反逆者たちの取引 ①
ミスター・シイバシときたか。
前の職場で外国人と話す機会があったが、その時に一度だけそんな風な呼ばれ方をした気がする。
その人には、名刺を渡した時に確認のために名前を呼ばれたのであって。こんなゴスロリ娘に名刺を渡した覚えはないし、俺は見知らぬ少女に名前を知られるような有名人じゃない。
小銃の入った懐に手を入れながら、なおも金を差し出してくる少女に声を飛ばす。
「……誰だアンタ」
「おろろ。私のことをご存知ありませんでしたか。これはこれは、大変失礼しました」
少女はわざとらしく口元にパーにした手を当て、わざとらしく目を見開いて、わざとらしく小さくジャンプした。
……おろろ、て。どこの抜刀斎だお前は。
「私、Japanese Animationが大好きなもので。つい、日常会話の中でセリフを真似しちゃうのですよ〜。にぱ〜☆」
「分かったが、とりあえずその口癖だけは俺の前で使うなよ。こないだそいつのパチンコで5万負けたんだからな」
「作品に罪はないと思うのですが」
「正論を吐くな! アンタが誰なのかと聞いているんだ!」
……とはいえ。ここまでの話の中で、なんとなく思い当たる名前は浮かんできていた。
大好きだと言う日本のアニメの中から飛び出してきたような、腰まで伸びた銀髪やオッドアイなど、現実離れした美しさを持つお嬢様。
高い頻度ではないが、何度かテレビ出演したこともあるはずだ。
「バージニア・キャベンディッシュです。略してキャッシュとでもお呼びくださいませ」
「…………」
初対面の他人を現金呼ばわりできるか。
バージニア・キャベンディッシュ。どっかの国の元大統領とその第5夫人の間に生まれた17歳のお嬢様。つまりはマジモンのプレジデント・ファミリー。
10歳の時から日本に住んでおり、15歳くらいからメディアに出始める。
『美しすぎるオタク』『世界一高貴なアニオタ』などと呼ばれるほど、俗に言うところのオタク趣味をお持ちらしく、テレビに出る際の衣装としてコスプレ衣装をリクエストすることがしばしばあるようだ。
「……テレビで見たことあるよ、アンタ」
「ありがとうございます」
「だから俺はアンタを知っている。だが、アンタが俺を知るはずねぇだろう。ただの一般人の俺を」
「あら。つい先日まで詐欺を生業としていた上に、今は成神たちで組織された自治団体に参加している人間のことを、日本語ではただの一般人と言うのですか?」
「…………」
そんなとこまで割れてんのか。
俺は懐から手を離す。キャベンディッシュに関する詳細な情報はないが、有名人のはずだ。恐らく成神だろう。ならば、銃に手をかけても意味は無い。
もしや、タカマガハラの人間か……?
「申し訳ありません。なにぶん、日本語の経験は浅いものですから」
「いや、なかなか流暢だよ。日本語も皮肉も上手いもんだ。その上手な日本語で、とっとと目的を話してもらいたいね」
「そうだよお嬢様。遅いと思って来てみれば、バッチリ警戒されちゃってるじゃないか」
路地の奥から男が歩いてくる。キャベンディッシュの仲間か……?
目を凝らし、その男が誰なのかを認識した瞬間。俺は、口を半開きにしたまま、固まる。
「…………
「やぁ久しぶり、涼。色々混乱していることとは思うが、ここからは話し下手なお嬢様に代わって、私に事情を説明させて頂けるかな」
「なんで……アンタがこんなとこに……」
「私の自己紹介は不要だね? 忘れてしまったというならいくらでもしてあげるけども」
かか、と少年のように笑う、40歳過ぎの男性。
ベージュ色の高級なスーツを嫌味なく着こなした、まさに紳士という言葉がピッタリ当てはまるその男性の名は、
有名週刊誌・セブンウォーカーの編集長。そして、俺の元上司である。
「立ち話もなんだし。どうかな、近くにいい喫茶店を知っているんだ」
#
いい喫茶店だと? 俺を一人で出歩くことが許可されていない世間知らずの小学生低学年か何かだとでも思ってんのか? どう見てもコ〇ダ珈琲じゃねーか。
そんなツッコミを腹に抱えつつ、俺はカツサンドとチョコケーキとアイスコーヒーを注文する。
「よく食べるね」
「人の奢りなら胃袋が3倍に膨張するんですよ。言いませんでしたっけ」
「はは。確かに、飲みに行く時毎回そんな事言ってた気がするな。顔が赤くなったら吐く速さも3倍になるから同僚に裏で『シャア』って呼ばれてたよね」
「ちょっと待ってください、それ今になって俺に教える必要ありました? 泣きそうなんですけど」
「…………」
芳賀さんが現れてから、キャベンディッシュは黙りこくったままだ。今はおしぼりを丁寧に折り畳んでいる。
各自の注文が終わり次第、芳賀さんは、まるで『トイレに行きたい』とか、『スマホを変えたんだ』とか、そんなどうでもいい連絡や報告をするノリで、こんなことを言った。
「私たちは、この世から成神を消し去ろうと考えているんだよ」
先に運ばれてきていたお冷を持つ手が、ぴたりと止まる。
このまま、芳賀さんの顔面にぶっかけて頭を冷やしてやろうかと本気で考えたが、それはやめておいた。
「……成神であるアンタらが。それも、成神たちのスキャンダルをメシのタネにしてるアンタが。そんな事を言うんですか」
「気を悪くしてしまったならすまない。だが私たちは本気だ」
「……とりあえず続きを聞かせてください」
足を組みかえ、俺は続きを促す。
およそ元上司に対する社会人の態度ではない。そんなことは俺が一番よく分かっている。だが、どうしても、過去の苦い思い出が邪魔をして、彼の言動一言一句に少なからずの不快感を感じてしまう。
「私たちは今現在、『成神をこの世から消し去る』という共通した目的の元、
「……トレイター? 何です、テロでも起こす気なんですか」
「この現代日本の在り方を大きく変えるということがテロだと呼ばれるなら、私たちはテロリストでもいいと思っているよ」
「え……」
ビビった。恐れた。そんな表現が正しいのかもしれない。俺は喫茶店の椅子に座ったまま、椅子が少しだけザザッと音を立てるくらい、背中を後ろに引いた。
芳賀さんの目は、マジだった。
「……アンタは成神で、それに、アンタには大手雑誌編集長……今は出版社の社長もしてるんでしたっけ? とにかく、アンタは俺のように、失う物が何も無い人間じゃないでしょう」
「そうだね。私は今の仕事に誇りを持っている」
「なのに……テロリストになって、全てを台無しにしても構わないと?」
「そうだ」
言葉を失う。そこまでハッキリと、目を見て言われたら、何も言えない。
ちょうど沈黙が降りたタイミングで、店員が注文したメニューを一気に運んできた。2人がそれぞれ注文したアメリカンコーヒーとミックスジュースに口をつけるのを見て、俺も、カツサンドを一口食べる。
「成神は、この世から無くならねばなりません」
喫茶店に入ってきてから、注文の時以外ずっと口を真一文字に結んでいたキャベンディッシュが、そう言った。
これまでの、いまいち重みや感情にかける話し方とは、何かが違う。彼女の目元には、その綺麗に切りそろえられた前髪の影が、深く降りている。
俯く彼女に、芳賀さんは慰めるように、窘めるように、肩に手を置く。
「お嬢様。はやる気持ちは分かるが、順を追って説明しなければ。これは重大な分岐点なのだから」
「……そうですね。ごめんなさい」
「要するにアンタらは、この世から成神を消すという目的で協力して行動しているわけですか」
「その通りだ」
芳賀さんは頷くと、懐から手帳を取り出し、何枚も挟まっている小さなポラロイド写真みたいなものの中から一枚抜き取った。
「仕事の関係で、近くに宿が取れず、君の実家に一度お邪魔させてもらったことがあったね」
「え? あぁ。ありましたね」
「
何だ急に。話が見えんぞ。
写真が、俺に見やすいように机の上に置かれる。
写っているのは……なんてことはない。桜が満開の、小規模な並木道を有する小さな公園らしき風景だ。
「それは?」
「……見覚えがないかい」
「ありませんが……」
「この写真を撮影した住所は――」
それを聞いて、湧き出た疑問。
なんで……なんで……。その『なんで』の答えに思い至り、俺は、身体中を怖気が、冷気が伝うのを感じた。
住所は……俺の実家の、すぐ近くを指したものだったのだ。
「……『消滅』したんですか」
「例の成神組織で聞いたようだね」
「人々から忘れられた土地・建物は、消滅危惧地区となり、そこから『ハコ』が失われると、完全に消滅してしまう。記憶からも、記録からも」
キャベンディッシュが淡々と述べる。
そう、記録からも消えるはずだ。
だから……この写真があるのは、おかしい。
「この写真が存在できているのは、私たちの仲間の成神に撮影させたものだからだよ」
「……思考を読まないでもらえますか」
「まぁ、当然の疑問だろうからね。写真家の成神・
……公園。
たしかに、今振り返ってみれば、俺は子供の頃に公園で遊んだという記憶はあるが、それがどんな公園で、どんな遊具があったか……一切思い出せない。
くそ。頭がおかしくなりそうだ。過去奥深くの記憶が、こうも簡単に、あっさりと、知らないうちに書き換わっている。
見るもの、認知するもの全てが、おぼろげなものに思えてきた。
「たとえ消滅しても、その場所のことが深く他の記憶と結びついていれば、その場所に関する記憶は消えない。だから……こういう言い方は何だが、安心しなさい。重要な記憶が凋落したという訳では無い」
「……あぁ。分かってますよ。それで……俺にこれを見せて、何を伝えるつもりだったんです」
「はは、すまない。私も大概回りくどい性分だ」
写真を手帳に挟み直すと同時に、芳賀さんは下を向き……コーヒーカップの中の、暗く深い深淵に目を向けて、言った。
「『消滅』を引き起こしているのは、他でもない、成神たちなのだよ」
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