第16話 小林、人質をとられる
人質を取られた私は、逢坂の後を着いて行くしかなかった。まぁ、話はちょっと聞きたかったから、その辺はラッキーだけど。
会社近くを流れている隅田川の川縁のベンチに腰掛けたが、逢坂は話を始める兆しすら無く、流れていく川をずっと眺めていた。
「昨日の事、私を騙していたんですか?」
私がそう言うと逢坂は「クックック」と子供のように笑い出した。
「営業をしていたら、奇跡でも起きない限り成功しないだろうって言う無理難題が何度がありました。そうなった時は奇跡を無理矢理起こすように努力するんですよ」
何を言っているんだ? 奇跡は起きないから、奇跡なんじゃないのか?
「あらゆる可能性を掻き集めて、あらゆる所に散りばめておくんです」
逢坂はそう言って、また私に向かって右手を差し出してきた。
「ダジャレをいうのは誰じゃ」
私の右手がまた勝手に上がった。
「このダジャレはダジャレ使いの個人情報を少しだけ知る事ができますよね?」
「ええ」
私の頭の中には逢坂の出身大学などもインプットされていた。天下のT大、桜木美咲とはそこで出会ったようだ。
「アナタがダジャレ使いだと知って、接触出来たまでは良かったが、生憎、アナタは過去の誤解から私を敵視している」
「まだ、誤解だと言い張るんですか?」
「予想外の事でした。ですから、どうしてもアナタを仲間に引き込む為の先立つ物が欲しかったんですよ。
アナタの情報を得る為にアナタがダジャレ使いだと知って以来、尾行をしていました。それで、何日かに一回、昨日の居酒屋に行く事は分かっていました。友人だったり一人で入ったり、それは日によってマチマチですが。
ですから、先週から平日の夜は、あの店のカウンターで私はずっとあなたが来るのを待っていました」
「昨日だけじゃなかったんですか」
「さらにアナタとウチの妻が中学の同級生だったと言う事も分かっていた。これはあくまでも偶然です。
妻の友人から『妻は学生時代、男子からモテた』と聞いた事がありました。学生時代の男子の人気と言うのは結構集中する事が多い。ですから、小林さんもウチの妻の事が好きだったかも知れない、と考えたワケです」
「まさか……」
「妻には事前にアナタが家に来るとは言ってありました」
桜木さん、知っていた? いや、それどころか、グルだったのか。
「そうやって可能性を散りばめて行くと、たまに上手く噛み合うことがあるんです。営業の基本は偶然を散りばめて必然にする事です。妻には、とにかくアナタと話をして時間を稼いで欲しいと頼んでおいたんです。アナタの弱みを探す為に」
逢坂はそう言って、私に手帳をチラつかせた。返せ。
「じゃあ、桜木さんが言ってた話も嘘なんですか?」
「話?」
「二年前にアナタが倒れたと聞きましたが、それも全部ウソですか?」
昨日の彼女の逢坂を見る笑み、今思い出しても演技には思えなかった。もしも、あれも演技だったとしたら、私は彼女に恐怖を覚える。
「それは本当ですよ」
私はホッとした。
「二年前に病気で倒れて、リハビリ後に職場へ復帰したら、私は一課から四課に転属になりました。
正直、人生で初めて味わう大きな挫折でした。四課に行っても、それまでエリート風を吹かせていたので、私は腫れ物扱いで、かなり浮いた存在になっています」
それで、一人で好き勝手に仕事してるのか。
思えば、浮いた存在でもない限り、こんな自由に動き回れる筈ないもんな。
「正直、何もしないでサボって、定年を迎えてもそこそこの給料は貰えます。
でも、そんな事をしたいとは到底思えない。妻にそんな姿を見せたくありませんからね」
桜木さんにカッコ悪い姿を見せたくないって事か。
「そんなに愛してるなら、なんで離婚届なんか持っているんですか?」
「これからの仕事に……いえ、これからの私の人生に必要だからです」
昨日、桜木さんが言っていたセリフだ。間近でニュアンスを汲んでも意味が分からない。
「何で離婚届なんか必要なんですか?」
「私は妻を愛しているからです」
逢坂は恥ずかしがる素振りもなく、私にそう言った。
「病気で倒れた時に、彼女に介抱され、改めて実感しました。私には妻しかいないと。
そして、これからは会社では無く、私と彼女の為に生きていくと決意しました。今のマンションに引っ越したのも、その為です」
「それと離婚届は、全く、繋がらないと思いますが」
「それはこの仕事をやって行けば、いずれ分かる事だと思いますが……小林さんはお断りの様ですから、一生知る事はないでしょうが」
逢坂は営業スマイルで見下すように私を見た。どうして、いちいち癇に障る素振りをしてくるのか。
「仕事と離婚届がつながる筈ないでしょう」
「いえ、この離婚届がなければ、この仕事は根底から破綻してしまいます」
逢坂は嘘を吐いている様子は無い。
分からない。
仕事と離婚届と文房具は繋がらないだろう。
「一課にいた時はとにかく利益を追求してモノを売っていました。でも、その考えはもう止めました。会社の利益とかはもう考えない事にするって」
「じゃあ、何を売るんですか?」
「これからは『売りたいモノ』を売ります」
逢坂さんはニコッと私に微笑みかけた。
さっきまでの私を挑発している笑みとは違い、屈託の無い生き生きとした人間が魅せる自然な笑みだった。
不覚にも同い年のサラリーマンとして、逢坂のその笑みにグッと引き込まれてしまった。
「それがうちの文房具なんですか?」
「ダジャレの具現化の能力を手に入れた時、小さい頃、夢中になったオモチャを思い出したんです」
逢坂はそう言って、鞄の中から懐かしい箱を取り出した。
それは、私が小さい頃に遊んでいた『こどもギャング』のパッケージであった。
「小林さん、これに見覚えはありませんか?」
「……こどもギャングですか?」
倉庫の段ボールが一つ空いていたのは、逢坂が先に来ていたからだったのか。
「私も子供の頃、よくこれで遊んでいました」
逢坂は懐かしそうに話し出した。
「私の家は父が厳しくて、勉強の邪魔になるとオモチャをあまり買ってもらえなかったんです。
そうしたら母が、私のために『こどもギャング』の文房具を買ってくれました。文房具だから、父も、学校の先生も気付かずに友達と良く遊んだ、楽しい思い出です」
私も小さい頃、あの文房具で遊んだ時のことを思い出した。危険だと言われ、発売中止になったが、それまでは私達は楽しかった。
安全と引き換えにワクワク感まで奪われたようで、正直、私は大人というものがしばらく嫌いになった。
「アナタが藤原文具の社員だと知った時、神に感謝しました。『こどもギャングで遊んだ、あの時のワクワク感。これを売ろう』と。スグに企画にして、藤原社長の元へ持っていったんです。そうしたら、面白いと即採用になりました」
あの社長、確かに昔から悪ノリが好きだったからな。
まさか、私と尾形が話していた企画が水面化で動いていたとは。
「でも、なんで私なんですか? 別にそれを売るだけなら、私以外の同世代の人でも出来るんじゃ?」
「アナタはダジャレの具現化能力を持った仲間だからです。この企画を行うにして、オヤジギャんグの仲間が居なければ始まらない。それが第一の理由ですね」
「でも、仕事とオヤジギャんグは関係あるとは思えませんが?」
「大有りです。
私はダジャレの神様からオヤジギャんグのルールを聞いた時、「この遊びは今後の経済を動かすポテンシャルがあるかもしれない」と感じました」
その話を始めた途端、逢坂の目の色が変わった。一流の営業マンの本気の目だ。
「私は『オヤジギャんグ』で水面化で最強のギャングを作り、そしてこの企画を大成功させる。それには今すぐ始めなければ遅い。そして、そこにはダジャレの天才の小林さんの力が欲しい」
「ダジャレの天才……」
不甲斐ないが……キュンとしてしまった。
初めて、私のダジャレの能力が他の人に評価された。それが逢坂であっても、私は喜びで顔が赤くなるのを感じた。
「まぁ、でもアナタはこの企画に参加してくれないので、この部分は修正するしかありませんが」
と、逢坂はこどもギャングをカバンに仕舞い、私を突き放す様に言った。
「アナタにお話しできるのは、ここまでですかね。それでは私は尾形さんたちと打ち合わせがありますので、そろそろ失礼します」
逢坂は、そう言って私の横を通り過ぎて行った。
私は「え、終わり!」と思い、思わず立ち上がってしまった。
「あの!」
そして、思わず逢坂を呼び止めてしまった。
「何か?」
逢坂の声は、さっきまでと違い、冷めた声であった。
「終わりですか? これで」
「ええ。では」
逢坂は素気なく、私を置いて歩き出してしまった。
「あの!」
私は物足りなくて、また逢坂を呼び止めてしまった。完全に相手に誘って欲しいツンデレの女の子だ。
「急いでるんですが?」
逢坂は面倒臭そうに立ち止まって言った。こっちもツンデレだ。ダブルツンデレじゃ話なんて進むわけが無い。
私は必死で頭を回し、何か話す事はないか? と考えた。そして……
「あの、私の手帳! 返して下さい」
「ああ、そうでした」
逢坂は私に手帳を返し、そして「では」とまた歩き出した。いや、そうじゃねぇだろう。
「あの!」
「なんですか!」
今度は二人とも怒鳴った。ダブル怒鳴りじゃ喧嘩にしかならない。
「アナタ、何をしようとしてるんですか?」
焦ったくて、ついに私は正直に逢坂に聞いてしまった。
「部外者に説明できる事は限定されるんですが……まぁ、強いて言えばSNSですかね」
「SNS、を作るんですか?」
「はい。オヤジギャんグと文房具で、SNSを作ります。しかも、デジタル要素が一切無い超アナログなSNSです」
逢坂はまたさっきの生き生きした笑顔で言った。
超アナログなSNS?
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