05 タツミくん、ちびる(ないしょだよ!)
来客のために二階へ降りる途中でクヅキはタツミとモズクを引き合わせた。
「モズク、これが今日からうちで働くタツミ。タツミ、こっちは金庫番のモズク」
「はぁ、あの。よろしく、お願いします」
先行く少女へタツミは頭を下げた。少女モズクは振り返りもせず、タツミは無視された。
「ごめん。モズクはこう見えて魔獣なんで、人間みたいな愛想がない」
「へ、ま、魔獣?」
人間以外の生き物で、魔力を持たないのが動物、魔力を持つのが魔獣に分類される。
ちなみに人間として数えられない「魔力のない人間」は、なので動物ということになる。
「うん、魔獣。でも大丈夫。愛想がないだけでいい子だし。それにうちの会計は全部モズクが握ってる」
彼女の会計能力はずば抜けていた。
文字通りの金庫の番人だけでなく、帳簿処理、原価計算、仕入れ管理、売上計上に至るまで工房の金のすべてがこの少女にかかっている。
昨日の金の延べ棒だって
だからモズクの帳簿には
というのはタツミ本人には言わなくていいか、とクヅキは思って黙っておいた。
「モズク、お客様を応接室へお通しして」
クヅキの言葉に対してモズクはひとつうなずき、とことこと先へ行く。
「ただし! チンピラとかクズとか呼ばないように!」
モズクはうなずくこともなく、戸の向こうへ消えた。
「うーん。接客向きじゃあないんだよなぁ」
本業が金庫番なのでその辺りはクヅキもうるさく言えない。
応接室としてタツミが連れられて入ったのは、なんだか豪華な部屋だった。
足下には分厚い絨毯。豪奢なシャンデリア。向かい合う革張りのソファ。一枚板の大きなローテーブル。アンティークな飾り棚。
昨日の入り口の部屋の雑風景さとは比ぶべくもない。いや、この工房へタツミが来て見た中で明らかに一番高い部屋、だろう。
ぽかんと口を開けて立ち尽くすタツミを見てクヅキは笑った。
「ま、安くはない商品を売るところだから。体面ってやつだ」
「はぁ、なるほど。俺、てっきり入り口のとこの部屋が応接室なんだって思ってました」
「まさか。あそこはライドウの私室」
「え?」
入り口が人の私室ってそれはどういうことだ。と思ったが、タツミがクヅキに聞く前にモズクがやってきて、会話はそこで終わりになった。
「工房長、お客…(のチンピラ)…様」
モズクが後ろに一人男を連れている。
あ、チンピラだ。と、タツミはその男を見て思った。
確かに、お客様と呼ぶには、少々柄が悪い。そして小者臭い。
「お待たせしました。どうぞこちらへ」
愛想のいい笑みを顔に貼りつけたクヅキが男をソファへ招く。
男はがに股で、肩をいからせ、尊大そうに座った。
絶対チンピラだ。
案内を終えたモズクは出ていってしまい、タツミはどうすればいいか分からない。
オロオロしていたら、ちらりとタツミを顧みたクヅキに目で黙って隅に立っていろと言われた。
慌てて隅っこへ避難する。
タツミは、チンピラとか苦手だ。
「ご要望通りのお品ができております」
それはタツミに話すときとは打って変わった物腰の柔らかい声で、タツミは若干誰これと思わないでもない。
「おう、見せろや」
横柄な客の態度もクヅキは笑顔でさらりといなす。
目つきの悪さも隠せて一石二鳥。
「こちらです」
クヅキはソファに座らない。チンピラのそばに膝をついて品を広げて見せる。
スタンダードな外套型の紋衣。遠目のタツミの目でも分かるほどびっしりと、細かい紋が刺繍されている。
そんなものでこのチンピラがなにをするつもりなのか。タツミには想像も及ばない。
チンピラはそれを眺め、満足そうな息を鼻から漏らした。
「必要であれば紋の説明とご確認を」
「そんなもんはいい。てめぇの腕のよさは噂で聞いてるぜ」
ありがとうございます、と目を細めてクヅキが答える。
たぶんこいつ聞いても理解できないんだろうな、と思いつつ。
「では最後にお会計を」
にっこり計算書を取り出す。
「お客様には前金として400万すでに頂戴しておりますので、残金896万を現金か金でお支払お願いします」
400万円たす89……ともかく900万円ぐらいだからあの紋衣の値段はつまりえーと1300万円ぐらい……?
うわたっか!
と思ったのはタツミだけではなかったらしい。
「おい、ふざけんなよ、刺繍屋」
「ふざける? どういう意味ですか?」
「ちっと高過ぎんじゃねぇか?」
いやいやいやふざけてんのはそっちだろ。とタツミから見えるクヅキの背中に書いてある。
「ご冗談を。ご注文時点で金額には同意いただいているはずですが?」
「それがぼったくりだろっつってんだよ、こっちは」
ぼったくりだがそれに同意しただろお前。
とクヅキも思っているので、ぼったくり価格ではあるらしい。
チンピラはチンピラっぽい短絡さで懐に入った
「だから俺は払わねぇ。痛い目見たくなけりゃ黙ってそいつを渡しな」
壁際にくっついたタツミは震え上がる。が、目の前で銃を見せられたクヅキの体は小揺るぎもしていない。
「そう言われても。困りますね」
タツミからはクヅキがどんな顔をしているかは見えないが、実はまだかろうじてチンピラが金を払うお客様である可能性があるので、うっすら愛想笑いは続けている。
でもそれが逆にちょっと怖くてチンピラの気を逆撫でしていたりする。
「お気に召さないなら
前金はお返ししませんが。
クヅキにそう言われ、チンピラは完全に逆上した。
「っるせー死にたくなきゃさっさと寄越しやがれ!」
とうとう銃を抜いた。いまだ膝をついているクヅキに向ける。
ひぃという小さな悲鳴がタツミの口から漏れた。
が、その程度クヅキに対して脅しになるわけがなかった。クヅキもまた裏社会の住人である。
「諦めて帰るか支払うか、どちらにしろ選べるのは今、だぞ」
最後の忠告。チンピラは聞き入れなかった。
「うるせぇ奪うまでだ」
目をつぶって顔を覆うタツミの耳に乾いた銃声が三発響いた。
「はわわわ!」
死ぬ殺される。と思ったが、しばらく経ってもタツミを襲う弾丸はなかった。
三発きりでその後部屋はまったく静かになった。
「
モズクの声がした。銃声を聞きつけて来たのだろう。
「生きてるよ」
クヅキの無事な声。
タツミはそっと目を開けてみた。
クヅキが立っていて、倒れたチンピラを見下ろしていた。
「……え。なに、が……?」
「ん? 別に」
クヅキがとんとんと敷き詰められた絨毯を爪先で叩く。
絨毯には、それは手の込んだ刺繍が施されている。
「紋の起動条件は他者を損なう動作。発生事象は能動者への反射。ここで誰かを殺そうなんて、バカなことするから」
条件が緩く事象の幅が広がるほど魔導紋は複雑化し難しくなるのだが。
それを可能にしてこその刺繍師、である。
この絨毯ほどの広さがあるなら、クヅキにとってはさほど難しい仕事ではない。
タツミは離れたところから倒れたチンピラをそっと見た。
チンピラは、頭を撃ち抜かれて死んでいる。
「ひぃっ、警察……!」
「いやいやいや。自分で撃った弾で死んだんだから自殺だって」
自殺でも十分警察案件である。
「だからうち違法な闇業者だから。警察まずいから」
そうだったーとタツミは頭を抱えた。
「さてと。片付けないと。悪いけどモズク、ライドウに掃除を頼んでくれる?」
モズクはこくりとうなずいてライドウを探しに出ていった。
クヅキは隅で丸まってぷるぷるしているタツミの背をさする。
「ごめん。かっこよく商売してるとこ見せるつもりだったんだけど。初っぱなから失敗例見せちゃったな」
やや謝る観点がずれているような気がしないでもない。
「でも、こんなこともそう滅多にないからさ。ある意味貴重な体験できたな、お前」
なんでこれはこれで良かったよねみたいな顔をしてるんだ、この人。
「よし。気分転換に上でコーヒーでも飲もう」
タツミの手を引っ張って立ち上がらせる。タツミは引きずられて歩き出した。
階段を上がりながらタツミは恐る恐る聞いてみる。
「あのお客さん、死んじゃって大丈夫、なんですか?」
「あー。そりゃどんなチンピラでも死んでいい人間とかいないから、大丈夫ではないだろ」
そうだろうが。タツミはそういう倫理的なことが聞きたいのではない。
じゃあなにが聞きたいのか。実はよく分からない。
「それでもあれは自殺だ。俺が殺したわけじゃない。どうしようもない」
タツミの雇い主は最高の開き直り方をしている。
「あーでも。あのチンピラの親分って誰だったかな」
クヅキが後ろ頭を掻く。
そりゃ子分が死んで黙っている親分などいないだろう、とタツミも思う。果たして親分が、自殺だというクヅキの主張を聞いてくれるかどうか。
さらに厄介なことになりかねない。
クヅキは言った。
「ソファも絨毯も血でべったり汚れたからなぁ、損害請求しないと。あとで調べよう」
「……」
たぶん、タツミが心配する必要など、なにもないだろう。
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