第2話 小林、家が荒らされる

「rhんがっんぐvjrjrっj!」


 なんか自分の口から飛び出して来た、訳の分からない言葉の塊にびっくりして、その日の朝、私は布団から飛び上がった。


「ん? 夢、か?」


 何か遠くでドシンと落ちる音がしたような気がしないでもないが、窓の外では雀が鳴いている。いい朝だ。

 しかし、さっきまで妙にリアルな夢を見ていたような気がするが……なんだか結構楽しい夢だった気もするが……内容の方は、とんと思い出せない。

 何か、結構、今度の私の生活を左右する大事な事を叫んだような記憶だけはある。だけど、何の夢を見ていたのかがわからない以上、そもそも夢の中の時点で、大事もへったくれもある筈がない。


 ドスン!


 上から大きな音と『隕石が落ちたのではないか?』と思う程に大きな衝撃で、私がローンで買ったマイホームは大きく揺れた。


「なんだ、今の音!」


 音にびっくりした私は布団を抜け出し、寝室の隣のリビングに出た。家族の姿はない。付けっぱなしになっているテレビから朝のニュースが流れている。

 テーブルの上には長男のタクヤの為の弁当が蓋をしてない状態で置かれている。高校のサッカー部の朝練のため、私が起きてくるくらいに学校へ向かう。


 さて、妻はどこへ行った?


「ちょっと、今の大きな音、何よ!」


 玄関の方から妻が驚いた声で戻ってきた。ちょうど朝のゴミ出しに行っていたようだ。


「やっぱり、お前も聞いたか?」

「ビックリしたわよ! 玄関のドア開けようとしたら、いきなりドーン! って!」

「私もそれで飛び起きたんだけど……お前、外から見て、何か変な事なかったか?」

「別に、なにも」


 二階。

 二階にはタクヤの部屋と物置、あとは空き部屋が一つ。

 浴室から水の音が聞こえる。どうもタクヤはまだシャワー浴びているようだ。

 天井が抜けてないという事は、隕石が落ちてきたわけではなさそうだが……家の中にあんな大きな音がする物なんてあっただろうか?


 私と妻の寝室の真上となると、ちょうどタクヤの部屋がある位置だ。


「アナタ、ちょっと二階行って見てきてよ」

「え! 私が行くのか!」

「当たり前でしょ! 泥棒でもいたら、どうするのよ!」


 「泥棒に私がやられたら、どうやって金を稼ぐんだ!」と言い返す勇気も無く、男として妻に先陣を切らせるわけにもいかない。

 起きたばかりで重い足腰で渋々二階へ上がって行き、息子の部屋の前まで来た。

 しかし、ドアをノックしようとしたら躊躇い、手が止まってしまった。

 別に『泥棒とかがいたらどうしよう……』と怖くなったワケではない。ただ、最近、タクヤとあまり話をしていないため、勝手に部屋に入ることに抵抗が生まれたのだ。


(後で怒られたらどうしよう……)


 ここ最近、高校生になって成長期になった息子は、あっという間に私の身長を追い抜いて行き、体格もがっちりして来て、自分の息子なのに「おお!」と怯んでしまう事があった。

 もし、こいつが家庭内暴力などに出る事があったら、果たして私は武器を持ってもいいのだろうか? と不安になる事もあった。幸い、今はサッカーに打ち込んでいてくれる為、そんな素振りを見せてはいないから、杞憂なのだが。


 と、そんな事で泥棒よりも、後で息子に何て説明すればいいのか分からない恐怖に怯えていると、


「ちょっと、何やってるのよ! 早く、中見てよ」


 痺れを切らした妻が階段の下まできて、険しい顔をしていた。そこまで来たならお前がやれろ。


 「あとでタクヤに何か言われたら、どうしよう……」と、重いため息をついて、私は渋々、部屋をノックした。


「タクヤぁ」


 一応、礼儀として息子の名前を読んだ。シャワーを浴びているから、いるはずないのに。誰に気を使っているのか分からないが、万が一、部屋の中に泥棒がいたとしらた、『こっちはノックしたんだから、いるならちゃんと逃げろよ』と言う無言のメッセージにはなるだろう。

 泥棒と鉢合わない様に、部屋を蒸らす為に十秒くらい待ってから、私はドアノブを捻って中を覗いた。


「うわっ!」


 ドアを開け、中を覗くと、驚きで思わず声が出た。

 知らん間に後ろに控えていたフライパン片手の妻が「やっぱり、何かいた?」と私の脇から中を見た。


「何これ! ちょっとタクヤぁ! タクヤぁ!」


 妻の家中に響き渡る甲高い声に同調するように風呂場のドアが開き、タクヤの「何?」と言う野太い声がした。

 つい数年前までは高い声をしていたのに、変声期であっという間に大人の声になってしまった。

 妻に連れられて、息子が大きな体をドタドタさせながら階段を上って来た。心臓がドキッとなり、不甲斐ないが私は息子の足音に緊張してしまった。


「どうかしたの?」


 まだ寝巻き姿の息子の問い掛けに、私は何と返事をしたらいいのか分からず、「あ、ああ……」と情けない言葉で返した。息子に人見知り。


「『どうかしたの?』じゃないでしょ! アナタ、部屋で何したの!」


 妻の感情的な怒鳴り声に、息子は何を言っているのか分からないという表情をした。


「部屋、なんかあったの?」

「いや、それがな……」


 私は相変わらず、返答に困った。息子に人見知り。


「入っていい?」


 タクヤは私からドアノブを取り上げて、自分の部屋を開けた。


「うわっ! 何これ!」


 部屋の中を見て、タクヤも私と妻と同じ声を上げた。

 部屋の中は、ベッドの上にあったはずの布団が反対側の勉強机のあるの壁にぶつかっていた。床には机の上の物や、倒れている本棚の漫画などが散乱し、象でも暴れたような感じになっていた。


「アナタ、け、警察呼ぶ?」

「いや、まだ早いだろ……」


 私達よりもタクヤの方が部屋の惨状に呆然とし、言葉が出ない様子であった。


「た、タクヤ……取り敢えず、何か盗られた物とかないか、すぐに分かるか?」


 私は緊張した声で息子に尋ねた。


「ダメよ、アナタ。タクヤはこれから朝練に行くんだから! 警察呼んで片付けてもらいましょう、警察。タクヤはもう学校に行ってもいいわよ」

「警察は便利屋じゃないぞ」

「でも、税金払ってるでしょ、私達? ねぇ、タクヤ。そうしましょう」

「……いや、いいよ」


 タクヤがボソッと返事をした。


「今日は朝練休むから。学校行くまでに部屋の片付けするよ。何かあったら、下に行くから」


 取り乱している両親とは裏腹に、息子の声は落ち着いていた。と言うより、私には何故か安心したような声色に聞こえた。

 タクヤは妻と私を部屋から出して、ドアを閉めてしまった。


 ドアが閉まり切る瞬間、私には隙間から見えた息子がホッと息を吐いたのが見えた。


 今の顔は何だったんだ?


 私の頭のその時のタクヤの顔がしばらく焼き付いた。



「あの子が朝練休むなんて珍しいわね」


 リビングに戻り、私の朝食の用意をする妻が言った。そう言えば、高校に入ってからタクヤが部活を休んだと言う記憶がないな。


 脳裏にさっきのタクヤの顔がチラついた。


「前は風邪引いても『絶対に行く』って喧嘩になったのよ」


 息子は私に似ず、運動ができるようで、中学時代も何回か地区の選抜などのチームに選ばれた事もあった。

 今の高校も「強いところでサッカーがしたい」とかなり勉強で無理をして入ったほどだった。


 あのホッとした顔はなんだ?


「昨日まではちゃんと練習に行ってたんだよな?」

「うん。でもまぁ、疲れて帰って来て、部屋があれじゃ休まんないから、朝のうちに片付けたいのかもね。私達に見られたくない物もあるかもしれないし」


 ……まぁ、息子も高校生だ。そう言う物もあるだろうな。


 私が会社に出かける時分になってタクヤは寝巻きから部活用のジャージに着替えて、二階から降りてきた。


「盗まれてる物は何もなかった」


 タクヤは私と入れ替わりでテーブルに座り、朝食を食べ始めた。


「じゃあ、泥棒じゃないのかしら……」

「それなら安心だな」


 私は「このままでは息子と一緒に駅まで歩くことになるのでは……」とハッとして、急いで家を出る事にした。


「でも、泥棒じゃないなら、何なのかしら?」


 確かに、あんなに部屋が荒らされていて「何もなかった」と言うのは気持ち悪い。だからと言って「早く着替えて家を出ないと」と急いで背広に着替えるのに忙しい私には何も思い浮かばないのだが。


 あの部屋で何があったんだ?


「じゃあ、私は行くぞ」

「あら? いつもより早くない?」

「え? そうか?」


 妻に咎められ、ドキッとし、思わずタクヤの顔を見てしまった。


「た、たまには早く準備できたから、ゆっくりに歩いて行くよ」

「アレなら、拓也と一緒に行ったら?」


 妻の心無い提案に私は笑って誤魔化した。その時、おかしな事に気づいた。朝練に行かないはずなのに、なんでタクヤはジャージ姿になっているんだ?

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