第27話 小林、労われる
あんな全裸で家に帰って来たのに、平等に朝はやって来る。神様にとって人間が全裸で公道を走ることなど、取るに足らない出来事なのかも知れない。
何を怯えているんだ、小林光太郎。
朝の新聞に『全裸で爆走中年』の文字がない事にホッとした私。その後に飲むコーヒー。格別に美味い。
しかし、今日のテレビの星占いの私の星座は最下位。もう、占い師変えろ。
「ん?」
その時、私の視線に気になるニュースが飛び込んできた。記事としては大きくないが……これは?
その時、テーブルに置いてあった私のスマホが鳴った。妻が「食事中にだらしない」と怒ったが『逢坂』の文字を見て、咄嗟に出た。
「新聞記事、見ましたか?」
「あ、ええ」
新聞の小さい記事であったが。
『右手を突然上げるサラリーマンが急増?」という文字が見えたのだ。これは、もしかして……
「恐らく。水面下で我々の様なギャングチームの結成があちこちで行われているんでしょう。我々もウカウカしていられませんよ」
「いや、私は別にやるとは言ってませんけど」
「では、電車で」
そう言って返事も聞かずに電話は切れた。自己中な男だな。
そういや、今日は逢坂さんがウチにくる日だから、電車が一緒か。まぁ、タクヤも「逢坂さんにお礼言っておいて」と言っていたから、今日は別にいいか。
しかし、逢坂さんが言っていた通りだな。全然知らなかったが、我々以外にもあのダジャレの力のある人はいるんだな。
いい大人が恥ずかしい。
電車のホームに着くと、髪のセットとか服装とかがガッチリ決まってる逢坂さんがもうホームにいた。
「おはようございます」
すかした声で挨拶されたが、「コイツ、昨日全裸で道路走ってたんだよなぁ」と思い返したら、エリートぶってる逢坂さんが滑稽に見えた。どのツラ下げて、髪の毛セットしてんだって話だ。
「何笑ってるんですか?」
「いえ、別に。おはようございます」
がたんごとん。がたんごとん。
「そう言えば、参謀から小林さんに伝言です」
「桜木さんから?」
「参謀です」
「どっちだって良いじゃないですか」
「正確に言ったら、桜木は旧姓です」
仕事モードの時は細かい人だな。
でも、桜木さんからの伝言と聞いて、私はドキッとしてしまった。初恋とはいつまでも甘酸っぱいものなのだ。
「で、桜木さん、なんですか?」
「『ご苦労』だそうです」
「……それだけですか?」
「はい」
「他に何か言ってませんでした?」
「いえ、何も」
私は予想よりも遥かに少ない伝言の文字数に、心の中でため息をついた。初恋とはいつまでも苦い思い出なのだ。
「あと、ダジャレの能力を解く方法ですが」
「あ、それですよ。どうすれば良いんですか?」
それが分かれば、事によればタクヤの匂いは消えるかもしれない。
逢坂さんはポケットからメモ帳を取り出した。よく見たらボールペンがウチのやつだ。
「三つあるそうです。
一つ目はその能力を持っている人物がそのダジャレの能力を放棄する事。
二つ目は、その能力をかき消すオヤジギャグを使用する事」
一つ目は犯人を説得しないといけない、となると敵と交渉する事になり、かなりハードルが高い。
二つ目も、匂いが消えるオヤジギャグは自分でも記憶に無い。
一つ目しかないのか。
「三つ目は、その原因の能力者が言う、その原因のオヤジギャグで被害者が爆笑する事」
ん? なんか三つ目がややこしくて、意味が分からない。どう言うことだ?
「つまり、犯人にタクヤ君の匂いの原因となったオヤジギャグを言わせて、タクヤが笑えば、解除されるって事だと思います」
「無理でしょ、それ」
「とにかく、一つ目か三つ目ですね。どっちにしろ、奴らに証拠を突きつけて、懲らしめなければ話になりませんな」
「マジかぁ」
私は、ハードルが想像以上に高かった事にドッと疲れが出た。昨日のあの二人と瀬古川を倒して、服従させないといけないってことだ。
このゲーム、過酷過ぎるだろ。
「とにかく、敵の尻尾は見えて来ましたが、犯人が暴走して生徒たちの画像を拡散するとも限りませんからね」
「確かに」
「それよりも、まずは仕事です。頑張りますよ!」
「そうですね」
よし! まずは仕事だ。私は課長(仮)として、この企画を成功させなければならない。
気合を入れろ、小林光太郎。
まずは打ち合わせで存在感を示す。尾形に主導権を握られてままで黙っていられるか。手柄は奪えるならら奪う。それが資本主義だ。
「おはようっす!」
我々の部屋に行くと、気合十分の尾形が私と逢坂さんを出迎えていた。尾形はすでに一仕事終えたように汗だくだ。
「今日、打ち合わせですから。一時間早くきて、ウォーミングアップしてました」
気合い入ってるなぁ、尾形。何の意味があるか知らんが。
一方、始業ベルがさっき鳴り響いたのに、朝宮さんがまだ来ていない。遅刻だ。先週の居眠りと言い、だんだん本性を表して来た。真面目そうに見えたのに、一体、彼女は何者なんだ? 何故、遅刻をするんだ? 謎だ。
「主任。あの子、もしかしたら、とんでも無い子かも知れませんよ」
尾形がなぜか私に耳打ちしてきた。
私と逢坂さんしかいないのに、なぜ耳打ちするのか。無駄に唾がかかった。謎だ。
「いい意味でか? 悪い意味でか?」
「いや、あれは神にも悪魔にもなれるってヤツですね」
何故か、尾形は含みを持たせて報告してきた。なら神になってもらわねば。仕事で悪魔になったら確実にクビだ。
「遅れてすいません」
ドアが開き、謝罪と同時に朝宮さんが入ってきた。
しかし、真面目そうな若い大人しい女の子が息を切らし髪が乱れて入ってくると、たった数分程度の遅刻を咎めるという事が、こっちが悪い事をしている気分になって叱るに叱れない。
「あ、まだ始まってないから。いいよ。次は気をつけてね」
私は愛想笑いで、結局優しく許してしまった。尾形ならガツンと言いやすいのに。
前の部署でも、こう言う感じで遅刻と居眠りが黙認されて危険人物になっていったのではなかろうか?
それよりも気になったのが、彼女が持っている資料の量だ。トートバックみたいな手提げいっぱいに何か資料が入っている。凄い多いぞ。
机に置いたら、ドスンって言った。
「朝宮さん、それは何ですか?」
逢坂さんも気になったらしく、朝宮さんに机の上へ置いたモノの説明を求めた。
「いえ、あの皆さんが尾形さんのアイデアが分かり辛いって言っていたので、アイデアを私なりに組み合わせて、私なりに絵にしてみたんですけど」
彼女がトートバックから取り出した資料がチラッと見えた瞬間、驚きで思わず声が出てしまった。
「え、うまっ!」
「お、ダジャレっすか、主任?」
尾形の切り返しで、自分がダジャレを言っている事に気付かなかった。この私が自分の言ったダジャレに反応できないくらい、朝宮さんの描いてきたイラストがメチャクチャに上手かったのだ。
しかもその絵が何パターンもイラストに起こされている上にカラーまでついていて、もう内装業者に「こんな感じで」って渡せるレベルではないか。
「これは凄いですね。文字で説明するよりも、こっちの方が分かりやすい」
逢坂さんも見て、驚いていた。
尾形の正直ほとんど何言ってんのか分からない、あの酷いプレゼンが一枚の絵の中に完璧に分かりやすく落とし込まれている。
「それ描いてたら、夢中になって寝坊しちゃったんですけど」
「良いよ、良いよ。朝宮ちゃん。これだけ仕事したら遅刻したって大丈夫」
何で尾形が遅刻を許す権限を持ってるのかは知らんが、確かにこれだけやってくれたら遅刻くらい目を瞑るよ。
「朝宮さん、絵を描くの得意なんですか?」
「趣味で、ちょっと……」
私が聞くと、彼女は目を逸らして口籠った。これは多分、「ちょっと」ではないな。
話を聞くと、先週私が帰った後、あまりにも尾形の言っている事がチンプンカンプンなので、朝宮さんがシャーペンで絵を描き出したらしい。
それがあまりにも上手だったので、尾形が「じゃあ、来週の打ち合わせまでに全部描いてきてよ」と、笑顔で無茶振りしたらしい。コイツ、鬼かよ。
そしたら本当に朝宮さんが全部描いてきたらしい。コイツ、バケモノかよ。
「いやあ、ご苦労ね。朝宮ちゃん。がんば、がんば」
鬼が何の苦労も知らずに軽くて浅い言葉で労った。人の心に勝手にドリルで穴を空けていく様なコイツのこういう無神経な所がたまに羨ましく思える。
「あと、これが……」
と、朝宮さんがトートバックの中をまだ漁り出した。何だ、その袋。四次元ポケットじゃねぇか。
「あと、『お店に訪れたらこんな感じになる』って尾形さんが言ってたの、短い漫画にして来たんです」
と言って10ページくらいの漫画を朝宮さんが差し出して来た。これまたよく出来ている。
「よく描けたね。こんなのを」
「時間がちょっと余ったんで」
遅刻してきた人が「時間が余ったんで」って言ったら、「余ってねぇから!」と怒るところだけど、頑張ってくれたから何も言わない。私は優しい課長になりたいのだ。
「これは一回、先方の担当者に投げても良さそうですね。でも、一気に進展して助かりますよ」
「まぁ、俺が本気出せばこんなもんですよ」
鬼が全ての手柄を自分のモノにして、高笑いを決め込んだ。コイツ、アメリカとかならすげえ出世するんじゃないか?
尾形は結局、『ガムあげるよ』と浅宮さんの数日間の労力をガムで済まそうとしたので、昼休みに私と逢坂さんで、朝宮さんに会社の近くのちょっと高い鰻をご馳走した。
「ごめんね、朝宮さん。尾形が、こんな無茶振りして」
「いえ。尾形さんのアイデアを組み合わせていくのが面白くて、絵を描くのも凄く楽しかったですから」
と、ニコッと笑って彼女が言った。
初めて彼女の素の部分が見えたようでホッとした。赤鬼が笑った絵本を思い出した。
「何か、絵の勉強とかされてたんですか?」
逢坂さんが聞くと、彼女は俯いてしまった。
確かに、朝宮さんの絵を見るまで正直、ピンと来ていなかった尾形のアイデアが凄く良いものに感じられた。プロに頼んだら安くて数万はするレベルだ。
「私、漫画描くの好きで、それで今でも投稿してるんで……」
それを聞いて、私と逢坂さんは「やっぱりか」と顔を見合わせた。遅刻と寝坊の原因はこういう事か。
「じゃあ、今度、漫画見せてよ」
尾形は一瞬で懐に切り込んだ。朝宮さんは「いや、ちょっと……」と困った顔をしていた。多分、見せる事になる運命だろうな。私も見せてもらう。
不安だった仕事の方は、良い方向に行きそうな手応えが出て、私は安心した。と、同時に自分が何もしていない事に危機感を覚えた。
まぁ、いいか。
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