第23話 小林、参謀に出会う

 駅前でハヤトを待っていると部活帰りの格好で現れた。とりあえず使えるピースは全部使った方が良いというのが、小林家に代々伝わる家訓である。責任が薄まるというメリットもあるのだ。


「急に呼び出して悪いな」

「いや、いいよ。ちょっと気になってたし」


 ハヤトとタクヤは久しぶりに会ったらしく、私を差し置いて二人でじゃれ合い出した。タクヤがニコニコしている。

 私はその姿を見てジーンとしてしまった。ここ暫く苦しい目に遭っていた息子に笑顔が戻った。日照りが続いた農村にやっと恵みの雨が振ってきた瞬間に立ち会ったような感動を私は感じだ。


 この息子の笑顔で酒が飲みたい。コイツ、一生笑ってろよ。


「小林さん」


 と、感傷に浸っていたら、私服に着替えた逢坂さんがお迎えに現れた。

 なんか高そうな黒のシャツとカーディガンで、シンプルだけどオシャレな雰囲気がぷんぷん匂ってくる。こっちは草臥れたジャンパーとポロシャツだというのに。

 しかも、プライベート用でメガネを変えていると言う憎い男だ。


「えっと、君がタクヤくん?」

「あ、はい。あの、よろしくお願いします」


 逢坂さんは、ハヤトとタクヤを瞬時に見分けニコッと笑った。


「はじめまして。小林さんに顔が似ているね。今回は大変な目に遭っちゃったね」


 逢坂さんがそう言ったので私はタクヤの顔を覗き込んだ。どこが似ているのかさっぱり分からなかった。


「で、こっちの……」


 と、逢坂さんは予定外のハヤトの姿を見て、言葉が止まった。

 当のハヤトは逢坂さんのラグジュアリーな雰囲気に飲まれたのか、珍しく人見知りしている。

 私と逢坂さんでは、身に纏っているオーラが違う様だ。ハヤトは良い物差しになる。ちくしょう。


「あ、こっちはタクヤの友人のハヤトです。色々と相談に乗ってもらってたので、連いて来てもらいました」

「ほう。良い友人がいるんだね、タクヤくん」

「い、いえ」


 タクヤも珍しく照れている。

 なんで私には誰も緊張しないんだろう。


 タワマンの中に入ると、タクヤとハヤトは私の後ろでディズニーランドに来たみたいにはしゃいでいる。こう言うところは子供だ。


「で、その参謀と言うのは、どんな人なんですか?」

「会えばわかります。もう部屋で準備をしています」


 参謀。

 逢坂さんの知り合いとなると、どっかの一流企業のコンサルタントとかかな? 

 なんか、私だけ平凡なサラリーマンで見劣りしそうでやだなぁ。

 昨日、折角、タクヤにその場のノリを利用してカッコいいお父さんを見せたのに、本物のカッコいい大人を見て、私の評価が下がらないか心配だ。

 妻もよく言っている。

「あんなんでも結婚する前はもっと素敵だったのにねぇ」と。旅行先で食う名物は美味いのに自宅に帰るとなぜか不味い。それと同じ人間、小林光太郎の正当な評価だ。


 逢坂さんが自宅のインターフォンを押して「小林さんたちを連れて来ました」と言ったら、機械越しに桜木さんの返事が聞こえた。


 息子よ。

 この人に父さんはフラれたから、お前は生まれたんだぞ。生命って、神秘だろ?


 オートロックの会場の音がし、逢坂さんがドアが開けると逢坂家ご自慢のお洒落な玄関が顔を出した。

 後ろからいちいち「うわぁ」と言うお宅訪問ロケに来た若手芸人みたいな二人の声が聞こえる。その度にタクヤが「それに比べて……」と私を失望の目で見ていそうで嫌な気分がした。


「ただいま、戻りました。参謀」


 逢坂さんがリビングに入るや、背筋を伸ばし丁寧に頭を下げた。奥に誰がいるんだ? 参謀と言うのは逢坂さんよりも目上の人なのか?


「あれ? 桜木さんはいないんですか?」


 あの笑顔が観れると思っていたのに、桜木さんの姿が見当たらない。風呂かな?

 と、逢坂家の玄関とは別のドアが開いて、キャスター付きのホワイトボードを引きずった桜木さんが現れた。


「ご苦労様。じゃあ作戦会議を始めるわよ」


 そう言って、桜木さんはホワイトボードをソファから観やすい場所にセッティングして、前使った時に書いたらしい、なんかアメフトのフォーメーションみたいなのを消している。


「逢坂さん、参謀っていうのか?」

「ほら、小林くん。ぼーっとしてないで、みんなソファに座って。子供達も」


 ん? 参謀って、もしかして……


「あなた、テーブルのお茶とお菓子、ソファの方のテーブルに運んで」

「あ、はい!」


 逢坂さんが小走りでキッチンに様子されているお茶菓子やお茶をソファのテーブルに移動し始めた。


「子供二人! いつまでも部屋に見惚れてないで、ソファに座りなさい。あなた達の事なのよ」


 タクヤとハヤトは、いきなり入ってくるや歓迎もされず叱られたものだから、目をギョッさせ、小さくなりながらソファに座り、大人しくなってしまった。


 桜木さんは、なぜか美人のはずなのに、専業主婦のはずなのに、おっとりとした性格のはずなのに、ジャージ姿で縁がキツめのメガネまでかけている。


「逢坂さん、参謀って……もしや」

「話しかけないでください、今は! あれなら、小林さんも準備手伝ってください」


 逢坂さんはソファに座るや、紅茶をタクヤとハヤト、私に振る舞った。なんで額に汗を描いてるのかは、ご愛嬌ってことにしよう。


「参謀。準備完了しました」


 テーブルにお茶とお茶菓子の用意ができると、逢坂さんが桜木さんにそう言った。


「ご苦労。座っていいわよ」

「はい」


 逢坂さんは自宅なのに、ソファの使用権を得た。奴隷なのかな?


「あの、参謀って?」

「妻です」


 あらま。


「桜木さんは……あの……ダジャレの事とかは……」

「使えませんが、全て知っています」


 あらま。


「この前、酔っ払った私を小林さんに運ばせたのも、妻の作戦なんです」

「なっ!」


 私はあの日、家に着いた時の驚いた彼女の表情を思い出した。全て、彼女の手のひらで遊ばされていただけなのか。


 女ってこえー


「うちの妻って、高校くらいまでお嬢様みたいにご両親に育てられたらしいんですよ」

「確かに、中学ではそんな雰囲気でしたね……お淑やかでニコニコしてる感じの」


 中学時代の桜木美咲を例えるなら、静寂。

 工業地帯のど真ん中に突如現れた白鳥が戯れる湖。静寂。

 エンヤの歌が聞こえて来そうな森の奥にある湖。静寂。


「その反動で実は小さい頃から、こういう子供っぽい遊びに憧れていたらしいんですよ。もう、私のオヤジギャグの能力を知ってから、自分も手に入れようと神様を探し回ってるんですから」

「信じられませんよ、あのお淑やかな虫も殺せない、ヘミングウェイしか読まない桜木さんが……」

「それ全部、小林さんの妄想でしょ?」


 はっ!!!

 確かに、一度も喋ったことがないのだから、一度も裏をとった事などない。

 そもそも、彼女の名前の由来も全部、私の妄想だ。私の脳内にある彼女の情報は全部、自分自身の妄想なのだ。ヘミングウェイしか読まないのも、原節子とオードリーヘップバーンの映画しか見たいというのも、全部妄想だ。


 私は今まで大昔の人がジパングという国に誇大な妄想をしていたように、桜木美咲に己のジパングを押し付けていたのか!


「私と彼女が出会ったのは、T大のサバイバルゲームサークルですよ。実家を出てからはそう言う憧れ全開でそんな事ばかりしていたんですよ」


 と、逢坂さんが私に何やら写真を見せた。

 そこには迷彩で自然と一体化しかけている笑顔の桜木美咲の姿があった。こりゃゴルゴ13読んでるわ。

 後に聞いた桜木さんの好きな映画は『一位ロッキー、二位ロッキー2、三位ロッキー3』というとても分かり易いランキングであった。


「そこの大人二人!」


 こそこそ話していたら、桜木さんの銃弾のような檄が飛んで、私と逢坂さんは「ヒェ!」と言う情けない声を出してしまった。


「何、ブツブツ喋ってるのよ」


 気付いたら桜木さんは教鞭を掌でポンポンやりながら私を睨んでいる。怖い。


「とりあえず、小林くん」

「は、はい!」

「これまでの経緯を全部、説明して」


 それから、これまでの経緯を私とタクヤ、ハヤトが加筆して逢坂夫妻に説明して行った。桜木さんはそれを綺麗にホワイトボードに纏めていった。タクヤとハヤトがいる手前、瀬古川の事は書かないでおいた。


「ご苦労様。座ってよろしい」

「ありがたき、幸せ」


 私は桜木さんに一瞥してから緊張でガクガクの足腰をソファで休めた。椅子という物がこんなに人の腰を支えてくれる物体だなんて今日初めて知った。


「これを見る限り、やっぱり問題はここね」


 桜木さんは教鞭でホワイトボードに書かれた「謎の匂いがする制服」をペチペチと叩いた。


「ハヤトくん、そのSNSを見る限り、このタクヤくんの匂いがどれぐらい広がっている感じなの?」

「多分、浦川北の一年生は他のクラスの生徒も知ってると思います」

「それは問題ね。早急に解決しても、尾を引く可能性があるってわけね」

「解決の仕方を誤ると、別の問題が出て来そうだ」


 逢坂夫妻が顔を見合わせて考え込んだ。


「後、もう一つがその匂い付き雑巾を仕掛けている人物。制服の匂いの原因とこの雑巾の嫌がらせが同一の犯人なのか、はたまた別々の違う事件なのか?」

「しかし、匂いが同じという事は同一人物の可能性が高いのでは?」

「でも、制服の匂いは原因不明。雑巾の件は明らかにタクヤくんを苦しめようという悪意があるわ。目的が一致しないモノを同一犯と決めつけるのは危険よ」


 私はその時、瀬古川の言っていた事を念の為、タクヤに確認しておこうと思った。


「タクヤ。お前、サッカー部で三年生の先輩からレギュラーを奪ったそうだな?」

「牛込先輩の事?」

「その先輩がお前に恨みを持ってるって事はないか?」

「えっ」


 私の発言にタクヤは驚いた顔を見せた。


「それは……」


 タクヤの声はショックを受けた様子の弱い声であった。無きにしも非ずと言うことか。


 その時、ハヤトが突然、手をあげた。


「あの、そのタクヤの制服の匂いってそんなに酷いんですか? 今のタクヤ、何も臭くないですよね?」

「それが不思議でな。タクヤが制服を着ると、急に猛烈な悪臭が立ち込めるんだよ」

「そんな事ってあるんですか? 呪いじゃあるまいし」


 ハヤトは不思議そうに聞いた。


「タクヤ君、最近、誰か、君の前でオヤジギャグを言う大人はいなかったかい?」

「オヤジギャグですか? 母さんがたまに家で言っているくらいです」


 あいつか、犯人は。


「小林さんは、言わないのかい?」

「父さんは基本そう言う冗談はあまり言いません」

「へぇ、そうなのかぁ」


 逢坂さんが頷きながらニヤニヤと私を見た。その後ろから桜木さんの視線も感じた。そんな目で見ないでくれ。


「タクヤ。その、担任の瀬古川先生って言うのは、どんな人だ?」

「瀬古川先生? 良い先生だよ。冗談も面白いし、サッカーの事を色々と教えてくれるんだ」

「そうか……」


 瀬古川の事は、とりあえずタクヤには黙っておこう。


「とにかく、制服の匂いの原因と雑巾を仕掛けている犯人を見つけないと、タクヤくんは学校に行けないわ。となると現場を見に行くしかないわね」


 桜木参謀が教鞭をしまいながら言った。


 現場?


「明日、小林君とアナタ、それとタクヤ君……夜に学校に行って現場を調べてきて。どうやって雑巾を仕掛けているのか……何か解るかもしれない」

「調べるって言うのは?」

「忍び込むに決まってるでしょ」


 桜木さんから大胆な作戦指示が出た。


「しかし、それって犯罪じゃ?」

「確かに無断で忍び込んだら犯罪ね。でもね、小林君。犯罪を犯してはいけないっていう法律なんてあったかしら?」


 え? 何言ってるんですか、参謀?


「了解しました、参謀」


 逢坂さんは逆らう事は許されないと承知している様に、あっさりと従った。


「タクヤ君はこのおじさん二人を学校に案内して。で、現場でどうやって雑巾があったのかを説明して」

「あ、はい」

「ハヤト君。タクヤ君の高校の同級生に頼んで、明日の夕方以降、一階の男子トイレの窓の鍵を開けておいてもらえる?」

「わかりました。頼んでみます」


 二人に指示を出し終えると、「二人はもう遅いから帰りなさい」と桜木さんは二人を先に帰してしまった。


 何だ、我々二人だけ、居残りってどう言うことだ? 叱られるのか?


「さて」


 桜木さんはリビングのドアを閉めて、我々二人を見た。


「二人とも明日、学校でやる事は分かってる?」

「今、説明した。雑巾の現場検証じゃないんですか?」

「そんなのはあの二人の前での方便。瀬古川が犯人だとして、明日現場でやって来ることは、はい、あなた?」


 私の答えにガッカリした桜木参謀は逢坂さんに振った。


「学校の中で、瀬古川が使えそうなダジャレを探してくる事です」

「その通り。タクヤくんが制服を着た時だけ出る匂い。制服を着て、駄洒落に触れる機会は学校しかないわ。犯人は多分、瀬古川でほぼ決まり」

「小林親子を追い出すと言っていた、この前の三人組。奴らが仕組んでいる可能性が高いですね」

「まぁ、ダジャレの能力である以上、警察や教育委員会なんかにお世話になる事もできない。私達で、敵の尻尾を掴むしかないわ」

「はっ、参謀!」


 そして、二人の視線が私の方へ向いた。


「小林君。アナタが頼りなのよ」

「へ?」


 何故、急に私?


「瀬古川が何かをしていると言うのは、あくまでも状況証拠。だから、まず敵が使用している能力を見抜かないといけない」

「オヤジギャグの天才の小林さんなら、学校へ忍び込めば、敵の使っているダジャレを見つけられるかも知れません」

「ダジャレが分かれば、瀬古川を追い詰めるのもやり易くなるわ」


 なるほど。

 結局、敵が使っているダジャレ次第……つまりはなんだかんだ言って結局、私次第って事なのか。


「あれ? 何故、桜木さんが私がダジャレの神である事をご存知なんですか?」


 私のといに桜木さんは逢坂さんを見るという視線で返事をした。


「逢坂さん、やっぱり桜木さんに見せたのか!」


 私は裏切りを見せた逢坂の野郎に掴みかかった。この前と話が違げぇだろ。


「いや、あんなにたくさん書いてあって、感心してしまって、すいません」

「すいませんで済むか、この野郎!」


 私は逢坂の胸ぐらに掴みかかった。私の乙女の純情を弄びやがって!


 で、桜木さんに引き離されて、「2、3個面白かったわよ」と余計に傷つくフォローを言われ、私はしゅんとなった。ノートびっちりで2、3個かよ……


「とにかく! これは我々、オヤジギャんグチームの初めての闘いでもあります。小林さん、我々の初陣ですよ。やりましょう、小林さん!」


 逢坂さんが鼻息荒く私の両手を握ってきた。いや、それはどうでもいい。


「頼むわよ、小林君。息子を制服が臭くない学校に転校させたくないでしょ?」

「じゃあ、明日、頑張りましょうね、小林さん」


 なんか、逢坂さんと私とじゃモチベーションのベクトルが違う気がするが、まぁいいか。


 ただ、タクヤのさっきの態度。少し気になるんだよなぁ。



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