第22話 小林、憤りを隠せない


 私はタクヤの学校へと向かうため、今日も定時で早々と会社を出た。

 仕事はデパート様へのプレゼンの準備があまり進展せず、できれば残業して、尾形のアイデアを一日でも早く日本語に直したい所だが、息子の問題だって重大なのだから仕方がない。

 朝の逢坂さんを見習い、私も仕事と家族、オンオフの切り替えだ。

 しかし、これから家族のプライベートな問題を扱うわけだから、こちらがオフになるという事か?

 いや、息子の大事な問題の話し合いだぞ、ここでオフになってはいけないのではないか? 

 かと言って仕事でオフってのもおかしい。


 ん?


 どっちがオンで、どっちがオフなんだ? 

 そんな哲学的な事を考えていたら、タクヤの学校がある駅に着いた。

 私が降りるのと入れ違いで、タクヤと同じ制服を着た学生達が大勢電車に乗り込んで来た。

 匂いを嗅いだが臭くない。

 あの匂いはこの制服のデザインではないようだ。


 やはり、ダジャレ使いの仕業……だとしたら、どんな親父ギャグを使っているんだ? 私も名人を目指す身としては、ちょっと興味がある。

 息子と制服が組み合わさった時だけ、臭くなる親父ギャグ……逢坂さんに朝言われてから、少し考えてみたが、さっぱり浮かばない。


 ダジャレの逆算って物凄く難しいな。


 まぁ、今はそんな事よりも息子の学校でのポジションを守る事だ。


 というか、息子はいつそのダジャレ使いと出会ったんだ?


 職員室に入ると応接室は使用中らしく、他の教師達が仕事をしている中の机の一つに私は座らされた。なんか、スーツを着ている私が紛れ込んでも違和感がないような感じだ。私も教師の一人に間違われてもおかしく無さそうだ。

 出て来たお茶が温くなっても、担任は顔を出さない。確か、瀬古川と言ったか。サッカー部の顧問だとも言っていた。

 ハヤトがサッカーが上手いと言っていたんだから、相当上手くて、下手したら女子生徒からキャーキャー言われて調子に乗ってんじゃないか? いずれ、生徒に手を出して、テレビのニュースで……


「小林さん。遅くなってすいません。担任の瀬古川です」


 と、ネガティブな妄想をしていたら、シャツの上からジャージを着た短髪の男性が小走りで一直線にこっちへやって来た。


「どうも、初めまして。小林タクヤの父です」

「担任の瀬古川です」


 この男が。確かに三十そこそこっぽいがガッチリとした体格をしている。羨ましい。

 が、ご安心下さい。顔はゴリラみたいな感じなので、きっと女子生徒にはモテないだろう。


 ん?

 というか、この男……どっかで会った事がある気がするぞ?


「とりあえず、こちらへ」と私は瀬古川先生の机に移動する事になった。じゃあ、今まで私が座っていたのは誰の席だったんだ?


 私はとりあえず瀬古川先生にタクヤが学校で受けていた悲劇の仕打ちを説明した。話している途中で涙が出そうになった。

 瀬古川は、私の話を聞き終え、しばらく無言で考え始めてしまった。


「私は担任ですし、部活の顧問ですから、アイツのことは良く分かっていると思っていたんですが……小林がそんな事になっていたなんて知りませんでした。それで、その嫌がらせと言うのは、具体的にはどう言うものなんでしょう?」

「タクヤは自分の机の中に臭い雑巾を入れられていたそうです。その雑巾を自宅に持ち帰って来ました。確かに鼻が曲がるほどに臭かったです」

「雑巾、ですか?」


 それを聞いた瀬古川先生は驚いた顔をした。どうも、タクヤのイジメ問題は何も知らなかったようだ。


「あの、学校でのタクヤの様子というのは?」

「他の部員と比べると真面目と言う印象です。あの年にしては大人びていて、一年生の中ではリーダー的な役割だと思っていました」

「数週間前くらいに部員と揉めたと言っていましたがご存じでしょうか?」

「そうだったんですか……確かに練習に出て来ないので心配はしていたんです。しかし、部員に聞いても『知らない』と言っていて」

「タクヤ本人には聞かれましたか?」

「もちろん。先週に授業終わりに廊下で、ただはぐらかされて、理由を言おうとしなかったんです」


 それで追求とかはしなかったのか?

 そもそも聞いたのが先週というのは遅くないか?


「しかし、毎日部活に出ていた生徒が突然来なくなったら、おかしいと思うのが当然ではありませんか? 息子は風邪を引いてでも部活に出ていたくらいですよ?」


 私は少し個人的な感情が入り、強気に言った。


「ですが……最近、部活を休む生徒にキツくいったりするのも……世間の風当たりが厳しくなっていますので、我々も強制的に参加するようには言えないんですよ」


 方便だ。

 瀬古川の返答に内心イラッとしたが、雑巾を仕掛けた犯人だけは探して貰わないといけない。

 それと、タクヤが学校に復帰できるように取り計らって貰わねば。


「とにかく、雑巾を仕掛けている生徒を特定してください」

「それは勿論。明日、同学年の先生らにも話して、協力して犯人を探します。それで……小林は学校にはいつ頃から戻れそうですか?」

「こちらとしては、雑巾の悪戯をしている犯人が見つかって、ほとぼりが覚めるまでは学校を休ませたいと思っています。ただ、単位などもありますので、なるべく早く解決していただきたい」

「そうですね。サッカー部でも小林はレギュラーですので大会も近いですから、戻って来てもらわないと」

「タクヤって、レギュラーだったんですか?」

「夏に新チームになって抜擢したんです。同じポジションの二、三年生は良く思っていない部員もいましたが、そこは私は実力主義だと思っていますので」


 それは、知らなかった。すげぇじゃん、我が子。

 しかし、一年生でそんな目立っていたら、上級生から顰蹙を買うんじゃないか?


「あの、その上級生が雑巾の悪戯をしているって事はありませんか?」


 私は思わず、口走ってしまったが、タクヤのレギュラーをよく思っていない上級生がやっているとなれば筋が通る。ない話では無いと思った。


「ええええっ!」


 その時、瀬古川は突然、大声を上げて立ち上がった。物凄く驚いた表情もしている。


「どうかしましたか?」

 

 なんだ、今の芸人みたいなオーバーリアクションは?


「いえ……あ、アイツらが、そんな事やるかなぁ……どうだろう……やん無いんじゃないかなぁ?」


 何か、急に教師ではない顔で言葉を選び始めた。

 あの驚きのオーバーリアクション。それと、その後の棒読みのセリフ。物凄い不自然だぞ。


「何か、心当たりがあるんですか?」


 私は瀬古川の態度を見て、追求してみた。間違いなく、コイツ、何か知っている。


「いや……その。確かに……小林にレギュラーを奪われた事で、部活を辞めた三年生の部員がいるのは確かですが」

「三年生? 三年生は夏で引退なんじゃありませんか?」

「基本はそうですが、大学の推薦を貰うために冬の大会にも出場してアピールする生徒などもうちにはいます」

「つまり、タクヤのせいで冬までやらずに引退したって事ですか?」

「レギュラーじゃ無いとなると、一般受験で大学に行くしかなくなりますからねぇ」

「その子がタクヤに逆恨みでやったと言う事は?」


 そう尋ねると、瀬古川は「しまった!」と思ったのか、船に打ち上げられた魚のように体を左右に振って否定した。


「いえいえ! た、ただ、逆恨みなんかするとは思えませんが……可能性というか、なんというか」


 なんだ、コイツ。

 何も聞いてないのに勝手に口を滑らせて、一人で焦ってるぞ。


 もしかして、お馬鹿さんなのか?


 瀬古川先生は、何もしていないのに一人で追い詰められて額から汗を流し始めた。


「その生徒とお話しさせていただけませんか?」

「いえ、それは……証拠の何も無いのに生徒を疑うのはちょっと……」

「いや、怪しいって言ったのは先生の方ですよね?」

「私が! そ、そんな事は言ってません!」


 そう言って、瀬古川はまたブルブルと震え出した。こんなドジなやつを何処かで見た気がするんだが……私はあの晩の公園の事を思い出した。

 サングラスをかけて、暗い森の中を見て、首を傾げて去っていったお馬鹿な男。ちょうど、この瀬古川と体格も年齢も髪型も、そっくりではないか?


「と、とにかく、私の方から生徒に話を聞いてみて、何か分かったらご連絡します。きょ、今日はこの辺で失礼します!」


 と、瀬古川は一方的に話し合いを終了させてしまった。

 長年の社会人の経験で一瞬で悟った。「コイツは誰にも何も聞かないな」と。

 せっかく、学校へ来たのに何の収穫も無く終わった。瀬古川よりもハヤトの方が十倍役に立つ。

 それよりも、この教師から必要な言葉を引き出せない自分の力不足に腹が立った。


──私も行きましょうか?──


 脳裏に逢坂さんの声が響いた。こんなに収穫なく終わるなら、本当に着いてきて貰えば良かった。


 ……待てよ。


「では、失礼します」


 席を立ち、その場を離れていく瀬古川の後ろ姿。

 私は見つからないように小さく右手を瀬古川に向けた。


「ダジャレをいうのは、誰じゃ?」


 小声で呟くと、瀬古川の右手がスッと上がった。



 帰り道。

 瀬古川があの敵の三人の内の一人だとして、この事を逢坂さんに報告するべきだろうか。

 でもなぁ、そうすると家の家庭の事情に逢坂さんを引き摺り込む事になるぞ。それは、それで面倒臭いなぁ。


 と、そんな事を考えていたらスマホがブルっと震えた。


「もしもし」

「あ、小林さん。どうでしたか?」


 噂をすれば何とやらであった。


「予想以上に手応えがなくて、肩透かし食らった気分です」


 駅へ歩いて行く最中、私は逢坂さんにいかに瀬古川という教師が腰抜けであるかを、文句のかぎりをぶつけた。


「教師の場合、被害者と加害者の間で板挟みですからね。下手にどっちかに肩入れする事も難しいんでしょうね」


 私の愚痴を聞いて、逢坂さんはそう答えを返してきた。客観的に見たら、そういう捉え方もできるかもしれない。


「あと、その担任の瀬古川なんですが……」


 私は結局、打ち明ける事にした。今は猫の手も借りたい時である。


「ダジャレ使いのようなんです」

「なんですって!」


 電話の向こうの逢坂さんは、予想通り驚いた。


「もしかしたら、この前の敵の一人、あれが瀬古川だったのかもしれません」

「それも考えられますが、もしかしたら無関係で、ただ能力を持っているだけかも知れません。迂闊に決めつけるのは早計ですよ」


 確かに瀬古川がダジャレの能力者だとして、そもそもタクヤに嫌がらせをする理由が見当たらない。


「下手に言いかがりの様に追求しても、証拠がない以上、しらばっくれられたら、どうしようもありません」

「確かに」


 瀬古川がタクヤに嫌がらせをした証拠、嫌がらせをする理由を掴まなければいけない。今回の問題には警察はおそらく当てにならない。


「小林さん、これから時間は空いていますか? 実は、うちの参謀がお呼びなんですが?」

「参謀?」

「実は今の我々の会話を参謀も聞いていました。『我慢ならんから、我々で解決する』だそうです」

「え、いや、そんな……」


 うちの家庭の問題がどんどんと大きくなっていくのだが……大丈夫か?


「とりあえず、タクヤくんと小林さんの二人で夕食後に家に来れませんか?」


 うち?


 その瞬間、脳裏に桜木美咲が過ぎり頬が緩みかけたが、スグにタクヤの顔がそこへカットインしてきて我に帰った。


 いや、初恋の人と息子の板挟みはキツいだろ。その辺のセッティング考えろよ、逢坂。


「参謀はかなりお怒りなので、なるべく出席して下さい」

「何にお怒りなんでしょうか?」

「日本の教育制度にです」


 スケールデケェなぁ、参謀。


 逢坂さんの電話はそこで切れた。

 何がどうなってるのか分からんが、猫の手も借りたい時であるのも確かだった。


 とりあえず、家に帰り、夕食を食べた後、タクヤに事情を話して、逢坂さんの家へ向かう事になった。

 

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