06 タツミくん、道連れにされる


「あ、ブロッサ」


 会議室、と呼んでいる部屋にクヅキは目当ての人物を見つけた。


 長い栗色の髪を結い上げた女性が、名前を呼ばれて振り返る。工房の共同経営者、ブロッサムだ。

 耳元で赤い石がきらめいた。


「ちょっとクヅキ、この忙しいのにどこ行ってたの?」


「あー。接客。ごめん、これ在庫になった」


 もと客の、遺品になりそこねた紋衣を見せる。


「ちょ、それ! だから客は選べって言ったじゃない! あんなチンピラ相手にして!」


 すごい剣幕で怒鳴られた。


「そうだけど。案外すんなり前金払ったからいけるかと思って。チンピラだって金を払うならお客様だろ」


「最終的に払わないなら大統領だってお客様じゃないでしょうが! もう、苦労して作ったのに!」


「前金だけでもちゃんと黒字なんだからいいだろー」


「良くない! 私の労力はお金に換算できない!」


 そう言って持っていたマグカップの中身を不機嫌そうにすする。


「だからごめんって。あと俺とこいつにもコーヒーちょうだい」


「はぁ?」


 ようやくブロッサはクヅキの後ろに隠れたタツミに気がついた。

 丸くて大きな榛色の目がしげしげとタツミを見る。


「だれ、それ?」


「昨日入れた新人。タツミ」


 ブロッサは不機嫌な顔を捨てタツミに笑顔を向けた。


「そう。あたしはブロッサム。ここのデザイナー、兼仕立てと縫製の責任者よ。気軽にブロッサって呼んで」


 本来彼女はファッションデザイナーであるが、小さい工房ゆえにパタンナーも縫製もする。仕立てに関わるお針子の監督者でもある。彼女の存在はとても大きい。


 手を差し出され、タツミはどぎまぎしながらその白い手を握った。


「あの、タツミです。よろしくお願いします」


 ブロッサはにぎにぎとタツミの手を握る。きれいなお姉さんにそんなことをされ、タツミはあやあやあやあやと狼狽えまくった。


「……この手。ど素人?」


「うん。でも俺が刺繍を仕込む」


「え、刺繍要員? ってことはもしかして?」


「例の求人テスト合格者」


 あらまぁとばかりにブロッサは目をしばたいた。


「……あんな胡散臭い求人広告にひっかかる人間が本当にいるなんて……」


「そ、それほどでも」


「あたし褒めてないから、別に」


 手を離す。


「なんでもいいけど。いちから仕込むんじゃあ時間かかるでしょうに。まぁがんばってね」


 クヅキとタツミの両方へなげやりな言葉を放り、コーヒーメーカーへ向かう。

 起動紋スイッチに触れるとブロッサの魔力が流れ込み、機械は豆の粉砕を開始、濃いコーヒー豆の香りが広がった。


 クヅキは大机のスツールに腰掛け、隣の椅子を叩いてタツミを呼ぶ。

 タツミは、迷ってクヅキとブロッサとを見比べた。

 前にクビになった店は口うるさかったことを思い出したのだ。コーヒーを淹れるのは、たぶん新人がすべき仕事だ。

 ブロッサにやらせて突っ立っている(あるいはのうのうと座っている)のは、まずいのではないか。


「俺、がコーヒーとか、やりますか?」


 困ったあげくに聞いてみると、クヅキは「え?」という顔をした。


「だってお前。あれ高性能なメーカーだから。タツミの魔力じゃ日が暮れるぞ?」


 雑務は新人の仕事→タツミの魔力量では魔動機の動作が遅い→仕事が遅いと怒られる→無能とクビになる。というのは確かにタツミのいつもの流れで、正鵠を射たクヅキの指摘にへこむしかない。


「です、よね」


「ちょっとクヅキ、言い方!」


 さくっと二人分のコーヒーを淹れたブロッサが振り向いてクヅキをにらむ。


 コーヒーを受け取りながらクヅキは嘯く。


「俺なら日が暮れるどころか一生淹れられない」


 その一言でブロッサはクヅキがタツミに対してあけすけに接していることを知った。

 工房長は本気でこの新人を買うつもりらしい、と思う。


 ブロッサは微笑んだ。


「まぁそういうことはうちでは気にしないで」


 立ったままのタツミにもコーヒーを手渡す。


「あ、ありがとう、ございます」


「コーヒーを飲みたくなったときは、ライドウにでも頼むといいわ。すぐ淹れてくれるから」


「そうそう。それが適材適所ってやつだよ」


「……いくら合理的だからって、あれだけ魔力のある人間を家政夫に使ってるあんたは大概だと思うけど」


 ブロッサも向かいのスツールへ腰掛けたので、タツミもそろりそろりとクヅキに指定された椅子へ腰を下ろす。


「ところでクヅキ。今やってる05のデザインのことなんだけど」


 ブロッサムの細い指が落ちた横髪を耳にかけた。


「うん?」


「やっぱり右裾にスリット入れたい」


「はぁ? 右って。どこ?」


 ブロッサが後ろの長机へ手を伸ばし、帳票をひとつ引き寄せる。

 デザイン画を開き、指先で大胆に線を描く。


「ここ」


「……っはあ! ふざけんな。そんなとこぶった切られたら組み込んだ紋も切れるだろが!」


「でもここにスリットあったほうが絶対かっこいい。あと動きやすい。戦闘紋衣ならなおさら動きやすくなきゃ駄目でしょ」


「にしたって! 今さら! もっと早く言え。せめて紋組む前に!」


「パターン切ってて思ったんだもん。仕方ないじゃない」


 クヅキにとっては綺麗な魔導紋を重ねることこそが大事で紋衣のかっこよさなど二の次なのだが、逆にブロッサはデザインのためとなったら絶対に引かない。


「デザインは変えようがないけど、紋は組み直せばいいでしょ」


 そして折れるのは大抵クヅキだ。


「むうん。徹夜してやり直せばいいんだろ。もう次はないからな、変更は最後にしろよ!」


 嬉しそうにブロッサは鼻をならす。

 ああ、ブロッサさんのほうが強いんだな、とタツミはぼんやり思う。


 憤懣やるかたないクヅキはタツミの耳にそっと口を寄せた。


「ブロッサの名前、フルだとブルーブロッサムっていうキラキラネー……」


 ごすッという鈍い音とともにブロッサムが分厚いファイルでクヅキの頭をぶん殴っていた。

 クヅキが沈黙する。


 やっぱりブロッサさんのほうが怖いんだな、とタツミは学習した。


「で? その在庫になっちゃった紋衣はどうするつもり?」


 クヅキはぶっ叩かれた頭をさすっている。


「……フリーサイズでいける寸法だし、もう少し紋をカスタムしなおして、ほとぼり冷めたら既製品で出す」


「ふうん。じゃああんたに任せる」


 放っておけばクヅキが好きなように改造してさらに高値で売りつけられるようにすることをブロッサムは知っている。

 オーダーメイド工房としてはレディメイドをあまり出したくないが、背に腹は代えられない。

 そして出来る限り早くやらないと、金庫番モズクに噛みつかれるだろう。


工房長マスター


 その金庫番の呼び声がして、クヅキは小さく飛び上がった。


「はっ。あ、モズク。なに?」


 戸口に少女が立ってクヅキを見ている。

 相変わらず感情の読めない無表情だ。


「チンピラは棄ててきた」


 抑揚の少ない、鈴を揺するような声で言う。

 を終えて戻ってきたようだ。


「あ、ああ。ありがとう、モズク」


 礼を述べつつ、しかしちょっとおつかいが早いようにクヅキは感じた。


「……ところで、棄てたって、どこへ?」


「ん。下のお店の前」


 一階には大家のパン屋がある。


「……やっべ」


 報告を終えたモズクはくるりと身を翻し部屋を離れる。


「あんた、また客殺したの?」


 事情を察して呆れ顔をするブロッサムもしっかり裏社会の一員だった。


「殺してない。死んだだけ」


「同じでしょ。ほら、早く行きなさいよ」


 ブロッサムに手でしっしとやられてクヅキがぐぬうと声を漏らす。


 クヅキだってあの大家に関わりたくはない。

 が。大家の店の前に死体を置いておくのはどう考えてもまずい。一刻一秒も待たずなんとかしなければならない。


 一人で行くのは嫌だったので道連れを作ることにした。


「……タツミ、ちょっと一緒に来い」


 あごをくいっと動かす。

 タツミは目を丸くした。


「ふぇっ」


「ちょ、あんた。いくらなんでもそれは」


 タツミが行ったってなんの役に立つわけでもなく、むしろただ危険なだけだと思ったブロッサも一応止める。

 が、クヅキは、なにもタツミに一人で行けと言ってるわけじゃないと主張した。


「どうせここで働くならそのうち大家には面通ししとかなきゃなんだ。ついでだよ、ついで」


 ついでという名の、最悪のタイミング。


「ほらほら、タツミ早く」


 クヅキは先に部屋を出て、まだ座ったままのタツミをせかす。


「あ、は、はいっ」


 タツミも飲みかけのコーヒーを置き、慌てて立ち上がった。

 それを見送りながらブロッサムが言う。


「タツミ……くれぐれもパンは食べないように、ね?」


 戸口で振り返り、タツミが答える。


「は、はい。あの、ブロッサさん、俺。今日朝ごはん食べてないんでめっちゃお腹が空いてるんですけど……やっぱ食べちゃまずい……ですか……?」


 言い終わる前に引きずられていった。


 ブロッサは思う。

 たぶん、タツミはなにをしに行くか分かってない。

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