02 タツミくん、サインする


 タツミは立ったまま主人とやらが出てくるのを待った。


「なんだよ! 俺は今くそ忙しいんだぞ!?」


 奥から大きな声でのやりとりが聞こえてくる。

 さっきの男より若そうな、やや甲高い声だ。


 これが主人の声か。だとすると、めっちゃ怒っている。間が悪い。あるいは、虫の居どころが悪い。


 忙しいところすみませんもういいですやっぱり帰ります。

 と言い捨ててタツミは逃げようと思った。


 踵を返そうとするのとほぼ同時に奥への扉はぶバダンっと乱暴に開いた。逃げられなかった。御愁傷様である。


 不機嫌マックスといった顔の主人がさっきの男と出てきた。

 やはり若い。タツミとそれほど違わないように思える。

 やや小柄な体躯でほっそりしている。

 目つきは怖いほど鋭い。

 男だ。が、一瞬性別を迷うような透明感を全身に纏っている。


 主人はきつい目つきのまま、タツミを上から下まで一眺めした。


「こいつか? 客か? 金があるようには見えないが?」


 家政夫の男はまじで呼び出してきただけらしい。微塵も話が通っていない。

 なお、家政夫はさっさとソファに身を沈め、雑誌の続きを読み始めている。本当に雇われた家政夫だろうか。


「あの、すみません、違います。その、求人を見たもので、応募してみようかと」


 主人の鋭い目がさらに細くなる。


「ほう? 求人を? どこで?」


「どこ。ええと、裏道の。貼り紙が」


 正確な道の名前など覚えていない。なんとかそれらしい町名で伝える。


「ここの住所は? どうやって知った?」


 まるで尋問のようだ。答えが気に入らなければ殺すとでも言いたげな目つきで、タツミは汗が止まらない。


「きゅ、求人の裏に書いてあったので。赴けって。来たんですけど、すみません」


「ってことは。お前は貼り紙を剥がして裏を見たのか?」


 やばい殺されると思いながらタツミはこくこくと頷いた。


 確かに貼り紙を剥がしました申し訳ございませんでも連絡先は裏って読むには剥がすしかないじゃないですかどんな罠ですかそれ!


「で? その剥がした貼り紙はいまどこに?」


 死んだ。俺、これ、絶対死んだ。と絶望するタツミ。


「剥がして……住所見るために持って来ちゃった……んですけど……さっき……灰になりました……」


「持ってきた。で、さっき? ってのは正確にいつだ?」


 しかし主人はそれが燃えたことではなく、妙なところを突っ込んで聞いてくる。


「えと、ついさっきです。ここで。その、急に火があがって」


 なぜ急に燃えたのか、タツミには本当に全く分からない。


「剥がすときや持ってくる間、煙が上がったりはしてなかったのか?」


 主人に聞かれ、タツミは詳細を思い返してみる。煙は、そんな予兆は燃え上がるまで一切なかった。


「なかった、です。急に燃えたので」


「剥がすときもまったく平気だった?」


 質問の意図がよく分からない。


「別に……あ、いえ。剥がすとき、ちょっと静電気みたいでしたけど。紙で静電気とか、おかしいですよね……」


 混乱するタツミをよそに、主人は得たりとほくそ笑む。

 目つきが悪い上に目を細めいているから、それは物凄く悪い笑みのように見える。


「いや。おかしくはない。お前、どちゃくそ魔力低いな。だろ?」


「……ど、どちゃくそ……低いです」


 ここまでコテンパンに言われるのも業腹だが、事実だしそういう社会だ。でなければタツミは野垂れ死にそうにならなかったし、こんな胡散臭いところへも来はしなかった。


 ので、タツミは素直に認めた。

 主人は満足そうに頷く。顔は、相変わらず悪そうだった。


「だろうな」


「どういう、ことですか?」


 恐る恐る尋ねると、主人は案外あっさりとタネを明かしてくれた。


「求人の紙には発火の紋を仕込んであった。ある程度魔力のある人間が触ると魔力が流れ込んで火がつく、ってやつな。だから魔力のある人間ではここの住所へたどり着けないようになってたわけだが。ぴりっとしたお前はちゃんと紋には反応したが、発火させられるだけの力がなかったっつーことだな!」


 あははははと笑い飛ばされても、タツミには笑えない。


「で。ここで急に燃えて灰になったってことは。ライドウ、お前紙に触った?」


 主人が家政夫の男へ顔を向ける。

 男、ライドウはちらりと雑誌から顔を上げた。


「ん? 俺? どうだったかな。触ったかもしれない」


「お前の魔力量じゃ一瞬だ。むしろ爆発しなくて良かった、まじで」


 そう言った主人の顔は恐ろしいほど真顔で、ということは場合によってはとんでもなく危険なものを公共の場へ貼り出していたことになる。

 大概やばいやつだと察するべきなのだが、ぽかんとしたタツミは気づかない。


「ってわけで、ここへ来られたっつーことは、テストには合格だが」


 じろじろと主人がタツミを値踏みする。


「て、テストってことは、本当にEとかFとかの人間を探してたって、ことですか?」


「あ? そうだが? そう書いてあっただろ? EF歓迎つって。むしろ魔力高い人間とかいらん」


 あっさりそう言い放つ。が、世間の採用基準からすれば、あり得ないことだ。

 タツミは目を丸くした。


「で、だ。そっちのテストはさておき、肝心の仕事の話だ。お前はお針子、裁縫や仕立てや刺繍の経験はあるのか?」


「う。ない、です。未経験は、まずいですか?」


「いや。未経験でも採用は構わない。ただ、うちは完全出来高払いだ。未経験だと最初は稼ぐのが厳しい。それでもお前がいいのなら、俺は構わない」


 どうだと聞かれても、タツミはもちろん稼ぐために働きたい。が、そもそも他に就職口がないなか、稼ぎの多寡をどうのと言っていられる身の上ではない。


「厳しいったって、そいつの少ない魔力なら割りのいい仕事がとれるだろ」


 ライドウが顔も上げずに口を挟む。


「俺はそいつ面白いと思う。採れよ」


 一応タツミを後押ししてくれているものらしい。わずかに喜ぶタツミの横で、主人は逆に難しい顔になった。


「お前が、推す? てことは、こいつにはとんだ欠陥がある可能性が?」


「欠陥つーか。そいつ俺好みのアホだった」


「なんだ、ただのアホか。アホならまぁいい」


 賢明な就活人ならまず逃げただろうが、タツミは確かにあまり賢明な性質ではなかった。

 アホアホ言われて多少は癪にさわったが、それよりなにより仕事が欲しかった。

 バカめ。


「で、どうする? うちで働くか?」


 うっすら笑みを浮かべる主人に聞かれ、タツミは反射でうなずいた。


「俺、仕事、なんでも、したいです」


「オッケー。それじゃあ採用だ。ライドウ、契約書用意してくれ」


「っ、めんどくせーなー」


 そう言いつつライドウが立ち上がる。一応この男も雇い主の言葉は聞くらしかった。

 片隅にあるカウンターの向こうをがさがさとあさりだす。


 主人のほうは奥への扉へ引っ込もうとし、その途中で振り返った。


「あ、そうそう。うちって違法な闇業者だけど、俺それ言ったっけ?」


「へ、え、いえ、聞いてません」


「そっか。うちは違法な闇業者だよ。でも職場としてはブラックじゃないから良かったな!」


「そ、そうなんですか。それ、もうちょっと早く」


「ま、見れば分かるよな、そんなこと。じゃ、用意してくるからちょっと待ってて」


 扉の向こうへ消えた。


「あったあった。たぶんこれが雇用の契約書だな。おい、えーと、タツミだっけか。こっち来いよ」


 ライドウにカウンターへ呼ばれ、タツミはふらふらと歩み寄る。

 その顔色が微妙に青いのを見てとってライドウが笑う。


「おいおい、そんな不安がるなよ。大丈夫だ。とりあえず試しに働いてみる、それでいいじゃねーか。それでもし駄目だったって、別にコンクリに詰めて海に沈めればすむ話だ。大丈夫だよ」


 それは全く大丈夫ではない。

 タツミの顔色が青から白になったのを見てライドウはさらに笑う。なので恐らく冗談だろうが、タツミはそれに気づける状態ではない。


 そんなタツミを放置して、ライドウは取り出した小刀で指先を切る。

 取り出した契約書の四隅に血判をつく。

 ライドウの魔力に反応した契約書が起動した。ぼうとその文字を浮かび上がらせる。


 これは、けっこうガチな契約のやつだった。

 タツミ、お前、大丈夫か。


「お、契約書できた?」


 なんの用意をしてきたのか知らないが、主人も戻ってきた。

 ライドウはカウンター上のそれを指し示し、それから出番は終わりとばかりにぶらりとソファへ戻っていった。


「さて。ところでお前、名前なに?」


 今さらと言えば今さら名前などを聞いてくる。

 そういえば履歴書とかは要らないのだろうかとタツミはそっと思うが、主人は履歴書のりの字も言わない。

 ということは、ライドウの履歴書要求はまじでなんだったんだ。

 そんなことは私も知らない。


「た、タツミ、です」


「ふうん」


 微かに顔を傾げた主人の瞳は、綺麗な薄黄緑色だった。


「そうか。タツミ、ね。俺はこの工房の経営者にして責任者、工房長の刺繍師クヅキだ。以後末永くよろしく」


 にかりと笑うと目つきの悪さが消え、人懐こい子供じみた顔になった。


「ちなみに俺は雇われ家政夫兼居候兼パトロンのライドウな。よろしく」


 ついでにソファの方から変な名乗りも飛んできた。


「よ、よろしくお願い、します」


 本当によろしくしちゃっていいのか、タツミよ。


「タツミ、この契約書の文言に同意できるのであれば、署名しろ」


 そう言って主人ことクヅキがそれを読み上げる。


「いち。雇用主である工房長クヅキの命令には絶対的服従でもって従う」


 雇用条件も賃金明記もくそもないぶっちぎりの恣意的文言だった。

 これでは雇用契約どころかただの身売り契約である。

 が、あまりに堂々と読まれたため、なんかだいたいそんなもんだろうという気にタツミはなった。


「に。ブロッサムには一切の手を出さない」


「は、え? と、ブロッサムって?」


「ん、うちの従業員というか共同経営者っていうか、ともかくそういう感じの女」


「あ、はい」


 また改めてちゃんと紹介するとのことなので、なんだかよく分からないが、雇用契約書に書くことか、それは。

 と、かろうじてアホのタツミも思ったが言わなかった。偉い。いや偉くない。言え。聞け。署名してしまう前に。


「さん。一階のパン屋のパンは死んでも食べない」


「え、なんで? ですか?」


 ものすごく良い香りのパンだったから、機会があれば食べたいと思っていた。

 なんなら今この二階へも芳しい香りが昇ってきている気がする。


「ヤバいヤクが入ってるからだ、アホウ」


 顔をしかめたクヅキが言う。


「一度でも食べてみろ。あのパン屋の女主人の下僕になるぞ。そんなやつ、うちでは雇わん」


 実際のところ、体内の魔力を増幅してラリさせ中毒化する類いのヤクなので、もとの魔力が低すぎるタツミでは一度二度食べた程度ではさほどの中毒症状はでない。

 ということをクヅキは知っているが、不親切に教えてやる気はなかった。


「は、はい」


「なお、その女主人はうちの大家なので、間違っても失礼は働くな。パンを勧められたら笑顔で買え。そして捨てろ」


 やはり不条理な感じの条項だった。

 タツミにはできうる限り一階とは関わらないことをお勧めする。無理かもしれないけど。


「以上、三点に同意するなら署名を」


 ペンを握らされ、タツミは立ち尽くす。


「おう、よーく考えろよ。引き返すなら今が最後のチャンスだぜ。署名したら逃げられないからな」


 外野からヤジのような忠告が飛んでくる。

 ヤジを飛ばすライドウは完全に面白がって笑っている。


 タツミは、契約書とクヅキと交互に見比べ今にも目を回しそうだった。

 そんなタツミに対し、クヅキは真面目くさった顔で頷いてみせる。


「そんなに難しい話じゃない。細かいことは確かに書いてないが。要はこのみっつの就業規則を守れるかっていう、それだけだ。それさえ守れるなら悪いようにはしない」


 そのわりには悪魔の契約みたいだが。

 あと、守れなかった場合の処遇も念のため聞いておいた方がいいと思うぞ。ってタツミには無理か。


「で、だ。もし今この契約書に署名するなら」


 そう言ってクヅキはどんとでかい金の延べ棒をカウンターに置いた。

 クヅキが用意しに行ったのはコレだった。


 唐突な輝きに目を当てられ、タツミの目がさらに白黒する。


「お前はこれを就職仕度金として持って帰り、好きに使うことができる。もし署名しないなら、お前は裸で帰ることになる。どっちがいい?」


「ひょえい?」


 恐らく、引き返すことのできる最後のチャンスはとうの昔に逃していたのだろう。


 朗らかな笑みでクヅキが決断を迫った。




 それからしばらく経って、パン屋の前へと降りてきたタツミの懐にはやたら物量のある塊がひとつ放り込まれていた。


 とりあえず。タツミは金塊の換金方法をよく知らない。

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