第6話 小林、左遷を受け入れる
「あ、主任! 久しぶりっすね!」
元倉庫という名の新しい仕事場に入った瞬間、「やっぱ、左遷じゃねぇか!」と疑いが確信に変わり、思わずドアを拳で殴ってしまった。
「どうしたんすか、主任! 危ないっすよ」
「なんで、お前がここにいるんだよ、尾形!」
部屋に入ると、そこには既に二人の社員がいた。その内の一人は私が営業部にいた時の後輩、尾形だった。
「いや、朝来たら課長にいきなり異動だって言われて、『荷物まとめてここに行け』って言われたんっすよ!」
尾形は何が楽しいのかわからない笑い声を響かせながら、「またよろしくっす!」と私の肩を何度も叩いてきた。痛い!
「なんか、クラス分けで友達がいたみたいで嬉しいっすね、主任!」
「痛いから叩くな!」
尾形と部署が分かれて十年ぶりだが、コイツ、何も成長してないな。
「いやぁ、また主任と仕事ができるなんて嬉しいですよ。てか、俺、人生初の異動なんでよろしくっす!」
「言っとくけど、俺はもう主任じゃないからな」
『課長に仮出世したんだよ』と言いたかったが、尾形にイジられて、ゲラゲラ笑われそうだから言わなかった。
尾形は営業部時代に私が教育係をしていた後輩だ。しかし、とにかくコイツは何も覚えないし、言うことを聞かないしで、ミスばっかり起こして私が方々に頭を下げまくっていた嫌な記憶しかない。
しかもコイツは自分で頭を下げないどころか、「まぁまぁ、元気出しましょうよ」と帰りの道で私を励まして来る様なクレヨンしんちゃんみたいな無神経な男だ。
なんで尾形がここにいるのか? 社を挙げての極秘任務という垂れ込みはどうなっているんだ?
これは、この後、専務の部屋に再び怒鳴り込みに行った時に聞いた話だが、
「極秘で急な異動だったから、他の社員に怪しまれないよう、左遷されそうな問題児しか用意できなかったんだ。すまん」
と、ゲロった。
聞けば、先週のうちに『問題な社員を引き受ける部署を作るから、自由に人を出してくれ』と各部署にメールが飛んでいたらしい。
なるほど。
尾形は新人時代から今まで、とにかく問題しか起こしていないが、勤続十年以上、一度も部署異動をせず、営業一筋生きている。理由は、問題を起こしすぎて、引き取り手がいないだけだ。
営業課長の野郎、ここぞとばかりにババを捨てて来やがったな。
「ただのゴミ箱じゃないですか!」
「だから! 極秘だから、そう言わんと他の社員に怪しまれるだろ!」
「極秘だからって言えば、なんでも許されると思うなよ!」
専務はその後も私に必死に弁明したが……預かるこっちの身になってみれば、いよいよ追い出し部屋の様相を呈してきたぞ。
課長になれるという悪魔に魂を売るのと引き換えに部下は問題児、相手は逢坂。前門の虎、後門の狼ではないか。
帰りに求人雑誌でも買って帰るか。
「で、主任。この部署何やるんすか? 何も俺聞いてないんすけど」
五月蝿い尾形がコブラツイストを掛けながら巻き付いて来るのを力ずくで剥がして、さっきから無言で私と尾形のやりとりを眺めている女性に目をやった。
まだ二十代前半で縁のない眼鏡をかけて、長い黒髪をサイドで纏めている。
こう言う言い方は口に出したらよろしくないが知的そうで美人だ。それに若い。
男性社員的には存在しているだけで価値がありそうだけど。何で、この子がここに異動させられたのか?
「あの、君は?」
「あ、初めまして、朝宮と申します。経理部から異動して来ました。よろしくお願いします」
上司にコブラツイストをいきなり掛けて来る男とは違って、外見通りの真面目そうな子ではないか。
「つーか、何やるんすか、俺たち?」
「私も何も聞いてないんだよ。急に異動って言われたから」
「なんか、アニメとかのデスゲームが始まるみたいな流れっすね! いきなり汚い部屋に集められて!」
「馬鹿か、お前」
と、私は口では尾形を貶したが、内心では尾形の一言に「ああ、確かに!」と膝を打っていた。尾形は馬鹿だけど、こう言うセンスがなかなか良いのだ。
私が鍛えれば、いい駄洒落を産みそうな奴だ。やんないけど。
昨日まで倉庫だった十畳くらいの部屋は、夜逃げでもしたかのように綺麗に片付いている。ただ、片付きすぎていて、部屋には何もない状態だった。
陽の光にあたった埃が宙を漂ってはいるが、スグに使えそうな感じだ。誰がやったのかは知らないが。一日でやったにしては大した労力だ。
やはり、追い出し部屋では無いのか?
どうも判断に苦しむなぁ。
「とにかく、専務に聞いてくる。多分、今日は掃除とかで終わりそうだな」
「あ、私も行きます!」
部屋を出ようとすると、なぜか駆け足で朝宮さんが私の方へついて来た。なんで?
掃除でもして居て欲しかったのだが、尾形一人、ポツンと部屋に残された形になった。
まぁ、ドア越しに見えた尾形の「ぽつん」と顔に書いてある様な顔が面白かったから、これでも良いけど。
専務の部屋へ向かう間、朝宮さんと何の会話も無く、彼女はただ無言で私の後ろを着いてくる。
男の少し後、黙ってついてくる女房という、明治時代の理想の夫婦像のようなポジションになり、すれ違う他の社員がどう見ているのか気になる。なんか、ボスのいる部屋に向かってるロープレの主人公みたいだ。
私も人見知りだし、朝宮さんも予想通り人見知りのようだ。同じ人見知りなら、男が間を持たさなきゃ損損。
「あ、朝宮さん。別に私、一人で大丈夫なんですけど……」
「あ、いえ……その……すいません」
私は彼女を拒絶する様な事を言ってしまった。彼女は彼女で謝るだけで、俯いてしまった。
コミュニケーション能力0に0を掛けても0でしかない。お互い絶望的な会話の下手ぶりだ。
「なんで、着いて来たの?」
「あの……尾形さんと一緒に居たくなくて」
あらま。
なんだアイツ、もう嫌われたのか。さすが『尾形』のブランド背負ってないな。
「尾形に何かされたの?」
「いえ、ちょっと……」
そこで自分の娘ほどの若手社員との微笑ましい会話は終わった。口下手二人の気まずい専務室を目指す旅だ。3階から5階に行くだけなのに、果てしなく遠く感じだ。
『全員、人見知りの西遊記とか最悪だろうな』とか、私は頭でどうでも良いことを考えていた。
とにかく、私は専務に話(話が違うじゃねぇかハゲ!)があったので、朝宮さんは専務室の外で待っていて貰った。
部屋に入るとき、来た道の廊下の先の突き当たりに、物陰に隠れた尾形がジーッとこっちを睨んでいるのが見えた。お前は市原悦子か。
専務の部屋に入る。
少し前に書いた文章の件の文句とかのやりとりをした後、
「とにかく、逢坂さんが来るのが明日なんだ。それまでにあの部屋をそれっぽく見繕っといてくれ」
「さっきから全部、フワフワした指示ですなぁ、専務さん!」
散々、文句を言って怒った後だったので、思わずタメ口の切り返しが出てしまった。
ただ、一つ収穫があった。
どうも、あの部屋を綺麗さっぱり空っぽにしたのは、社長と専務の二人だそうだ。
しかも昨日の夜に社員たちが返った後に二人でやったそうだ。
「なら、ついでに机も運んどけよ」と言いそうになったのを必死で堪え、重役二人が直々に部屋を空にしたとなると、左遷の線は少しだけ薄くなった気がする。
本当に何か新しい仕事をやるかもしれない。という芽は少し出てきた。メンツ以外は。
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