11 タツミくん、ばさーする?


 結局タツミが黒い絹の25番を引っ張り出してくるまでおおよそ5分だった。


 さすがに途中でタツミを見ていることに飽きたクヅキは、サイドの引き出しからジャムの瓶を取り出す。

 紐をといて蓋にしていた紙を外し、木のスプーンを突っ込んでひとすくい舐めた。

 ベタベタな甘味が口いっぱいに広がる。疲れ気味の脳みそに糖分が補給される。


「あの、これ、ですか?」


 タツミが黒い糸束を持ってやってきたとき、クヅキは思いっきりスプーンを舐ぶっていた。

 慌てて瓶を元通り引き出しへ隠すが、ばっちりタツミに見られてしまった。

 というか、口にスプーンを咥えたままである。


「ん、あってる。ありあと」


 受け取って確認、もごもごとお礼を言った。それからようやくスプーンを離して捨てた。


「……な、舐めたい?」


 なんかジャム舐めてたなーとはタツミも思ったが、だからといって別に文句もないし舐めたくもない。


「いえ。いいです」


 クヅキが糸を取って針に通す。そして刺しはじめる一連の所作にタツミは見入った。


「タツミ、あんま顔を近づけるな。目に針刺さるぞ」


 クヅキにそんなヘマをする気はないが、さすがにじっと見られていては恥ずかしい。

 驚いたタツミが大きく一歩退いた。


「それ紋衣、ですよね?」


「うん。修復中。使い方が荒くて糸が千切れたらしい」


 高い紋衣の新規オーダーなど月に何十件も入るものではない。こうした修復や改造も大事なオーダーである。


「でもそれ、スーツ、ですよね?」


「うん? うん。そう。黒いけど喪服じゃないぞ。ヤクザの好きなやつな」


「……え、紋衣って、外套マントとかケープじゃないんですか?」


「え?」


 思わず手を止め、クヅキがタツミの顔をまじまじ見つめる。

(クヅキにとって)不幸なことに、タツミは至って真面目な顔で聞いていた。


「え、うん。別に服ならパンツだろうがTシャツだろうが靴下だろうが、なんだって紋衣になるが?」


「え、ええ!? マジですか!」


「……いやむしろ、なんで今までそんなことも知らずに生きてきたんだよ、お前は」


「え、え、だって」


 タツミは言った。


「学校で使ったやつとかは、全部こういうマントみたいな、なんかそういうのでした!」


「ああ。そうな。紋衣のスタンダードだからな、外套。特に既製品なら」


 クヅキの中で、タツミの紋衣知識に対する期待値はゼロになった。

 こいつにはイチから教える必要がある。


「あーと。それじゃあ問題です、タツミくん」


「は、はい?」


「なぜ紋衣のスタンダードは外套スタイルなんでしょうか」


 え、え、とタツミが焦って考えだす。


「ええと、ええと。え、マントがカッコいいから……とか?」


「……………………違う」


 いろいろ利点のある外套タイプ最大の弱点は、もっさりしててダサい、である。

 もう一度言う。現代人にとってマントは、ダサい。


 タツミがあっさり正解するとは思っていなかったが、それでもあまりに的を外れた回答にクヅキは頭を抱えたくなった。


「カッコいいカッコ悪いはともかく。マント形状の外套は一枚の平面布面積が広い。だから魔導紋を自由に入れやすい。かつ縫製と刺繍の工程が入り乱れない。結果安く作れる。分かる?」


「あ、あー。はい、なんとなく?」


 分かっていない顔でタツミは頷いた。


「分からないなら分からないって言えよ、お前」


「え、はい。じゃあ、よく分かんないです」


 たぶん、口で説明しても無駄だろう。

 クヅキはそこらをあさって資料を引っ張り出した。


「ちょっとこれ見ろ。これ、服の型紙の図な。こっちのマントとこっちのシャツを見比べてみな。体の線に沿わせるほど服は細かいパーツに分かれるだろ」


「……え、この変な形が服になるんですか?」


「なるんです」


 タツミは服の形に布を切って縫い合わせたら服になるものと思っていた。


「こう複雑だと、縫い合わせる前に紋を刺繍しておかないといけない部分と、縫い合わせてからでないと刺繍できない部分とがあるから、縫ったり刺したり縫ったり刺したり、工程が面倒くさくなる」


「あ、なるほど」


「作業が煩雑だと手間と費用がかかる。既製品じゃやってられない」


 そんなわけで、一番楽に安く作れるマントが紋衣のスタンダードになった。

 くそダサいけど。


「あと一応、使用者にもメリットがある」


 敢えてマントを選択する客もいる。なにも製造の都合だけではないのだ。


「……マントばさーってしたいとか、そういうロマンですか?」


 なんかタツミはマントをまじでカッコいいと思ってるのかもしれない。

 とクヅキは一抹の不安を覚えた。


「いや、そういう人もいるかもしれんけど。それ、少数派だから」


「え、そうなんですか? なんか、すごい魔術師って、マントばさーってしてるんじゃないんですか」


「あの人たちも別にカッコいいからしてるわけじゃ……や、あいつらは思ってるような気もするけど。とりあえず今の流行りはマントばさーとかしない、もっとスマートな感じだろ」


 タツミが「そうなんですか!」とか感心したふうな声を上げる。

 なんの話をしていたんだか、クヅキは分からなくなりそうだった。


「あー。だからマントの利点な。高位魔術の起動は呪文だけじゃなくって、決まった動作が必要になるだろ? マントならその所作が隠せるから、初動がばれにくい。戦闘では特に有利。あと、恥ずかしいポーズしても見られない」


 たとえ多少ダサくとも、それを上回る変なポーズを見られるよりかはよっぽどマシ、という切実な事情だ。


 だからマントばさーっとかやると、せっかくのマントの利点がになる。


「はあ。あのマントにそんな秘密が」


「というわけで。お前の紋衣はどうする? マントばさーって空飛びたいならマントにするが?」


 クヅキにそう言われ、タツミはマントを翻して空を飛ぶ自分の姿を想像してみた。


「……いえ、なんかダサいんで、別のがいいです」


「お前もダサいと思ってんじゃねーか」


 だったらなんであんなにマントばさー推ししてたんだよと文句を言いたい。

 単にタツミは適当な魔術師のイメージでしゃべっていただけで、自分が着るとなると話が別なだけだった。


「じゃ、なにがいいよ?」


 そう聞かれ、さてタツミは困った。

 正直、よく分からない。


「ええと、たとえば」


「さすがにうちも編み立てできないから全身タイツは無理だぞ」


 どうしてもと言うなら既製品のタイツに刺繍する手もあるけど。それだと製作工程の勉強にならないなぁ。とクヅキが言う。


「え、ちょ、なん、俺、全身タイツとか、やです。え。なんか怒ってますか?」


「怒ってないです」


 そう言うクヅキは確かに怒っていないようだが、でもなんか絶対むくれている。

 修復中の紋衣を不機嫌顔で睨んでサクサク針を動かしている。


 タツミにはさっぱり理由が分からない。


「え、なんか、すみません」


 まずいと思って謝ってみるが、それでクヅキの機嫌が直る気配がない。

 タツミは困った。だいたいこうやって、タツミの人間関係はダメになる。


 焦ったタツミは考えて、そしてはたと気がついた。

 そういえば自分は糸を片付けている最中である。しかしうっかりクヅキと話し込んでいて、片付けがさっぱり進んでいない。

 そんな簡単な仕事すらなかなか終わらないのでは、そりゃクヅキも怒るというものだ。


「あ、俺、糸の片付け、やっちゃいますね」


「え? あ、うん」


 クヅキはタツミに片付けを任せたことなどすっかり忘れていた。それほど片付けなんてどうでもよかった。

 急にタツミが片付けに戻っていったから驚いた。


 こいつ見た目に反して綺麗好きなのか、これから隣で片付けろ片付けろ煩く言われるようになったら嫌だなぁ。とちょっと悩んだ。


 なぜか若干関係を悪化させつつ、タツミの片付けは再開された。

 できうる限りの迅速さ(もちろんのろい)で片付ける。


「で? マントじゃないならなににするんだよ? まずそれが決まらないことには、紋衣作りは始まらないぞ」


 タツミがてきぱき仕事を進められたからだろう、クヅキが機嫌を直して話を戻してくれた。とタツミは思ったが、もちろん別段そういうわけではない。

 なんでもいいからタツミに紋衣作りを覚えて欲しいだけである。


「あ、あーと。なんかおすすめとか、ありますか?」


 片付けの手を止めずに受け答えするのは、なかなかタツミにはしんどい仕事だった。けど頑張った。


「おすすめ? んー。ブロッサにデザイン頼むとめんどいから、型があるやつにしてほしい」


 それおすすめと違う。とタツミでも思った。


「型があるやつって、えと、なにがありますか?」


「大抵あると思う」


「……」


 念のため言っておくと、別にクヅキに悪気はない。

 まさか作りたい服の分からない人間がいるとは思っていないだけだ。


 タツミの手は完全に止まった。


「……ええと」


 どうしたらいいのか分からず、棚の前に立ち尽くす。


 なかなか返事のないことを不思議に思ったクヅキが顔をあげる。そして、ようやくタツミの様子がおかしいことに気がついた。


「え、そんな落ち込むほどこの部屋散らかってる? ごめん」


 でも分かってなかった。


「や、別に、あ、散らかってますけど。えっと。俺、服とか、分かんなくて、それで、えっと」


 クヅキはポカンとして聞いて、そして今度こそ本当に気がついた。


「まじか、そか。んーと、それじゃあ。別に紋衣だからって特別に考える必要ないから、普段服を選ぶ感じでいいんだよ」


「普段の、服」


「そう。今日着てる服とか、好きなのか?」


 タツミはやや身丈の大きいシャツを着ている。


「あ、と。これ、兄の服で……」


 服など買ってもらったことはなく、選んだこともないタツミだった。


「そか」


「す、すみません」


 ちっちゃくなるタツミに対し、クヅキはふんぞり返って言った。


「いや、俺も自分じゃ買わないし。実は服のことはさっっっぱり分からん!」


「え」


 クヅキにとって重要なのは紋だけで、形は客の要望通りになればそれでいいのである。

 相談されても困る。


「え、ええぇ」


「さて、困ったな。こういうのはブロッサの仕事だが、練習に付き合ってくれるかどうか」


 型紙の相談ならともかく、なに作ったらいいと思う?なんて初歩のお話、鼻で笑われる可能性がある。


「しゃーないからもう少し二人で頑張って考えるぞ」


「はぁ、はい」


 激しく不安。


「大丈夫だって。たぶん。おそらく」


「…………はい。」


 タツミの中のクヅキの信用度が微妙に下降した。


「たとえば、仕事で使う紋衣とかなら、その仕事着を紋衣にするだろ」


 料理人のコックコート、医者の白衣、作業員のつなぎ、それぞれ仕事で使う魔術を補助する紋を入れる。


「はあ」


「だから、タツミはいつどうして空を飛ぶのかっていう、その目的にあった服にしたらいいだろ」


「……目的」


 特になにかあるわけではなく、ただの夢みたいなものである。と答えたら呆れられそうだったので、タツミは飛んでどうしたいか必死に考えた。


「えっと、飛べたら……あ、俺、仕事来るのがすごい楽になります」


「え、飛んで出勤してくるつもりなのか、お前」


「あ、はい」


「へー。まぁいいけど。……今日はどうやって来たの、お前」


「俺、歩きです」


「一応歩いても来られる距離なのか」


「はい、一時間ぐらいですね」


「え。そりゃ飛んで来られたらさぞ楽だろうな。てか、転移門とか使えよ」


 市内各所に設置された転移装置で、お金を払えば誰でも使える公共の足だ。


「や、えと。運賃払えるほど手持ちがなかったんで」


「また就職支度金金塊の使いどころがスルーされてる……」


 まぁ金塊は券売機に入らないから仕方ない。とでも思うしかなかった。


「いいや。えっと。じゃあ出勤用な。だったら上着だろ、やっぱ」


 飛ぶなら風除けになった方がいいしと言われたが、上着だけでは範囲が広い。


「ええと、上着って言うと」


「ジャケットとか、ジャンパーとかじゃないか?」


 ようやくタツミにもなんとなくイメージできてきた。

 ちょっといい感じかもしれない、と思う。


「とりあえず、タツミお前、ブロッサのとこへ行って上着系の型紙を見せてもらって選んでこい」


「はいっ!」


 タツミは力強く返事したが。

 少々面倒になったクヅキがタツミをブロッサへぶん投げただけだとは、知るよしもない。


 あと片付け全然進んでない。

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