反逆者たちの取引 ②
「こっちだよ」
「……都内に、こんな場所が……」
都内某所、某公園。
小さな町工場の廃工場の近くに、けっこう広い、公演と言うよりかはグラウンドとか称した方がしっくりくる公園だ。詐欺師の前の仕事をしてた時期、車であちこち出回ってた時に何度か横を通った記憶がある。
『管理人詰所』と書かれた、公園隅に配置されたよく分からないプレハブ小屋。芳賀さんが小屋の鍵を解錠し、それに続いて入室すると、中には地下へと続く薄暗い階段があった。
3人並んで階段を降り降り。今借りているマンションの10階ぶんくらい降りたところで、ようやく階段は終わり、広い円形のフロアに着いた。
「祭壇……?」
「おっと。いきなり宗教的なオブジェクトを見せて引かれちゃったかな」
薄暗くて、詳細な観察は捗らないが……ロウソクの薄明かりとか、部屋を囲むように並べられた、何を模しているのかイマイチ判別しかねるオブジェの数々とか……そして、部屋中に漂う、メンソールみたいな妙にスッとする香りとか。
そんなスピリチュアルな雰囲気の部屋の真ん中には、カルト的、宗教的。無宗教の俺が足を踏み込むのをためらう、大きな……洋風の祭壇があった。
どの宗派のものなのかは分からない。たぶん俺が不勉強なせいではないと思う。一般人が名前を知っているような宗教のものではないだろう、羽と歯車の彫刻のようなものがゴテゴテと外側や上面に張り付いた、奇妙な祭壇である。
あの喫茶店からこの公園まで、芳賀さんが呼んだ車で15分ちょっと。その車の中で話した内容を思い出す。
「……『成神が消滅を起こしている』という件については、向こうでゆっくり説明するとして。涼、きみ、
「偽薬……? プラシーボ効果のことですか?」
「さすが。プラシーボ効果、プラセボ効果とも言うね。どんな効果のことかも知ってるかな」
「ええと……専門用語とか医学的なことはさっぱりなんで、例をあげて説明しますが。
コップに入っているただの水を、強く『この水は酒だ』と思い込んで飲むことによって、アルコールなど入っていないのに、本当に酔っ払ってしまう、みたいなものですよね」
「うん。大体合っているよ」
ようは、強く、自己暗示レベルで思い込むことによって、実際にその思い込みに近い効果を得る現象を指す。
健康に大きな効果をもたらすはずがない、ただの料理用の粉を『これは風邪薬だ』と思い込んで飲むことで、本当に風邪薬と同じ効果を得る……なんて話も聞いたことがある。
まぁ、ホントかよって感じのトンデモ科学だと思ってるんだけども……。
「さて。じゃあプラセボ効果の知識を頭の片隅に置いた状態で、ちょっと今の日本を考えてみよう」
「は……?」
「今のお酒の例と、とても似ているとは思わないかい?」
……言っている意味がよく分からない。
「成神の職業や特徴・性格と神業が一致している理由は、何だと思いますか?」
「何だって?」
助手席に座ったキャベンディッシュが、こっちを微塵も振り向かず声を投げる。
「原初の成神、アクション俳優は、ドラマと同じ変身能力を手に入れた。SNSの炎上が絶えないアイドルは、炎を自在に操る能力を手に入れた。……椎橋くん、ここまで言えば分かるわね?」
「それも何かのアニメのセリフか?」
でも、言われてみれば確かに。
今まで、『そういうモノなんだろう』として考えもしなかったが。なんで、元々の彼らの職業と、成神になった際の彼らの神業は、奇妙な符合を見せているのだろう。
そして、プラセボ効果を合わせて考えろ、と言われれば……たしかに、ここまで言われれば察しの悪い俺でも大体の見当はつく。
「アクション俳優は、人々から『彼は変身が出来る』と思い込まれていた。萌木緋蜂は、人々から『炎上が得意技だ』と思い込まれていた。
だからそれが現実のものになった……と?」
「
「……まさか」
「そのまさかだ」
芳賀さんは、開けていた窓を閉めて。
「我々成神の力の源は、君たち一般人の『認知』なのだよ」
……成神の力の源は、一般人の『認知』。
だとしたら、この祭壇は……。
階段を降りたところで、俺に待機するように言って、芳賀さんとキャベンディッシュは、祭壇のある、部屋の中央へと歩いていく。
「一般人の認知が、成神を成神たらしめる。それはつまり、一般人の『信仰』によって、ヒト如きが『神』になってしまうってことだ」
「…………」
「これまで、人々は仏や神を信じてきた。しかし今の日本に、敬虔な仏教徒や神道系の信者がどれほどいる?
我々人間は、神を信じ、神に認知と信仰という供物を供えることをやめてしまったんだよ。だから、その代わりに憧れの対象である俳優やスポーツ選手などの有名人が、次々とそれに取って代わって成神などという神モドキになっていった」
芳賀さんの声色からは、侮蔑と自責の感情を感じた。
彼が祭壇に触れ、こちらからは暗くて見えないが『何か』をした。ただの彫刻だと思われていた羽と歯車が、ギギ、と重く鳴いて駆動し始める。
何かが、祭壇から足元へと這ってくる。
……光だ。暗くて気が付かなかったが、この部屋の床には複雑な回路図みたいな線と円だけの幾何学模様が描かれていて、今、それらが祭壇を中心に発光を始めた。
「……!?」
この明かりによって、ただの円形のホールだと思われていたこの部屋の全貌が、今ようやく明らかになる。
まるでコンサートホール。
この円形な部屋は、いわばステージのようになっており、その一段下に、客席のようにもう一回り低く広い円形が広がっている。
そして、その一段低い円形を埋め尽くすように。
『信じよ、神亡くす我らの神を』
『信じよ、真を超える偽を』
『信じよ、救世の
大量の……人。人。人。人。人。
人人人人人人人人人人人人人人人人人……。
みんながみんな、手を合わせ、この部屋の祭壇に向かって祈りを捧げていた。
「どういうつもりだッ!」
今度こそ、手にかけるだけじゃなく、懐に入れていた拳銃を取り出す。
銃口をどこに向けていいかも分からないまま、俺は後ずさる。
ちくしょう、警戒心を解くべきじゃなかった。世話になった芳賀さんが言うならと、キャベンディッシュに感じた危険さを完全に頭から捨て去ってしまっていた。
「落ち着いてくれ。何も危害を加えようというわけではない」
「こんな不意打ちされて信じられるか!」
「……芳賀。私に大口叩いておいて、取り返しがつかないほど警戒されてるじゃありませんか」
「…………」
はぁ、と溜め息を吐き、両手をあげる芳賀さん。
「繰り返すが落ち着いてくれ、涼。私たちは成神だぞ。君を襲ったり脅したりするつもりなら、こんな回りくどい真似をするものか。喫茶店でコーヒーに睡眠薬でも混ぜるか、車の中で口にハンカチ当ててるさ」
「…………」
……い、言われてみれば、そうか。
拳銃をしまう。
「驚かせてすまなかったね。だが、見て欲しい。彼らは全員、私たちの『仲間』なのだよ」
もう一度落ち着いて、眼下の人々を見渡す。
揃いも揃って修行僧のような衣服に身を包み、俺が拳銃を取り出して威嚇したばかりだというのに動揺している人間は一人もおらず、全員が祭壇への祈りを続けている。
……ざっと見ても、300人……いや、500人くらいはいるか? 奥にもっと広がりがあるなら、800人以上いるかもしれない。
「今、日本はあるべき姿にない。
私も元々は無宗教だが、不特定多数が、不特定少数の成神に対して、信仰を分散させているこの状況は危険だ」
「各界のカリスマが信仰を得て成神となるのと同じように、土地や建物は、人々から忘れられることによって『消滅』するのです」
「……人々から、忘れられることによって……」
そうか。認知によって、あるはずのない神業や超能力が産み出されるならば、その逆があってもおかしくない……むしろない方が不自然だ。
数年前に閉店したパチンコ屋や、人の寄り付かなくなった公園のような場所が消滅することとも辻褄が合う。
「『場所』だけだと思いますか?」
「え……」
キャベンディッシュの声は、肩は、震えている。
「……孤独死の件数は、令和に入ってから激減しているのです。これがどういうことか分かりますか」
「…………ちょっと待て、嘘だろ」
「嘘なんかじゃありません。嘘だと思いたくなるような、そんな惨いことが、実際に起きている」
忘れられた人間が……『消滅』する?
誰からも認知してもらえなくなった孤独な人間は、さっきの公園と同じように、生きていた記録も記憶も全てを消されて……消える。
思わず、片手で自分の身を抱いた。
今は、委員長をはじめ、天秤座のメンバーたちが俺のことを認知してくれている。だが、それがいつまで続くか……。
数年前、前の職場を辞めてすぐの孤独な期間が再び訪れたとしたら……?
心臓に、硬い氷の針を押し付けられた気分だ。
恐ろしい。
「成神は、そういった消滅した人や物が持つはずだった認知の力を不正に集め、神としての力を維持し、強化している。こんなことは許されてはならない」
「我々は……力を持たない、神モドキなどではない、誇り高き『ただの人間』の味方なのです」
「…………」
認知。信仰。成神。人間。
…………消滅。
人々の祈りの声が、耳から入り、骨と血を震わせて反響する。
彼らの祈りは、本当の祈りなのだ。そう思った。
「私たちは、トレイターズユニオン。略称『TU』を名乗っている」
「成神を至上とする今の日本を破壊し、再び、ひとつの神を信仰する正常な国に戻せば……この異常な消滅や現実改変現象は無くなるはずです」
「信じよ、神亡くす我らの神を!」
芳賀さんが声を張り上げる。
「信じよ、真を超える偽を!」
キャベンディッシュが声を張り上げる。
『信じよ、救世の
この場にいるTUの全員が、強く、高く、声を張り上げる。
「…………」
「もちろん強制はしない。だが、涼。君は今のこの成神社会に、強い違和感を抱えていたはずだ」
……ああ、そうだ。
違和感なんてなまっちょろいもんじゃない。嫌悪感、敵意、何だったら殺意と言い換えてもいい。
「……まだ、完全に信用しきったわけじゃありません。天秤座には恩もあるし、八方美人は出来ない」
「…………」
「ですが……もう少し、詳しく話を聞かせてください。理念には共感できるし、あなたたちを信頼しきることが出来たら、俺にできる範囲で協力します」
芳賀さんが満足気に頷き、キャベンディッシュは安心したように溜め息をつき、胸を撫で下ろした。
「もちろんだ。今日はもう遅い、また別の日にもっと詳しい話をしよう」
天秤座に所属し、成神の仲間として治安維持のために働く。
TUに所属し、成神を消し去って元の正しい世界に戻すために神を信仰する。……こちらは、まだそうだと決まった訳では無いが。
この日から……俺の、奇妙な二重生活が始まるのだった。
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