第29話 小林、鬼退治へ

 五時まであと十分。逢坂さんから電話が入った。


「先方の方が「あの案で行こう」とOKが出ました」


 後ろでなんかハシャいでいる尾形の声が聞こえる。先方で雄叫びを上げるな。


「最初は床から全部張り替えるので、向こうも少し難色だったんですが、尾形さんが目を血走らせてゴリ押しして通しましたので……ちょっと予算がかかるかも知れませんが」


 逢坂さんが小声で言った。

 今度はこっちの社長とかを説得する話になるぞ。まぁ、発起人は社長なんだから、責任は取ってもらおう。


「それで、今日、これから親睦会を兼ねた打ち上げをしようという話になっているのですが、小林さんも出て来られますか?」

「申し訳ありませんけど。私は遠慮させていただきます。三人で楽しんで来て下さい」


 逢坂さんが少し間を置いて、声を出した」


「もしかして怒ってますか?」


 逢坂さんも私を一人置いて行ったのを気にしていた様だ。そりゃ気にしたよ。凹んだよ。小四以来に拗ねたさ。

 でも、もうそんな事はどうでもいいんだよ、逢坂さん。


 怒ってないよ、私は。


「逢坂さん、私は瀬古川と話をしに行きます」

「なんですって!」

「逢坂さんは二人と行って下さい。私は一人で何とかします」

「ちょっと待って下さい。そう言う事なら、私も行きます」

「逢坂さんがいなかったら……朝宮さんが地獄を見ます」


 99パーセントの確率で100パーセント朝宮さんが尾形に振り回される。


「ですから。ここは私一人で」

「いや、でしたら明日にしましょう。それなら」

「それはできません。父親として一日でも早く息子を学校に戻したんで」

「小林さんっ」

「明日、二人には直接、祝福を伝えます。あと、朝宮さんに漫画の原稿を貸して欲しいと言付けを頼めますか? では」


 私は、電話を切った。


 終業時刻を過ぎても、私は椅子に腰掛け、ただ何もせずにいた。

 一日など待てる筈がない。

 すでに息子をあんな目に遭わせた怒りが限界だったからだ。


 六時。

 会社を出る前に瀬古川に連絡を入れた。

 二人きりで話したいと言う旨を伝えると、瀬古川は少し考え込んだ。


「でしたら、部活が終わって、八時に学校でよろしいでしょうか? 今日は私が施錠当番ですので最後まで残っていますので」


 やはり、自分が有利なフィールドに私を誘い込んで来た。


「分かりました。その時間に伺います」


 七時。

 家に帰り、バクバクと夕飯を食った。これから大事な戦いがある。栄養をつけないといけない。妻のコロッケも貰った。


 七時半。

 私は手帳を片手に学校へ向かった。


 八時。

 ヤバい、食い過ぎて胃が重い。

 生徒は帰り、明かりがほとんど消えた校舎。この前、忍び込んだ時と違うのは、職員室がある部屋だけ、窓から光を漏らしている事。


 今から明日にしてもらえないかなぁ?

 夕飯を食い過ぎたのは想定外だったわ。


 ただ、もう逢坂さんにも大見得を切ってしまった手前、明日、会社に行って「お腹痛いから止めました」では、ダサいを通り越して呆れられてしまう。


「なんで、今日にしたんだよ、俺」


 私はため息をついて、校舎に入って行った。

 やると言ってしまった以上、もうやるしかない。



 職員室に入ると、瀬古川がジャージ姿で一人、待っていた。


「そちらにお掛けください」


 言葉は丁寧だが、瀬古川の顔に笑顔が無い。私を敵と見なしている目をしている。


「それで、二人で話したい事というのは」

「ダジャレをいうのは、誰じゃ?」


 瀬古川の右手がスッと上がった。


「タクヤにあんな嫌がらせをした犯人はアナタですね。先生」

「何のことですか?」


 瀬古川がふっと笑って言った事で、私の怒りにエンジンが掛かった。


「惚けるな。私は父親として、お前と話しに来たんだ。牛込君らに雑巾を仕掛けさせたのもお前だろ?」

「確かに私もダジャレを具現化できる能力を貰いました。でも、小林の問題には関わっていません」

「知らないと思うが、目撃者がちゃんといたんだ。お前がタクヤにダジャレを使った時のだよ」


 私は鞄から朝宮さんの漫画の原稿を取り出し、瀬古川に見せた。


「お前が担任のクラスに朝宮沙織さんと言う生徒がいるはずだ」


 その名前を出すと、瀬古川は表情を変えた。


「朝宮? 彼女がこれを描いたんですか?」

「描いたのは朝宮沙織さんの姉に当たる、私の部下だ。彼女は沙織さんから話を聞いて、それをモデルに漫画にしたそうだ」

「それが何か?」

「この漫画の冒頭のシーン。ここに黒板を消す日直のタクヤを憧れの目で見ている朝宮沙織さんがいる。タクヤに確認を取った。五時間目の終わりだそうだ」


 私は原稿の件のコマに当たる部分を指さしたが不要だったようだ。瀬古川は勝手に漫画を読み進め、額から汗を流し出した。


 やはり、頭が良くないな。自分が犯人だと認めた様なものだ。


「この漫画。タクヤは黒板を消し終わると、教師がタクヤに近寄る。黒板を消した時のチョークの粉がタクヤの制服についているのに気付いたその教師は、タクヤにこう言った」


 瀬古川の目が泳いでいる。

 まさか、自分の失態が偶然にも漫画になっているなんて夢にも思っていなかっただろう。


「『小林、チョーク。チョーク、制服についてるぞ!』

 そう言って、教師はタクヤの制服の肩の辺りについたチョークの粉を払ってやった。だが、粉といえど、チョークはチョークだ。その瞬間、教師のダジャレ能力が誤ってタクヤに発動してしまった」


 瀬古川は俯いてしまった。


「チョーク制服についてるぞ。チョーク制服、ちょーくせぇ服。そう言ってダジャレ使いが右手でチョークの粉と制服を触った。これでタクヤの制服は強烈な匂いを発するようになった。

 そして、タクヤはあっという間にクラス、部活で噂になってしまった。

 それでお前は焦った。

 タクヤが制服を着ている時だけ悪臭を発するという不思議な現象。いつかは、生徒の誰かが「おかしい」と疑い出す。

 ダジャレの能力が世間に広まってしまうと、オヤジギャんグは失格になる。しかし、それ以上に問題なのは、生徒がイジメられている原因が、教師にあったなんて知られたら、もう教師では生きていけない。

 だから、お前はタクヤのイジメに加担して、タクヤを学校から追い出すことにした。

 同時に私も襲い、街から追い出してしまうという作戦に出た。

 制服が変われば、匂いは無くなる。タクヤの原因が突き止められる前に転校させてしまえと。違いますか?」


 私の問いに瀬古川は無言で俯いたままであった。


「タクヤの件は不可抗力だ。少しだけ情状酌量の余地はある。

 だが、お前は自分の部活の部員や牛込君を脅迫し、タクヤを学校から追い出そうとした。これが教師のやることか!」


 瀬古川がクスクスと奇妙に笑い出した。


「もし、私が「違う」って言ったら、どうするんですか?」

「お前が牛込君たちにした事、それとタクヤの制服がお前である事を生徒達の間で広める。そうすれば、嫌でもお前は学校に居られなくなるぞ。とっとと罪を認めろ」

「なら、まずお前をこの街にいさせられなくしてやる」


 と、瀬古川は私に突然、向かって来て、背広の襟を掴んできた。話すのに夢中で油断した私は、瀬古川の奇襲に対応できなかった。

 さらに瀬古川の右手にはすでにチョークが何本も握られていたのに気付かなかった。


「小林は制服で済んだが、俺のチョークが体に当たってみろ。一生、悪臭が消えない体になるぞ」


 必死で抵抗したが、いかんせん、何にも運動をしていないダラシのない体の私が、現役バリバリで部活の顧問をしている瀬古川のパワーに勝てる筈がない。


 私はあっという間に床に押し付けられ、顔にチョークを当てられた。


「この件には関わらず、大人しく小林を転校させると言え。そうすれば、体に臭いをつけるのは勘弁してやる」

「ふざけるな! お前はタクヤ達に謝れ!」

「謝る? 証拠はどこにある? ダジャレの能力は警察も誰も調べられない。証拠なんか何処にもないだろ! 事情を知っているお前達以外には! お前ら親子とあの逢坂って男、二度と外に出られないようにしてやる」


 瀬古川がニヤッと笑みを浮かべ、ダジャレを唱え出した。


「チョークが超くさ……」

「主任!」


 声と共に巨体が私を上を通り過ぎ、乗っかっていた瀬古川に体当たりを食らわせた。

 瀬古川はその勢いで吹っ飛び、後ろの教員用の机に体をぶつけた。


「主任、大丈夫っすか」

「尾形! なんで」

「逢坂さんに言われたんっす。打ち上げは中止して、主任を助けに来たんす!」


 尾形に遅れて、朝宮さんが職員室に入ってきた。


「主任さん、大丈夫ですか?」


 朝宮さんに体を起こされたが、次の瞬間、職員室の床に散乱した自分の原稿を見て、大きな悲鳴をあげた。


「私の原稿がメチャクチャじゃないですか! 何してるんですか!」

「ああ、あの男がやったんだ」


 私はどさくさに紛れ、瀬古川に罪をなすり付けた。


「アナタ、なんて事するんですか! 拾いなさいよ」


 朝宮さんが漫画家の魂、原稿を無碍に扱われた事で、見たこともない鬼の形相で怒った。

 瀬古川はその表情に驚いて、急いで漫画をかき集めて、朝宮さんに渡した。


 その間に私は荷物を持って、逃げる準備を整えた。


「あれ? お前、瀬古川じゃねぇか!」


 ん? 尾形が急に大声を出した。IQの波長が合うとは思っていたが……まさか、知り合い?


「お前、まさか尾形か!」


 と、瀬古川も尾形を見るや驚いた表情をした。


「なんだ、お前たち知り合いか?」

「知り合いもなにも、瀬古川は高校時代の俺をやたらライバル視してた奴です」

「ライバル? サッカーのか?」

「ライバルじゃなくて、ライバル視です! 視です!」

「どう違うんだ?」


 聞けば、尾形は高校時代、県で名の知れたゴールキーパーでその世代の日本代表やプロの誘いも受けたほどの逸材だったそうだ。


 ただ、尾形には致命的な弱点があった。

 それは、試合に集中し過ぎるとボールしか目に入らなくなり、ペナルティエリアを超えて手を使ったり、しまいには敵チームの坊主の選手の頭をキャッチしたりで、頻繁に退場を繰り返し、全くルールを守らない習性があったそうだ。

 それを知ったプロチームはスカウトを中止し、尾形のプロへの道は途絶えたのであった。

 チンパンジー並みのひどい理由だ。非凡なのに、誰でも守れる基本的なルールが守れないのだから。


「それで、瀬古川は。よく練習試合をしてて、やたら俺を一方的にライバル視して来たやつです」


 対して瀬古川も尾形と同じく有名なストライカーであったが、試合に集中しすぎると敵と味方のゴールがわからなくなり、オウンゴールとゴールを量産し過ぎて、あえなくプロ入りが断念したそうだ。


 酷い、コンビだな。


「こんなところで再会するとはな、尾形」

「瀬古川。お前が主任の息子さんに、何かしたのか!」


 なんか、私から次第に尾形と瀬古川の因縁にシフトしている気がする。


「バレてしまったら仕様が無い。お前たち三人全員もろとも、外を歩けなくしてやる」


 瀬古川は左手で一箱、五十本入っているとパッケージに書いてあるチョークの束を手に取った。


「尾形、そいつのチョークに気をつけろ。当たるなよ!」

「え? なんで?」


 と、尾形が私の方へ顔を向けた瞬間、瀬古川がダジャレを唱えながら、尾形へチョークを投げた。


「チョークは超臭い!」

「うおおおお! 飛んで来た!」


 尾形、これを間一髪で交わす。

 しかし、チョークが当たった後ろの壁から物凄い悪臭が立ち込め始めた。


「くさっ!」


 あまりの臭さに、私たちさん人は顔を顰めた。


「二人とも、とりあえず、逃げるぞ!」

「逃さないぞ!」


 と、瀬古川が二本目を振りかぶった瞬間、職員室の電気がパッと消えた。


「二人とも、こっちです」


 朝宮さんの声。

 彼女が電気を消してくれたらしい。


「尾形も行くぞ!」

「うっす」


 私、朝宮さん、尾形の三人は瀬古川のチョークから逃げるべく、職員室を後にした。

 しかし、すぐ後ろから瀬古川が追いかけてくる。


「逢坂さんは?」

「向こうの校舎で、敵さん二人と戦われています」


 敵にまで敬称を忘れない朝宮さんのマナーに私は少し感心した。これで遅刻さえしなければ。

 敵というのは、おそらくこの前のブルースブラザーズだろう。


「逢坂さん、大丈夫なのかい?」

「あ、はい。一人倒して、それで私と尾形さんに『主任さんを助けに行って下さい』との事です。なんか、スポーツチャンバラ習ってるから、逢坂さんは大丈夫との事です」


 逢坂さん、一人倒したのか。でかしたじゃねぇか。


 私達が瀬古川を倒して、逢坂さんを助けに行けば、この危機は脱する事ができる。

 だが、チョークが当たって、あの匂いが一生取れなくなるのは嫌だぞ。特に朝宮さんは結婚前の若い女性、あんな匂いがついたらお嫁に行けなくなってしまう。


 我々は階段を降り、廊下を一目散に走る。特に目的もなく、あてども無く走る。頭に地図が描けていないので、闇雲に逃げるしかない。


「なっ!」


 しかし、靴を置いてきた方の校舎と繋がる渡り廊下にシャッターが閉められていた。


「シャッターだ。くそっ! 朝宮さんと尾形は、どっから来たんだ?」

「私達は二階の渡り廊下から来ました」


 二階は瀬古川がいるから、戻れない。


「あれ、二人、どうした!」


 尾形が後ろから来た。さらに後ろから瀬古川の足音が聞こえる。


 廊下は行き止まりで、保健室らしい部屋がある。

 完全に閉じ込められてしまった。


「行き止まりに引っかかったな」

「えっ!」


 尾形が大声を上げたのと同時に、ニヤッと笑った瀬古川がチョークを手に持って階段から降りて来た。あ、やばい。


「チョークは、ちょーくせぇ」


 瀬古川がチョークに命を吹き込む様に言った。チョークが異様な光を一瞬上げた。

 何を思ったのか、私は馬鹿にも背広を着て来てしまった。あれに当たったら、確実に二度と会社に行けなくなる。

 どこも雇ってくれない。一家離散。寂しい老後。これは不味い。


 私はとりあえず、朝宮さんを自分の後ろに隠した。嫁には行け。


「くそ、しょうがない。主任と朝宮さんは保健室に逃げて下さい」


 尾形がそう言って、我々二人の前で盾となった。

 え、お言葉に甘えていいの?


「尾形?」

「尾形さん?」

「廊下がゴールより小さいですから。俺が、あのチョークをキーパーの要領で全部、止めてやります。その間に逃げて下さい」


 と、尾形の手にはいつの間にかゴールキーパーのグローブがはめられていた。持参してんのか?


「なんで、そんなの持ってるんだ?」

「逢坂さんから、『戦いに使えそうなものを』って指示があったんで。家のこれ持ってきましたら」

「なら、もっとマシなもの持って来い」


 攻撃しないと勝てないだろ。守るものを持って来て、どうする。


「私はなんかネタがないかとネタ帳です。いざとなったら、ボールペンで目をぶっ刺します」


 論外だ。

 この二人、何にも頼りにならないな。

 まぁ、かくいう私もダジャレの手帳しか持ってないけど。


 私達、三人、似たもの同士だな。


「喰らえ、尾形!」


 言ってる側から瀬古川の一本目のチョークが飛んできた。


「オラああ!」


 と、尾形くん、これを左手一本で軽々キャッチ!


「昔と変わらないな、瀬古川。一発は右を狙う癖」

「くっ、尾形ぁ!」

「主任、行って下さい。俺、こいつにPK決められた事、一回もないっすから!」


 ならお言葉に甘えて、私と朝宮さんは先に逃げさせてもらう事にした。頑張れ、尾形。

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