10 タツミくん、空回る


 クヅキは自分の仕事に没頭している。

 声をかけていいのかタツミには分からない。

 それでもなにもしないで突っ立っているのも限界で、そっと呼び掛けた。


「えーと。あの」


「ん?」


 顔は上げなかったが、クヅキはちゃんと応えてくれた。

 怒られなかったので、タツミはほっとした。


「なんか、俺にできることって、ありますか?」


「あー。でもお前、食べたばっかだろ。ちょっと食休みしろよ」


 そこのソファを使っていいぞ、と言う。

 言われて初めてタツミはそこにソファがあったことに気がついた。

 ソファは散らかったものに埋もれていた。


「……」


「あ、上のものは適当によけとけ」


「……あの、俺、片付けましょうか?」


「いいよ、別に。食後すぐに仕事なんかしたら消化に悪いぞ」


 どうやらクヅキは本気で食休みしろと言っているらしい。


 気持ちはありがたいが、タツミはタダ飯だけもらって寝ていられるほど神経は図太くないし、そもそもこの散らかった空間でのんびり落ち着くことはできない。

 タツミは少しでも散らかそうものなら滅茶苦茶に怒られて育ってきた男である。


「いえ、あの、むしろ俺はちょっと動きたいというか。片付けたいっていうか、その、片付けたら迷惑ですか?」


 クヅキが顔を上げてタツミを見た。その顔は、ちょっと驚いている。


「いや、そりゃ片付けてくれれば助かるけど、……どうせまたすぐ散らかるし」


 片付けられないやつの常套句が出た。あとは手元にあるほうが便利、そして散らかっているのではなく置いてあるのだ、になる。


「じゃあ、だったら、俺に片付けさせてください」


 タツミに気圧されてクヅキは頷いた。


「う、うん。頼む。あ、片付けてくれるなら、これ片付けてほしい」


 机の上をきょろきょろ探す。かごを見つけるとひっくり返して中の小物をそこらへ捨てた。欲しいのはかごだったらしい。


 だからなぜいちいち場を散らかして平気なのか、とタツミは問いたい。


 クヅキは空いたかごの中へ机上に放置されていた糸束や糸巻きをぽいぽいと拾い入れる。

 すぐにかごはいっぱいになった。


「これ、そこの糸棚に戻して」


 タツミはかごを受け取り、そして糸棚とやらを振り返った。

 壁一面が糸巻きの収納棚になっている。つまり、ものすごくたくさんの糸がある。


「材質で棚が分けてあって、縦の並びが番手つまり太さ、横が色な」


「はぁ。こんないろいろな糸を全部使うんですか?」


「材質や番手で魔力の伝導効率が変わるからな。紋や使用魔術で使い分ける。ちなみに色は特に関係ない。多少、染色剤によって特性が変わることもあるけど、よほどのことがなければ気にしない。色はデザインの都合だな」


 仕事の手を止めることもなく、クヅキはするすると答える。

 タツミはへぇと思いながら適当にいくつか糸束を拾い上げた。なにがなにやら違いが分からない。


「だから指示書の糸指定は間違えるな。間違えたらやり直しだ。気をつけろ」


「え、あ、はい」


 タツミが頼りない返事をしつつ糸のラベルを読み上げる。


「……ら、よ、ん。え? これ、なんですか?」


「らよん……?」


 クヅキが眉根を寄せて顔を上げる。タツミの手にある糸を見て、考えて、そして言った。


「Rayon. レーヨン。植物性化繊」


「あ、なるほど。聞いたことあります」


「うん、うんまぁ、どんな糸があるか、見ながらゆっくり片付けろ」


 今クヅキは朝方ブロッサから戻された魔導紋の組み直し中である。

 タツミの相手をしているとクヅキの仕事がはかどらない。


「あ、はい、すみません」


 さすがにタツミもそのことに気がついた。

 ともかくよく分からないが、一人で糸についているラベルをよく見て仕分けてみることにした。


「……うわー。いろいろあるなぁ」


 材料の違いだけでもかなりの数がある。そのほとんどが外国語表記で、タツミにはあまり読めない。


「材質は大きく分けて植物系、動物系、石油系、金属ガラス系、錬成系がある」


 独り言のつもりだったのにクヅキの解説が始まって、タツミは驚いて振り向いた。

 クヅキは手を止めずしゃべっている。反射で教えてくれているらしい。


「棚もその順番で並んでる。植物系は植物の繊維や綿わたを糸にしたやつ。主なところはコットンやリネン、さっきのレーヨン、キュプラ。動物系は毛や虫の吐く糸を依ったもの。ウール、シルク。髪、蜘蛛糸スパルク。石油系もいろいろあるけど、ナイロンとかポリエステルは聞いたことあるだろ。金属はそのもの金属を細く伸ばした糸もあるし、紙繊維にメッキした糸もある。いわゆる金糸な。残るガラスや錬成糸はかなり特殊で魔導紋特有の材料だ」


 怒濤の勢いでなんか説明された。

 なお、タツミの脳みそは「髪」「蜘蛛」の辺りで停止したので、その後は聞いていない。


「よし、できたー」


 両手を万歳にあげてクヅキが叫ぶ。


「ちょっとブロッサのとこ行ってくる」


 しゃべるだけしゃべって、叫んで、行ってしまった。


「……俺、まだ一個も片付けられてないな」


 ちょっと自分の無能さが悲しい。片付けぐらいできると思ったのだが。


 仕方ないので、集めたレーヨンの糸を書いてある数字で並べ直す。多分、これがクヅキの言っていた太さ、番手だ。

 数字もいろいろある。しかしすべて揃っているわけでもなく、飛び飛びのようだ。


 まずはこのレーヨンだ、とタツミは気合いをいれた。

 頑張って片付けて、クヅキが戻ってきたときにはきれいに片付け終えていたい。


「っよし」


「いやー、調子よく組めてよかったー」


 鼻唄混じりにクヅキが戻ってきた。タツミが思っていたより滅茶苦茶早かった。


「……」


 クヅキは椅子にぽすんと腰掛けると、あろうことかタツミの仕事ぶりを眺め始めた。


「……」


 タツミは背中に視線を感じる。タツミのどんくさい動きはさらに鈍くなった。


「えー、ええと」


 番手も色もたぶんここだろうという棚が分かっても、もし間違っていたらと考えてしまって何度も見直すことになる。

 けれども、こんなにもたもたしていては、やっぱり使えないやつだとクヅキに思われるだろう。


「タツミは」


「ははははい?」


 名前を呼ばれてタツミが驚いて跳ねるように振り向いた。クヅキはタツミが驚いたことに驚いた。

 驚きすぎて椅子から腰が浮いた。


「え、ごめん。驚かせてごめん。そんな集中してるとは思わなかったから」


「いえ、いえ、すみません、大丈夫です」


 いまいち二人は噛み合わない。

 もちろんそれはタツミがヘボだと思われまいとガチガチになっているせい、もある。

 でも実はクヅキもそこそこ緊張と警戒の中にある。さっきブロッサから「一番仕事を辞めたくなるのが三時間目」と聞かされたからだ。


 そろそろタツミが来てから三時間。せっかく手に入れたE判定タツミを逃がさまいとしている。


 ラブコメならともかく、しょうもない男二人のすれ違いとか面白くともなんともないので早めに終わらせて欲しい。


「あー。話しかけていい?」


「は、はい、大丈夫です」


「いや、片付けしながらでいいんだけど。俺も仕事しながら話すし」


 そう言ってクヅキは山になっていた仕事をひとつ取る。


「あ、はい。片付けながら」


 タツミも糸棚へ向き直る。

 神経の半分を背後の雇い主に向けているから、やっぱりその働きはのろかった。


 クヅキは修復依頼分の魔導紋をチェックしている。直しの必要なところを見つけると、メモを書いてまち針で留める。


「タツミはさー。どんな紋衣が欲しい?」


「ええと、どんな? って……?」


 クヅキが朝していたタツミの紋衣を作ろうという話である。タツミはすっかり忘れているが。


「お前の紋衣だよ。例えば、日常で便利なやつとか、仕事用とか、戦闘用とか」


「え、俺のですか?」


 タツミ、すっぱり忘れている。

 チンピラが目の前で死んだりパン屋へ行ったりご飯を食べたり、とにかくいろいろあったので、タツミの脳みそでは仕方がない。

 クヅキはまさか忘れられているとは思っていない。


「うん。タツミのだよ」


「えーと。俺、今まであんまり紋衣とか、買ったことなくて。よく分かんないんですけど」


 そう言いながら、タツミは今朝がたフルオーダー紋衣が2000万とか聞いたな、とやや思い出した。

 改めてとんでもない値段だな、とちょっとびびる。


「え、まじか。そうなんか。だいたいうちの客は『こういう術を使うための紋衣が欲しい』ってのがあって来るんだけど。タツミが普段よく使う魔術ってなに?」


「ええと、すみません、俺、魔術苦手なんで、あんま使えなくて。せっかくですけど、紋衣とか、俺にはもったいないっていうか」


 タツミの魔力はせいぜい家庭魔動機を動かすことにしか使われていない。


「そういうやつこそ、ちゃんと紋衣装備したら術が簡単になって便利なんだぞ」


 煩雑な術を簡単にするための紋衣である。

 そう思うと、なんとなくタツミも興味が湧いてきた。

 のそのそ動いていたタツミの片付けの手が完全に止まった。


「普段使う術がないなら、護身になる簡単な防御魔術で組むとかどうよ? あるいはタツミ、なんかやってみたいと思ってた術とかあるなら、それでもいいけど」


 やってみたいこと。自分では到底できないとあきらめていたこと。

 なんかある?とクヅキに聞かれ、タツミは少しためらった。ためらったが、意を決して答えた。


「あの、俺。空が飛んでみたいです」


 飛行魔術。


「…………………………ほう」


「や、その。すみません。無理? 無理ですよね。俺の魔力と技量で飛行魔術とか。すみません」


「いや。いやいや。別に無理じゃあない。というか、その程度の無理を無理と一蹴したら、俺の刺繍師としての名が廃る。やれって言うなら俺が組んでやるが。やりたいのか、タツミ?」


 タツミはクヅキを振り返った。

 クヅキは手元の紋衣に視線を落としている。タツミからその表情までは窺えない。

 本気でやりたいと願っていいのか、冗談でからかわれているのか。タツミは迷った。


「ん? どうよ、タツミ。やる? やらない?」


 あくまでクヅキはタツミの意思を問うている。

 自分で決めろ、と言っている。


 タツミは勇気をふりしぼった。


「俺、作って欲しいです。作りたいです、飛べるやつ」


「おーけい。任せろ」


 タツミの腹の底の方からなにかが込み上げる。それは喜びか安心か、小さな震えになって全身に広がり、タツミはぷるぷる震えた。


 言葉も出せず、ただクヅキを見つめることしかできない。

 クヅキはそれに気づかなかった。針箱を引き寄せ、目当ての糸がついた針がないか探している。


 クヅキとしては、もっと便利な紋衣も作れるのになぁと思っている。

 せっかく一着作るのに、飛ぶためだけの紋衣だなんて余興みたいなやつでいいんだろうか、と。

 そう思うから、敢えて重ねてそれでいいのか確めただけである。

 それで本人が望むのなら、まぁそれでいいだろう。


 タツミの紋衣を作るのは、実際の製造工程を見せて練習させるためである。出来上がる紋衣が趣味だろうがなんだろうがあまり関係ない。本人が作りたいかどうかの方が重要だ。


 そんなわけで、やっぱり二人の思考は噛み合っていない。

 ただ奇跡的になんとなく良い感じに進んでいると言えなくもない。


「ん。ない。タツミー、絹の25番の黒っぽい糸取ってー」


「え、あ、はい。えっと、絹、絹。絹……?」


「シルク。えす、あい、える、けー。シルク」


「ああ! はい、ちょ、ちょっと待ってください」


 わたわたとタツミが棚や糸を探し始める。

 それをのんびり待ちながらクヅキは思った。


 焦るタツミの動きは、なんだかネズミに似ていて面白い。

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