第13話 小林、恋、始めました
何気ない、いつもの仕事の帰り道。
私は、そう言った時間を大切にしたい。
最近、敵に追われたり、色々とゴタゴタが多かったので、少し心が疲れてしまった。一人で軽く呑んで、自分に癒しを与えようと思ったのだ。
筋肉痛も治った。
私はたまに利用している、地元の居酒屋に入った。
「あれ? 小林さんじゃないですか!」
店に入るや、入口すぐのカウンターに座っていた酔っ払いが私の顔を見て大声を出した。
私はその顔を見て、引き戸になっている居酒屋の出入り口をそのまま閉めて帰りたかったが、その男が椅子から立ち上がり、私の肩を抱いて店の中へ引き込んできたのだ。
アメリカ人のお宅を訪問した時のような歓迎のされ方だ。そいつの店じゃないのに。
「お、逢坂……さん」
十人くらいでいっぱいになる大通りにあるけど、隠れ家的な居酒屋。その、カウンター席に既にベロベロに酔っ払った逢坂の姿があったのだ。
「小林さん、その人と知り合い?」
逢坂が私の肩を抱いているのを見て、店主が嫌そうな顔で私に聞いて来た。
「いや、知り合いと言いますか……」
「お願いなんだけどさ。これ飲んだら、その人を家に送ってあげてくれない?」
そう言って、店主は「お代はいいから」と私がいつも飲んでいるウーロンハイをカウンターに置いた。
自然と私は、ベロベロになってて机に突っ伏している逢坂の横に、逢坂のカバンを挟んで座る。
全然、気分が落ち着かない。
なんでコイツ、ここにいる?
「なんか、その人。大事な仕事がパーになったらしいよ」
「大事な、仕事?」
私がチラチラと逢坂を見ていたのを気にして店主が言って来た。
「それで、凄い落ち込んで店に入ってきてね。多分、酒とかあまり飲めないんじゃない、その人? 焼酎とかガブガブ飲んで、入って来て二十分くらいでその状態」
大事な仕事。
そう聞いて、脳裏に先週の尾形と心配そうな表情の朝宮さんの顔がよぎった。
そうか……やっぱりダメだったのか。
私が望んでやった結果なのだが、横のグデングデンになっている逢坂を見ると、なんだか少し、申し訳ない気持ちになる。
この人は、それ程までに今回の仕事に賭けていたのか。
「それって、どんな仕事だったんですか?」
私は気になって店主に聞いてしまった。
「さぁ。なんか『ずっとやりたかった仕事を見つけたのに……』って、悔しそうに呟いてたよ、さっき」
ずっとやりたかった仕事?
一体、逢坂は何をしようとしてたんだ? なんで、それは私がいないとできないんだ?
そう疑問に思っていると、横で眠っていた逢坂が突然立ち上がった。
そして、逢坂の口がハコフグみたいにプーっと膨れ上がり、豪快に店のカウンターに吐いてしまった。
逢坂が吐いたのに、私は逢坂の連れでも何でもないのに……店主に「もうその人連れて出てってくれ!」と何故か私が怒られる羽目になり、さらに私は酔っ払った逢坂を肩に担いで、家まで送って行く事になってしまった。
「ちょっと逢坂さん! 自分でも歩いて下さいよ!」
首から自分の鞄をぶら下げ、右手に逢坂の鞄、左手で逢坂自身を担いで店を出た私は、ふと大事なことに気付いた。
コイツの家は何処だ?
罪悪感はあったが背に腹は変えられない。
そもそも、会話が成立しないレベルまで酔っ払うこの男が悪いのだ。
私は「住所が書いてあるものはないか?」と、酔っ払っている逢坂本体を塀に壁にもたれさせ、逢坂の鞄の中を漁った。
ん?
書類が入ったファイルやらの間から、チラッと見えたある紙に私はドキッとし、咄嗟に鞄を閉めた。
見てはいけないものを見てしまった。
チラッと逢坂を見るが、気付いていない様子でホッとする。
しかし住所は分からずじまいだ。
私は大きく息を吸い込んで、もう一回、逢坂の鞄をパッと開けた。
「アレを見ないように、アレを見ないように……」と心掛ければ心掛けるほど、それが気になって、目に入って来てしまう。
と言うか、何の因果か、私が一番手に入れたい逢坂の住所は、その目に入れてはいけない物体に堂々と書かれているのだ。
「何なんだよ、もう!」
私は「南無三!」とその紙をカバンから出して、住所の部分だけを見た。なぜか呼吸が荒くなっていた。
間違いない。
その紙は離婚届だった。
しかも、夫の欄も妻の欄も記入済み。
逢坂明 逢坂美咲
間違いなく逢坂本人の離婚届だ。
私は酔っ払いの逢坂の方を振り返った。
人生を賭けた仕事とやらがご破産になり、離婚……エリートも意外と苦労しているのか。
住所が分かった逢坂を自宅まで送り届ける間、私は彼の顔を見て、そんな事を思い。話も聞かずに仕事を無碍にしてしまった事を申し訳なく思う。
冷静になれば二十年前の一回の仕打ちをいつまで引き摺ってるんだって話だ。
私は少し子供だったかもしれない。
と、思っていたが、逢坂の自宅まで来たら、その考えは吹き飛んでしまった。
「ここかよ」
逢坂の自宅、それは、ここ最近、駅前にできて、我々庶民の日照権を侵害して、私が毎朝ポキッと折れるように祈っていた……あの悪名高きタワマンだったのだ。
今の私の状況には、駅から数分のこの立地は不幸中の幸いだったが、まさか逢坂がこのマンションの住人だったとは……この男はどこまで私の感情を逆撫ですれば気が済むのか。
さっきの反省は全て撤回し、再びイライラしながら私は、一階のラウンジにいる職員に事情を説明し、逢坂の部屋まで案内してもらった。
イライラしながら、廊下から見える綺麗な我々凡人の生活が作り上げている夜景を尻目に、逢坂の部屋のインターホンを押した。
「はい」
声からして美人そうな奥さんらしき女性の声が機械の中から聞こえた。確か、美咲さん。私の初恋の女性、桜木美咲と同じ名前だ。
どうせ、美人なんだろうよ。
私は諦めの境地でそう達観し、どうせ美人な奥さんに事情を説明し、ドアを開けてもらった。
奥さんは声から予想通りの美人さんだった。別に驚きもしなかった。
なぜなら逢坂明という男は、私の逆鱗に触れるためにこの世に生まれて来た人間なのだからだ。
「あれ?」
しかし、玄関に現れた逢坂の奥さんが、私の顔を見て、驚いた顔を見せた。
なんだ?
どうした?
平凡な顔だろ?
「もしかして、小林くんじゃない?」
「え?」
いきなり奥さんに名前を言われて、ビックリした。
「小林光太郎くんでしょ! うわぁ、やっぱりそうよ!」
私は目の前で起きている事の意味が分からず、声も出なくなってしまった。
なんで、逢坂の奥さんが私の名前を知っている?
私はいつの間に、こんな有名人になったんだ?
「私の事、覚えてない? 中学の時、同じクラスだった桜木美咲!」
桜木、美咲……だと。
なぜ、逢坂の奥さんの口から、その名前が飛び出すんだ?
逢坂のどうせ美人な奥さんは私の顔を見て、全く予想していなかった喜びのリアクションをして「久しぶりぃ!」と桜木美咲になっている。
何なんだ、これは?
まるで、逢坂の奥さんが私の初恋の相手、桜木美咲みたいじゃないか!
「桜木さん?」
「ええ、覚えててくれたんだ。そう、私、桜木美咲!」
「あの学級委員だった桜木美咲さん?」
「そうそう! 懐かしい! 久しぶりねぇ!」
私は気を失って、肩におぶっていた逢坂を道連れにして、その場にひっくり返ってしまった。
「ちょっと、小林君! 大丈夫?」
遠くから桜木美咲の声がするが、私の意識はすでに宇宙の真理と繋がって、神様に「テメェの台本つまんねぇんだよ!」と文句を言っていた。
逢坂明、こいつは何処まで私の逆鱗に触れれば気が済むんだ。
そして神、どうしてこんな男を私の目の前に連れて来たんだ。
もう、なんか全てが嫌になって来た。
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