第24話 小林、忍び込む
齢47にして、まさか学校に忍び込む事になろうとは……なるほど、青春じゃねぇか。
そうでも言わないとやってられない精神状態だ。初恋のあの子にダジャレの手帳は見られるし、最悪だ。
『1階の昇降口横の男子トイレを開けてもらった』
仕事終わり、ハヤトからの連絡が入り緊張が走った。今日、逢坂さんは会社に来ていないので、後で私の家に集合と言う段取りになっている。
私と逢坂さん、そしてタクヤの三人。私の家の車で学校近くまで行き、そこから中に入る。
妻には『家にばかりいても退屈だろうから、タクヤと映画を観に行く』とタクヤを連れ出す言い訳を考えた。
「本当にやるの?」
夕飯後、庭でタクヤとストレッチをしていると、タクヤが不安そうな顔で聞いて来た。
「お前はいつでも逃げれるようにしておけよ。最悪、父さんと逢坂さんの二人が捕まるからな」
「でも、忍び込んで何か解決につながるかなぁ?」
「お前を学校へ戻すためになりふり構っていられないだろ? やれるだけの事はやるんだ」
私は数年ぶりにジャージに袖を通した。また太ったか、ズボンがキツい。
しかし、数年前にジョギングをすると言って買っておいて良かった。今日までその習慣が続いていたらもっと良かったが、贅沢は言っていられない。
いずれ頑張る。
「ただ、お願いがあるんだけど」
「お願い?」
タクヤが自分から望みを語るのは珍しい。
「もし、犯人がサッカー部とか同級生だったら、俺が話し合うって事でいい?」
「お前、その、牛込先輩と何かあったのか? 昨日、少し動揺していただろ」
私が言うとタクヤは少し思い詰めた表情で言った。
「実は……引退する時に俺に脛当てくれたんだよ。牛込先輩。『頼むぞ』って」
「頼むぞ?」
「三年生は他にもいるから、居残った他の先輩のことを気遣っていたんだと思う」
「……いい先輩なんだな」
「ああ」
私はそれを聞いて『それで、あんな複雑な表情をしていたのか』と納得した。と言うか、たかだか18そこらで自分以外の仲間の事を気にかけるなんて、なかなかできる事ではない。
「まぁ、その先輩が犯人とは決まってないしな」
タクヤからしたらなるべく事を荒立てずに解決したいという事なのかも知れない。
と言うか、そんないい先輩がこんな子供じみた嫌がらせをするとは思えない。
九時。一秒も遅くなく、早くもなく、九時のバラエティ番組のオープニングテーマと共に玄関のインターホンが鳴った。
私とタクヤは居間でテレビを見ている妻に「行ってくる」と告げ、玄関のドアを開けた。
ドアの向こうにはライフルを手に持った逢坂さんが仁王立ちしていたので、私は一旦、ドアを閉めた。
ん? なんだ今の変態は?
私は目を擦り、もう一度、そーっと玄関のドアを開けた。
「スリルが俺を呼んでるぜ」
ドアを開けるや、そこには全身マトリックスのような戦闘服とサングラスを身に纏った、手にライフルを持った逢坂さんらしき人が立っており、私とタクヤがギョッとした。
「スリルが俺を呼んでるぜ」
どっから呼ばれてるのかは知らんが、そんなもん呼ばんでくれ。
「さぁ、小林さん、タクヤ君。敵のアジトを叩きに行きますよ」
「いや、現場検証でしょ。なんすか、その格好?」
格好はともかく、手にライフルを持ってて、よく警察に止められなかったかな。
「安心してください。作り物です。実弾は打てません」
知っとるわ。
「撃てたら、金輪際縁を切りますよ。なんでそんな格好してるんですか?」
「我々の初めてのジハードですよ。これぐらいやんないと! 相手に気持ちで負けますよ!」
「今日は相手はいませんから。ひとりぼっちの戦争になりますよ」
「なんで、そう乗り気じゃないんだ小林さんは!」
後ろのタクヤが「ジハード?」と首を傾げている。息子よ、ググっちゃダメよ。忘れなさい。
「こう言うのはムードが大事なんですよ、ムード!」
歯痒そうにうちの玄関で騒ぐ逢坂さん。
昨日の微妙なベクトルの差が、出発前の時点でこんな大きな差になっているとは、先が思いやられる。
逢坂さんと言い、昨日の桜木さんと言い、なんかちょっと楽しんでるようにしか見えないんだけども。
うちの息子の将来がかかってるって、わかってるのだろうか?
後で聞いたら、逢坂さんの格好はマトリックスではなく、ウェズリースナイプスのコスプレだそうだ。どうでもいいわ。
「とりあえず、この戦いが終わったら、小林さんも衣装を買いに行きましょう」
「さらせ」
助手席で何かホザいてるアホはホッといて、私は学校に向けて車を発進させた。
この前、夜にサングラスはダメだって学んだハズなのに、なんでギャングごっこする大人はみんなサングラスをかけるかねぇ。
「小林さん、サングラスは理屈じゃないんですよ。ロマンなんです」
と、言ってナビ役のクセに目印の蕎麦屋の看板を見過ごし、結局サングラスを外して窓の外を確認する羽目になる逢坂。
何やってんだよ。
T大が泣くぜ。
昼間のエリートぶりから一転し、夜の逢坂はなんだかポンコツだ。
「敵はロマンで手加減してくれませんよ」
学校の近くのコインパーキングに車を停め、「よっしゃ!」と助手席から勢いよく飛び出した逢坂さんを追いかけながら、我々三人は校舎の中へ忍び込んだ。
「逢坂さん、昨日はもっと大人っぽかったよね?」
流石に子供でも異変に気付いたらしく、タクヤが私に耳打ちして来た。
「仕事が忙しんだろうな」
私は凄いテキトーに返事した。息子よ、ストレス発散は適度にやれよ。
逢坂さんの性格が普段と全然違うのは私も気になっていた、これが戦闘モードというものか。昨日の桜木さんといい、基本スペックが頭に入っていなかったら、ただの変人夫婦に見えて来た。
校舎に忍び込み、タクヤに案内され、ハヤトが開けといてくれたトイレの窓の前に来て、アクシデントが発生した。
「あれ? 開いてない」
タクヤが窓を開けようとしたが、うんともすんとも言わない。
「誰かが閉めたんでしょうか?」
「ハヤトは部活終わりにあけたって言ってたから、七時くらいでしょ?」
「見回りの人でもいたのかな?」
我々三人はいきなり入り口で躓いてしまった。他の窓も一応調べたが、開いている窓は一つも無かった。
「どうします? ぶち破りますか?」
逢坂さんが聞いてきた。
「ダメに決まってるじゃないですか」
逢坂さんの常識外れのアイデアを私とタクヤで静止した。この人、一流企業のエリートだよな?
とにかく、いきなり暗礁に乗り上げてしまい、我々は頭を抱えてしまった。
「あ、そうだ」
私はあるアイデアを思い付き、学校の近くにあったコンビニへと走り、ライターを買って戻って来た。
「父さん、そんなのどうするの?」
「まさか、ガラスを溶かすんですか?」
「一か八か、です」
私は大きく息を吸い込んだ。
「ライターで開いたー!」
大声で叫ぶと、そばの二人が「え?」と白い目で私を見て来た。冷たい風が私と二人の間に流れた。
最近、思いついて手帳に書いたダジャレだから、もしかしたら、その神様とやらに言っている可能性があると思ったのだが……息子よ、そんな目で見るな。
カチャ。
「え? うそっ!」
トイレの窓から希望の音が聞こえ、タクヤは驚いて振り返った。
私の思惑通りであった。このダジャレは神様に言っていたようだ。
「嘘! 父さん、どうやったの、今?」
タクヤは物凄い驚いて、大声を出したのを私と逢坂さんで静止させた。
てか、開いて良かったぁぁ。開かなかったたら、ただのおかしな父親で終わるところだった。
「タクヤ、今、見た事は忘れてくれ。あと、母さんには絶対に話すなよ」
「いや、凄いって今の。父さん、マジで魔法使いじゃん」
「いや、ただのおまじないだ。とりあえず、中に入るぞ」
タクヤには見せたくなかったが、この際、致し方ない。というか、私も初めて使ったのだが、まさか本当に使えるなんて夢にも思わなかった。
と、言う事は。
あのメモ帳のあの辺りに書いていたダジャレはほぼ使える可能性がある。意外と便利かも知れない、この能力。
ただ、このダジャレの具現化の決定的なデメリットに気付いてしまった。
言うのが物凄く恥ずかしい。
こんな能力、手に入れたとしても、誰も人前では使わないだろう。通りで広まらないはずだ。
「ここが俺の教室」
タクヤに案内され、私たちは1年3組の教室へと来た。真っ暗だと思っていたが、運良く月明かりが差して、電気を点けなくても、そこそこ明るかった。
「タクヤ君の席はどこですか?」
「そこです」
タクヤは一番後ろの窓際を指差した。
おいおい、学生の一番人気の席じゃないか。昼寝も気持ち良いし、何より壁に寄りかかれるのが嬉しい席だ。
「お前、いい席座ってるな」
「体がデカいから、後ろの席ばっかなんだよ」
「贅沢言いますねぇ。他の生徒が聞いたら、怒りますよ」
「いや、本当に黒板見辛いんですよ」
タクヤの机の中を見る。教科書が少し入っているが、雑巾は仕掛けられていない。
「雑巾はありませんね」
「この前はこの中に直接入れられてました」
教科書、ノート。
机、椅子。
横の取っ手には……美術で使う絵の具か?
色々とダジャレ自体は作れそうだが、匂いが臭くなりそうなものは見当たらない。
逢坂さんがタクヤとテキトーに会話をしている間に、私は教室内を歩く。この中のどれかに臭くなる駄洒落が仕掛けられているのか?
後ろには掃除用具入れ、箒、チリトリ、雑巾とバケツもある。この雑巾はタクヤが持っていたものとは少し素材が違う。それに臭くない。
タクヤが家に持って帰った雑巾は今でもずっと臭い。妻も「お手上げ」と何度洗っても匂いが取れないらしい。ダジャレ能力は意外と恐ろしいものだ。
教室の後ろから黒板のある前の方へ移動する。教卓の中なども覗いてみる。新品のチョークと授業で使う大きな物差しがあった。
「あったなぁ、このでかい定規。懐かしいなぁ」
ここに来て、少しノスタルジーを感じてしまった。
前、ホワイトボードの学校が増えてると聞いたが、公立だとまだ黒板消しやチョークが使われているのか。
「黒板、黒板、黒板……チョーク、チョーク、チョーク……物差し、物差し、物差し」
「父さん、何言ってるの、さっきから?」
「あ、いや! ちょ、ちょっとな……」
強烈な匂いが出るダジャレ。どうも思い付かない。と言うか、意識すると普通のダジャレすらも思いつかない。
私が見落としているのか? それとも教室の中には無いのか?
瀬古川なんかに思いついて、私に思い付かないダジャレなんて、この世に存在するのか?
逢坂さんに目配せをした。
「タクヤ君、他の仕掛けられていた教室も見せてもらえるかな?」
「あ、はい」
その後、理科室、音楽室、数学の移動教室で行く別のクラスの教室、見て回ったが、匂いにつながりそうな特別なものは見当たらない。
最初は「見れば浮かぶだろう」くらいに思っていたが、想像以上に『ダジャレを逆算する』と言うのは難易度が高い。
視聴覚室に来たが、考えれば考えるほど、頭がぐるぐると変になりそうだ。
「どうですか、小林さん?」
逢坂さんがタクヤと世間話をしながら、私が考える時間を繋いでくれている。と言うか、逢坂さんとタクヤが次第に打ち解けているのが、なんか悔しい。
「これと言って……」
やってみたが、制服が臭くなるダジャレなんて、早々と……と、その時、私の目にあるモノが入って来た。
「あっ!」
と、思っていた矢先、私の頭に天啓が降り注いだ。そうか、見落としていた。さっきのアレとアレを使えば、匂いの臭くなるダジャレは完成する。
そうなると、犯人は間違いなく、この学校の人物。
「まずい、逃げろ!」
その時、視聴覚室の外から複数の少年の声と走る足音がした。
「何でしょう?」
我々三人は、声がした教室の出入り口に向かう。
その瞬間、フッとあのタクヤの部屋で嗅いだ、鼻が曲がる様な悪臭がプーンと漂ってきた。タクヤがハッとした。
「明日の一限、この教室なんだ」
「じゃあ、雑巾を仕掛けに来たのか!」
「逃すかぁ!」
逢坂さんがいの一番に教室を飛び出して行った。それを追う様に私とタクヤも後に続く。
「二人とも下でぇす!」
廊下に出ると階段から逢坂さんの声。
私とタクヤも階段を降りるが……当たり前だが現役バリバリで部活をやっているタクヤのスピードには追いつけない。
「父さん」
「先に行きなさい!」
私はタクヤの後をなんとか必死で追いかける。ぐんぐん離されて行くが、なんとか追いかける。
「待てぇぇぇ!」
遠くから聞こえてくる逢坂さんの大声に「元気だなぁ」と遠い目をして、なんとか追いかける。
階段を降り、足音を頼りに一階フロアを走る。
ちょうど、こちら側の校舎と向こう側の校舎を繋ぐ渡り廊下を走り、タクヤ、逢坂さん、その向こうに走る影が三つ見えた。あれが、息子に悪戯をした犯人だと思うと、私も夢中で走る。
「トイレに入りました!」
逢坂さんの大声、私達が校舎に忍び込んできたトイレに走り込んだようだ。
そうか、鍵が閉まっていた理由が分かった。奴らが先にこの校舎に忍び込んでいたからだ。
「そこまでだ!」
逢坂さんがトイレの電気を付け、ライフルを向けている。私が追いつくと三人の少年がトイレの奥の窓のところで両手を上げて立っていた。
私は誰だか知らないがタクヤはその姿を見て、驚いた顔をしていた。
「牛込先輩と……お前ら」
他の二人はサッカー部のタクヤと同じ一年生だそうだ。彼らの手にはあの悪臭がする雑巾が入ったビニール袋が握られていた。
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