08 タツミくん、安堵する


 タツミとライドウは部屋に二人っきりになった。


 タツミがライドウを窺い、ライドウがタツミを面白そうに眺める。

 その間タツミは腹が鳴るのを懸命にこらえていた。


「魔女、怒ってたか?」


 ライドウが聞いてくる。


「ま、魔女……?」


「一階の魔女」


 ようやく魔女というのは大家のことらしい、とタツミにも分かった。


「ええと。怒ってたっていうか、なんか怖かったです」


 ぷは、とライドウが吹き出す。


「そうか、なんか怖かったか。あれで昔はなかなか愛らしい少女だったんだけどなぁ」


「あ、怖かったんですけど、美人でした」


 タツミが正直な感想を漏らすとライドウはさらに声をあげて笑った。


「ははは、美人! ああ、まぁ、気を付けろよタツミ。魔女は大概若作りだからな」


 さて、とやっとライドウが笑いを収めて言った。


「飯食べるなら四階だ。ついて来な」


 四階。今朝がたクヅキから主人のプライベート空間だと説明された場所である。


 多少の気後れを感じながらもタツミは先に部屋を出たライドウを追った。


「あ、その扉は閉めてきてくれ」


「え、あ、はい」


 言われた通りに扉を閉める。


 先に階段を昇っていくライドウの背中は大きい。タツミの目は足元とライドウの背とをせわしなく行き来する。


 タツミの頭は『ライドウが若作りだと言った大家は一体何歳なのか』という疑問でいっぱいだった。


 タツミの目から見た大家は明らかにタツミの母親よりも若い。

 それにライドウは小さい頃の大家を知っている、らしい。二人の歳はそれほど違わないはずだ。

 しかしライドウは大家が若作りだと言う。

 ……そもそもライドウはいくつなのだろうか。

 タツミにはさっぱり分からない。


 二人が上がった四階は、この建物の最上階だった。


 考え事でぼやぼやしているタツミをライドウはダイニングキッチンへひきずり込んだ。


 大きな窓とバルコニーのあるダイニングはとても明るい。まぶしさにタツミが立ち尽くす。


「ほら、突っ立ってないで。そこに座れ」


 タツミにテーブルを指し示し、ライドウはキッチンへ向かう。


 いくつかの短い呪文を唱えると、ライドウの意思と魔力を受けた調理機たちがめいめい働きだす。


 言われた通り座ったタツミからバルコニーに干された洗濯物が見えた。

 風にひるがえるそれは、昔話の絵本で見るようなほのぼのとした光景だった。


「洗濯、外に干すんですね」


「ん? ああ。クヅキがなんか日に晒すのが好きでな。別に干してもなんの意味もないと思うんだが」


 むしろ塵や虫が付くからせっかく清潔にした服が汚れるとさえ思う。

 洗濯を干すなんて衣服を水で洗っていた昔の風習だ。

 今は全魔動洗濯機の時代である。魔力で洗えるのだから洗濯物は水に濡れない。干す意味はない。


 しかしクヅキがライドウの魔力に濡れたパンツを穿くのは気色悪いとか訳の分からないわがままを言う。ので面倒だが希望通り干してやっている。

 なんやかんや言いつつ甲斐甲斐しいライドウだった。


「ほらよ、フェセジャンだ」


 大きなボウルにたっぷりよそった煮込み料理がタツミの前に置かれる。

 湯気とともにそれはもう美味しそうな匂いが立ち上ってくる。


 フェセジャンは代表的な家庭料理でまったく珍しいものではない。しかしこれは、タツミがこれまで家や給食で食べたやつとは明らかに違う!

 とタツミでも分かるほど具材や調味料、香草をちゃんと使った、手間も金もかかっている煮込みだった。それが、惜しげもなくボウルいっぱい。


 ライドウの料理は美味しいというクヅキの言葉は本当らしい。


「いいから早く食べろよ」


 感動しすぎてフェセジャンを見つめて動かなくなったタツミの頭をライドウはスプーンでこづいた。


「白飯は昼に合わせて炊き上がるようセットしたから今はない。適当に即製パン焼くからそれでいいな?」


「あ、はい」


 ライドウからスプーンを受け取り、一匙すくいあげる。

 汁が赤いからトマトベースらしい。

 ひとくちで口内に旨味が染み込んできた。野菜か魚介か香草か、なにかよく分からないがとにかくタツミが唸るほど旨かった。


 無我夢中になったタツミは、がつがつとフェセジャンを掻きこんだ。


 さすがにその食べっぷりにはライドウも驚く。

 目を瞠っているうちにごろごろあった具が無くなっていく。見ていると面白いほどだ。


「あ、やべ。パンが焼きすぎになる」


 うっかりタツミの食べっぷりに見惚れていた。

 慌ててパンを覗くと、……微妙に若干やや強めの焼き色になった。まぁタツミならいいだろう、なんでも。


 今日のフェセジャンの具だと若者タツミには肉っ気が足りないだろう。

 牛肉のしぐれ煮も小鉢で温めてやる。

 なんやかんや言いつつ甲斐甲斐しいライドウだった。


 パンと小鉢を持って戻れば、タツミはすでにフェセジャンのボウルを空にしていた。


「……おかわり、食べるか?」


 タツミがもごもごと口を動かす。

 正直、まだ食べられる。食べたいが、さすがに厚かましいだろう。


「あの、いえ。じゅうぶん、です」


 舌の上の旨味を名残惜しく楽しみながら頑張って遠慮した。


「いや、食べたいなら食べられるだけ食べろよ」


 ライドウにはタツミの遠慮が筒抜けだった。

 問答無用でボウルを取り上げた。


「遠慮ならいらん。クヅキが少食で全然作り甲斐がないからな、お前の食べっぷりにはちょっと惚れたぜ、俺」


 またボウルにごっそりよそってタツミの前に置く。

 食べたがらないクヅキにこんなことをした日には嫌そうな顔をされるだろうが、タツミはとても嬉しそうな顔をした。


「ありがとうございます!」


 今度はがっつくことなく、それは美味しそうにもりもり食べ始める。


 さすが食べ盛りだなぁ、とライドウは思った。


「ん、すみません。朝食べてなかったんで、めっちゃ腹減ってました」


 テーブルの向こうに座ったライドウへタツミは言った。

 ライドウはタツミが食べるのを愉快そうに見ている。


「なんだ、食べてこなかったのか。寝坊か?」


「や、そうじゃ、ないんですけど」


 むしろ不安と緊張でめっちゃ早く起きた。


「あの。兄が怖い人で、うち」


「は? お前の兄貴? それが?」


「えーと。なんていうか、俺が大食いなんで、兄が怒るというか」


 兄に無能の癖によく食べる、と責められるのはタツミにとって非常にしんどい。


「ふうん。兄貴がね。親は? なにも言わないのか?」


「いえ、親は特に」


「兄貴が怒ってても?」


 タツミのフェセジャンをすくう手が止まった。


「あー。父は、あんまり家にいなくて。母は、なんていうか、実の親子じゃなくて。俺、あんま話さなくて」


「ふうん」


 へどもどと説明するタツミに対してライドウは適当な相づちを打つだけだった。

 聞かれたので答えたが、やはりライドウはタツミの個人的事情になど興味ないのだろう。

 話さない方がよかっただろうか、とタツミはライドウを窺った。


「ん? もう腹一杯なのか?」


 ライドウが、手を止めたままのタツミに小首を傾げ、まだ食べられるだろうと聞いてくる。その顔は微かに笑っている。


 タツミは目の前に美味しい料理があることを思い出した。


「あ、まだ、食べます」


 タツミの腹はまだくちくない。というか、本当に美味しいのでいくらでも入りそうな勢いである。

 どこまでおかわりをもらっていいものか、悩む。


「お前が大食いなのは」


 悩みながらもまた勢いよく食べ始めたタツミを見てライドウが言う。


「魔力因子の生成期に必要な栄養を取れなかったからだな」


「ほい? どういう? ことですか?」


「魔力を産み出すのは細胞の中の魔力因子だろ? その因子の数がつまりその人間の魔力量に直結するわけだが。魔力因子も成長とともに増加する、つまり成長期がある」


 一般的に身長の成長期より数年早い、と言われる。


「魔力も魔力因子も結局は食べたものがエネルギーだからな。必要な栄養が足りてないと十分な生成がされず、もちろん低魔力になるし、さらに因子の魔力効率が悪くなるって研究結果がある」


 燃費が悪いから生命維持と魔力維持のために大食いになる、という理屈だ。


 これまで低魔力のくせによく食べると言われることはあった。それが燃費が悪いせいだと教えてくれた人は、タツミの周りにはいない。


「そ、そうなんですか?」


「そうだ。もちろん魔力量には遺伝的な形質や能力や訓練や、いろいろな要素があるから一概には言えないけどな。でも成育環境も大きな要因だ」


 だから栄養や教育が不足しがちな裏町の子供の魔力は平均的に低い。そして金持ちの多い都会の学校の子供は高かったりする。


「逆に言えば、タツミお前。ピークは過ぎてるとはいえ、まだお前の因子の成長期は終わってないはずだ。今からでもちゃんと栄養とって訓練すれば、お前だってもう少しは伸びると思うぞ?」


 現状がE判定レベルだからもともと才能は低いだろう。急激に伸びるとか人並みになるほどの希望はない。

 それでもライドウの見積もりでは、タツミでもD判定ぐらい出せるはずだ。


「ほ、ほんと、ですか?」


 タツミがライドウの言葉に目を輝かせる。


「おう、俺が言うんだから、確かだ」


 E判定がD判定になったところでいい加減人並み以下だ。それでもEとDとでは全然違う。世間の目も就職の機会も、違うのだ。


「ふわあ、よかったぁ」


 喜ぶタツミをライドウは目を細めて見守った。

 もしタツミの魔力が伸びたらクヅキは残念がるだろうが、タツミにとってはその方が断然生きやすくなる。喜ぶのが道理だ。

 そして、もしここでタツミが安易に飛びつくようなやつなら、クヅキのところにそんなやつは要らない。


「俺、ありがとうございます。なんかほっとしました」


「うん。ん?」


 タツミは喜んでいる。と思ったが、どちらかというと安堵している、のようだ。

 タツミはほやほやした顔で言った。


「もし、もしここでもダメだったら俺、人生ほんとに終わると思って、野垂れ死ぬしかないと思ってたんですけど」


 うまく言葉にできず、タツミは懸命に考えた。


「でも、もしここでダメでも、俺、大丈夫かもなら。なんか安心っていうか、ここで頑張れる、と思います」


 残念なぐらいタツミの脳みそは高望みということを知らない。


 タツミにとってこの工房へ来たことは僥倖だった。魔力が低いことを歓迎されたことは奇跡だった。自分より魔力のない人間が格好いいことは歓喜だった。美味しい料理を好きなだけ食べさせてもらえることは至福だった。

 ここはタツミの安息の地に違いない。

 そう思ったから、そう思うほどに、失敗して追い出される恐怖が芽生え、大きくなり、タツミはそれに縛られつつあった。

 でもライドウの言葉がほどいてくれたようにタツミには感じられた。


「お前、やっぱりアホだな」


 ライドウにはタツミがどう感じたかなど分かるはずもない。

 タツミが真っ当に生きたいのなら選んではいけない方を選んだ、と思うだけである。

 ただし、真っ当でなくていいのなら、タツミは良い方を選んだ。


 タツミはアホだから動物的な嗅覚が働いたんだろう、と結論付ける。


「でも、お前みたいなアホの世話を焼くのが俺の趣味だからな。うまい飯ぐらい好きなだけ食べさせてやるよ」


 そう言うと、タツミは満面の笑みで力強く「はい!」と返事を寄越した。


「ただし! これ以上はいくらなんでも長時間の空腹の後に詰め込みすぎだ。また昼飯のときに食わせてやるから、今はやめとけ」


「え、また昼も食べてさせてもらえるんですか!?」


 タツミが驚きの声をあげた。



 クヅキが心配するまでもなく、タツミはあっさり餌付けされている。

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