第26話 小林、裸一貫

「とにかく、車まで逃げましょう!」


 逢坂さんが素っ裸で外へ出ようとしたのを、私は必死で止めた。明日絶対に風邪ひくぞ。


「いや、この格好で外に出たら不味いですよ。まだ、不法侵入の方が罪が軽いんじゃないですか?」

「捕まったら、どっちにしろ終わりですよ。仕事の方も全部おじゃんですよ」


 そうだ。

 パニックになりすぎて、社会的に抹殺されると言う自覚から遠くなっていた。


「アルミ缶の上にアルミ缶。アルミ缶の上にアルミ缶」


 逢坂さんが「これで股間を隠して下さい」と言って、私にミカンを二つくれた。まったく、小さく見られたものだぜ。

 逢坂さんの方はと言うと、持参してきたライフルで運良く股間を隠せるので、私よりも幾分かマシなのである。


「とにかく駐車場まで人がいないのを祈るしかありませんね!」


 我々は全裸で外に出る覚悟を決めた。

 それは裸一貫、穴倉から無限に広がる大地を目指したネアンデルタール人の如く。未知の恐怖に恐れていては、明日のネットニュースの話題だ。


 床に落ちていた車の鍵とライターを逢坂さんのライフルの筒のところに入れさせてもらい、スマホと蜜柑二個を持って、出てきたトイレの窓から外に出た。

 神聖な学校の敷地内を二人の全裸のオッサンが全速力で走る。

 校門をよじ登る。門の金属が大事な所に当たって冷んやりして気持ち悪い。


 そんな時、遠くからサイレンが聞こえて来た。やばい、来たのか?


「小林さん、早く!」


校門を出ると道路から坂になっているところの両側に植樹が施されており、運良く身を隠せる大きさの木から、車を止めてある駐車場を見渡した。


 今なら、人はいない。対向車もいない。チャンス。


「行きますよ!」

「はい!」


 駐車場までの二百メートル余り、両手に持ったミカンで大事な部分を隠しながら、見方によっては美大志望のデッサンモデルが二人逃げ出したみたいにも見えなくもない格好で、路上を人生最大の全力疾走をした。

 もう、死ぬまで筋肉痛が抜けなくていいから、車まで間に合ってくれと祈ったのが功を奏し、我々は運良く誰にも見られずに車に辿り着いた。


「なんとか、無事でしたね」


 車の中に入ると、逢坂さんでさえ、切れた息を整えるのに時間を要した。あれだけ走ればそりゃそうだ。

 息を整え、私は車を発進させた。

 しかし、安心して家に向かっていた途中で私は大事なことに気付いた。


 この状況、妻になんて言えばいいんだ。

 なんで、息子と映画に出かけた男が全裸で帰ってくるんだ!

 クソ! 男には敵が多すぎる!


「小林さん! 伏せて!」

「え?」


 と、逢坂さんの声に前を見ると、対向車線からサイレンを鳴らしたパトカーがやって来た。

 裸で運転しているのは不味い! と、なるべく座高を下げ、ギリギリ、顔が窓から出るくらいで運転した。


「良かった。とりあえず、助かりましたね」

「いや、良くないですよ。あのコスプレ、高かったのに! ああ、妻になんて言えばいいんだ!」


 助手席で逢坂さんが頭を抱えた。

 気持ちは分かるが、私の息子の進退に関わる事にコスプレで来るなよ。


「でも、あの服を自由にできる男、アイツは使えますね」

「は?」


 突然、逢坂さんが嬉しそうに話し出した。この状況で何を言ってるんだ?


「あの男が仲間になれば、我々のチームの衣装も自由にデザインできますよ! よし、そうと決まれば、この戦い絶対に勝って、あの男をうちのチームに入れましょう!」


 この男、私の息子の事とか、ついでくらいにしか思っていないんじゃないか?


「そんな事より、タクヤのことを考えて下さいよ。タバコの写真が出回ったら不味いんですよ」

「それは分かってますけど。我々のギャングの活動だって大事じゃ無いですか。まず強いギャングを作らない事には我々のビジネスにも、幅を利かせられないですよ!」

「だからって、コスプレとかして来ないで下さいよ! 真面目にやって下さいよ」

「真面目だから衣装を整えてるんでしょう! 小林さんこそ、ギャングがジャージってどう言う事ですか! 誰が怖がるんですか、そんなの!」

「だから、私はギャングはやるなんて……」

「小林さん、警察!」


 サイレンを鳴らしたパトカーがまた横を通り過ぎた。その度に私は運転しながら体を縮こまらせて、ケンカはその度に中断した。


「そもそも何なんですか、このファミリーカーは! ギャングがこんな車乗っていたら、笑われますよ。もっとゴッツいアメ車とかに乗らないと!」

「別にギャングのために買った車じゃありませんから。嫌なら降りて、歩いて帰ってくださいよ」

「誰も嫌だとは言ってませんよ! 買い替える予定とかないんですか?」

「ありません」


 遠回しに『嫌だ』って言ってるではないか。


「てか、逢坂さんが買えばいいじゃないですか。ウチより金はあるんですから」

「私も妻も免許持ってませんから」

「はぁぁぁぁ!」

「小林さん、またパトカーです! 隠れて!」


 とにかく、こんな感じでなんとか警察をやり過ごし、我々二人は裸でなんとか、我が家に帰る事に成功した。

 家に帰るとタクヤも無事に帰って来ていた。牛込君とも同級生ともあの後に和解したと言っていた。


 良かった。さすが私を超えた息子。


 ちゃんと仲直りできたんだな。父さん、嬉しいぞ。


「で、服はどうしたのよ?」


 私がタクヤと全裸で話している所に鬼の顔をした妻が現れた。私は言い訳する暇も与えられず、妻にリビングの奥の和室に召喚され、纏う服すらも与えられずに説教される事となった。


「……すまん」


 男として、決して言い訳などせず、正直に真っ直ぐに妻に謝った。


「すまんじゃ分かんないでしょ! 何でその蜜柑もどうしたのよ。全裸でどうやって買うのよ」


 怒った妻には一ミリも効かなかった。


「実は……追い剥ぎに遭ってしまいまして」

「追い剥ぎが、服からスマホと財布は渡してくれたの? 優しい追い剥ぎがいるのね、この街には」


 言われてみればごもっともだ。


「アナタが『少し運動でもするか』って言うから、あのジャージ、結構したのよ! なのに走りもしないで家でゴロゴロゴロゴロ、で、やっと着たかと思ったら、『追い剥ぎに遭いましたぁぁ?』人を馬鹿にするのも良い加減にしなさいってのよ!」

「……すまん」


 沁みる。

 情けなさ過ぎて、「明日からは心を入れ替えて生きよう」と思う。それぐらいにこの説教は心に沁みた。


「すまん。こんな父親で……本当に」

「そんなのどうでも良いから! どこやったのよ! 息子と映画見に行って出てった人がなんで、素っ裸で帰ってくるのよ! タクヤはちゃんと服着て帰ってきたわよ! 服着て帰宅するなんて犬でもできるわよ!」


 無力だった。

 「実は道中、寒そうな地蔵があったからそいつに服を全部あげたんだ」って言い訳も思い付いていたが、「股間がない地蔵になんてパンツまで履かせるのよ!」って怒られそうで、言えなかった。


 妻、タクヤ、すまん。


 どうしようもない程に、何の言い訳も思いつかず、私は全裸で正座させられ、ただただ俯く事しかできなかった。股間を隠すために置いてある鏡餅みたいな蜜柑が情けない。


「何処やったのよ、行く時に着てった服は! 下着まで全部!」

「それについては私がお話ししましょう!」


 その時、襖が開いて、隣のリビングで待機させられていた、これまた全裸の逢坂さんが大事なところをライフルで隠した姿が悠然と入ってきた。なんかギター一つで「一曲歌います」と店に入って来た流しの歌い手みたいに見えた。


「ちょっと、アナタは後で怒りますから、そっちに居て下さい! 人の家を素っ裸で! 誰なんですか、アナタは!」

「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。実は、私、こう言うものです」


 と、逢坂さんは、どこに隠していたのかは知らないが名刺を差し出して、妻に渡した。


「瑛王、商事……?」


 妻はその名刺を辿々しく読み、ピクッと動きが止まった。


「ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私、瑛王商事営業部の逢坂と申します。ちなみに出身大学はT大です」

「瑛王商事でT大……あらやだ、私ったら! 気付かないですいません、瑛王商事の方だったなんて! もう、私ったら、そそっかしいんです。変な事を言ってすいません」


 と、妻と来たら、さっきまで全裸の人間を見て「変態」「馬鹿」などと罵っていたと思ったら、逢坂さんが瑛王商事でT大出身と分かるや、態度が180度変わってしまった。


「いえ、お気遣いなく。小林さんにはいつもお世話になっていますから。今日は少し都合がありまして、こうして全裸でお伺いしてしまいましたが、申し訳ありません」

「あらやだ、私ったら、もう! おかしいなとは思ったんですよ。そうですよね、T大出の良識のある方が全裸でいるって事は何か大事なご用件があったんですよね?」

「分かっていただけて、光栄です」


 と、妻の怒りは一瞬でプシューっと萎んでしまい、説教は終わってしまった。

 いくら何でも、権威に弱すぎるだろ。

 何が「あらやだ」だ。コイツ、T大なら空き巣にでもお茶を出しそうだ。情報商材とか売りつけられそうで心配だ。


「すいません。瑛王商事の方をお待たせして、お茶も出さないで」


 と、妻は説教を急遽中止にし、キッチンに走って行った。

 そしてヤカンに火をかけ始め、全裸の客人の為のお茶を淹れ始めた。


「すいません。私ったら気が利かなくて、少々お待ちくださいね」

「いえ。ご馳走様です」


 逢坂さんは私がいつも飯を食べているテーブルの席に座った。全裸で。

 良いんだよ、全裸のやつにお茶なんか出さなくても。


 説教が終わったのは良かったが、妻の世間知らずぶりが少し心配になってしまう私であった。



 逢坂さんに私の洋服を貸したが、胴長短足の私の体を包み込む布では、スラッとした体格をしている逢坂さんの体は荷が重かったらしく、ブカブカだったり、足の丈がおかしかったりだったので、タクヤの服を借りる事になった。


「ありがとう、タクヤ君。今度、洗って返すよ」

「いえ、今日はありがとうございました」

「でもタクヤのダジャレの原因が分かったとしても、匂いを消す方法はどうすれば良いんでしょう? ダジャレの効力を消す方法ってないんですか?」


 私が逢坂さんに尋ねると、


「あ、それでしたら、多分、家にメモがあるので、それを見れば分かるかもしれません」

「メモ?」

「夢の中で神様と会った時にメモを取ったんです。夢でとったメモ、私、現実でもかける特技があるんですよ」

「「すごっ!」」


 私とタクヤの声がハモって驚いた。


 逢坂さん曰く、

 寝る時にはいつも仕事のアイデアが浮かんで良いように、若い頃から枕元にメモを置いているそうだが、仕事のへのモチベーションが高過ぎて、寝る前どころか夢の中でもアイデアを考えるようになってしまったそうだ。


「それで、夢の中でメモした事が、不思議と寝ている時でも紙にメモれるようになったんですよ」

「「すごっ!」」


 エリートってのはこんな人間ハズレの能力を持ってるものなのか?


「で、ダジャレの神様が言ってた『オヤジギャんグ』のルールも全部、メモしておいたんです。今日、帰ってルールを確認しておきます」


 神様に会ったことすら覚えていない私とは天と地の差だ。


「父さん達のあの力って、やっぱり何かあるの?」


 タクヤが興味津々に聞いてきた。

 致し方なかったが息子に見られてしまったからには仕様がない。


「タクヤ、あの能力の事は他の人には内緒にしておいてくれ。いずれ、お前にはちゃんと話すからな」

「うん。わかった」


 すまんな、息子よ。話してあげたくても、お前の父さんは生憎、何も覚えていないんだ。


「それで、小林さん。原因のダジャレが分かったというのは……?」

「ああ。恐らく、原因はチョークです」

「チョーク? チョークがダジャレになるんですか?」

「『チョークは超クセェ』だとダジャレになります。制服と組み合わせると『超クセェ服』そのどちらかだと思います」

「おお! 確かに! 素晴らしい。さすが、小林さん!」


 自分で言うのもなんだが、多分、これで駄洒落は合っていると思う。

 あの牛込君が持っていた布切れは、おそらく制服を切り取った物。あれにチョークを合わせてダジャレを唱えれば、臭い匂いのする雑巾が量産できると言う仕組みだ。


 タクヤの机に仕掛けられた雑巾、あれもダジャレの犯人が能力で匂いをつけて、牛込君に渡していた。だから、牛込君は犯人ではない。


「でも、チョークを使ってるのは、別に俺だけじゃないよ? みんな使ってるよ。特に先生も」

「そうなんだ。ダジャレは分かったが、どういう状況で使われたのかが分からない。タクヤ、何でもいい。最近の教師とのやりとりで、何か変な事を思い出したら教えなさい」

「うん。分かった」


 タクヤだけが臭うっていうのは、タクヤにだけ、何か特別な行動があったに違いない。それにダジャレは呪文のようにダジャレを言わないと発動しない。


「チョークの駄洒落が使われる状況……」


 そもそも露骨な駄洒落をタクヤの目の前で言えば、タクヤだって覚えているはずだ。


 瀬古川はどうやって、駄洒落を発動させたのか?

 これが分からなければ、しらばっくれられて終わりだ。解決にはならない。


 ただ、かなり前に進んだ。服はなくなったが学校に忍び込んだのは正解だったかもしれない。


 あと一押しで解決できる。



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