人間らしく
トレイターズユニオン、略してTUなる連中との接触を終え、世界がヤバい、自分を含めた人や物が消えるかもしれないという心肝寒からしむる話を聞かされた俺は、ぼうっと酒を飲んでいた。
天秤座にしろTUにしろ、最近なんだってんだ、いったい。こんな俺を迎え入れて、力になってくれだのと……俺のどこにそんな力があるように見える?
前の会社にいらないと捨てられた役立たずな俺を、隠し事が下手くそな神様が励ましてくれているようだ。
……いやいや、神様って。この成神が幅を効かせる世の中で、本物の神様の存在に想いを馳せるなんて。馬鹿げてるだろ。いやでも、TUの理念的には、本来の神様を信仰するべきなのか? 今日は詳しい話しなかったし、イマイチ分かんねーな。
悪い方向に酔いが回っちまってるのか、はたまた、暇すぎて妄想が暴走してしまっているのか。
(呼んどいて遅れすぎだろ、アイツ……)
スマホのメッセージアプリの画面を、苛立ちを感じながら見つめる。
委員長もといブラックセーラーが吹っ飛ばすまで俺が仮加入していた、例のヤクザ的事務所の幹部。
組長やら社長やら親方やら、呼び方が人によって違うお頭を『ボス』と呼んで慕い、右腕として働いていた。
そんなアイツから久々に飲みに行こうと誘われ、俺はコンビニで金を下ろして、スロで大敗してすっからかんの財布になけなしの5万を突っ込んで来たというのに。遅い。
バー・ライトアーム。
力二が指定したこの店は、何度かヤツと一緒に飲んだことのある店だから間違いようはない。
ガラス張りの壁の奥に小さい熱帯魚の水槽が、レンガのように隙間なく並んでいるのが印象的な店だ。ヤツらしくもなく洒落ている。
アイツも一応はヤクザだしな……何かあったんじゃ……?
カランカラン。
「おーっす、涼ちゃーん! やっぱスロは凱旋に限るわー!」
……心配を返せ。金にして返せ。
#
「やー、すまんすまん。閉店1時間前にGOD引いてもうてな。もう、うっわヤッバ、ってなって。バチバチに高速回転さして、なんとか取りきってきたってワケ。万枚とか久々ですわホンマ。あー、マスター、ジントニック頂戴!」
さすが、自分のボスに耳栓つけられるほど鬱陶しがられるだけはある。神がかったうるささだ。
「つまり何か、お前はスロを一心不乱に回し続けてたから遅くなったと」
「おん。いや、そらそやろ? お前も、俺との約束かパチか選べって言われたらパチ選ぶやろ?」
当たり前だ。たとえ1パチの甘デジのしょうもない確変でもお前よりかは優先順位が高い。
「すっぽかさんと来たんやから許してや。あ、そや。せっかく勝ったんやから奢ったるやんけ。な? 機嫌直せや〜」
「元から機嫌なんか損ねちゃいないが……うわっ、抱きつくな気色悪い! お前もう酒入れてきてるだろ!」
「あ、バレた? 余り玉でけっこうええ缶ビール交換できてさ、我慢出来んくて歩きながら飲んできたねん」
ブラックセーラーが強襲してきた時に一瞬の迷いもなく発砲したヤツと同一人物だとは思えない。
ギラギラした白スーツの男が頬を擦り寄せてくるだけでも気持ち悪いのに、昼頃にラーメンでも食いやがったのか、ニンニク臭がムワァァーンとドギツく漂っている。公害の擬人化かお前は。
「そんなこと言うて、お前もパチ帰りちゃうんけ?」
「……まぁたしかにちょっと打ったが」
「その反応、負けたな」
「黙れ。次の休みで取り返すんだから実質負けてないんだよ」
「何万負けてん」
「……10万」
「えっっっっっっぐぅ〜〜……全然ちょっと打ったって額ちゃうやんけ。お前ほんまええ加減にしとかなあかんで」
うるせぇ。そっぽを向いて酒をあおる。
「ていうか、『組』は大丈夫だったのかよ。委員ちょ……いや、ブラックセーラーに、こっぴどく半壊滅させられたろ」
「あー……えっとな。その件や。今日はその件の報告っていうか、話がしたくて呼んだ」
「あ? 話?」
カウンターに、ジントニックのグラスがコンと置かれる。
サンキューマスター、いつもより数段落とした声色で言ったカニは、一口飲んで、話し始める。
「……まー、例のガキが手加減してくれたんか、死人こそおらんかったけど。散々や。怪我人ばっかで、手ェつけてたシノギの準備も破壊されて、組の再興の目処は立つ気配もない」
「そう、か……」
「やけどな、ボスはまだ諦めてへん。涼、『ジージー』って知ってるか?」
「……おい、まさか」
ジージー……『GG』。
正式名称はGOD GANG。そのまんま、成神たちによって構成されたギャング集団だ。
通常、遵守しなければならない神業や成神の特殊能力の使用に関する法的な制限も無視し、非常に暴力的な方法で市民から金を巻き上げる極悪非道の組織。
「そのまさかや。そいつらと手を組む。……いや、見栄張った言い方したな。傘下に入る」
「マジかよ……」
「……多分、傘下に入るなんてのは建前で、都合よく利用されることになるやろな」
苦虫を噛み潰したような顔のカニ。この馬鹿が、難しそうに物事を考えている様子は初めて見たと思う。
カニの所属する組のボス……直接話したことはあまりなかったが、どんなシノギをするにしても、いちおう義理とか人情に反したことはしない人だった。
信条を曲げる形になっても、組を再興するためならば仕方がない……ということだろうか。
「お前はどうなんや、涼。まだ数日しか経ってないけど、詐欺師の仕事、いけそうなんか」
「……まぁ、ボチボチな。しばらくは収入に困らんとは思うが」
「そうか。お前は正確には組の人間じゃなかったけど、なんか困ったらいつでも言えや。GGの兄貴らがどんな顔するかは分からんが、どうにか仕事の紹介くらいはしたる」
「ムリすんなよ。俺はホントに大丈夫だ。話聞いてる限り、お前らのがよっぽど大変そうだし」
と、気を遣った言い方をしてはみたが。よく考えれば今日は平日で、こいつはさっきまでパチ屋でスロットを打っていたわけで。
そう考えると仕事面はともかく、そこまで生活に不自由はしていないのかもしれない。
……まぁ、天秤座では専ら足を引っ張ることしかしていないし、あそこが息苦しくなってきたら、委員長はビンゴたちに任せて組に戻ってもいいかもしれんな。
「……生きてりゃ、色んなことがあるよな」
「何や急に。気色悪い」
「俺たちは結局、成神だとか、特別なモンにはなれねーんだよ」
「……そうやな」
人には人の生き方がある。
令和になってすぐは、成神に異常に劣等感を抱いたこともあったし……今もそれを完全に忘れ去ることはできないけど。
無理に成神に対抗し、憎悪を向けるのにはもう、疲れてきた。
「人間らしく生きようぜ。せいぜい」
#
「キャアアアアァァァァッ!!」
交差点が血に染まる。
無差別に人を襲い、黒い刃物で首筋を斬りつけては、また別の人間を襲いに飛びかかる。生身の人間では目で追うことすら適わず、無論、筋力による抵抗も意味を成さない。
不気味な呪詛を吐き続けながらも、その口元には朗らかな笑みが湛えられている。その表情からは、この殺戮行為に対する並々ならぬ愉悦が感じ取れた。
その黒い影は、獣か、或いは魔物か。
少なくとも、その姿を見て、誰も人間だとは思うまい。
ましてや……神だとは。
「止まれッ!!」
「相手は成神だ! 死ぬことはない、撃ち続けろォッ!!」
夜の渋谷。数台のパトカーが喧しくサイレンを鳴らす。パトカーから身を乗り出した警官たちは、迷いなく銃口を向け、発砲を続けながら成神を取り囲む。
「なんでだ……当たってるのにまるで動きが止まんねぇ!!」
「対象は!?」
「……不明! 黒い布を纏っており、素性が確認できません!」
……素性が確認できません、か。
悲しいことだ。仮面をつけることに疲れてこんな騒ぎを起こしたのだろうに。
力、行動、動き。この叫びを以て彼女を理解しようという者は、一人もいない。
「……『
血溜まりはどんどんと広がっている。
警官は次々に彼女の餌食となり、刺され、鮮やかな血飛沫をあげ、骸と成り果てる。
「む、無理だ、人間に成神の相手なんか出来るわけ……!」
「対成神機動部隊はまだか!?」
「うわあぁぁッ!!」
やれやれ、これだから警察は嫌いなんだ。
普段は僕みたいな変人を見かけたらすぐタメ口で威圧的に職務質問してくるくせに、強い相手にいじめられたらすぐこれだ。
大体、今のこのご時世に、警察官として仕事をするってことは、こういう目に遭う覚悟も出来てなきゃいけないと思うんだけどな。
しかし、これ以上一般市民に被害を出すことは僕の望むところではないし、彼女も望まないはずだ。
『本来の』彼女ならば、絶対に……ね。
「
こういう時に知らんぷりすることが出来ないのが、成神の辛いとこだよね。
色も音も、何もかもを追い越したモノクロの世界。加速した時の中で、僕は彼女に近付き、試しに触れようとしてみる。
「……やっぱりね」
手は彼女の体をすり抜けた。
やはり、これは実体ではない。
この人の心がない警察官たちは、僕たち成神に対して、『成神だから銃で打っても平気』みたいなことを言ってたけれど。
たしかに死にはしないけれど、当然、痛覚は普通にあるんだから、銃で蜂の巣にされてそのまま俊敏に動き続けられるわけがないだろう。
つまり、本体は別にどこかにいる。そしておそらく、彼女だけじゃなく、この光景も……。
近くにいる、斬られた首筋をおさえて倒れ込んでいる警官に歩み寄り、加速を解除する。
「ちょっと傷口触らせてもらうよ」
「ふぁっ!? な、なんだ、いきなり現れ……!?」
「あー、五月蝿い。いいんだよそういうテンプレ的な反応。あと暴れないでくれるかな。男を喘がせる趣味はないんだよ」
とても僕の漫画が連載されている雑誌では描写できないような、生々しすぎる裂傷。正直僕もグロ系の作品は好きじゃないので、あまり直視せずそのまま触れる。
……その裂傷部分は、やはり。
「君。傷口、直接触ってみたかい」
「え、あ、はぁ……?」
「バイ菌が入るとか気にしてるならその必要は無いよ。そもそも、傷なんて開いてないから」
「何言って……あぁっ!? ほ、ホントだ! こんなに痛いのに……!?」
彼女の姿が幻覚ならば、それが作り出した傷や、そこから溢れ出した血も、また幻覚。
つまりはそういうことなのだろう。これが彼女の神業ってことか。なるほど、女優である彼女に相応しい。
「警察の皆さんは下がっていてください。ちょっと、僕が出しゃばらせてもらいますよ」
「あ、あなたは……!」
「興梠ジョー、漫画家です。ブラックセーラー最新18巻みんな買ってね」
さて。出しゃばってきたからにはしくじれないな。
彼女は……中田みすずは、黒い布の奥の瞳を、一対並べて輝かせ、僕の方に揃えて向けていた。
おそらくは、昼間の炎上が原因だろう。カメラをぶっ壊したのはアレだけど、自分は何も悪くないのにあんなストーカーまがいのことをされては無理もないというものだ。あれで精神を病み、憎悪に支配されてしまった。
「……嫌、嫌、イヤイヤイヤ嫌嫌……殺す、みんな、みんな殺す……」
「中田さん。……もう君は
……それ以降を言うのはやめた。
僕は、黙って『加速』する。
せめて、人間らしく。
人間として、誇りを持って、生きてくれ。
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