04 タツミくん、舞い上がる


 クヅキが壁の前に立つ。


「この壁に貼り出されてるのがお針子へのオーダーだ。つまり、こっから仕事を選んで仕上げて持ってくれば、その分の賃金を払う」


「は、はぁ」


 壁にはタツミが目を回すほどたくさん貼り出されている。


「細かく分業してある。型抜き、刺繍、仮縫い、縫製、いろいろだな」


 クヅキが紙の右すみに書かれた数字を指し示す。


「で。これが報酬価格だ。オーダーの中身で変わる」


 言われてタツミはあっちこっちの数字を見比べた。

 なるほど、500円1000円といった安価なものから50000円だの100000円だのという、とんでもないものもちらほら混じっている。


「これって高いのは難しい、とかですよね?」


 タツミには指示の内容の難易度など見ても分からない。

 100倍もの金額差のつくことがちょっと不思議だった。


「まぁな。ただ金額は、作業難易度だけじゃなくってでも変わる」


「へえ。へ、え? き、危険?」


 いまだかつてお裁縫が危険だなんてはなし、タツミは聞いたことがない。


「なにが危ない、んですか……?」


「なにって魔導紋が。複雑化した紋を重ねてる途中は不安定だからな。不用意に触ると魔力が暴発して木っ端微塵になる」


 タツミでさえ知っている。それは、通常使用されるような紋で起きることではない。

 そういうのは、本来作成不能レベルの高等魔導紋のはずだ。たとえ理論上は可能でも構築途中に暴発する、つまり実現不可能。そういう、幻の紋。

 めまいがしそうだ。


「そんな紋入れるって……それどんな紋衣……?」


「んー。どんなって。別に。お客様の要望次第」


 しれっと工房長は言う。

 が、そんな紋衣は絶対に政府の規制を越えている。


 ああ、ここは違法な闇工房だったな。と、ようやくタツミは理解した。


「いや、でも。作れるはずないのに……、どうやって?」


 おろおろ尋ねるタツミの肩をクヅキはぽんぽん叩いた。


「そんなもの。んだ。だったら、。そうに決まってるだろ?」


 そもそも暴発する魔力のない人間ならば幻レベルの高等魔導紋の作成が可能。

 言われてみれば確かにそうかもしれないが。

 そんなのは、そんなものは普通の発想で出てくるものではない。

 だって、そんなこと誰一人やっていない。


 目の前のこの男以外は。


「それで、求人がEF判定歓迎だったって、ことですか……?」


「うん。E判定魔力が低いやつなんて希有な人材、よく来てくれたよ」


 タツミの肩に手を置いたままクヅキが微笑む。いや、ほくそ笑む。


「どうしてなかなかそんなやついないからな。今まで肝心の刺繍ができるのが俺一人だったし、たとえド素人でもアホでもなんでも本当に助かる」


 ぽんと金塊を出してしまう程度には、実はクヅキはタツミを買っていた。もちろん逃がさないためのエサでもあったが。


 ああ、でも。とクヅキは続ける。


「いくら最低辺つっても魔力がある以上、場合によっては指ぐらい軽く吹っ飛ぶから。重々気をつけろよ?」


 指が吹っ飛ぶような仕事が『全く問題ない』わけがない。

 ないのだが。

 これまで魔力が低いことを嘲られ、無能を罵られ、使えないと捨てられるばかりだったタツミにとって、人生で初めて人から求められた瞬間だった。

 ころりといった。


「はい! 気をつけます!」


 嬉しくなって満面の笑みで力強く答えた。

 ころっころだった。


「まぁでも。とにもかくにもド素人だからな、当分はひたすら練習だ。針の持ち方から布目の数え方から、俺がきっちり仕込んでやるよ」


 うっかりタツミが指を吹っ飛ばすとしても、おそらく相当先のはなしだろう。

 ノーレイティング小説であり続けるためにもそれはありがたい。


 クヅキが紋衣の制作工程について説明しだしたのをうすぼんやりと聞き流しながら、タツミはふと思う。


 この雇い主は、たぶんすごい人なのだろう。常人が発想できないような制作手法を着想し、実行している。

 そう、魔力のある普通の人間なら、魔力の低い人間を馬鹿にする普通の人間なら、思いつくわけもない方法を。


 すごい人なのだろう。だが、もしかして、この人も自分と同じように魔力が低いのではないか。


 その思いつきは、タツミの中で軽い興奮と親近感を湧き上がらせた。


 。さっきクヅキは確かにそう言った。


 だから。たぶん。きっと。そうだ。


 本来なら魔力が低いかなどと聞くのは憚られるのだが。一人で勝手に舞い上がったタツミは抑えられなかった。


「あの、クヅキさん、は」


「あ?」


 クヅキの眉間にしわが寄り、その目つきが兇悪になる。

 せっかくの説明を上の空で流すだけでは飽き足らず、タツミが唐突に遮ってきたからだ。

 タツミはそれに気づかない。


「もしかして、クヅキさんも魔力が低い、E判定とかですか?」


「ああ゛?」


 うるさいアホウと怒鳴りかけた言葉を呑み込む。


 タツミのクヅキを見る、見下ろす瞳はあまりに真摯で、熱さえ感じるそれにクヅキはたじろいだ。


 不躾で不必要な問いだ。でもクヅキは答えることにした。


「違うよ」


 タツミの瞳が揺れる。


「違う。俺は、俺にはお前ほどの魔力もない。ゼロ。魔力なし、だ」


「なし……って、F判定……?」


「うん」


 魔力を持たない。そう判じられたが最後、それは人間として扱われなくなる。


「ふわあ、初めて見た」


 タツミが感嘆の声を上げてしまったのも仕方ないと言えば仕方なかった。

 魔力のない人間自体が珍しい。社会ではまず出会わない。魔力がないと分かった時点で保護対象としてどこかへ連れて行かれるからだと言われている。

 つまり、タツミは初めて自分よりの人間に出会った。


 なんか喜んでるタツミの頭をクヅキは力一杯はたいた。


「やかましい! Eだって大概珍しいわ!」


 魔力がないと知られるのは危険である。自ら教えるなど絶対にするべきではない。

 するべきではないが、それでもクヅキがほぼ初対面みたいなアホに正直に答えたのは、クヅキにとってタツミが誠意を示すべき相手だと思えたからだ。

 タツミは分かってないけど。


「ああ、腹立つー。もういい。お前、口で説明したってどうせ分からないだろ。無駄だ、これ。腹立つー」


 タツミは叩かれた頭をさすっているが、クヅキだって叩いた手をさすりたい。地味に痛い。


「え、なんかすみません。ちゃんと説明聞きます」


「いやだ。無駄だもん。それよりお前、紋衣のオーダーしろ。一回自分で作ってみれば早いだろ」


「え、俺、紋衣を、ですか?」


 うんうんとクヅキが頷く。


 自前の紋衣を作ろうなどと、今までタツミは思ったことがない。

 そんな必要がなかったからだが。それでも、それはちょっとわくわくする提案だった。


「あの、ちなみに、紋衣っていくらぐらい、するんですか?」


「フルオーダー2000万」


「……………………ふぉ」


「セミオーダーなら700万ぐらい?」


 もちろんそんな大金、昨日野垂れ死に寸前だったタツミにあるはずもない。


「あれ? 俺、昨日お前に金の延べ棒渡さなかったっけ?」


 にやにやとクヅキが言う。


「タツミお前、昨日の金はなにに使ったんだよ?」


「あ、あれは」


 昨日までのタツミは、仕事が見つかるまで帰ってくるなと兄に言われて数日間街を彷徨っていた。しかしめでたく(?)仕事が決まり、昨夜は久しぶりの家へ帰った。

 そして、意気揚々と就職の報告をして、ついで扱いに困った金塊を懐から出し。


「なんか兄に回収されました」


「あ、アホ。……いやまぁお前の好きに使っていい金だから好きにしていいけど」


「あれっていくらぐらいなんですか?」


「あー。昨日のブツはK24の5キロだったから。ざっと2800万ぐらい」


「……………………ひょ」


 タツミが変な声を出す。


「俺、……俺昨日、そんな大金を持って歩いてたんですね……」


「うん。うん? うん」


 あまりに大金すぎてタツミの頭の回路はたぶんどこかが切れたのだろう。

 妙にずれたところが怖くなった。


 ともかくタツミの金の使い道などどうでもよく、クヅキはタツミの肩をぽんと叩いて話を続けた。


「まぁ別にお前の紋衣の代金とかいらないから――」


工房長マスター、」


 静かに小鈴を振るような、少女の声が割り込んだ。

 いつのまにか戸口に小さな少女が立っている。


「お、モズク。なに?」


「お客のチンピラ様が来た」


 お人形のごとく整った無表情で少女モズクは言う。


「本日お渡し予定のあのクズが、受け取りに」


 クヅキが頭に手をやった。


「……モズク。仮にもお客様だからね?」


 そしてタツミを振り返る。


「まぁいいや。タツミも来な」

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