第10話 小林、ギャングに狙われる
今、私の手を引っ張って走っているのが、謎の美少女とかだったら、これから起こるかもしれないサスペンスに立ち向かうモチベーションも出るってもんなんだけど……世の中は映画のようにはいかない。
「小林さん、もっと速く走って下さい!」
今、私の手を引っ張り、夜の住宅街を一緒に走っているのは、私と同い年くらいの……私より明らかに良いスーツを着ていて、年齢の割に体も絞れている男。
髪型も夜なのに整髪料がいい感じに効いてて崩れていないし、青髭も生えていない。
なんか、こう。
庶民の私の嫉妬心を上手に掻き立ててくる、いけ好かないエリートそうなオッサンだ。
こんなオッサンと二人がガサガサした手を繋いで走っているのを、近所の人に見たらなんて思われるんだろう? 妻に見られたら、浮気の方がまだマシな勘違いとかされないだろうか?
つーか誰だ、この人?
何故、私の名前を知っている?
なんで、この庶民が暮らす閑静な住宅街で、そんな場違いな勝ち組オーラをプンプンさせてるんだ? 恥ずかしくないのか?
後ろを振り返ると、細い道を追いかけるのに車は不利と判断した黒いスーツのオッサンらは、車から降りて、こっちに走って来ている。
「あ、あの、お、追いかけて来ますよ」
「とりあえず、この先の公園に逃げ込みましょう!」
私の手を引っ張るエリートは息を全く切らしていない。
腹が立つ。
私はこんな全速力で走ったのは、新人の頃に取引先にいた怖い人に脅されて、走って文房具を運んだ時以来なので、もう二十年ぶりの全力疾走だ。
もう、息などとうに切れて諦めている。それ以上にもう足が限界でガクガクなのですが……。
振り返ると後ろから追いかけてくる奴らも、普段の不摂生が祟っているのか、なんだかオジさんなりに一生懸命に走ってはいるけど、遅ぇ。
フォームがなっていないのが私でも分かる、レベルだ。
一方、エリートの走るスピードが速すぎて、我々と後ろの敵との差がグングンと開いていく。こんなグングン差が開いていく逃走劇なんて見たことない。相場は差が縮まるものだろう。
つまり、こんなスピードで逃げる必要性は無いってことだ。
もっと言えば、公園に逃げる必要性もないと思う。
ウチの近所にある広い運動公園の中に入り、私は謎のエリートの指示に従い、街灯が少ない、木が生い茂っている森の中に身を隠した。
「静かに……」
木の影に隠れて、腰を下ろした瞬間、私の足腰が糸の切れた人形のようにストーンと地面に落下した。こりゃ、一週間はまともに歩けないぞ。
私と一緒に走って来たはずのエリートは、息一つ乱さず、暗闇の中から明るい公園内を観察し、まだ緊張を維持している。
近くで見ると顔もシュッとしていて二枚目だ。全然、髪も薄くなってないし、なんか俳優さんみたい。
で、アナタは誰?
なんで、私の名前を知っているの?
「あ、あの。アナタは、どちらさま……」
「しっ! 奴らが来ました! 静かにしてください」
エリートの見ている先から、さっきの黒スーツの男が三人、息切れをしながらやって来た。そして、その内の最初に私の前に現れたブルースブラザーズみたいな二人は芝生の上に大の字で倒れた。
敵とは思えないほどに、私と同等の体力しかなさそうだ。
多分、あの様子だと、ここに隠れなくても、走って家に帰れたんじゃなかろうか?
て言うか、向こうは二人が瀕死だから、今なら戦っても勝てるんじゃないか?
「うわぁ、三人とも黒のスーツで統一してギャングっぽいですねぇ」
隣のエリートが突然、ボソボソと独り言を言い始めた。なんだ、エリートらしからぬ子供じみた言動、敵の服装を羨ましがっている様子だぞ。
「私もああいう感じにメンバーで衣装を統一したいなぁ」
何をブツブツ言ってるんだ?
このオッサン、ギャングでも作るつもりなのか?
エリートなのに?
「あのぉ、あの人達って何者なんですか?」
私はとりあえず状況を把握したいので、一つ一つ疑問を潰していくことにした。
「敵のギャングですよ」
「敵って、誰の敵ですか?」
「我々のですよ」
我々?
私はいつからギャングに命を狙われるようなご身分になったんだ? 何かやったか、私?
「あの、何で私がギャングに追われてるんですか?」
「詳しいことは後で説明します」
「なんで、今じゃダメなんですか?」
「長くなるからです」
なるほど。
「ならば」と私は最も気になっている事をこのエリートに質問した。
「てか、あなたは誰ですか?」
「それも後で」
「何で、私の名前を知ってるんですか?」
「それは、ダジャレで調べたからですよ」
ダジャレで調べた? ダジャレ? スマホのアプリか何かか?
「ちなみに小林さん、どんなダジャレを使えるんですか? 奴らと戦闘になった時の為に、念の為聞いておきます」
ダジャレを使う?
何を言ってるんだ、この男……と、そのとき、私は背広の胸ポケットに入っている物を思い出し、脳天に稲妻が走った。
まさか、この男……私が毎朝、電車で手帳に書いていたダジャレを覗いてやがったのか! しかも、私のダジャレのサブさを利用してアイツらを怯ませる道具にしようってのか!
「な、なんで、わ、私のダジャレのことを知ってるんですか?」
二十年以上、私と神様しか知らない秘密をこんな……こんな勝ち組オーラ満々のイケ好かないエリートに見られ、心の中で見下されていたなんて。
親に好きな子へ書いたラブレターが見られたような、あまりの恥ずかしさに私の顔は湯気が出るほどに真っ赤っかに熱を帯びてしまった。
武士にあるまじき恥。
「あなた、もしかして……私のダジャレの手帳を見てたんですか?」
「静かに、アイツらの一人がこっちに来ますよ」
見ると、芝生に倒れた二人は使い物にならない様子で、もう一人の、おそらく車を運転していたらしい男が我々を探す為に公園内を歩き回っている。
いや、そんな事よりも、この野郎……乙女の大事な気持ちを覗いておいて、『どんなダジャレが使えますか?』って、いけしゃーしゃーとよく言えたモノだわ! 私の事を物としか見てないのね! 骨の髄まで利用して、どうせ、用が済んだらポイッと捨てる気なのね! サイテー!
と、心の中で男に弄ばれる純情な乙女の口調でこのエリートに文句を言っていたら、私の目の前を敵が通り過ぎて行った。
サングラスにスーツを着ているのは同じだが、他の二人と違い体格がガッチリしていてスポーツでもやってる様子だ。年齢的には私より若い感じのまだ三十代くらいだ。
と、その男が森の方に体を向け、こっちに手をかざした。
「見つかったんじゃ?」
「いえ、多分、逆光になっているので見えていない筈です」
男は大きく息を吸い込み、何故か人がいないか、周りを確認した。人を探しているのに、なぜ周りを確認するのか?
「ダジャレを言うのは誰じゃ?」
サングラス男が突然、ベタなダジャレを言った。毎日、地下鉄の中で聞こえていたダジャレだ。
男がそう言った瞬間、私と隣のエリートの右手がスッと上がった。これは毎朝、地下鉄の時に起きていた心霊現象ではないか。
「これ、毎日地下鉄で聞こえてたやつですよ。あの男が犯人だったのか?」
「小林さん、静かにして下さい。見つかりますか」
思わず声を上げてしまったが、男は暗い森の中の我々を探すと言うのにサングラスを取るのを忘れるという、そこいらのバカでは到底思いつかない大馬鹿な凡ミスをしてしまい、私たちの目の前を首をかしげながら通り過ぎて行った。
「どうやら行ったみたいですね」
「バカですか、今の男は?」
「いやぁ、バカで助かりました」
しかし、尾形並みの間抜けだな。
男は息切れが治りかけて来た二人組と合流し、何か話し合っている。
こうやって側から見ると、スペックの低い大した事ない三人組だな。
「今日は諦めるしかないな」
どうやらリーダーらしい、背の低い男がそう言うのが聞こえた。諦めるの結構早いな。
「とにかく、あの小林親子をなんとか街から追い出さねば」
小林親子?
私と、もしかしてタクヤの事か?
何で我々親子がギャングの標的に?
不思議に思っていると、その背の低い男がさっきのバカな男の様に手をかざした。
「コーディネートはこーでねーと」
またダジャレ。しかも、またベタなダジャレだ。
背の低い男がそのダジャレを言うと、三人が着ていたお揃いのスーツが普段着のようなラフな格好へと変わった。
「え! 今、着てる服が変わりましたよ!」
これには私は驚き、思わず大きな声を上げてしまった。
「なるほど。ああ言う事もできるダジャレもあるんですねぇ」
私が驚いている横で、エリートは驚くどころか、なぜか関心している。
「驚かないんですか?」
「だって、ダジャレじゃないですか。我々だって使えますよね?」
ダジャレ? 確かに今、『コーディネートはこーでねーと』とベタなオヤジギャグを言った。
『コーディネートはこーでねーと』
英語と日本語が掛かってる時点でインテリジェンスもある。私が目指す寒いダジャレとは美学が離れているが良いダジャレだ。こう言うベタなダジャレというのは実に無駄がない。
いや、そんなダジャレの分析はどうでもいい。
「ダジャレはダジャレですけど。それで服が変わるのはおかしいじゃないですか!」
「小林さん。何言ってるんですか? アナタって使えるでしょ?」
「何を?」
「ダジャレを具現化する能力ですよ」
「ダジャレを具現化する?」
何それ?
「え?」
「え?」
私のリアクションが予想外だったのか、「え?」と呆然としているエリートとしばらく顔を見合わせてしまった。
「あれ? 小林さんも持ってますよね?」
「何をですか?」
「その……あれ? 夢の中にダジャレの神様が出て来ませんでしたか?」
「ダジャレの神様? 何のことですか?」
「え? 夢見てないんですか?」
「最近、歳のせいか、夢を見ても朝起きたら全部忘れちゃうんですよねぇ」
しかも何だ、ダジャレの神様って? むしろそれは私の事だろ。
「まさか、覚えてないんですか!」
謎の男は私の返答に非常に驚いた様子だった。
「そんなにおかしな事を私は言ってますか?」
「あんな、インパクトの強い夢を何で忘れるんですか!」
何でか知らないが、エリートさんはもはや私に説教を始めてしまっているぞ。
そんなに私は大きな落ち度があったのだろうか?
「ちょっと確認しますから、動かないで下さい」
「はぁ」
そう言うと、エリートさんは、さっきの敵の奴らがやっていたように、私に向けて手を翳した。
「ダジャレをいうのは誰じゃ?」
エリートさんもそのダジャレをいうと、再び私の右手が勝手に上がった。
「あ、上がった! 地下鉄の現象はこれだったんですね」
「ほら、小林さんも、ちゃんと能力者ですよ! 今度は小林さんが私にやって下さいよ」
「ええ……でも、私、ダジャレ何も知らないですよ?」
「『ダジャレを言うのは誰じゃ?』は初回サンプルで全員使える奴ですから。てか、言ってたじゃないですか、神様が」
知らねぇよ!
「ほら、私に向かってやってみて下さい」
「えぇ……」
エリートに促され、私は嫌々、右手をエリートに向けてかざした。
「だ、ダジャレをいうのは誰じゃ」
言った瞬間、物凄い恥ずかしさが全身をゾワーっと駆け巡った。人前でダジャレを言うなんて、しかも正直、このダジャレあまり好きじゃないんだよなぁ。
すると逢坂さんの右手がスッと上に上がった。
「ほら」
「は? 何ですか?」
「このダジャレは『ダジャレ使い』の能力者を見つける為のダジャレなんですよ。これで私の右手が上がったって事は小林さんもダジャレの能力が使えてるって事ですよ」
「いや、だって今のは逢坂さんが勝手に手を挙げた可能性もあるじゃ……」
と、私はハッとして言葉を止めた。
逢坂さん?
私は何の躊躇いもなく自分の口から出て来た名前に驚いた。
なんで、私、このエリートの名前を知っているんだ?
「あ、自己紹介が遅れて申し訳ありません。本当なら明日、小林文具さんに伺って、ご挨拶する予定だったんですが、急遽、こんな事になってしまいました」
前置きが長い男は、とりあえず街灯のある場所に移動して、私に名刺を差し出した。
「初めまして、英王商事 営業四課の逢坂明と申します」
その男が差し出して来た名刺は紛れもない、今日、専務の部屋で見たあの忌々しい名刺と全く同じ物であった。
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