜ」とはライドウに聞けなかった。ただクヅキを羨ましいと思った。
「……さっき、ジャム舐めてました。横の、引き出しにしまってて」
嫉妬に動かされてタツミはばらした。
ばらしてからしくしくと込み上げてきた罪悪感を、クヅキのためだからと言い訳して誤魔化す。
「そうか。ありがとな、タツミ」
必死で誤魔化していたタツミは、ライドウがしてやったり顔になっていることに気がつかなかった。
まぁ、気がつかなくてよかっただろう。
今度こそダイニングを離れ、タツミはクヅキの部屋へ戻った。
部屋では変わらずクヅキが刺繍する手をさくさく動かしている。
「あの。戻りました」
「おかえり」
タツミがいない間にクヅキの仕事はずいぶんと進んでいる。
机の上には修復を終えた紋衣の山ができつつあった。
ばらしてしまってよかったんだろうか、とタツミはクヅキを見て思う。
タツミの中の罪悪感がどうしても消えない。
本当にクヅキのためだと思ってばらしたのか。そう自分に問えば、答えはノーだ。
だからクヅキを裏切った気がして仕方がない。たとえ結果がいくらクヅキのためになるとしても。
「すみません」
タツミは謝った。
もう絶対に裏切ったりはしないと心に決めて。
「え? なにが?」
唐突に気合いの入った謝罪をされて、さすがにクヅキもびびる。
「え、転んで皿でも割ったのか……?」
そのぐらいしか思いつかない。
「皿は割ってないです」
「あ、そう」
よく分からなかったが、タツミがすっきりした顔をしていたのでクヅキは放っておくことにした。
「えっと。それじゃあ俺、もうちょっと部屋片付けますね」
やりかけていた仕事を終わらせようとタツミは意気込んだが、それをクヅキが止める。
「タツミ、片付けはいい」
「え」
「あとでライドウにやらせるから」
その途中で隠していたジャムが見つかって没収されることになるとも知らず、クヅキはそう言った。
「そう、ですか」
タツミはちょっとへこんだ。片付けすらろくにできないと言われた気分だった。
しかしもちろんクヅキにそういうつもりはない。
「そんなことよりお前、ミシン使えるようになってこい」
「ミ、ミシン? ミシンですか?」
思わず聞き返す。
なぜかミシンに驚くタツミをクヅキは不思議そうに見返した。
「うん。ミシン。なに驚いてるんだよ。ミシン使えなきゃ話にならないだろ、お前」
別にタツミは片付け係でもなければ雑用係でもない。クヅキとしては当然の指示だった。
しかしタツミは動揺している。
「それは、そうですけど。でも、あの、突然ミシン、ですか?」
「突然もなにも。まずはミシンだろ、そりゃ」
「え、でも、その、手で縫うとか、そういうなんかを」
タツミとしては、ミシンはなんだか敷居が高い。もっと段階を踏んでやっとたどり着けるものだと思っていた。
「あのな、ミシンの方が簡単で早いんだからな。手縫いや刺繍の習得には、たぶんすごい時間かかるぞ、お前。だからとりあえずミシン使えるようになれ」
そうしないと当分タツミは稼げないだろう。
ミシンは簡単だと言われ、タツミはさらにしり込みする。その簡単ができなかったらどうしようと思う。
なかなかめんどくさい男だった。
「俺、ミシン、できますか、ね?」
「知らんて。だからやってみろ。できないなら練習しろ」
「は、はい、そうですね」
クヅキは安易にできるとは言ってくれなかった。
「で、あの、もし俺、ミシンできなかったら……?」
「まぁそのときは、ミシン使うのをあきらめるしかないな」
その場合、苦労するのはタツミである。だからがんばれ、とクヅキは言った。
「う。はい」
「とはいえ。俺は魔動ミシンの使い方は教えられない」
「え。あ」
魔動ミシンの動力はもちろん魔力だ。魔力のないクヅキでは動かせない。
それならば、多少なりとも魔力のあるタツミはクヅキの代わりにミシンが使えなくてはいけない、とタツミは理解した。
まったくの誤解なのだがタツミがそうと気づくのはずいぶん後日だ。
クヅキはタツミを手招きした。
寄ってきたタツミの腕に修復を終えた紋衣をのっける。
「これをヒナコのところへ届けてくれ。針ついてるから気をつけろ」
「は、針?」
見れば、あっちこっちにメモがまち針でくっつけてある。
タツミはおっかなびっくりそれを持ち直した。
「渡せばヒナコは分かる。で、ついでにミシンの使い方、教えてもらってこい」
クヅキが口許に笑みを浮かべている。
「えと、ヒナコさんに、ですか?」
「誰が教えるかは知らんけど、ヒナコに頼めば適当になんとかしてくれる。たぶんブロッサのとこにいるだろ」
クヅキ、本日二度目のぶんなげだった。
タツミも若干嫌な予感はしたものの、クヅキにそう言われてはうなずくより他にない。
不安を覚えつつ、言われた通りブロッサの部屋へ向かった。
「あの。すみません」
そっと部屋を覗いた。
ヒナコはブロッサの部屋にいた。二人が振り向く。
「タツミ、なにか用?」
なにやら忙しそうにしつつも、ブロッサが聞いてくれる。
「はい、ええと。あの、ヒナコさん」
難しそうな顔でなにか書いていたヒナコが、名前を呼ばれて顔をあげる。
「わたし?」
「あ、はい。あの、クヅキさんから、これ」
持たされていた紋衣をヒナコに渡す。
ろくな説明もなく受け取ったヒナコは、しばらくそれを調べて「ああ」とうなずいた。
「うん、分かった。ありがとう、タツミ」
タツミにはよく分からない。分からないままでもいいのかもしれないが、タツミも知りたくなって聞いた。
「あの、これ、どういうの、ですか?」
「これ? 直し中の紋衣。今はクヅキが手を入れないといけない魔導紋の修復が終わったところ。次はお針子へ直しの仕事に出すから、私が修復箇所の指示書をつくるの」
タツミはなるほど、と分かった気になった。見ればヒナコの作業する机の上には分厚いファイルや図面や書きかけの指示書が広げられている。
ヒナコはめちゃくちゃ忙しそうだ。
その忙しいヒナコにタツミはミシンを教えてくれるよう頼まなければならない。
まじか。タツミは立ち尽くした。
用が済んでも立ち去らないタツミを不審に思い、ヒナコとブロッサの視線がタツミに集まる。
変な汗が出てくるのを感じながら、タツミは頑張って言った。
「あの、本当に申し訳、ないんですけど。俺、ミシンを教えてもらえって、クヅキさんに言われて」
部屋の空気が冷たく固まった。そしてぴしりと音をたてて割れたようにタツミは感じた。
「……クヅキ……っ!」
低いブロッサの声。とてつもなく怖い。
「す、すみません!」
「あとでまたぶっぱなす」
ブロッサが物騒な声で物騒なことを言っているが、タツミは怖くて何をとは聞けない。
ただ、あれ以上部屋がぐちゃぐちゃになるのはやばいな、と微かに思う。
「まあまあ、ブロッサ。大丈夫。誰かに頼むから。ほら、ついてきて、タツミ」
ヒナコは軽くブロッサをなだめ、急いでタツミを部屋から連れ出した。
確かに忙しいところへ面倒を押し付けられるのは業腹だが、それ以上にクヅキとブロッサの騒動に巻き込まれる方が面倒くさい。
「あああ、あの、ヒナコさん、ほんとにすみません」
そしてあわあわしているタツミがうっとうしい。
ええい、しゃんとしろ!と内心で思いつつ、ヒナコは優しくタツミに言い聞かせた。
「大丈夫。だから気にしないで。お願いだから、気にしないで」
タツミはヒナコの優しさに感激した。
とりあえずちょろいやつなので。
「はい。あの、ありがとうございます」
ヒナコはタツミがうっとうしくなければなんでもいい。
微笑んでうなずいた。
「タツミはミシンって使ったこと、ある?」
「ええと。家庭科の授業で使ったことは、あるんですけど。正直あんまり」
「まぁそうよねぇ」
普通の17歳男子はそんなもんだろう。
「でも大丈夫。とりあえずミシンっていうのは、誰でも簡単に縫えるための機械だから」
まっすぐ縫うだけならそれほど難しくはない。それは事実である。
実際の仕事は、まっすぐばかりではなく、立体縫製もあり、それを商品レベルで仕上げなければならない、それだけだ。
誰もがそれをできるかというと、ヒナコはそんなことは知らない。
タツミが連れていかれたのは、クヅキが大部屋と呼んだ部屋だった。
入る前からなんだか賑やかな声が聞こえてくる。
中は明るく広い部屋だった。そのなかで幾人もの女性が、若い人も年配の人もかしましくおしゃべりしながらミシンを動かしたり縫い物をしたりアイロンをかけたりしていた。
「ちょっとみんな!」
ヒナコが声をかける。
女子たちが手も口も止めずに振り返った。
「この子、新人のタツミ。よろしく」
きゃあとかわぁとかどうやらタツミを歓迎する歓声が上がるが、タツミにはなにを言われたのかまったく分からない。
とにかく一人残らず異性で、その注目を一心にあびるという初めての状況に目を白黒させた。
工房へ来て最初に会ったのはライドウとクヅキだったのだが、実は女性が圧倒的に多い職場だったのだということをタツミはようやく理解した。
「よろ、しくおねがいします」
かろうじて絞り出したタツミの挨拶にも十倍の勢いで声が返ってくる。ちょっとその圧に潰されそうだった。
果たしてこれはやっていけるんだろうか、とタツミはどこか遠く思う。
もちろん断るまでもなく、この小説にタツミのハーレムルートなんてものは、存在しない。
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