12 タツミくん、吹っ飛ぶ
あっちの扉から会議室を通ってブロッサの部屋へ行ける。
そう教えられたタツミは、言われた通りにブロッサへ会いに行くことにした。
「タツミ!」
名を呼ばれ、タツミは扉を閉じようとしていた手を止めクヅキを振り返った。
「あ、はい?」
「扉。うちでは開いてた扉は閉めなくていい」
「あ、はい」
そういえばよく扉が開け放たれている、風通しのいい職場だったなと思い出す。
無意識に閉めようとしていた扉を元通り開けた。
会議室の向こう、ブロッサの作業部屋の扉も開いている。声をかけて覗け、とのことだ。
「あの、すみません、ブロッサさん」
恐る恐る声をかけつつ、タツミはそっと覗いた。
「あら?」
まず目があったのは、見知らぬ女の人だった。タツミは焦る。
「あ、えっと、その」
どう見てもタツミより年上の、落ち着いた雰囲気の女性は困惑して奥を向いた。
「ねぇ、ブロッサ」
部屋の奥にブロッサがいた。タツミを見て、ああと声を上げる。
「今朝の。ええっと」
名前が思い出せないらしい。
「あ、タツミです」
「そうそう、ごめん、そうだった、タツミ!」
手を打ち合わせる。それから女性の方へ手をひらひらさせた。
「この子、タツミ。クヅキが入れた新人くん。タツミ、彼女は縫製管理のヒナコ」
ヒナコと呼ばれた女性は立ち上がり、タツミに柔らかい笑顔を向けた。
「よろしく、タツミ」
「え、あ、あの。よ、よろしく、お願いします」
あわあわするタツミは可笑しかったが、初対面で笑っては悪いだろうと思ったヒナコは口許をそっと隠した。
「なにか用なんでしょ? とりあえず入りなさいよ、あんた」
ブロッサに促され、タツミは恐る恐る女性二人のいる部屋へ入る。
ブロッサの部屋もたくさんの物で溢れていたが、クヅキと違ってきちんと整頓されていた。
そのあまりの違いにタツミはキョロキョロ見回した。
「ふふ、かわいい」
「ね。タツミって
ブロッサに聞かれる。
「あ、俺、17です」
「「わっかーい」」
そう言うブロッサとヒナコは一体何歳なのだろうとは思ったが、さすがにタツミも女性に歳を聞いたらまずいと分かる。
どう反応していいか分からず、タツミはひきつった顔でかろうじて笑った。
「で? どうしたの、タツミ」
ブロッサは座ってデザインを描いているところだ。特に手を止めずに用件を聞いた。
「ええと、あの。上着の型紙? とか、見せてほしい、んですけど」
「型紙? 上着の? どんな上着?」
ブロッサは聞き返す。
「ええと、どんな……」
答えられないタツミ。まぁ当然そうなる。
「じゃあ。型紙を見て、なにしたいわけ?」
「あの。上着、どんなのがあるか、見たくて」
なるほど、とブロッサは手を止めた。顔を上げ、タツミをまっすぐ見る。
「ねえ、タツミ。上に着る服はみんな上着、よ。それ全部見せるのは、さすがに無理だから。もう少し絞ってくれる?」
「で、ですよね」
タツミはちっちゃくなったが、悪いのはぶん投げたクヅキである。
そのことがブロッサにはなんとなく透けて見えた。だからタツミには努めて優しく言った。
「なんでタツミはどんなのがあるか見たいの?」
「ええと。紋衣を、俺の紋衣を作るんですけど、練習の。どんなのにすればいいか、よく分からなくて」
「へぇ。タツミの紋衣を作るんだ。で、上着で作りたいのね」
「あ、そうです。たぶん、上着」
タツミの紋衣、たぶん上着。なんだそりゃと思うが、ここでタツミに怒ってもきっと意味はない。あとでクヅキをつねる。とブロッサは決めた。
「……タツミは、なんの術の紋衣を作るわけ?」
「えっと、俺」
答えようとしてタツミはちょっとためらった。
空を飛ぶ紋衣です、と言うのは少々恥ずかしいことのような気がする。
「あの、空を……飛ぶやつ、なんですけど」
笑われるのを覚悟で答えた。
テーブルの向こうでヒナコはくすりと笑ったが、ブロッサは笑わず眉間にしわを寄せた。
「飛ぶための紋衣……ジャケット……フライトジャケットとかか」
立ち上がり、本棚の前へ動く。
「ウィンドブレーカーとかブルゾンもありだな。フードつけてジップアップのパーカーもいける」
ぶつぶつ言いながら本棚に刻んだ紋へ手を当てた。
「ちょっとヒナごめん、場所あけて」
「え、あ、はい」
ヒナコがテーブルの上に広げていた図案と作成中の指示書をよける。
「srchRefn; imagezip」
いくつかの本が飛び出した。テーブルにどさどさ落ちる。タツミは驚いて飛びすさった。
「とりあえずこんなところでどう?」
ブロッサがページを開いて並べてくれる。写真やデザイン画でいろんな上着が揃っている。
確かにいろいろあるのは分かったが、タツミにはどれがなんだか分からない。
「……ええと。たくさんありますね……」
「……これでも上着からかなり絞って出したんだけど?」
ブロッサは呆れた。
「じゃあ、あんたの直感でカッコいいと思うやつはどれよ?」
「直感で……」
タツミの目から見れば、どれもこれもなかなかシャレている。
そのなかでも一際格好いいと思えるものが、確かにあった。が、格好良すぎて自分が着たら絶対似合わない。
え、タツミがそれ着るの? そう言って笑われるだろう。
タツミは答えられずに黙った。
「ちょっと、どうしたのよ?」
ブロッサもヒナコも自分の仕事を中断している。のんびりタツミにつき合っている余裕はない。
うつむくタツミの顔を覗き込み、そしてタツミの視線の先を追った。
「これ? これなの? これならこれって言いなさいよ!」
ひい、とタツミが縮み上がる。
「す、すみません。でも、俺じゃたぶん、似合わないです」
「ちょっとあんた。舐めてるの?」
ネガティブなことを言ってさらに小さくなるタツミをブロッサは睨め下した。
「あたしのこと、舐めてんの? たとえあんたがジャガイモだろうがサツマイモだろうが、あたしがちゃんと似合うようにデザインするに決ってるでしょう!」
「す、すみません! ぜんぜん舐めるとか、そんな違います!」
縮んでいたタツミが驚いて伸びた。
そしてついでにクヅキから「ブロッサがデザインするのは面倒だからダメ」だと言われていたことを思い出す。
「違うんです、俺の、型紙のあるやつで作るから、違うんです!」
「はあ!?」
ブロッサがめちゃくちゃ恐い顔になった。
「そんなの絶対ダサくなるじゃない! ダメ、絶対ダメ。あたしが描く。ダサい服作るとか、あたしが許さない」
「ひい」
恐いブロッサに詰め寄られ、タツミは困り果てた。それではクヅキに言われたのと違ってしまう。でもブロッサが恐い。
ふと、今朝がたブロッサにぶん殴られていたクヅキの姿を思い出す。恐い。
しかしそうだ、とタツミはさらに思い出した。ブロッサはクヅキより強いのだった。
「ははは、はい、お、お願いします!」
タツミもクヅキよりブロッサに従うことにした。だって、ぶん殴られたくない。
恐い顔から一転、ブロッサがにこりと笑う。
楽しそうにタツミの選んだ服の本を取り上げ、作業机へ舞い戻る。
「任せなさい! 別に具体的な希望なんてないんでしょ? いくつか描いてみるから」
「は、はい」
ブロッサが笑顔になってもタツミにはなんだか恐かった。
横で見ていたヒナコがタツミの耳に口を寄せ、そっと言う。
「ブロッサはデザインの鬼だから。ああなったらもう止まらないし」
諦めてね、と言う。
タツミはギクシャクと頷いた。
「ちなみに、クヅキは魔導紋の鬼だから。あの二人に挟まれたら死ぬけど、がんばってね」
穏やかな笑顔でファイトと励まされても、タツミは嬉しくない。
昨日やっとこさ野垂れ死にから助かったと思ったのに。ここへ来て何度死んだと思ったことか。
まぁでも、タツミみたいなやつは案外しぶとく死なない。きっと大丈夫じゃないか?
「あんたがびっくりするぐらいカッコいいデザイン描いてあげるから、楽しみに待ってなさいよ」
むぷぷぷぷぷと不気味に笑うブロッサは、やっぱり恐かった。
そういえば雇用契約の条項にブロッサへの手出し禁止があったわけだが、一体全体誰がどうやって手を出すのだろう、とタツミは思う。
タツミはこの部屋から逃ることにした。
「ええと、それじゃあ、あの、すみません、お願い、します」
あとずさりでそっと出口を目指す。
「あ、タツミ! あたしもクヅキに用があるから一緒に行く」
一度は座ったブロッサが立ち上がった。
真顔で後ろをついてくるブロッサは、なんかさらに恐かった。
タツミは引っ立てられる気分でクヅキの部屋へ戻る。
「あの、戻りました」
声をかけながら入ると、クヅキは変わらず机で紋衣の修復を進めていた。
「お。おかえり。どうだっ――」
タツミの声に反応して顔を上げ、後ろのブロッサに気づく。
「ん、ブロッサ?」
にこりと笑ったブロッサがクヅキに向かって手を伸ばす。
「Chng-brtrcpr-ssrnd-tmprDrctn. 吹っ飛べ」
呪文でなにが起きるか分かったクヅキは慌てて机の下へ引っ込んだ。
轟と空気が唸りをあげ突風が巻き起こる。狂暴な風は辺りのものを撒き散らす。ついでに突っ立っていたタツミがぶっ飛んだ。
「な、なにすんだお前!」
クヅキは顔だけ出してブロッサに怒鳴る。その声が少し震えている。
「それはこっちのセリフ! 適当な仕事してんじゃないわよ! あと部屋が散らかりすぎ! 片付けなさい!」
「散らかってるって、半分はお前の風のせいだろ!」
いや、半分は言い過ぎじゃないだろうか、とタツミは思う。
ぶっ飛ばされた上に飛び散った物に埋まりかけたタツミは、それらをはねのけてなんとか起き上がった。
「あああ、大丈夫か、タツミ! おいブロッサ、タツミを吹っ飛ばすな!」
「あら。ちょっとタツミ、なんで防御しないのよ」
しれっと言って謝りもしない。一発ぶっぱなして満足したのか、「じゃ!」の一言で帰っていった。
「なんなんだ、あいつ。なにしに来たんだ。てか、タツミほんとに大丈夫か?」
「え。はい。なんとか」
あっちこっち打ったらしくて少し痛いが、それほどひどくはないようだ。体はちゃんと動く。
「そか。よかった。で、あのブロッサの怒りようはどうした?」
クヅキは針山の所在を確認し、針の数を数えた。幸い針は一本もなくなっていない。
「ええと。す、すみません、それは、分かりません」
答えるタツミはちょっと泣きそうだ。クヅキはタツミに頷いてみせた。
別にタツミがブロッサを怒らせた訳ではないだろう。というか、クヅキがタツミをブロッサに投げたことを怒ったのだろう、とクヅキには分かっていた。
「謝るのは俺のほうだな。ごめん、タツミ。ところで、デザインは見せてもらえたのか?」
吹き飛ばされた物の中から、当面の仕事に必要なものを拾い上げる。
急ぎで必要ないものは……とりあえずこのままでいいか。と放置する。
「あ、はい。上着、見せてもらいました」
「どれにするか決まった?」
「ええと、はい。あ、でも、ブロッサさんが、デザイン描いてくれる、そうです」
「まじかー」
練習用の紋衣にどんだけ手間をかけるきなのかと、クヅキは自分を棚に上げて思う。が、さっきの荒ぶるブロッサに文句を言いに行けるわけがない。
「まぁ良かったな、タツミ。たぶんカッコいい紋衣になるぞ」
作るの大変だろうけど、という一言をクヅキは言わずに収めた。
タツミは飛び散らかった紙をとりあえず拾い集める。
「はぁ。ブロッサさんが、俺に似合うように描いてくれるって、そう言ってました。……カッコよくなるかなぁ……」
タツミは、自分がカッコよくなるところなど微塵も想像できない。
「とりあえずブロッサに任せとけ」
タツミがカッコよくなろうがならまいが、クヅキにはどうでもいい。ただ、ブロッサのセンスと才能は信頼している。
「はぁ。ブロッサさんてな……あ、なんでもないです」
うっかりブロッサの歳を聞きそうになって、タツミは出しかけた言葉を飲み込んだ。
ブロッサ恐い。歳聞く、ダメ。絶対。
「えと。クヅキさんて、何歳なんですか?」
代わりにクヅキの歳を聞いてみた。タツミの見たところ、自分とそれほど大きく違わない気がしている。
「は? 俺の歳? んー、分からん」
散らかったまますでに仕事を再開しているクヅキが答えた。
「え?」
「タツミはいくつよ?」
「あ、俺は、17です」
「じゃ、俺は18つーことで」
なんだか適当に誤魔化されたようである。
タツミは目をぱちくりさせた。
歳を聞かれたくなかったんだろうかと、クヅキの様子を窺う。しかし、別に不機嫌そうでもない。
「えと、それじゃあ。ライドウさん、て何歳ぐらい、なんですか?」
試しにライドウの歳を聞いてみた。というか、タツミはそれも気になっていた。あわよくば知りたかった。
タツミが視線を注ぐ先で、クヅキは手元を見たまま「うーん」と答える。
「ライドウなぁ。俺も正確には忘れたけど。たしか180ぐらい」
「ふ、ふあ!?」
聞けば聞くほど謎が深まる。
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