13 タツミくん、煙に巻かれる


「……え、まじで180歳ですか?」


 驚いて聞き返したタツミに、クヅキは「いや」と言った。


「ごめん、違ったかも。200ぐらいだった気もする」


 増えた。


「え、でも、え、だって」


 タツミの目にはライドウは30半ばかそこらにしか見えない。


「あー。あいつはあれだ、いわゆる僊人せんにんってやつ」


「僊人!?」


 驚いてタツミは机を両手でバンと叩いた。


 ごく稀に魔力が高すぎて代謝が狂い、体の時間が止まってしまう人間がいる。

 そういう人間を僊人と呼ぶ。


「それ、それってどのぐらい魔力高いんですか!?」


 タツミのたてた大きな音に驚いてクヅキが顔を上げる。


「え? よく知らんけど。なんか一回SSS判定出したことあるって言ってた」


「とりぷるえす……?」


 なんだそれは、とタツミは思う。

 統合魔力能力試験というのは、普通はAからEの五段階判定で出るものだ。

 確かにそれよりも優秀な、そういう特別な人間にはSという判定があるらしいなんて噂は、ある。

 そのSが、みっつ?


「そ、そんなの、あるんですか?」


「知らんて。俺はその試験自体を受けたことが一回もない」


 そう言ったクヅキのセリフにタツミはかえってなるほど、と納得した。

 魔力なしのF判定も存在はするが試験では出ない。S判定もまたそういう別枠、なのだろう。


「いや、でも、それ。す、すごくないですか? なん、なんでそんな人が、こんなとこにいるんですか?」


 クヅキが目をすがめた。


「お前は職場をこんなとこ呼ばわりすんなよ」


「え、あ、すみません」


 タツミが失言した口を押さえる。


「お、俺、そういうつもりじゃ」


「うん、分かってる」


 あんまりタツミが慌てるので、面白くなってクヅキは笑った。なんとも人の悪い笑みになった。


「まぁ、ライドウな。話すと長いから端折はしょるけど」


 うーんとちょっと考えてから、クヅキは説明した。


「昔は大魔術師やってたんだよ。だから魔術にはめっちゃ詳しい。あれで」


「だ、大魔術師……」


 ごくりとタツミがつばをのむ。

 そういえば、さっき話したときもやけにいろいろ詳しかったな、と思う。

 その正体が大魔術師なら、魔力や魔術に詳しくて道理だ。


「でも周りが世代交代するだろ。それで面倒くさくなったらしい。で、隠居することにしたんだと」


「い、隠居!? え、なにが面倒くさくなったんですか?」


「そんなの分からん。俺は周りが世代交代したこととかない」


「それは、そうでしょうね。俺もないです」


 むむうとタツミは想像してみた。


「やっぱり知り合いがみんないなくなったら寂しいですよね……」


 ふうむとクヅキは考えた。


「いや、なんか王位継承権がどうのとか、警戒されるのがどうのとか、老害扱いがどうのとか、そんなこと言ってたから違うと思う」


「あ、そうですか。え、てか、王位継承権!? てなに!?」


 タツミが詰め寄ってくるので、クヅキは椅子の上で退こうとしてのけぞった。


「王位を継ぐ権利だろ。何代だか前の王様の弟だから殿下なんだって言ってた」


「殿、下……?」


 口をあんぐり開けたままタツミが固まった。


「よく知らんけど。何代か前の王弟殿下が大魔術師として孫やひ孫の代になってもいたら王宮内の立ち位置がクソめんどくさいことになる、らしいぞ」


「……あ、あー。なんかめんどくさいですね、それ」


 容量の少ないタツミの脳みそでも、状況を想像するだけでなんとなく面倒だろうな、というか想像するのが面倒な状況だった。


「で、隠居した、んですか」


「うん。でもまぁそれも数十年で飽きて」


「数十年!? 飽きた!?」


 ちょっといろいろ単位が常人と違う。


「最初は悠々自適、一人で研究生活に没頭してやるぜとか思ったらしいけど、案外つまらなかったって」


 隠居に際してふんだくった僻地の城でもともとの魔術の研究はもちろん、趣味だの料理だのといろいろ打ち込んではみたらしい。それもほどなくしてある程度極めてしまい、そうするとすることもなくなった。


「あ、それでライドウさんの料理は美味しいんですね」


「うん。あとライドウは掃除も洗濯もうまい」


 一人暮らしが長かったので。


「そ、うですか」


「それで、城に隠居してる偽装をして、ふらふらと都へ遊びに来るようになって」


 面倒事を避けるため、大人しく田舎に隠居した振りは続けている。が、実際にはほとんど城にはいない。


「そのころにこの街で俺はライドウと会った。ちょうどよかったから家政夫に雇った」


「ちょうど、よかった?」


「ん、魔力がクソ余っててたくさん魔動機械を動かせて、そのうえ家事が上手とか家政夫にうってつけだろ。ライドウもひまつぶしにちょうどいいつったし」


 クヅキは魔力SSSの大魔術師殿下とっつかまえて家政夫にうってつけだと抜かす。

 めまいのしたタツミは上体が傾いだ。幸いに机へ両手をついていたから転ばなかったが。


「ちょっと、ちょっとすみません。俺、ええと。え、まじですか?」


 血の気の引いた白い顔でタツミが言った。


 その顔を見て、クヅキは少し考え、真顔で答えた。


「冗談に決まってるだろ、そんなの」


 え、とタツミが固まる。


「じょ、冗談?」


「うん。いくらなんでもそんな話あるわけないだろ」


 タツミは、そう言うクヅキとしばし見つめあった。

 クヅキは笑うでもなく、真顔で座っている。


「……ですよ、ね。そんな、あるわけないですよね。SSSの大魔術師で正体が王子様とか」


「そんなの小説の主人公にだっていないだろ。設定盛りすぎってクレーム入るぞ」


 そうは言うのに、やっぱりクヅキは真面目な、到底冗談を吹いているとは思えない顔をしている。


「え、本当に冗談ですよ、ね。俺、うっかり信じそうに、なりましたけど」


 クヅキは、またちょっと考えた。


「ああ、うん。冗談だって」


「……ええー、冗談っぽくない……」


「ま、信じるも信じないもタツミの自由だ。好きにしろ」


 結局クヅキは真顔のままそう言うだけだった。


 嘘のような事実なのか、たばかられただけなのか。

 果たしてどっちなのだろう。

 タツミにはさっぱり分からない。そして、まさか本人に確かめる勇気はない。

 なお、設定盛りすぎのクレームは受け付けていません。


「あー。なんか喉乾いた。お茶、タツミさっきのお茶どこ?」


「え? えーと」


 ぽけっと突っ立っていたタツミは、クヅキに言われて辺りを見回す。

 お盆を置いたはずの棚の上はなにもなくなっている。どこかに飛んだらしい。どこだ。


「ええと。ちょっと片付けますね、俺」


 しゃがんでタツミはがさがさと散らばった物を拾おうとした。


「お。ありがと。でも、タツミ。片付けなんか適当でいいぞ」


「え、はい。でも」


 足の踏み場もない惨状だ。適当でいいはずがない。あとお茶がない。


「いいよ。歩くとこだけ適当に避ければ」


「……じゃあ、えっと、お茶探しながら、散らばってるものだけ、拾って集めておくので」


 せめて紙、布の切れ端、文具や道具は分けてまとめて避けておこうと思う。

 そうすることにどれほどの意味があるかは分からないが。

 放っておいたらクヅキが歩くたびに足元の物を蹴って避ける、タツミにはそんな気がしてならない。


「ん。ありがと」


 クヅキの礼は、さほど興味がなさそうだった。


 うろうろと効率悪く作業していると、戸口にぬっと影がさす。ライドウだ。


「おい、お前ら。そろそろ……」


 なにかを言いかけ、部屋の惨状に目をむく。


「……おい。いくらなんでも散らかしすぎだろ。なんだよ、竜巻でも通ったのか、ここは」


「突風が吹いたせいだよ、まさに」


 ライドウが散らかすなと言ってもクヅキは取り合わない。仕方なくタツミへ視線を移した。

 タツミはさっきまでの噂の主の登場にあわあわあわと挙動不審になる。


「タツミ、なんでまたこんな散らかしたんだ、こいつは」


「いえ、ええと、なんていうか、風で散らかったんで、その」


 ライドウと目もあわせず、視線をどこかへさまよわせてタツミが意味の分からない返事をする。

 ライドウには訳が分からなかい。首をかしげた。


「まぁいい。それより、そろそろ昼飯の時間だ」


「昼? お腹すいてない。いらない」


 クヅキはそっぽを向いた。


「おいこら。いらないじゃない、食べろ」


「やだ」


 クヅキは顔すら上げない。

 ライドウは舌打ちした。


「ったく。おい、タツミ。お前は? 食べるだろ?」


 喜ぶだろうと思っていたタツミは、なぜか呼びかけると「ひょ」と妙な鳴き声をあげる。

 なぜそんな反応になるのか、ライドウはやりづらい。


「……お前も食べなくていいのか?」


「あ、俺」


 びくりとタツミは小さく震えた。

 変な時間に食べたから、もちろん空腹な訳ではない。でもあの美味しかった食事を思い出すとタツミの腹はちゃんとご飯モードになった。

 問題は、今ライドウと差し向かいで飯を食えるか、である。


「い、いただきます」


 タツミは食欲に負けた。


「おし。じゃあちょっと取りこい」


「……は、はい」


「てか、ライドウ。お前、お茶固めすぎだよ。飲めないだろ」


 クヅキはさっき舐めたジャムのお陰で口の中がカラカラだ。八つ当たり的に机をぱかぱか叩いて抗議した。


「は? お茶? 飲めてないのか?」


「あ、すみません。俺、お盆から外せなくて」


 なぜかタツミがちっちゃくなった。


「しょうがないな。で、お盆はどこだよ?」


「「……」」


 クヅキとタツミは揃って散らかった床へ視線をやる。


「……なくしたのか?」


「どっかにはある」


「……まったく。いれなおしてやるよ。来い、タツミ」


 ライドウに呼ばれ、タツミはおののきながら立ち上がった。


「お茶早く。あとちゃんと解除ワード設定しろ」


「分かったって」


 タツミを連れてライドウはまた四階へ上がる。


「いやでも、クヅキだって解除の術式ぐらい作れるだろうに。なんでそれをタツミに使わせなかったんだよ」


 タツミの前を上がっていくライドウがぼやいている。

 それを聞きながらタツミはライドウが大魔術師かもしれない可能性について考えた。

 もし事実だとすれば、それはタツミにとって畏れ多いことである。ついでにそんな男を顎でぞんざいに使っているクヅキもすごい。


「それと、お前はさっきからどうした?」


 いいかげんタツミの様子がおかしくて、ライドウはダイニングへ入りながら聞いた。

 ライドウもタツミがさほど自分に懐いていないことぐらい分かっている。それでもさっき飯を食べさせて、少しは警戒を解いたものと思っていた。


「……なんかクヅキに言われたか?」


 二人の間になにかあったのかと思う。


 タツミはぷるぷると強く首を横に振った。


「ふうん? ならいいが」


 食事の用意をするライドウをタツミがじっと見つめる。


「……なんだよ?」


 さすがに気味が悪くて、ライドウもタツミをにらみ返した。


「あ、えと」


 とうとうタツミは聞いた。


「あの、ライドウさんて、いくつぐらい、ですか……?」


「は? 俺の歳? 37だが。なんだ唐突に」


 ライドウはさらりと答えた。

 それを聞いて、やはりクヅキに騙されたのだとタツミはほっとした。


「あ、すみません。あの、ちょっと気になっただけです」


 タツミは笑って誤魔化す。不自然な変な笑い方だった。

 ライドウは変なタツミがあまりに不気味だったので、深く追及するのはやめた。


「え、じゃあ、あの」


 ほっとしたタツミの口は軽くなっていたようだ。うっかり滑らせる。


「一階のパン屋さんの人って、いくつぐらい、なんですか?」


 ライドウが昔を知っていると言った、そして若作りだと言った大家の年齢を聞いてみた。


「あ? 今度はあの魔女の歳か?」


 ライドウがなにかを思い出そうとするように天井をにらむ。


「あいつは、80だか90だかそこらだろ」


「……」


 誰かが嘘をついている。

 とタツミは気が遠くなりそうになりながら思った。

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