第11話 小林、逢坂に会う
「逢坂、明、だと?」
名刺に書いてある営業四課の横のGLって文字なんだ? グループリーグ? 営業四課で何かの予選でもやってるのか?
「明日、藤原文具さんに伺ってご挨拶する予定だったんですけど。
敵のギャングが小林さんと接触を試みようとしていたので、このような挨拶になってしまいました」
と、言うことはコイツ、随分と前から私のことを尾行していたって事か?
「でも、今、小林さん、私の名刺を貰う前から私の名前を呼んでいたじゃ無いですか。初対面なのに名前が言えるって能力者って事ですよ」
一人ではしゃいでいる逢坂をよそに、私は逢坂が発した何気ない言葉に頭がカチンと来た。
しょ、しょ、しょしょしょ、初対面だと……?
「初対面、だと?」
私の心の声が思わず口に出た。いや、これはむしろ出さなければいけない心の声だ。
「ん? どうかされましたか?」
「初対面だと! って聞いているんですよ!」
私の脳裏に二十年前のあの因縁が蘇り、思わず声を荒げてしまった。冷静に考えれば「初対面だと!」は疑問文ではないが、そんな事はどうでもいい。
「ちょっと大声を出したら、奴らが戻ってきますよ!」
逢坂は私の口をそのカサついた手で塞いできた。
しかし、私は怒りでもうさっきの敵の事など、どうでも良くなっていた。
「初対面じゃ、ありませんでしたか?」
逢坂は改めて、私の顔をマジマジと見た。そして、こう言った。
「失礼ですが、どこかでお会いしたでしょうか? ちょっと私の方は存じ上げないんですけど」
その一言で私の心の奥に大事に閉まってあった、憎しみで塩漬けされた梅干しが一気に噴き出した。
「二十年前に私は一度、アナタとお会いしているはずですが?」
「二十年前?」
そう言って逢坂はまた私の顔を見て、シンキングタイムに入った。
見ろ、思い出せ、そして跪け!
己の増長した当時の態度を反省して、地球におでこをくっつけろ!
「申し訳ありませんが、記憶にないんですけど」
「はぁ!」
「二十年前のどちらですか?」
しらばくれやがって。
己の過ちは「知らん、存ぜぬ」で己の功績は心のハードディスクにバックアップまでとって末代まで自慢する。だからエリートは嫌なんだ。
「とぼけても無駄ですよ」
「すいません。とぼけているワケではなく。覚えていないんです」
もっとダメだろ。
「じゃあ、これを見れば思い出すはずです! アナタが私にした屈辱的な仕打ちを!」
私は探偵漫画が証拠を突きつけるシーンを頭で想像しながら、ポケットの名刺入れから、明日に備えて念の為に入れておいた、あの日にこの男から貰った名刺を差し出した。
「二十年前、私がアナタから戴いた名刺です。と、言ってもアナタが投げ捨てるように出した名刺を私が空中でキャッチした代物ですがね」
逢坂は驚いた表情で私が差し出した名刺を見下ろしていた。
驚いたか、まさか二十年間、仕事の付き合いも何もない人物の名刺を取って置かれているとは夢にも思わなかっただろう。
お前の悪事は、この茶色く変色した名刺と桜吹雪が全てお見通しなんだよ!
「これは、確かに私の名刺のようですが……」
逢坂も流石に絶句した様子だ。
まさか、二十年前の名刺をわざわざ名刺入れにスタンバイされるとは思ってもみなかっただろう。
「二十年前、おたくの新人研修をうちの会社の近所でやる事になりました」
「藤原文具さんの近所……?」
逢坂は少し考えて、「ああ」と思い出した声を発した。
「確かに総務課にいた時にそんな事がありましたね。いつもの会場が工事中で」
「その時に鉛筆を用意するのを忘れたアナタがうちの会社に急遽注文して来ました。その時、会場に大量の鉛筆を運んだのが私です。
なのに……アナタは一生懸命に汗を流しながら鉛筆を運んだ私を、まるでゴミ屑のような扱いをした!」
思い出したら再びイライラしてしまい、思わず感情的に声を張り上げてしまった。
さっきまで証拠を突き付けた名探偵だったはずが、これでは殺した動機を話し出した真犯人みたいになってしまっている。
「私はいつかアナタに復讐してやろうと、今日までその時に貰った名刺を机の引き出しに二十年間、捨てずに入れていたんです」
「瑛王商事、総務課、逢坂明……」
私が怒っているにも関わらず、逢坂は聞こえていないような素振りで差し出した名刺を何度も確認している。
そんなに私と言う男は、お前の記憶の片隅にも残らない男なのか?
「もう、覚えてないとは言わせませんよ。現にそこに名刺があるんですからね」
「なるほど。それで、小林さんの要求は何かあるのでしょうか?」
「謝っていただけますか? 二十年前の失礼を。そうしなければ、アナタと仕事をする事はできません」
逢坂は困ったような顔をして、また名刺に目を落とした。何度見たって、お前が私に渡した名刺だ。
「申し訳ありませんが私には身に覚えがありません。なので、小林さんのご期待に沿う事はできません」
「どう言う事でしょうか?」
「二十年前に確かに私は営業部に転属する前に総務課に所属していました。ですが私は新人研修には関わっていませんでしたし、まして鉛筆の準備なんて担当していません。あと……」
逢坂は私に手に持っていた名刺を返して来た。
「この名刺は私の名刺ではありません」
「はぁ?」
「もう当時の名刺を持っていないので、お見せする事はできませんが、その名刺は誰かが偽造した偽物です」
「なっ!」
これがエリート営業マン。
咄嗟に私の差し出した証拠を無力にする嘘を思い付くとは。
「そんな嘘、私が信じると思いますか?」
「嘘ではありません。ただ……証拠をお見せできないのは残念です。ですから、小林さん自身に信じて戴くしかないのですが……私の当時の名刺には『主任』の文字が肩書きに入っていましたので」
主任?
総務課 逢坂明……確かに名刺にしては役職が殺風景な気がしないでもない。そう言えば、さっきのGLってなんだ? 機関車?
「じゃあ、何故、今更『私と仕事がしたい』とウチの社長に仰ったんですか?」
「それは……」
偽物と言われようが、もう引くに引けない私は攻めるしかない。
「二十年前に私と会った記憶が無かったら、面識のない私と仕事したいなんて言うのは不自然じゃないですか!」
「それは……」
逢坂は「痛いところを突かれた」と言う感じに絶句した。やった、エリートから一本取った。
「申し訳ありませんが、その理由はまだ言えません」
「どうしてですか?」
「理由は「今はまだ」お話しできないと言うそのままの意味です。まだ、仕事がどう言う形になるのかも分からない状態でお伝えできません。その時が来たら、小林さんにも勿論お伝えします。
現状で言えるのは二十年前のその件は濡れ衣だと言う事です」
この野郎。
「シラを切るなんて酷い人だ。濡れ衣だと主張するんでしたら、証拠を見せていただけますか?」
「アナタだって、私の顔を覚えていなかったじゃ無いんですか? さっき名刺をもらうまで『誰だ、この人?』って感じでしたよね?」
「ぐっ!」
「二十年前のことを覚えているなら、私を見た時に『あの時の!』ってなるはずでは?」
私は悔しいが心の中で『確かに!』と膝を叩いてしまった。
そして、情けない事に『もしかしたらあの時の逢坂さんは本当に偽物だったのかもしれない』と一瞬で少し心が傾いてしまった。
こっちが攻勢だと思って少し油断したら突然のカウンターパンチが飛んできた。悔しいがさすがエリート営業マン。公事慣れしてやがる。
確かに、向こうが『逢坂です』って名乗るまで「誰?」と言っていた私に「二十年間の恨み」と言われても、そりゃ説得力もないだろう。
ぶっちゃけて言うと、今、対面で見ている逢坂さんの顔を「あれ? こんな顔だったっけ?」と正確に判断できていない始末なのだ。
いやはや、年はとりたくない。
しかし、ここで簡単に逢坂の口車に乗っては、二十年間の私の恨みはなんだったんだ? と言う話だ。
もう、あれが逢坂さんだったかどうかなど関係ない。私はもう引き返す事ができないんだ。今から引き返すのは、ぶっちゃけ面倒臭いし、「人違いでした」と謝るプライドもない。
こんな非効率な考え方、エリートには分からないだろう。どうだ逢坂、これが日々を無駄に生きている凡人の思考回路なんだよ。
「とにかく、謝って下さい」
私はもうなりふり構わず、直接謝罪を要求した。自分でも、ただの言いがかりだと思った。その辺のクレーマーと同じだ。
「ん? 待てよ。二十年前……総務課……名刺……」
しかし、逢坂は私の最後の反撃を相手にもせず、何かを思い出したように考え込み出した。
これ以上、この人と話すのはヤバい。ディベート能力に差があり過ぎて、このままだとあと二往復くらい会話が続いたら丸め込まれそうだ。
「と、とにかく! アナタの謝罪があるまで、私はアナタと仕事をする気はありませんから! 残念!」
思わずギター侍が出てしまった私は「失礼します!」と大見得を切って、その場を立ち去る事にした。
「あ、小林さん、待ってください!」
「謝罪以外は聞きたくありません!」
私は逢坂の手を振り切り、早足でその場を去ろうとした。しかし、逢坂との議論に気を取られて大事なことを忘れていた。
さっきの全速力による反動で、私の両足は既に限界を超えており、ガクガクのヨチヨチ歩きでしか歩けなくなっていたのだ。
「その足で大丈夫ですか?」
「あ、アナタには関係ないでしょ!」
しかし、その歩く速度たるや、沖縄の温暖な気候で育った水牛を彷彿とさせる、のんびりこのペースで家まで歩いたら、軽く日付が変わってしまうと言うレベルの鈍足だった。
「家まで送りましょうか?」
「う、うるさい!」
結局、その後、大見栄を切ったにも関わらず、私の歩く速度があまりにも遅いが為、心配して後ろをずっと着いてきた逢坂に、家まで肩を借りると言う許すまじき失態を演じてしまった。
我ながら、これはダサい。穴があったら入りたい。
「と、とにかく、こんな親切をされても、やらないものはやりませんからね!」
と、最後の意地で『逢坂にお礼を言わない』と言う子供じみたワガママを通し、なんとかメンツを保った私であった。
逢坂は「お大事に」と手を振って、余裕でスタスタと帰って行った。
なんで、同い年なのに、こうも体の構造が違うんだ。なんで逢坂と私が同い年だと、私は知っているんだ?
さっきのダジャレ能力か?
個人情報、だだ漏れだな。この能力。
* * *
小林と別れた後、逢坂は帰路に着くや、スマホであるところで連絡を入れた。
「もしもし。件の小林さんと接触を図りましたが、予想外の事態です。どうも私に良い印象を抱いていない様子です。昔、私とトラブルがあったとアチラは仰っています」
電話の向こうの声は、逢坂からの報告に心配そうな声を漏らした。
逢坂も身に覚えがない事だと説明したが、勘違いであってもそれが原因で小林光太郎が仲間にならないのは、計画が全てオジャンになることを意味している。
「ですが、まだ可能性は残っています。明日、砂の嵐作戦を決行しますので、そのつもりでアナタも心の準備をしておいて下さい」
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