第12話 小林、出世はまだか!

 翌朝、私は人間の足を欲しがってるピノキオにこの両足をあげたいと思う程の強烈な筋肉痛で目を覚ました。

「こんな足だけど、いいのかい?」と、純粋な目で私の足が貰えると喜んでいるピノキオに少し罪悪感を覚える運動不足が祟った私の両足。

 嗚呼、私の両足。

 唯一、ポジティブな点は筋肉痛が二日目では無く翌日に出た事、まだまだ若い証拠だ。そのせいで一日早く地獄を味わう羽目になったがな。


「杖でもつく?」


 見るに見かねた妻が心配そうにそう言ったが、顔を見たら笑いを堪えてやがった。

 家から駅までの道のりが、天竺にお経でも取りに行くような大冒険に感じた。いつも以上にタワマンがグイーンと上に伸びてるような気がした。


 何もかも逢坂のせいだ。


 ダジャレの神様? ダジャレの具現化?

 くだらない。

 ダジャレの神様はこの私だ。私がダジャレと言う概念を作ったのだ。


 当然、こんな雑念が入った状態で、神の領域に足を踏み入れる事などできるハズもなく、今日もいいダジャレは浮かばなかった。


 今日はしようがないから、別に悔しくも無い。



 会社に着くや、いの一番に専務の部屋に直行した。専務の部屋は四階。階段を一階上がれば済む。しかし、今日の私はあえてエレベーターを使う事にした。なぜなら、足が痛いからだ。


「それで、専務。私の昇進の件はどうなりましたか?」


 私の前置きも気遣いも忖度も常識もマナーもタイミングも何も無い、単刀直入な質問が朝イチの脳味噌に直撃した専務はソファから落下しそうになりながら目を泳がせた。


「そ、その話なら昨日『様子を見よう』と言ったじゃないか、小林君」


 専務は姿勢を正し、体制を整え出した。そして諭すように口を開いた。


「いいかい? 種を蒔いたのは昨日だよ? 昨日、種を植えて、今日、花を咲かせた、なんて話、聞いたことがないだろう?」


 専務はそう言って「もう少し様子を見ようじゃないか」と私に言ってきた。私の出世は虫歯かなんかなのかね?


「わかりました」


 私が納得したセリフを吐くと、専務はホッとしたようなエビス顔を私に見せた。昨日も薄々思っていたが専務は丸顔で柳家小さん師匠に似ている。


「では、私をこのプロジェクトから外して、元の部署に戻して下さい」


 私を説得したと思いきや、二発目のパンチが飛んで来て、専務はまたソファから転げ落ちそうになった。


「そ、それは困るよ。このプロジェクトは逢坂さんから『小林さん、ありき!』と念を押されているんだから」

「逢坂さんの方には昨日、私の方から連絡をしておきました」

「なっ! いつの間に!」

「課長への昇進を今すぐしていただけないんでしたら、私は元の部署に戻らせてもらいます!」

「そ、それは話が違うじゃないか! さっき『様子をみよう』と約束をしただろ? 私との約束を破る気かね、君は!」


 別に私は専務と一緒に自分が昇進するかどうかを見届ける気など、サラサラ無い。別に私は観察日記をつけてるわけでも無いんだから。


「わかりました」


 私の承諾の言葉に専務は再びホッとした可愛いエビス顔を見せた。専務のニッコリした笑顔は私は嫌いではない。


「では、課長への昇進は一旦、置いておいて。課長に昇進したのと同じだけの役員報酬はいただけないでしょうか?」


 専務の笑顔は嫌いではないが、今日の私は鬼なのだ。なぜなら、足が痛すぎて、余計な事を考える余裕が無いから、寧ろ頭が冴えている状態だからだ。


「そ、そんな。君、係長の分際で……」

「分際?」

「いや、係長で課長レベルの報酬を貰うのは、流石に問題では……」

「しかし、私は仮出世はしている身では無いんですか? て言うか、仮出世って何なんですか?」

「それは……」


 専務は完全にコーナーに追い詰められ、私の怒りの言葉を一方的に喰らう状態になってしまった。


「と、とにかく。もう少し待ってくれ! この後、逢坂さんが来るから、そこで話し合おうじゃないか、なっ!」

「いい加減にして下さい!」


 私は柄にもない大声を専務に発した。

 専務には悪いが今日の私には怖いものがないのだ。なんせ、足の筋肉痛が酷すぎて、他の痛覚とか神経が鈍感になっているんだからな!


「何の業務かも教えない! 左遷されたような部屋に入れて、出世もない! 仮出世とか言う聞いた事もない辞令を出されて……こんな一方的なやり方、あんまりだ!」


 私の怒鳴り声で専務室に一瞬の静寂が流れた。


「……あんまりだ」


 私はかっこよく、おんなじ言葉を二回続けていった。自分で言うのもなんだが、結構格好良く決まった気がする。


「小林君」


 専務も私の気持ちの籠った声に感化され、ソファから立ち上がって、私の肩に手を乗せた。なんか昼ドラっぽくなって来て、少し照れくさい。


 しかし、私は専務が肩に乗せた手を優しく払い除け、部屋を後にするべくドアの方へと歩き出した。


「とにかく、今のままではこの仕事を受けるワケにはいきません。失礼します」


 そう言って、私は専務の部屋を後にした。

 自分でも不思議なくらいに、終始、専務を圧倒し、本郷功次郎ばりの臭い芝居まで演じ切った。筋肉痛で余計なことが考えられないおかげで、実に無駄のない所作であった。


 全ては日頃の運動不足がなせるワザだ。



 昨日、一日かけて作った部屋に戻り、私は荷造りを開始した。尾形と朝宮さんも出社して来ていた。

 出社して来て早々に上司の私がいきなり身支度を始めたものだから、二人とも戸惑った表情で私の方に近寄ってきた。


「主任。どうしたんですか? 荷造りして」

「私は今日限り、前の部署に戻る事になった」


 私の一言に尾形も朝宮さんも驚いた表情を見せた。


「え! 辞めちゃうんですか、主任!」

「悪いな尾形。だけど、私にもどうしても引けないトコロって言うのがあるんだ。それが今なんだ」


 私は力強い言葉を二人に投げかけた。二人とも「今日の小林はなんか違う」と言う顔で私を見ている。

 こんな私が二人に言える事……それは、人間、筋肉痛が酷いと大抵のことなんか怖く無くなると言うこと。その人生において大事な事を、この若者二人に伝えたい。


「だから二人には……」

「じゃあ、主任がいなくなったら、俺がここの課長っすか!」

「「は?」」

「俺が課長で、朝宮ちゃんが係長! 俺達、いきなり二階級特進っすか!」


 と、一人で勝手に突っ走って喜んでいる尾形のを尻目に、凄い嫌そうな顔で尾形を睨んでいる朝宮さんと私の声がリンクした。


 何考えてるんだ、コイツは?


 しかし、一度突っ走ったらブレーキを知らない尾形は、私の両手を握り、顔を見たら両目をウルウルさせて、なんか知らないけど感極まって泣き出しそうになっている。


 どこにあるか知らないけど、幸せの国で楽しく生きてるんだな、コイツは。


「主任! 俺、主任がいなくなっても朝宮ちゃんと二人でも、頑張るんで! 任しておいてください!」

「あ、ああ……でも」


 と、私が「この部署、多分無くなるよ」と言う間も与えず、幸せ者尾形は、私の荷物が全部入った段ボールを「じゃあ、とっとと出てけ」と言わんばかりに私に無理矢理持たせ、ドアの方へと私の背中を無理矢理、押して来た。


「じゃあ、主任。一日、机と椅子を洗っただけでしたけど、おせわになりました!」


 バタン! と、大きな音を立てて、尾形は私を部屋から追い出し、私の返事も聞かずにドアを閉めやがった。


 尾形のあまりにも一方的な追い出しに遭い、私は『一味違う私』を出す間も無く、言葉が出なかった。


「じゃあ、朝宮さん! 午後の逢坂さんとの面通し、頑張ろうぜ!」


 ドアの向こうで張り切っている尾形と心配そうにガラス越しに私をチラッと見ている朝宮さんのコントラストが見えた。

 いつ、お前は刑事の取り調べを受けたんだ? 『面通し』じゃなくて『顔合わせ』だろ。


 私は緒方に追い出される形で、昨日、左遷された元の部署に戻った。




「人事部から何も言われてないんだが」


 昨日出てった男がもう帰ってきた事に前の部署の課長は戸惑っていた。

 私は「専務の許可は得ています」と言って、なんとか昨日までの元の机に戻ってきた。


「あれ?」


 しかし、椅子に座ろうとした瞬間にふと大事な事に気づいた。


 私、この部署の係長に戻れるんだろうか?


 それからあの部署がどうなったのかは、私は知りません。潰れたのか、維持されたのか、そもそも会社には存在していない事になっている部署です。誰の耳にも情報が入って来ないらしく、会社の噂にも聞こえて来ません。


 そんな感じで数日が経ちました。

 私は三階に向かう階段を見上げる度に、あの尾形と朝宮さんの部署がどうなったのかが怖くて、あの部屋の前を通る事は憚れるのです。







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