14 タツミくん、からかわれる
「昼もさっきと同じ煮込みだからな」
ライドウがフェセジャンをよそいながら言った。
「タツミ、白飯はどうする? 食べるか?」
さすがにさっきの今でそんなには食べられないだろうとライドウは聞いた。
タツミは腹に手をあて考える。あのフェセジャンは絶対白米が合う。食べられるだろう、と思った。
「いただきます」
「おう」
炊きたてのご飯がついた。
さらにライドウはやや小さな器にもフェセジャンをよそう。
「悪いがタツミ、こいつをクヅキに食べさせてくれ」
二人分のお茶をいれ、すべてを大きなトレイに揃えた。
「よし、持ってって食べろ」
「あ、はい」
昼はここで食べるわけではないらしい。
タツミはライドウと差し向かいで食べずにすんで安堵した。
ついでのような気軽さで、またライドウが固化の魔術をかける。それはお茶のときより長く複雑で、もうタツミレベルではどういう術式なんだかさっぱりだった。
「よし。解除ワードは『クヅキのあんぽんたん』だ」
「え、や、ちょ」
「うっかり間違って解除する心配がなくていいだろ。ほら行け」
変なキーワードに抗議することもできず、タツミはダイニングを追い出された。
仕方なくタツミは階段を降りてクヅキの部屋へ戻る。
「あ、すみません。お茶、お待たせしました」
「お、タツミ、おかえり。お茶お茶」
くれくれと手を出してくるクヅキのところまでトレイを運ぶ。
「……」
「あ? どうした? また取れないのか?」
「いえ、その、そうじゃないんですけど」
「じゃあ早く。お茶飲みたいから早く」
解除ワードを唱えることを躊躇しているとクヅキに催促される。
タツミは唱えた。
「く、『クヅキのあんぽんたん』」
固化は解けなかった。クヅキにめっちゃ白い目で見られた。
「ちが、違うんです。解除、のワードだからなので、ちがくて」
言い方が悪かったのかもしれない。
焦ったタツミはもう一度唱えた。
「『クヅキのあんぽんたん』!」
力を込めて。
横でクヅキがより不愉快そうな顔になるだけで魔術は解除されない。
「ええ、なんで?」
クヅキが苦虫噛み潰したみたいな顔だが、タツミだって泣きたい気分だ。
「ちょ、ほんと違うんで! ちょっと、ちょっと待っててください!」
トレイを持って部屋を飛び出した。
階段を駆け上がり、まっすぐダイニングへ入る。
「ちょ、ライドウさん!」
あ?とライドウが振り返る。その隣に昼を取りに来たらしいブロッサがいて一緒に振り返ったが、タツミにはそんなことはどうでもいい。
「これ! 解除できないんですけど!」
トレイをあげて見せる。
「はあ? ちゃんと教えたワード使ったのか?」
「はい!」
ふうむ、とライドウは顎に手をやる。その手の影で顔は薄く笑っている。
「ちょっとやってみ」
「はい。『クヅキのあんぽんたん』!」
やはりなにも変わらない。タツミはほらとトレイをさらに突きだした。
「ぷく、はははっ」
ライドウが吹き出し、そして声をたてて笑う。
タツミはきょとんとした。
「は、はは。悪い、タツミ。解除ワード間違えて教えたわ」
堪えられずにライドウはくつくつと笑い続ける。タツミはやっと自分が嵌められたと気づいた。
「え、ちょ、そんな、ひ、ひど」
クヅキのとんでもなく不機嫌になった顔を思い出してタツミは震える。
その様は横で見ていただけのブロッサも不憫を覚えるほどだった。
「ライドウ! あんまり子供をからかって遊ぶんじゃないの」
タツミの代わりにライドウの脛へローキックを叩き込む。
「ははは。悪かったって。てか、お前の目の前で術式展開したんだから分かるだろ、普通」
そう言われてタツミは一層へこんだ。普通分かることがタツミには分からなかった。
「ちょっと、ライドウ! 気にしなくていいから、タツミも!」
タツミはブロッサに肩を叩かれて、それがまた痛い。励ますつもりなのかなんなのか、ブロッサは力を入れすぎだ。
「俺、すみません」
「タツミは悪くないから」
もう、とブロッサに怒るように言われ、タツミはさらに小さく縮こまった。
「はいはい、悪かったのは俺だろ。分かったから蹴るな、ブロッサ。おい、タツミ。本当の解除ワードは『クヅキのくそったれ』だ」
「……それ、ほんとにほんと、ですか?」
不信感の満ちみちた目でタツミはライドウを見上げる。
「今度のは正真正銘間違いない」
「俺、それ、言うんですか……?」
「大丈夫だ、ただの解除ワードだろ」
「でも、俺、……変えてほしい、です」
精一杯の勇気を振り絞ってタツミが頼んだが、ライドウは無情に却下した。
「はあ? やだよ、そんな面倒な事。ぐだぐだ言ってると『クヅキの童貞』に変えるぞ、こら」
脅された。なんか理不尽な感じに脅された。童貞に変えられるんだったら別なのにだって変えられるだろうに。
やっぱりこの人ろくでもないな、とタツミは思う。
恨めしげにライドウを見上げるタツミを見て、ブロッサがため息をついた。
「ライドウ、あたしとヒナのご飯早くちょうだい。ほら、タツミ。あたしが行ってやってあげるから。そんな顔しないの!」
言い方は強いし暴力が恐いブロッサだが、タツミにはそれでもブロッサがうんと優しく感じられた。
「あああすみません」
「ほらよ」
ブロッサは二人分の昼食が乗った重そうなトレイを受け取り、片手で支え持つ。
「行くよ、タツミ!」
タツミを連れて階下へ降り、クヅキの部屋へ押し入った。
「クヅキ!」
「あ? ブロッサ? なんだよ?」
迎えたクヅキは虫の居所の悪そうな顔をしている。
それが怖くてタツミがたじろいだ。それに気づいたブロッサが活をいれる。
「タツミ! こいつ目つき悪いだけだから」
「え、急に俺ディスられてる?」
ほらこっちとブロッサがタツミを呼び寄せる。タツミにトレイを持たせたまま、片手でタツミのトレイに触れる。
ブロッサは解除のワードを唱えた。
「『クヅキの童貞』!」
「は!? なん、は!?」
もちろん固化は解けない。
ブロッサは小首をかしげ、タツミは顔を青くする。
「あれ、違った? ねぇ、なんだっけ?」
「……くそったれ、です」
「そっか。『クヅキのくそったれ』」
カチャンと軽い音をたてて固化が解けた。
食事から湯気が立ち上る。
「なん、なんなんだよ、お前ら」
うんざりした顔でクヅキが呟いた。
「す、すみません。ライドウさん、が変なワードにするから」
そんなことだろうと分かっていたのでクヅキはむっすり黙った。分かっていても気分はよくない。
「あああ。すみません」
さてととブロッサが自分のトレイを両手で持ちなおす。
「タツミあんたね、自分が悪いわけでもないのにほいほい謝るんじゃないの」
「う、すみません」
「ほら、また。もう!」
じゃあねと言い捨てブロッサが出ていこうとする。
「おい、ブロッサ」
クヅキが呼び止めた。戸口でブロッサが振り向く。
「なに?」
「謝るのはお前だ。タツミに謝ってけ」
「え?」
ブロッサが剣呑な顔でちらりとタツミを見た。
タツミは驚いてクヅキを見る。
「なんで? あたしが?」
むしろお礼を言わなければいけないのに言っていない、とタツミは思う。
「悪いのに謝らない、謝っても誠意がない、そんなやつばっかだってのに、ちゃんと謝れるやつつかまえて怒るな」
別にブロッサもそういうつもりで言ったわけではない。ただ、必要以上に卑屈になるなと言いたかったのだ。
しかし、そう言ったところで卑屈になっている相手をさらに萎縮させるだけだろうし、そもそも自分の言い方は悪かった。素直にブロッサはそう思った。
「確かに。ごめん、タツミ」
ブロッサもまたちゃんと謝れる人間だった。ただしファッション関係は除く。その場合ブロッサは譲らないし、謝らない。
タツミはぶんぶんと首を横に振った。
それを見てブロッサはにこりと笑い、出ていった。
その後ろ姿を見送ったタツミは、クヅキが椅子の上からじっと見上げてきていることに気づく。
「え、あの、ええと?」
「お茶」
「あ、はい」
あわあわとトレイを片手で持てるようにしてお茶を渡す。
受け取ったクヅキは嬉しそうに飲んだ。もう口の乾きが限界だった。
「あの、すみません。あ、ていうか、ありがとうございます」
タツミが謝罪なんだかお礼なんだかよく分からない言葉を吐く。
クヅキにはその理由もよく分からない。
「どういたしまして」
分からなかったので、口をすぼめて適当に答えた。
「あと、これ。クヅキさんの分、です」
小振りなフェセジャンの器を差し出すと、クヅキはやや顔をしかめた。
「いらないって言ったのに」
「や、でも」
ライドウから食べさせろと頼まれている。困っているタツミを見て、クヅキは仕方なく受け取った。
「ん、箸とスプーンくれ」
「あ、はい」
さっきジャムを舐めたせいで満腹中枢が誤作動しているだけだから胃の中は空だ。入らないわけではない。
クヅキはもそもそと食べはじめた。
「タツミも食べろよ」
「あ、いただきます。でも」
タツミは困惑して立ち尽くしている。
この散らかった部屋でどうやって食べるかはなかなか難問だ。
「そこらのソファか椅子か、適当に物どかせ」
結局そうするしかない。
タツミはソファに尻ひとつ分の隙間をなんとか確保した。目の前にはおそらくローテーブルもある。が、……タツミは膝にトレイを載っけてなんとか食べることにした。
フェセジャンからはいい匂いの湯気が上ってくる。タツミはその味をすでに十分知っている。それでも楽しみでならない。
タツミは具材と汁と白米を口一杯に頬ばった。思った通り、魚介とトマトの汁にご飯がよく合う。
幸せをたっぷり噛みしめて呑みこんだ。
「はあ。ほんとおいしいです」
ほやほやと幸せ心地で言う。
「まあなあ。あれで料理が美味くなきゃ、ライドウなんていいとこないだろ」
それほど箸は進まないものの、クヅキもおいしいとは思っている。
ただ少食で食欲もない今、食べるのがしんどいだけだ。
「あいつこそ謝らない悪びれない駄目な大人の見本だよ」
タツミと二人揃っていいようにからかわれたところでもあり、ちょっと辛辣になるクヅキだった。
「まったく。ああはなりたくないよな」
それぐらいなら二言目には謝るタツミの方がましだとクヅキは本気で思っている。
「ええと。そう、ですかね」
タツミは同意したい気もするが、してはまずいような気もして言葉を濁した。
とりあえずおいしいものを食べているときに、それを作った人間を悪く言えるほどタツミは小器用ではない。
「だいたいあいつら魔術師は、ちょっと頭良くて力あるからって驕りすぎなんだよ」
半分程度食べたところで胃が一杯になり、クヅキは器を放りだした。
お茶を飲みながらタツミがわしわしと美味しそうに食べているのを眺める。
「……お前、よく食べられるなぁ」
食べっぷりに感心した。
タツミが軽くむせる。
「俺、すみません、いっぱい食べて」
「いいよ、好きなだけ食べろよ」
さっきはあまり食べられなかったんだろうかとクヅキは思う。
まさかタツミがさっきも大量に食べ、今またしっかり食べているなどとはクヅキでは想像もできない。
「あ、でも。俺、がこんなに食べたら、足らなくなったりとか」
「大丈夫だろ。大量に作る方が旨いとか言ってライドウがたくさん作ってるから」
そして作りすぎて余った分は大概ライドウが食べてしまう。
「食べれば食べただけ魔力になるとか抜かすじーさんに食べられるよりかはタツミに食べられた方が料理も喜ぶだろ」
タツミは口の端をひきつらせながら、なんとか「はぁ」と気の抜けた相づちだけを返した。
クヅキもライドウの正体について一度は冗談だと濁したんだから、ちゃんとその設定を貫いてほしい。
頼むから。
そんなタツミの願いなど露知らず、クヅキは仕事を再開している。好き勝手ぼやいて機嫌は直ったらしい。針を動かしながら鼻歌をうたっている。
一人黙ってフェセジャンを平らげながらタツミは考える。
タツミにとってのライドウは、昨日の初対面のときから油断のならない相手である。
たとえライドウが37歳でも200歳でもそれは変わらない。だからこの際事実がどうであろうと関係なく、タツミは警戒していればいい。
まあ。タツミごときが警戒したところで、ライドウは余裕でタツミを弄ぶだろうが。
がんばれタツミ。
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